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治すことと穏やかに過ごすこと【理学療法とは何か #034】

この連載は、6本を1シーズンとして進めています。
全体の流れを確認したい方は、以下の目次をご覧ください。

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治すことと、穏やかに過ごすことのどちらを選ぶべきなのでしょうか。

この問いに、理学療法士が一方的に答えることはできません。治療を続けるのか、治療による負担を減らして穏やかに過ごすのかを選ぶのは、理学療法士ではなく患者本人だからです。

治療を続けることが常に正しいとは限りません。一方で、穏やかに過ごすことを選ぶことが、治療を諦めることとも限りません。両方が両立する場合もあれば、どちらかを選ばなければならない場合もあります。

その選択を支える考え方の一つが、ACPです。

ACPとは、アドバンス・ケア・プランニングの略称です。日本では「人生会議」とも呼ばれています。将来の医療やケアについて、本人が大切にしていることや望んでいる生き方をもとに、家族や近しい人、医療・ケアチームと繰り返し話し合い、共有していく取り組みです[1、2]。

ACPは、人生の最後に受ける治療を一度だけ決める手続きではありません。本人の病状や生活、気持ちは変化します。以前は歩くことを望んでいた人が、痛みや疲労が強くなり、安楽に過ごすことを望む場合もあります。反対に、もう起き上がれないと考えていた人が、大切な人に会うためにもう一度座りたいと望むこともあります。

そのため、本人の意思を一度確認して終わるのではなく、その時々の状況に応じて繰り返し話し合う必要があります。

この回は、理学療法の技術を考える回であると同時に、医療倫理を考える回でもあります。

理学療法士にとって「治す」とは、運動を通して基本動作を変容させることです。起き上がれるようにします。立ち上がれるようにします。歩けるようにします。そして、基本動作の変化を、トイレ、着替え、食事、外出といった活動の変化へつなげます。

しかし、すべての人が回復に向かっているわけではありません。終末期の人もいます。複数の病気を持つ超高齢者もいます。身体機能の回復が難しく、治療による負担の方が大きくなる人もいます。

そのようなとき、理学療法士は「治すこと」だけを目標にできなくなります。

では、「穏やかに過ごす」とは何でしょうか。

私は、安心や安全という言葉よりも「安寧」という言葉が近いと考えています。安寧とは、現在だけでなく、これから迎える時間に対しても、苦しみや怖さが少ない状態です。

痛みが少ないことです。息苦しさが少ないことです。無理な運動を求められないことです。自分の望まない治療を強いられないことです。そして、これから何が起こるのかについて、本人や家族が可能な範囲で理解できていることです。

ただし、医療が安寧を必ず提供できるわけではありません。病気による苦痛を完全に取り除けないこともあります。先の不安をすべてなくすこともできません。それでも、少しでも苦しみや怖さを減らすことは、医療とケアが目指す方向の一つです。

治すことと穏やかに過ごすことは、必ずしも対立しません。

起き上がれるようになることで、呼吸が楽になることがあります。座位を保てることで、家族と食事をすることができます。少し歩けることで、自分でトイレへ行ける場合もあります。このような理学療法は、基本動作を変える治療であると同時に、その人の安寧を支えるものでもあります。

一方で、両立しない場合もあります。

歩行練習によって強い痛みが生じることがあります。起き上がるだけで息苦しさや疲労が増すことがあります。本人は静かに過ごしたいのに、身体機能を落とさないためという理由で運動を続けることもあります。

このとき、疲労や痛みがあるから直ちに理学療法を中止すべきだとは言えません。回復のための運動には、ある程度の疲労や身体的負担が伴います。重要なのは、その負担が予後とゴールに裏打ちされているかどうかです。

この運動を続ければ、どのような変化が期待できるのでしょうか。その変化は、本人が望んでいる活動につながるのでしょうか。疲労や痛みを経験するだけの意味を、本人が理解し、納得しているのでしょうか。

予後とゴールが明確であり、本人がその負担を受け入れているのであれば、疲労を伴う運動にも意味があります。しかし、回復の見込みや目的が不明確なまま、ただ苦痛だけを与えているのであれば、それは治療とは言いにくくなります。

予後とゴールに結びつかない苦痛は、単なる苦しみになる可能性があります。その場合には、負荷を下げることや中止することも検討されるべきです。

たとえば、終末期や超高齢の人が「もう起き上がりたくない」と話したとします。

その言葉だけを聞いて、すぐに起き上がり練習を中止することが正しいとは限りません。なぜ起き上がりたくないのかを知る必要があります。痛いからなのか、疲れるからなのか、怖いからなのか、何をするために起き上がるのかがわからないからなのかを考えます。

同時に、起き上がらなくなることで何が起こるのかも説明する必要があります。食事が難しくなるかもしれません。家族と同じ目線で話せなくなるかもしれません。トイレへ移動できなくなるかもしれません。呼吸や痰の排出にも影響するかもしれません。

理学療法士は、起き上がるか起き上がらないかを本人の代わりに決めるのではありません。起き上がることで得られる可能性と、それによって生じる負担を、身体と活動の専門家として伝えます。

その情報を受け取った本人が、家族や医療・ケアチームと話し合い、どのように過ごしたいのかを決めます。理学療法士は、医師の指示のもとで、チームの一員としてその意思決定を支えます。

本人の希望と、家族や医療者が考える「本人のため」が一致しない場合もあります。

本人は歩きたいと望んでいても、家族は転倒を心配して歩かせたくないと考えるかもしれません。本人はもう運動をしたくないと思っていても、家族は少しでも長く動けるようにしてほしいと願うかもしれません。

どちらか一方が間違っているとは限りません。本人には本人の人生があり、家族には本人を失うことへの不安があります。医療者には安全を守り、利益を提供し、害を避ける責任があります。

だからこそ、ACPが必要になります。

理学療法士は、本人や家族に対して、身体と活動に関する情報を明確に伝える必要があります。どこまで動ける可能性があるのかです。動くことで何が得られるのかです。どの程度の痛みや疲労が予想されるのかです。動かないことで何が起こる可能性があるのかです。どのような支援があれば、安全に活動できるのかです。

ただし、情報を伝えることと、理学療法士が望む方向へ誘導することは違います。

専門職は、歩ける可能性があると、歩かせたいと考えがちです。基本動作を改善できる可能性があれば、治療を続けたいと思います。しかし、理学療法士が考える身体的な利益と、本人が大切にしているものが一致するとは限りません。

本人が穏やかに過ごすことを選んだときにも、理学療法が終わるわけではありません。

ACPを通して選ばれた方針の中で、リラクゼーションやポジショニングが必要であれば、それを行います。背中や脚の痛みを少しでも軽減できる姿勢を探します。呼吸が楽になる姿勢を考えます。体位を変えるときの苦痛を減らします。家族に安全で負担の少ない介助方法を伝えます。

積極的な運動を行わないことと、何もしないことは違います。

身体機能の回復を目指さなくても、苦痛を減らすためにできることがあります。本人が望む姿勢を保つことができます。家族と同じ空間で過ごせるように移乗を支えることもできます。少しでも安楽に眠れるように身体を整えることもできます。

治すことを手放す場面でも、理学療法が終わるわけではありません。

理学療法士にとって重要なのは、どちらの選択が正しいかを決めることではありません。本人が何を大切にし、どのような時間を過ごしたいのかを理解し、その選択に必要な身体と活動の情報を提供することです。

そして、その意思が変化したときには、もう一度話し合います。人の願いは変わります。身体も変わります。家族との関係も変わります。昨日の決定が、今日も最善とは限りません。

ACPに理学療法士がどのように関わるのかを、チームの一員として考えておく必要があります。

次回は、「動くことの意味が変わるとき」を考えます。

理学療法は、治療として運動を用います。しかし、人が動く理由は回復だけではありません。苦痛を減らすために動くことがあります。大切な人とつながるために動くことがあります。自分で選んだ生活を最後まで続けるために動くこともあります。

動くという概念には複数の意味があります。治療として動くことと、安寧のために動くことの両方を理解することが、理学療法士には求められています。

この連載の全体像と過去記事は、以下の目次から確認できます。

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参考文献

[1]厚生労働省.人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン.2018.

[2]日本老年医学会.ACP推進に関する提言.2019.

[3]厚生労働省.人生会議(ACP:アドバンス・ケア・プランニング)してみませんか.

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