歩けることと暮らせることの違い【理学療法とは何か #022】
この連載は、6本を1シーズンとして進めています。
全体の流れを確認したい方は、以下の目次をご覧ください。
▶ このマガジンの目次
⸻
「歩けますか」と聞かれる(聞く)ことがあります。
この問いは、とても大切です。理学療法士にとって、歩けるかどうかは重要な評価項目です。歩行は生活の土台であり、移動の中心です。立ち上がり、トランスファー、トイレ、外出、買い物など、多くの生活行為は歩行と深く関係しています。
しかし、「歩けること」と「暮らせること」は同じではありません。
ここを混同すると、理学療法の目標設定はずれてしまいます。病院の廊下を歩けることと、自宅で安全に暮らせることは違います。リハ室で10メートル歩けることと、家で夜間にトイレへ行けることは違います。歩行器を使って見守りの中で歩けることと、一人で生活の中を移動できることも違います。
この違いを考えるときに役立つのが、ICFの考え方です。ICFでは、人の状態を身体構造・心身機能、活動、参加、環境因子、個人因子のつながりとして見ます。たとえば、脚の筋力や関節の動きは身体機能です。歩くことやトイレへ行くことは活動です。買い物へ行くこと、地域の集まりに参加することは参加に近づきます。そして、家の段差、手すり、家族の支援、交通手段、地域の環境は環境因子です。
この視点で見ると、「歩ける」ということだけでは生活全体を説明できないことがわかります。身体機能としては歩けても、環境が合わなければ暮らしにくいことがあります。逆に、歩行能力が完全ではなくても、環境や支援が整っていれば暮らせることがあります。
ただし、ここで誤解してはいけないことがあります。だからといって、「歩けること」を軽視してよいわけではありません。歩けることを作ることは、理学療法の基本的な理解として正しいです。問題は、歩けることを最終目的のように扱いすぎることです。歩行能力は重要ですが、それがどの生活場面で使われるのかまで見なければなりません。
現代の移動を考えると、「最初の10歩」と「最後の10歩」が非常に重要になることがあります。家の中で玄関まで歩けることです。車やタクシー、電車、バスまで移動できることです。目的地に着いた後に、入口から席まで歩けることです。もし最初の10歩と最後の10歩が成立すれば、その間は車や公共交通、エレベーター、エスカレーター、車椅子などの支援によって補えることがあります。
つまり、現代社会では、遠くまで歩き続けられなくても、移動の仕組みが整っていれば遠くまで行けることがあります。このとき必要なのは、すべてを自分の脚だけで移動する能力ではありません。必要な場面で、必要な距離を、安全に移動できることです。最初と最後の間にある支援が、広い意味での移動を大きく作ってくれます。
理学療法士は、「歩ける」をかなり細かく見ています。TUG、10メートル歩行、6分間歩行などの評価を用いることがあります。歩く速さ、距離、方向転換、疲労、屋内外の実用性、転倒リスクなどを見ます。補助具が必要なのか、見守りが必要なのか、一人で歩いてよいのかも見ます。単に「歩けました」、で終わるわけではありません。
しかし、「暮らせる」となると、さらに見るべきことが広がります。一人暮らしであれば、トイレ、入浴、食事、洗濯、整容などが最低限どの程度できるかが重要になります。服薬管理や買い物も関係します。家の中の段差、廊下の幅、トイレの位置、浴室の安全性も関係します。家族の支援や地域のサービスも関係します。今回は話を広げすぎないために、社会的インフラや支援も含めた最低限の自立レベルとして考えるのがよいと思います。
病院では歩けるのに、家では暮らしにくいということがあります。
病院の廊下は比較的広いです。床も整っています。手すりがあります。人が近くにいます。転倒してもすぐに助けてもらえる可能性があります。理学療法士や看護師が見守ってくれることもあります。この環境は、身体的な安全だけでなく、精神的な安全も担保しています。
一方で、自宅は違います。廊下が狭いことがあります。段差があります。夜は暗いです。トイレまでの距離が長いことがあります。浴室は滑りやすいです。家具が動線を妨げていることもあります。慣れた環境であっても、身体能力が落ちると、以前は問題にならなかった場所が急に危険になります。
逆に、歩行能力が完全でなくても暮らせる場合があります。慣れた家の中に、安心してつかまれる場所があることは大きいです。手すりがあること、杖や歩行器が使えること、必要な場所に椅子を置けること、転倒しても助けてもらえる環境があることは大きいです。家族や訪問サービスの支援があることで、生活が成立することもあります。
ここで理学療法士が見なければならないのは、「ギリギリ生活できる歩行レベル」がどの程度なのかということです。どこまで歩ければ自宅内で生活できるのかです。どこから先は支援が必要なのかです。どの場面で転倒リスクが高くなるのかです。どの補助具を使えば生活が成立しやすくなるのかです。この評価を正しく行う必要があります。
理学療法士は、ときに「歩けること」を見すぎることがあります。歩行距離が伸びたかどうか、歩行速度が上がったかどうか、杖なしで歩けるかどうかに意識が向きすぎることがあります。もちろん、それらは重要です。しかし、最初のカンファレンスで最終ゴールが自宅復帰とされたときには、「どのレベルで帰るのか」、と「どの程度の支援が必要なのか」を考える必要があります。
ここで身体的な予後予測が非常に重要になります。この人は今後さらに歩行能力が改善するのかです。今は支援が必要でも、数週間後には自立できそうなのかです。逆に、進行性の病気やフレイルが強く、段階的に悪くなっていく可能性があるのかです。治っていく予後なのか、維持が中心になる予後なのか、少しずつ悪くなる予後なのかによって、治すことと支えることの関係は変わります。
「治す」と「支える」は、ここでも切り離せません。歩行能力を高めることは治す側の仕事です。安全に暮らせる環境を整えることは支える側の仕事に近づきます。しかし、歩行能力が少し上がることで、必要な支援が減ることがあります。逆に、支援が整うことで、本人が安心して動けるようになり、歩行能力を維持しやすくなることもあります。
つまり、理学療法士は、自立と支援の間を見ています。
どこまで自分でできるのかです。どこから支援が必要なのかです。どこは治療によって変えられるのかです。どこは環境や補助具で支えるべきなのかです。この見極めが曖昧だと、目標設定も退院支援も曖昧になります。
歩けることは大切です。しかし、歩けることだけでは暮らせるとは限りません。暮らせることを考えるには、歩行能力、住環境、支援、予後予測を合わせて見る必要があります。
治療と支援の間をどのように見るのかです。
身体的変化の予後予測と、支援的な介入をどう組み合わせるのかです。
基本動作の専門家として、理学療法士はそこに意見を持つ必要があります。
次回は、「フレイル予防は理学療法の仕事か」を考えます。歩けることと暮らせることの違いを考えると、理学療法士が何を担えるのかという問いに戻ります。虚弱状態は、現代から未来にかけてますます重要な因子になります。理学療法の知識でどこまで対応できるのかを考えていきます。
この連載の全体像と過去記事は、以下の目次から確認できます。
https://advanced-therapist.vercel.app/
