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理学療法は生活をどう変えるのか【理学療法とは何か #006】

理学療法は生活を支える仕事だ、と言われることがあります。これは半分は正しく、半分は曖昧です。正しいのは、理学療法がたしかに生活へ届いているという点です。曖昧なのは、理学療法士が生活そのものを直接扱っているかのように聞こえてしまう点です。

ここまでの連載で書いてきたように、理学療法士が主に扱っているのは、まず運動です。関節がどう動くか、筋がどう働くか、痛みや麻痺や疲労がどう動きを妨げているか。そうした運動の不具合を見て、治療としての運動を用い、基本動作を変えていく。理学療法が生活に届くのは、この回り道を通してです。生活そのものを直接操作しているのではなく、運動を通して動作に影響し、その結果として行為が変わり、生活の広がりへつながっていく。そこに理学療法の特徴があります。

だから、理学療法が生活を変えるとは、生活相談をすることでも、介護支援そのものを担うことでもありません。もっと手前の、しかし決定的な場所に働きかけているのです。私は、理学療法とは運動を変える仕事だと考えています。もう少し正確に言えば、運動の不具合を治す仕事です。そして、その変化が動作に伝わり、動作の変化が行為に伝わり、行為の変化が生活に届く。理学療法の射程は、この連続の中にあります。

たとえば、きつい服を着ていると肩が上がりにくくなります。肩が上がりにくいと、高いところの物を取るという行為が難しくなります。あるいは、ひどく疲れていると、階段を上がる気がしなくなります。これは気分の問題だけではありません。下肢の運動や呼吸循環の余裕が、階段を上るという動作を支えられなくなっているからです。運動を阻害する要素は、行為そのものに影響します。行為が変われば、その日の動線も変わり、生活の選択肢も変わります。

理学療法が見ているのは、まさにこの投影線です。肩の動きにくさが、上の棚の物を取れないことにどうつながるのか。立ち上がりにくさが、食卓につくことの負担にどうつながるのか。歩きにくさが、買い物へ行かないという選択にどうつながるのか。理学療法士は、動きから生活への投影線を見ています。ただし、そこで重要なのは、投影線の終点ばかりを見ているのではなく、始点にある運動をきちんと扱うことです。

毎日の生活を考えてみると、それはほとんど移動の連続です。朝起きる。ベッドから離れる。顔を洗う。着替える。食卓へ行く。家を出る。学校や職場へ向かう。買い物に行く。帰ってくる。片づけをする。座る。立つ。振り向く。しゃがむ。持つ。運ぶ。私たちは、生活を「暮らし」として考えがちですが、その実体のかなりの部分は、動作と移動の繰り返しでできています。だからこそ、それが阻害された瞬間に、現在の不便さだけでなく、未来への生活予測まで変わってしまいます。

少し歩きにくくなっただけでも、人は外出を減らします。立ち上がるたびに痛みがあると、食事や片づけが面倒になります。肩が上がりにくいと、洗濯物を干すことや着替えが負担になります。その結果、できるはずのことをしなくなり、行かなくていい場所が増え、会わなくていい人が増えます。生活は、派手に壊れる前に、まず静かに狭くなっていきます。

たとえば、買い物に行く、食事をする、後片づけをするという、ごく当たり前の連続を考えてみます。一つひとつは些細に見えますが、実際には、立つ、歩く、方向を変える、手を伸ばす、物を持つ、運ぶ、座るという多くの動作で成り立っています。そして、その一連の行為が無理なくできているとき、人は食卓でテレビを見ながら笑うこともできます。逆に言えば、その前提にある身体の自由度が失われると、食べることはできても、食事の時間を楽しむ余裕は消えます。生活の質というのは、こういうところで静かに変わります。

ここで大事なのは、理学療法が触れている自由の種類です。自由といっても、ただ縛られていないというだけでは足りません。理学療法が関わるのは、まず身体が妨げられていないという意味での解放です。さらに、複数の行動の中から選べるという意味での選択の自由です。そして、そもそも何かができるという能力、つまりケイパビリティにも関わっています。歩けるから外出する、ではなく、歩けるから外出することもできる。立ち上がれるから食卓につくことも、台所に行くことも、玄関まで見送りに行くこともできる。理学療法が生活に届くとは、こうした選択可能性を身体の側から支えることです。

もちろん、理学療法だけで生活のすべてが変わるわけではありません。家の構造、家族の関係、仕事の条件、制度、経済状態、地域とのつながり。生活はそうしたものの連続でできています。ICFの考え方で言えば、身体機能、活動、参加、環境因子、個人因子はつながっています。ただし、理学療法士がそこに関わるとき、すべてに同じ濃さでコミットするわけではありません。あくまで運動をベースに、その先の連続性を見ているのです。この線引きは大事です。理学療法士が生活を見ていると言っても、そのミクロでは、やはり運動を見ています。

だから私は、理学療法は治す仕事だと言ってきました。この治すとは、何でもかんでも症状を消すという意味ではありません。理学療法士が主に扱うのは、運動を阻害している症状です。体の硬さ、動きにくさ、痛み、麻痺、持久性の低下、バランスの不安定さ。そうしたものを緩和し、改善し、変化させる。すると動きが変わります。逆に、動き方が変わることで症状が軽くなることもあります。痛みが減るから動けるようになることもあれば、動きが整うから痛みが減ることもある。この順序は一つではありません。けれども、どちらからでも理学療法士は関わることができます。

ここまでをまとめると、理学療法は生活そのものを直接扱う仕事ではありません。しかし、生活に届かない仕事でもありません。運動を変え、動作を変え、その結果として行為に影響し、生活の広がりへ届いていく。理学療法の本体はミクロな運動にありますが、その意味はマクロな生活に現れます。

だから、理学療法士は生活を語ることができます。ただし、それは生活を抽象的に眺めているからではありません。生活への投影線を、動きから見ているからです。

Season 1では、理学療法とは何かを、できるだけ外側から見てきました。理学療法は何をする仕事か。リハビリとはどう違うのか。なぜ動きを見るのか。基本動作とは何か。治療としての運動とは何か。そして最後に、それが生活へどう届くのかを見てきました。

次のSeason 2では、ここからさらに一段内側へ入ります。理学療法士は実際に患者の何を見ているのか。歩きにくさや立ち上がりにくさの中に、どんな異常を読み取り、どんな機序を考えているのか。生活という大きな言葉から、もう一度、動きの現場へ戻っていきます。

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