年をとると何が失われるのか【理学療法とは何か #019】
この連載は、6本を1シーズンとして進めています。
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年をとると、何が失われるのでしょうか。
この問いに対して、多くの人はまず筋力を思い浮かべるかもしれません。たしかに、年齢を重ねると筋力は落ちやすくなります。歩く速度も遅くなりやすくなります。立ち上がるのに時間がかかることもあります。階段がしんどくなることもあります。
しかし、年をとることで失われるものは、筋力だけではありません。むしろ問題は、何か一つが失われることで、連鎖的に多くの身体機能が落ちていくところにあります。
たとえば、少し膝が痛くなるとします。すると階段を避けるようになります。階段を避けるようになると、下肢の筋力を使う機会が減ります。筋力が落ちると、さらに階段がつらくなります。階段がつらくなると、外出そのものが面倒になります。外出が減ると、人と会う機会が減ります。人と会う機会が減ると、気持ちも沈みやすくなります。
このように、身体の小さな不調は、単にその部分だけの問題で終わりません。身体機能、活動量、意欲、人との関係、生活の自由度へと広がっていきます。年をとることの難しさは、この連鎖にあります。
実感として、年をとるとやる気を失いやすくなります。これは単なる気分の問題ではありません。不調が増えると、人は動かなくなります。動かなくなると、さらに身体が弱くなります。身体が弱くなると、新しいことをするのが面倒になります。すると、変化に対応する力も落ちていきます。
ここで失われているのは、筋力だけではありません。興味、やる気、変化への対応力、回復力、そして未来に向かう力が少しずつ減っていきます。
年をとることは、必ずしも死を直接連想することではありません。しかし、身体のどこかが悪くなると、私たちはどこかで死の方向へ傾くような感覚を覚えます。「年だから仕方がないです」、という言葉が出てきます。「もうこのくらいで十分です」、という諦めも出てきます。身体の不調は、未来への想像を少しずつ狭めます。
ウェルビーイングは、健康によって下支えされています。自由も同じです。人は自由に考え、自由に選び、自由に生きているように見えます。しかし、その自由のかなりの部分は、身体が動くことによって支えられています。歩けるから外へ行けます。立ち上がれるから食卓へ行けます。階段を上れるから別の階へ移動できます。疲れにくいから、人と会う予定を入れられます。
つまり、身体の自由度が下がると、生活の自由度も下がります。
年をとると、回復が遅くなります。ここは非常に重要です。若いときには、少し無理をしても寝れば回復することがあります。筋肉痛が出ても、数日で戻ります。小さな傷も比較的早く治ります。しかし年齢を重ねると、回復に時間がかかるようになります。
回復が遅くなると、人は無理を怖がり始めます。これは自然な反応です。以前なら少し頑張れば乗り越えられたことが、今は後に響くかもしれないと感じるからです。すると、目の前の山を登ろうという意思が減っていきます。運動をすることそのものが怖くなります。外出することも億劫になります。
このとき必要なのは、無理に頑張ることではありません。むしろ、自分の回復力を正しく理解することです。どこまでなら負荷をかけてもよいのか、どこから先は回復に時間がかかるのかを知ることです。これは、生活におけるアクセルとブレーキの使い分けに近いです。
若い人の身体では、アクセルを踏んでも戻ってこられることがあります。しかし高齢者の身体では、ブレーキの使い方がとても重要になります。無理をしすぎれば戻るのに時間がかかります。しかし怖がりすぎて動かなければ、さらに身体は弱くなります。この間をどう見極めるかが、高齢者の理学療法では重要になります。
具体的には、階段で息切れする場面を考えるとわかりやすいです。以前は階段を使っていた人が、しんどいのでエレベーターを使うようになります。もちろん、それ自体が悪いわけではありません。安全のためにエレベーターを使うことは必要な場合もあります。しかし、階段を避け続けることで、階段を上る能力はさらに落ちていきます。
同じことは、傷の治りや筋肉痛にも言えます。傷口の治りが遅くなります。筋肉痛が長く残ります。疲れが翌日まで残ります。その経験が積み重なると、人は挑戦する前に避けるようになります。身体の回復力の低下は、行動の選択を変えていきます。
ここに、フレイルという考え方が関わってきます。フレイルは一般に虚弱と訳されますが、単に弱いという意味だけではありません。健康と要介護のあいだで揺れている状態です。しかも、この虚弱は筋肉だけで起こるわけではありません。細胞レベルでも、身体機能のレベルでも、認知のレベルでも起こりえます。
フレイルの難しさは、気づかないうちに進むことです。ある日突然、何もできなくなるわけではありません。少し疲れやすくなります。少し歩く距離が短くなります。少し外出が減ります。少し人と会わなくなります。その「少し」が重なって、生活の範囲が狭くなっていきます。
ただし、ここで暗くなりすぎる必要はありません。失われるものがある一方で、残るものもあります。鍛え直せるものもあります。目的的に生きることはできます。興味を失わずに生きることもできます。変化できるという可能性を信じることもできます。悪い変化に対して、そうならないように立ち向かうこともできます。
たとえば、肥満が進みそうなときに、食事や運動を少し変えることができます。階段がしんどくなってきたときに、完全に避けるのではなく、少しだけ使うという選択ができます。歩幅が小さくなってきたときに、歩く量を見直すことができます。立ち上がりが遅くなってきたときに、椅子から立つ練習を生活の中に入れることができます。
年をとることに対して、何もしないという選択もあります。しかし、それは失われる速度を早めることがあります。大切なのは、弱くなることをどこまで理解し、それにどう立ち向かうかです。ここには、未来への想像力が必要です。
理学療法士にとって、この未来への想像力は予後予測です。今の歩き方がこのまま続くと、半年後にどうなるのかを考えます。階段を避け続けると、下肢筋力や外出頻度がどう変わるのかを考えます。転倒への恐怖が強くなると、活動量がどう落ちるのかを考えます。身体の減退を、いま目の前の問題としてだけでなく、未来の生活へつながるものとして見ます。
年をとるとは、単に弱くなることではありません。
弱くなることをどこまで理解し、それにどう立ち向かうかを問われることです。
そのためには、未来への想像力が必要です。
次回は、「転ばないことは、なぜそんなに大事なのか」を考えます。年をとると回復が遅くなります。だからこそ、転倒は単なる一回の事故ではありません。転ぶことで骨折し、入院し、動けなくなり、生活のレベルが一気に落ちることがあります。そうならないために、予防が重要になります。転倒が高齢者の現在と未来をどのように変えてしまうのかを見ていきます。
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