長寿社会における理学療法の責任【理学療法とは何か #036】
この連載は、6本を1シーズンとして進めています。
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私たちは、これまで誰も十分には経験していない社会を生きています。
日本は、他国に先んじて高齢化が進んできました。現在の日本で起きていることを、そのまま先行事例として教えてくれる国はありません。私たちは、すでに答えが用意された道を歩いているのではなく、まだ誰も正解を知らない世界に入っています。
鷲田清一は『老いの空白』の中で、老いることの難しさを論じています[1]。老いは、自分が実際に経験するまでは十分に理解できません。若い頃に想像していた老いと、実際に老いた身体を生きることは同じではありません。老いていく自分を、あらかじめ経験しておくことはできないからです。
これは、個人だけの問題ではありません。社会にとっても同じです。
これほど多くの人が長く生き、複数の病気を持ち、認知機能や運動機能の変化を抱えながら地域で暮らす社会を、私たちはこれまで経験してきませんでした。日本の医療や介護がどのような答えを出すのかは、これから高齢化する国々からも見られることになります。
日本の理学療法士も、その視線の中にいます。
これまでの理学療法は、主として病気やけがによって失われた運動機能を回復させる役割を担ってきました。立てない人を立てるようにします。歩けない人を歩けるようにします。基本動作を変え、活動を変え、再び生活へ戻れるように支援します。
この役割は、これからも理学療法の中核です。長寿社会になったからといって、治療を軽視してよいわけではありません。まず、理学療法士は治療によって結果を出さなければなりません。
しかし、治療だけでは長寿社会の課題に対応できません。
治療によって回復した機能を、どのように維持するのかを考える必要があります。再び状態が悪化することを防ぎ、生活機能の低下をできる限り遅らせなければなりません。治療と維持を、再発や重症化、生活機能低下の予防という視点が包みます。
さらに、その先には生活支援があります。地域で暮らし続けるための環境を考え、必要であれば地域づくりにも関わります。これまで広く「リハビリテーション」と呼ばれてきたものは、医療機関の中で機能を回復させる仕事から、生活と地域を支える仕事へ少しずつ広がっていくのだと思います。
ただし、理学療法士が社会に関するあらゆる問題を引き受けるという意味ではありません。
私は、理学療法士の責任を「本人が、自分の意思で動けることを可能な限り実現すること」だと考えています。
ここでいう「動ける」とは、一人で歩けることだけではありません。起き上がることを自分で選べることです。家の外へ出ることを選べることです。誰かに手伝ってもらいながら移動することも含まれます。今日は動かずに休むと決めることも、自分の意思による選択です。
自立しているかどうかだけではなく、自分の生活を自分で選択できることが重要です。
そのためには、運動機能だけを見ていても足りません。長寿社会では、フレイル、多疾患併存、認知症が重要な課題になります。
高齢者は、一つの病気だけを持っているとは限りません。心疾患、呼吸器疾患、糖尿病、腎疾患、関節疾患などが重なり、それぞれの治療や薬、生活上の制限が影響し合います。筋力だけを見て運動負荷を決めても、全身状態や生活全体を捉えなければ適切な理学療法にはなりません。
認知機能も、運動とは切り離せません。指示を理解すること、危険を予測すること、道順を覚えること、複数のことに注意を向けながら歩くことは、すべて移動と生活に関わります。理学療法士には、運動機能を基盤としながら、認知機能との関係を理解する役割があります。
すべての理学療法士が、フレイル、多疾患併存、認知症の第一人者になる必要はありません。しかし、自分の主たる専門領域ではないという理由だけで、それらを見ないことはできません。必要な知識をあらかじめ持ち、自分で対応できる範囲を判断し、必要であれば他の専門職へつなぐことも専門性の一部です。
長寿社会では、理学療法士が持つ視野も広げなければなりません。
私はこれを、「社会から生活を経て心身を見る」、あるいは「制度から家族を経て人間を見る」という射程で考えています。
理学療法士が社会制度のすべてを変え、家族の問題をすべて解決するという意味ではありません。社会や制度まで、自分の介入範囲を無制限に広げるべきでもありません。
大切なのは、そこまで目線を置いておくことです。
目の前の人が動けない理由は、筋力低下だけではないかもしれません。介護サービスを利用できないことが原因かもしれません。家族が介助方法を知らないのかもしれません。住宅環境が移動を妨げているのかもしれません。経済的な問題によって、必要な支援を選択できない場合もあります。
身体を評価しながら、その身体を取り囲む生活、家族、制度にも視野を向けます。直接介入するかどうかとは別に、周囲に何があるのかを理解しておく必要があります。
予防についても、同じことが言えます。
現在の制度では、理学療法士は病気や障害が生じた後に関わることが中心です。しかし、社会から求められている役割は、病気になった後だけにとどまりません。フレイルや転倒、生活不活発を防ぎ、できる限り病気や要介護状態にならないようにする領域へ、理学療法への期待は広がっています。
だからといって、現在の仕事を十分に果たさないまま、予防や地域づくりという新しい言葉へ移るべきではありません。
まずは、現業である病院や施設、在宅での理学療法によって効果を示すことが必要です。介入した直後に生じる即時的な効果と、時間の経過によって現れる経時的な効果を区別しなければなりません。身体機能の変化が、活動や社会生活にどのようにつながったのかも説明する必要があります。
そのうえで、職域を予防へ広げます。
限られた人材、時間、財源の中で理学療法を提供する以上、費用対効果も無視できません。どれほど丁寧な理学療法であっても、得られた効果を説明できず、必要な費用や人員との関係を示せなければ、社会の中で継続することは難しくなります。
理学療法士が価値を語るだけでは足りません。どのような対象に、どの程度の介入を行い、何が変化したのかを示す必要があります。その変化が一時的なものなのか、生活の中で維持されるものなのかも評価しなければなりません。
長寿社会における理学療法士の重要な責任の一つは、自分たちが行った評価と介入を説明することです。
予後を確実に言い当てることはできません。人の身体や生活は複雑であり、すべてを予測することは不可能です。しかし、わからないから何も説明できないということにはなりません。
現在の身体機能はどのような状態なのか。どのような要因が活動を妨げているのか。理学療法によって何が変わる可能性があるのか。どの程度の期間が必要なのか。どのような場合には変化が得られにくいのかを、評価結果に基づいて説明します。
断定するのではなく、可能性と限界を伝えます。不確実であることも含めて説明することが、専門職としての責任です。
そのためには、理学療法士教育も変わる必要があります。
現在の教育に、特定の一分野だけが著しく欠けているとは思いません。解剖学、生理学、運動学、病理学、臨床医学、理学療法評価、治療技術など、幅広い内容が教育されています。
問題は、内容の不足というよりも、学ぶべき範囲に対して教育の深さが足りないことです。
長寿社会に対応するには、医学全般だけでなく、老年学、認知症、医療倫理、社会保障制度、地域政策、医療経済などを理解する必要があります。理想を言えば、理学療法士教育はいずれ6年制となり、医学と理学療法学に加えて、制度や経済まで包含できる教育になることが望ましいと私は考えています。
しかし、現状の教育年限の中では、すでに限界に近いところまで多くの内容が詰め込まれています。単に科目を追加するだけでは解決しません。卒前教育で何を身につけ、卒後教育で何を深めるのかを整理し、理学療法士が生涯を通して専門性を更新できる仕組みが必要です。
WHOは、健康な高齢化を、病気がない状態だけではなく、高齢期のウェルビーイングを可能にする機能的能力を形成し、維持する過程として捉えています[3]。
これは、理学療法士が目指す方向とも重なります。
運動機能を改善するだけではありません。改善した機能によって生活を続け、社会に参加し、自分にとって大切なことを実現できるようにします。たとえ病気や障害が残っていても、自分の意思で動き、選び、人と関わることができれば、その人のウェルビーイングを支えることができます。
長寿社会における理学療法士の責任は、人を長く歩かせることだけではありません。
治療によって回復を目指し、得られた機能を維持し、低下を予防します。その人の生活を支え、必要であれば家族や地域、制度まで視野を広げます。そして、自分たちの評価と介入が何をもたらしたのかを社会に説明します。
そのすべての中心にあるのは、本人が自分の意思で動けることです。
この6本では、フレイル、転倒、在宅生活、家族、住宅環境、地域生活、通院、多疾患併存、認知症、終末期を通して、理学療法の仕事を幅広く捉えてきました。
次のセットからは、その広さをさらに広げるのではなく、一つひとつの仕事を深く掘り下げます。
理学療法士は何を見て、どのように考え、何を根拠に介入を選ぶのでしょうか。これまで示してきた理学療法の広い射程を、今度は思考と実践の深さから考えていきます。
日本の理学療法士は、誰も正解を知らない長寿社会の中に立っています。
だからこそ、目の前の身体だけではなく、その人の生活と社会を見なければなりません。そして、その人が自分の意思で動き、生き方を選び続けられる可能性を、できる限り支える必要があります。
それが、長寿社会における理学療法の責任だと私は考えています。
この連載の全体像と過去記事は、以下の目次から確認できます。
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参考文献
[1]鷲田清一.老いの空白.岩波現代文庫,2015.
[2]内閣府.令和8年版高齢社会白書.2026.
[3]World Health Organization. World report on ageing and health. WHO, 2015.
[4]World Health Organization. International Classification of Functioning, Disability and Health: ICF. WHO, 2001.
