
15年前、てんかんの発作で脳に血管腫瘍が見つかった。
15年前の今日、学生アパートのバスルームで倒れているところをルームメートが発見してくれて救急車を呼んでくれた。私と同じように通学前の身支度していた時に「どすん」という鈍い音を聞いて駆けつけてくれた。
辿り着くと私が緑っぽい紫っぽい顔をしてタイルの上に倒れて痙攣していたらしい。私が意識を取り戻したのは救急隊員に酸素マスクをつけられかけていた時だった。
何が何だか分からず、朦朧としながら懸命に顔につけられようとしている「何か」を押し返していたのを覚えている。本能的に「窒息する」と体が反応していたようだった。そこからは少し意識確認の質問されて病院に搬送された。次第に意識もはっきりしてきて「私のサンダルと携帯を持ってきて」とルームメートにストレッチャー上から頼んだのを覚えている。
何ヶ月も診断がつかず、色々なタイプの検査をして、最終的に血管が見える検査で22歳の誕生日直後にやっと診断が降りた。「Arterivenous malformation (動静脈奇形)」。日本語でも英語でもよく分からない。
とても簡単に説明すると、血管がないはずのところにニョキニョキ、ニョキニョキ伸びて周りの組織を圧迫してしまう。その上、血管の壁を作る物質の量は普通の人と同じなので必然的に血管の壁が薄くなり、出血しやすくなる。
私の場合、暴走した血管による脳の圧迫によりてんかんや精神障害に似た症状を起こし、その上いつ脳出血を起こすか分からない、という20代前半の大学生には理解し難い内容だった。
一回目のてんかんでダムが崩壊したかのように、体調不良がどんどんエスカレートしていった。半年の間にてんかんの発作を後2回起こし、自力で歩くのも困難になった。
最終的に病気そのものを理解せずに脳手術を行い、無事3個の血管腫瘍とバイバイした。本当に最後まで日本語でも英語でも病状を理解できなかった。親は最後まで脳動脈瘤だと思っていたらしい。
色々後遺症が残り、本当はこれから「自立した大人」としてのステップを踏むはずが、人生のハシゴからいきなり突き落とされた感覚だった。大学休学はしなかったものの、専攻と関係ないクラスを色々とりながら自己流リハビリを続けた。座ること、スプーンを持つこと、歩くこと、全てを1から「学び直す」日々だった。
病名をつきつきられた時の「普通の人間が理解できる」情報の無さ、若い当事者としての孤独さを受けて脳手術の数ヶ月後からオンラインのサポートグループを立ち上げ、「普通の人間が理解できる」資料を作り配布して回った。自分のウェブサイトを作り、出来る限りの情報を「翻訳」して載せた。後にこの「情報収集+まとめる能力」が自分のキャリアに続くとはその時は思いもしなかった(今の職種はテクニカル・ライター)。
クラスメートがどんどん大学を卒業したり就職したりしている中、自分だけ真っ暗なトンネルに取り残されている感じがした。その辛さを誤魔化す為にどんどんこの奇病のアドボカシーに時間と労力を注いだ。大学でもこの病気のサポートグループを立ち上げた(とてもレアな病気なのにも関わらず、数人当事者が大学内でいた事には驚いた)。失語症で読み書きが難しかった時も、なんとか資料を読み、「普通の英語」に翻訳し、少しずつ色々な機能を取り戻していった。
10年以上後、第一子妊娠中に遺伝子カウンセラーの「母体のレポート」を読んで、実は私は一過性脳虚血発作(mini stroke)みたいなものを高校生時代に起こしていたらしいことがわかった(出血の後が脳のスキャンに浮き出ていたようだ)。数えきれないほどの医者にかかってきたのに、誰も私にその事実を教えようとは思わなかったのだな、と呆れた。私の medical records には書いてあったのに、それを誰も私に説明しようとも見せようとも思わなかったようだ。
でも、とても精神的に脆かったあの頃の私が自分が脳出血を起こしていたと知っていたら、自己効力感が削がれていて脳手術後の色々な行動を起こせていなかったかもしれない。「今」、30代になってから知った事によって今の私があるのかもしれない、とも思った。医療ミスだと思うけれど、知らなくてよかったのかもしれない。
日本語を話すのも難しかったあの頃。ところどころに英語の単語を交えないと話せなかったあの頃。ずっと積み上げてきたものが全て崩れ去った気がしてやるせなかったあの頃。周りが人生の次のフェーズに飛び立つ中、「自分だけ」取り残されている気がして泣いたあの頃。
あの頃のお陰で今の私がいて、今の「なんでもない毎日」がより幸せに感じる。「普通に」生きて、友達と交流して、家事をして、働けることが本当に奇跡なのではないか、と思えてくる。
脳手術を行なっていなかったら脳出血する可能性が高く、ドクターストップがかかっていた妊娠出産も2回することが出来た。毎日忙しく、てんやわんやだけど、てんやわんやで疲弊する事ができるのもある意味 privilege(特権、恩恵)なんだよな、と思う。
そして毎回こんな拙い文章を読んでくれる皆さんにも感謝を込めて、ありがとう!