
短編小説「ハビット~癖を売る店~」
新社会人の蟻川友一(ありがわともかず)は、自分自身の癖に困っていた。話始めに「あのー」という癖。自分の意見をはっきり言えない癖。爪先を擦り合わせる癖。それを全部治したい。そう思っていた矢先、『癖を売る店~ハビット~』を見つけた。
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右の親指。深爪をしている指先は、いつも白い。中指の先と親指の先をグリグリと合わせているからだ。たまに血が出ることもある。爪切りをしたときに深爪になりすぎて血が出てしまい、治りかけていたカサブタを刺激してしまうことが原因。ちょっと痛い。でもやめられない。これが僕の癖だ。そのおかげでいつも絆創膏をしている。指先の肌を見せている方が珍しい。世の中の絆創膏はほとんど僕が買っているのではないだろうか。いや、病院が一番か。
人に指摘されることで初めて気がつくこと、それが癖。
「いつもそれやってるよね」
「なんでやめられないの?」
人の癖は目につくのに自分の癖はわからない。だから癖なんだろう。あぁ、あの癖もこの癖もぜんぶ、なくなったらいいのに。そしたら僕も普通になれるのかな。
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「昨日ちゃんとチェックしたの?」
「しました。でも」
「でもじゃない。忘れたのは自分のせいでしょ?」
「はい。ごめんなさい」
友一(ともかず)は忘れ物をする癖がある。もちろんわざとではない。事前に何度も何度も確認をしているにも関わらず、何かしら忘れ物をしてしまうのだ。クラスの友達はみんな、授業で使うものをしっかり持ってきている。
「みんなできているのになんでじぶんだけできないんだろう」
唯一の救いは母親の言葉だった。
「忘れたときに気づくから忘れ物なんだよ。気づいちゃったら忘れ物じゃないじゃん。忘れ物に気づいただけでいいのよ」
単純な言葉だがそれに救われていた。言ってしまえば当たり前のこと。しかし、その当たり前に救われる人もいる。この忘れ物の癖は、小学生時代からずっと続いていた。そう、今は治ったのだ。
蟻川友一(ありがわともかず)は、ストレスが溜まると指先を擦り合わす癖も、忘れ物をする癖も、右上がり書いてしまう文字の癖も無くなった。
-ある日、突然に。
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蟻川友一は新社会人一年目。与えられた業務をそこそこにこなし、たまにはミスをするものの、またそこそこな人生を送っていた。
ある日の飲み会のこと。
「蟻川、おまえさ話し始める前によく、あのーって言うじゃんか。あれ、鬱陶しいからやめてくんね?」
「え、あのー、でも誰も困らせて」
「ほらまた出た。さくっと話せよ」
「‥先輩は、よく“じゃん”って言いますよね」
「は?」
「いや、あのー。今みたいになんとかじゃんかって」
「だから?」
「え、えっと、あのー、口癖ということでは一緒ですよね」
「俺は別に誰にも指摘されてねぇし。てか、今はお前の話だろ。いいからなおせ」
「は、はぁ‥」
なんでダメなんですか。なんで治さないといけないんですか。と頭の中では何度も反論している。ただ、その想いを口に出すことはできず飲み込んでしまう。これも悪い癖だ。自分の気持ちをちゃんと言うことができない。
終電を逃す前に帰らせてもらえる飲み会という名のサービス残業。ひとり反省会をしながらとぼとぼ歩いていると、無機質な灰色のビルとビルの隙間。抜けることができそうな向こう側に、一軒のお店が見えた。
「あんなとこに?」と思いながらアルコールに支配されている足を動かし、ビルとビルの隙間を歩いていく。左右の壁に肩をぶつける。黒いスーツに白い擦り跡がつく。
隙間を抜けると町中華を思い出させるような赤い横長の看板に「ハビット」と黒字で書かれていた、老舗という言葉が合いすぎるくらいに合う建物がそこにあった。
「食い物屋?ではなさそうだけど」
カランコロンという軽快な音が鳴りそうな木の扉。その右脇に「チラシお断り」の注意書きよろしく
《あなたの癖、買います》
と書かれていた。
「癖を買う‥?」
ガガッと立て付けの悪い扉が開く。くぐもった低い男性の声で「どうぞ」と招いているのか、本当は拒んでいるか、はたまた仕方なしに声をかけているのかわからない声がした。
「あのー、どうも、こんばんは」
「こんばんは。ご自由にどうぞ」
立て付けが悪く閉めるのに一苦労する扉。
「申し訳ございません。その扉、少し癖がありまして。少し上げてこうすると‥」
カチャン
「あ、閉まった。あのー、お店の前に癖を買います‥て。あの、どういうことですか?」
「お客様がいらないと思う癖を仰って頂きましたら、その癖を買い取らせて頂きます。もちろん、欲しい癖があれば買うことも可能。欲しい癖がありましたらお客様の癖と交換することもできます」
「癖を交換‥売る‥」
わけがわからない。でも今は藁にもすがる思いで治したい癖をがある。そう思っていたばかりだ。喋り出すときに「あのー」と言ってしまう癖。注意されたことだ。こんな曖昧なものが売れるとでもいうのか。
「あのー、僕、ついあのーと言ってしまうんですが、それを売ることはできるんでしょうか」
「もちろんです。癖を交換することもできますので」
と差し出されたのは、カフェやレストランでよく見かける縦長の1枚のメニュー表。手書きだろうが、まるでパソコンで打ち込んだかのように綺麗なフォントである。
「鼻をほじったあとの指を咥えてしまう子供の癖、人が話しているときでもストローの袋や紙ナプキンをいじってしまう癖、人の良いところを見つけられる‥癖」
僕はすぐに人の粗探しをしてしまう。自分に自信がないから。あの人はこんなところがある。あの人はこうだからって。そんなことをしても何も変わらないのに。そんなことはわかっている。わかっているけど、つい粗探しをして「今の自分はマシ」と思いたいんだ。
「あの‥人の良いところを見つけられる癖、と交換したいです」
「承知致しました。ですが、お求め頂く癖はそれなりに良い癖ですのでもう一点、何かあなたの癖をご提示頂けないでしょうか」
「あー‥はい。そうだなぁ‥」
忘れ物。そうだ。忘れ物をよくしてしまう癖。何度確認をしても何かしら忘れてしまう。ついこの前も上司に怒られたばかりだ。ま、それはクライアントに連絡しなきゃいけないことをし忘れていた僕がいけないんだけど。
「忘れ物‥忘れ物をする癖」
「かしこまりました。では、そちらの癖を2点と交換致しましょう。効力はお店を出た瞬間から適応されます」
「は、はぁ。わかりました」
お店を出るため扉へ向かおうとしたとき、すらっとしたそれはまるでキャリアウーマン。思わず目で追ってしまう美しい女性が入ってきた。
「いらっしゃいませ。何をお探しで?」
「彼に少しくらいポンコツな方が可愛いって言われたの。なんでもできすぎるから自分が惨めに見えるって。そんなことないのに。だからちょっと、ほんのちょっとよ。ポンコツになれる癖ってないかしら?」
「それではこの“忘れ物をしてしまう癖”なんていかがでしょう」
「忘れ物‥ね。たしかに。今までそんなミスしたことないわ。それをください」
常連なのだろうか。やりとりがスムーズだ。忘れ物の癖‥?今、僕が手放したものじゃないか。あんな癖を欲しい人がいるものなのか。よっぽど完璧な人生を送ってきたのだろう。
ギィー、ガガガガッ。開けづらい扉だ。ハビット、ハビットかぁ。習慣ねぇ。あ、そうか。癖を売り買いするからハビットなのか。次行ったとき、お店の名前の由来でも聞いてみるか。
友一は、癖が無くなったかどうかの実感を得ないまま家に向かった。
いつも通りの朝。
いつも通りの部屋。
いつも通りの会社に向かう。
「おはようございます」
「蟻川、頼んでた企画書。今日までだぞ。まぁどうせお前のことだから」
「はい。これがその企画書でして」
「おっ、おう。じゃ、もらっとくわ」
「ご確認頂きありがとうございました」
空調の音。
キーボードを叩く音。
社内を飛び交う業務連絡の声。
今日は全てが心地よい。全くと言っていいほどストレスを感じない。物事がうまく進んでいないとき、扉の開く音でさえ苛立ってしまうことがあるというのに、なぜだか今日は順調だ。心も手際も。いや、なぜだかと言っているが理由はもちろんわかっている。癖がなくなったからだ。忘れてしまう癖。治さなければいけないとわかっているのにも関わらず治らない。それが余計にストレスだった。
昼休み。ギリギリまで耐えた空腹にカツ丼を入れていく。早く飲み込んでしまったせいか、喉がグイッと開く。もう少しゆっくり食べよう。誰かに横取りされるわけではない。この定食屋に来るためにかいた汗がひいてきたところに、熱々のカツ丼を食べているのでまた汗が復活してきた。
ヴヴヴとスマホが鳴る。上司からだ。
「今どこ?」
「青木食堂でお昼食べてますけど」
「青木なら近いな。今すぐ戻ってこい」
「え?なにかありま‥」
「いいから早く戻れ」
こちらの有無を言わさず電話が切れる。
器についたご飯粒に申し訳なさを感じながら返却口に戻し、急いで会社へ戻った。
「お前これ、ほんとに自分で作ったのか?」
上司の手には今朝提出した企画書がある。
「はい。僕ひとりで書きました」
「うそをつくな」
「え!?いや、ほんとにひとりで」
その続きの言葉を用意していたが遮られしまう。
「お前がこんなのできる訳ない。誰かに頼んだろ?誰に頼んだ?おーい。蟻川の企画書、これ誰が書いたんだ?変わりに書いた奴がいるだろ?誰だぁ!!!」
社内に大きく問いかける声。
蟻川友一ひとりで書いたので誰の手も挙がらない。
「口裏合わせてんだろ?お前だけでできる訳ないんだから。これは俺が書いたことにしとくから」
「そんな!いろんなことを調べながら僕が書いたんですけど!」
「いいからいいから。そのうちバレるんだろうし、いいじゃんか」
ふたりの会話はみんなにも聞こえているはずだ。
だが、誰もフォローに入る者はいなかった。
やってもダメ。やらなくてもダメ。何をすれば怒られなくて済むんだろうか。自分は明らかに間違っていない。でも、正当性をしっかりと主張することができない。これも僕の悪い癖だ。何を怖がっているのか、そのときに言い返すことができずに終わってしまう。
-自分の意見をはっきり言えるようになりたい。
その上司は勤続20年。会社の中ではベテランだ。しかし、最近はあまり結果も残せず部下に成果をあげられてばかり。風の噂。長年連れ添った奥さんと離婚したらしい。本人は嫌がっていたそうだが、奥さんからの申し出により渋々とのこと。親権を取られ仕事とプライベートは共にうまくいかず、たまの月に営業成績が良いこともあるが、誰の目にもわかるくらい周りのおかげである。しかし、それを自分の成果だと言い張る。
「僕が色々言われていたとき、周りが助けたがらなかったのもそりゃそうだよな」
一言で言うとめんどくさい人だ。理不尽なことにはしっかりと言い返したい。だが、他の人にこの理不尽が向けられてしまうのかと思うと、標的が僕一人で済むならそれで。
声の小さな真面目な人が、声の大きい気を遣えない人に気を遣う。この状況に凄くという言葉が何個ついても表現できないくらい、凄く理不尽さを感じる。
そういえば今日は、「あのー」という喋り癖について指摘をされなかった。自分が思っているよりも周りは気にしていなかったのか。いや、「あのー」という喋り癖はそもそもそんなに問題ではなかったのかもしれない。口癖を理由に僕に当て付けたかったのだろう。治すべきところはそこじゃなかった。
意見をはっきり言えるようになりたい。
でも、はっきり言うことで相手を傷つけてしまったらどうしよう。何も悪口や文句を言ってやろうと思っているんじゃない。先程のような理不尽に言い返せるような度胸。そうだ、僕は度胸をつけたいんだ。そのためにも言えない癖をなくしたい。
「そんな都合の良い癖売ってんのかな‥」
相手を傷つけずに意見をはっきり言えるようになる度胸、度胸、度胸。
会社の帰り道。僕はまた、あの店に向かった。
「ハビット‥」
ガガガッ。
「いらっしゃいませ」
「どうも。お店の扉って直さないんですか?」
「実はそれも買い取らせて頂いた癖なんです。立て付けの悪い、開け方に癖がある扉」
「ええ!そうだったんですか。でも不便じゃ?」
「いえいえ。その方がお店にも味が出ますから。それで、本日は何をお探しで?」
なんと説明したらいいの変わらず、頑張って言葉にしようにもついつい上司の愚痴になってしまった。
「それはそれは。では、こちらの癖はいかがでしょうか?」
-論理的に話す癖
「論理的に話す癖‥ちょっとお堅そうだけど、でもそれくらいちゃんと話せるようになりたいので。うん。それ、それください」
「承知致しました。蟻川様がお持ちになった癖とは価値が合わないので、本来ならばこのようなことはしないのですが、お困りのようなので今回は特別に交換ということで」
「いいですか!?ありがとうございます!助かります!」
「では。効力はお店を出た瞬間から‥」
いつも通りの僕、いつも通りの説明、いつも通りの実感のなさ。
僕のいつもに突然現れたいつもではないこと。あの店に行っているのは僕だけなのかもしれないと思ったが、商品と言っていいのかわからないけどいろんな商品、癖が並んでいる。ということは、だ。癖は売ったり買ったりされている。いろんな人が来ているということだ。
治したい癖、欲しい癖。
僕が求めているように様々な事情で癖を求めている人がいる。治せと言われたのだろうか。自分自身で改善したいと思ったのだろうか。それで嫌な思いをしている人がいるのだろうか。どこまでいっても想像の域を超えない。ひとりひとりにアンケートをとっているわけではないので確認のしようがない。それで助かっている人がいるんだろう。
でも、ちょっとした怖さも感じる。こんな簡単に癖がなくなって、こんな簡単に癖をつけることができていいのだろうか。変わりたいと思っていることは確かだ。そこに嘘はない。しかし、どんどん自分ではなくなっていく気がしてならない。実際、癖は治っているのだから困っていることはないし、むしろ問題は解決していっている。良いことだ。だが努力をせずに手に入れた物なので、ありがたさも実感もない。
癖がなくなったとき、そこに今までの僕はいない。
昨日まで、いや。さっきまであった癖が一瞬でなくなる。そして、一瞬で誰かに取られていく。泥棒をされたわけではない。僕は“いらない”と言って捨てた物なのだから、それを誰が拾おうが使おうが自由だ。僕だってどこかの誰かの癖を貰っている。やっていることは同じ。
‥そんなことを考えていてもしょうがない。理不尽に対して対抗できる癖は貰ったんだ。明日また小言を言われたらしっかりと言い返してやろう。明日また頑張ろう。明日また‥。あれ。そういえば、お店の人に名乗っただろうか。まぁ何かのタイミングで名乗ったのかもしれない。明日の僕は、今日の僕とは違う。また、明日。
僕は今、憧れのあの人とデートをしている。デートをしましょうと声をかけたわけではないが、ふたりきりで出かけているんだ。これは立派なデートだ。誰がなんと言おうとも。
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「茜さんに助けられてますよ。ありがとうございます」
「蟻川くんが頑張ってるからだって。そうそう、またあいつにあぁだこぅだ言われたんだって?気にしない気にしない。フォローくらいならできるから何かあったら言ってね」
「いやいや。このように声をかけていただくだけでも嬉しいです。お気遣い頂きありがとうございます」
「そうやってしっかりお礼言えるの、とてもいいことだと思うわ。あ、そうだ!気分を良くしてくれたお礼に今週の日曜日にランチいきましょう!決まりね!」
そ、そ、そんなぁ〜。いきなり言われてもぉと、満更でもない笑みを浮かべた過去。そして今日、今目の前には茜さんがいる。
「ほんと褒め上手だよねぇ〜。思ってても言えない人っているじゃない?責めてるとかじゃなくて、そういうの言うとき恥ずかしいなぁとか思わないの?」
「思いますよ。思いますけど、でもやっぱ素敵だなぁと思ったことは伝えた方がいいなぁと思うといいますか」
思っていることは言葉にしないと伝わらない。全部が全部の気持ちを伝えればいいとは思わないけど、ポジティブな気持ちであれば伝えていい。いや、伝えた方がいい。いつ伝えられなくなるかわからないから。
「あんまり言われすぎても下心?とか感じちゃうけど、蟻川くんの場合は素直に伝えてくれてる感じがする。ありがとね」
茜さんに素直に感謝を伝えられるようになったのは自分の成果ではない。だから、本当の自分ではないような気がして嬉しい反面、申し訳なさもある。だから僕は茜さんにならと、あの奇妙なお店について話すことにした。
「癖を売るお店‥」
「僕も最初は信じられなかったんですが、今の自分が嫌で変えたくて。なので胡散臭いとは思っててもつい」
「そんなに気にしなくてもいいと思うけどなぁ」
「え?」
「だって言ってきたのってあいつだけでしょ?」
「はい」
「でしょ?言われてみればってだけで、この話してなければ気にしてなかったし」
「そ、そうですか。ありがとうございます」
「てか、そのお店行ってみたいかも。なんてお店?」
調べてみても全く情報が出てこない。確かあの辺だったよなとマップを開いてみるが、それらしいお店は見つからない。あれ?あれ?と戸惑っているうちに
「思い出したらでいいよ!あ、ていうかね‥」
そのあとはというもの、仕事の話以外にも趣味や最近やっている映画、好きな芸人さんの話をするなど、事務的な話以外のことをたくさん話した。
「そういえばこの時間でもやってるの?」
ランチの後は飲みに行った。
ここでもたくさん喋った。
話を聞いてもらった。話を聞いた。
たくさんの想いを喋った。
「一回目行ったときは飲み会の帰りだったので、多分まだやってると思いますけど」
飲んでいたのはあのお店の近く。慣れたビルとビルと隙間に向かっていく。今回はひとりではない。自分だけが知っているお店を人に紹介するのはなんとも言えない恥ずかしさ。そのお店もかなり変わっているので、最初に紹介するのがここで良かったのかと複雑な問いかけを頭の中で繰り返す。
-僕が指をさした先に、あの店がある。
「狭いんで気をつけてくださいね」と申し訳程度のリードをして店に向かった。ここのお店を見つけることができなければ、茜さんとこのお店に来ることもなかったし、茜さんを褒めることもできなかっただろう。癖がなくなったおかげでここまで来ることができた。
癖のある扉を開ける。木目調の床。家主不在の蜘蛛の巣。動いているのかわからないからくり時計。憧れの人と一緒にくる場所としてはいささか辛気臭い。取り扱っているものの面白さはあれど、改めて考えてみるとあまりいいスポットではない。
「いらっしゃいませ。お連れ様もご一緒ですか。そちらの方は奥様で?」
「やっ!あ!えっ、違くて、先輩で、いや、上司の会社、ちがっ、会社の上司であるからにして」
「そうでぇーすぅ」
ギャル口調で返事をする茜さん。イラズラに腕に抱きついてくる。
「あははは。ユーモアのあるお方だ。さて、今回は‥」と店主の返事を横目にお品書きを見ている茜さん。
「喋り出す前に古畑任三郎よろしく口をピチャと鳴らす癖」「SNSアプリを閉じた後すぐ同じアプリを開いてしまう癖」「考え事をしているときに口を尖らせてしまう癖」
茜さんは「わかるー」と言いながら興味深そうにお品書きを隅から隅までじっくり見る。ついつい茜さんのことばかり見てしまう。普段、買い物をしているときにもこんな感じで品定めをしているのだろうか。私生活が一切見えてこなかったので、こういう姿を見ているとなんとなく想像してしまう。部屋も綺麗だろうし、人望もあるし、仕事も人間関係もうまくいっているんだろうなぁ。それに比べて僕は‥と、誰も何も言っていないにも関わらずすぐ悲観的になる。これも悪い癖だ。
「ねぇ、これ見て!」
人差し指の薄ピンクのネイルが僕の視線を案内した。
「喋り出すときにあのーって言う癖だって!これってもしかして」
「はい。僕のです。というより今は、僕のものでしたと言った方が正しいですけど」
「あー、やっぱりここで‥」
ここに案内したのは自分だが、自分の中身が見られていくようで恥ずかしい。今、茜さんは何を思いながら見ているんだろうか。
「すみません。これください」
-喋り出すときに“あの”という癖を指している。
え!?だってそれは僕のだったと言ったばかり‥。
「かしこまりました。では、どちらの癖と交換いたしますか?」
「人の名前と顔をすぐに覚えちゃう癖。交換できます?」
「もちろんです。ただ、そちらの癖はとても良い癖ですので、もう一点お店の方から癖をおつけできますよ」
「ううん。これだけでいいんです」
「承知致しました」
「茜さん?そんな」
「いいじゃん!わたし好きだったよ。蟻川くんがあのーって言ってから話してくれるの。言葉を選んでくれてるんだなーって感じで」
“治せ”と言われたことを好きだと言ってくれる人がいる。もちろん、全部が全部そのままでいいとは言わない。
でも。でも。こうやって言ってくれるなら治さなくてもよかったのかもしれない。この癖をしてきてきたのはあの上司だけだ。しかも半分八つ当たりみたいなもの。それを僕は真っ向から受け止め、治さなくてはいけないものだと思い込んでいた。結局、あってもなくても変わらなかった。原因はそこではなかったから。
カランコロン。
「茜さん。よかったんですか?」
「うん!なんかすごいお店だったね。他にも色々気になった癖があったからまた行ってみたいかも。ねぇ、また行かない?」
「あ、は、はい!もちろんです!」
「ありがと。今日は楽しかったよ!じゃまた明日ね!」
ヒールの音が遠くなっていく。まだ音が聞こえるはずの距離だったけど、電車の音でかき消されてしまった。
茜さんとは違う路線なので、改札前でお別れをする。ランチをしてからお酒を飲んで。そしてあのお店“ハビット”に行った。たくさん話をしたはずなのにあんまり今日のことを覚えていない。それも癖か?いや、忘れっぽい癖は手放したはず。じゃあなんで。
-あぁ、楽しかったからだ。
茜さんの話をいっぱい聞いた。でも僕の話もいっぱい聞いてもらった。笑いながら納得をしてくれた話もあれば、「それはどうかな」と気を遣いながらも反論してくれた話もある。内容というよりかそのときの表情で覚えている。あ、そうか。だから話したことをあんまり覚えてないんだ。僕はずっと「楽しんでくれてるかな」「今の話嫌じゃなかったかな」「帰りたいとか思ってないかな」と顔色ばかり気にしていた。覚えてないんじゃない。聞いてなかった。無視してたわけじゃないけど。
電車に乗って一息ついたとき、スマホが鳴った。
「今日はありがとー✨楽しかったよ!また遊びに行こうね♪」
というメッセージと共にクマが「ありがとう」と頭を下げているスタンプが送られてきた。「僕も楽しかったです!またご一緒させてください!今日も素敵でした!」話の感想とは違う余計なことも送ってみる。クマの頬があからんでいる「テヘヘ」スタンプで返事がきた。
僕の癖を買った茜さん。茜さんは茜さんで想うことがあったんだろう。そりゃ何も考えてない人なんていないんだから何かしらは思っていたに違いない。
「言葉を選んでくれてるみたいで‥」
たしかそんなことを言ってくれた。あのーと言っている間、つい出てしまう言葉とはいえそのときに「これから言うこの言葉は大丈夫かな、変に思われないかな、嫌な思いをさせないかな」と考えていた。今は「あの」と言わなくなってしまったぶん、早く言葉が出るようになった。おもえば前よりも言葉を選ばずに言ってしまっている気がする。「あのー」と言っていた時間。あれは僕にとって必要な癖だったのかもしれない。
しかし今、その癖は茜さんの元にある。今まで持っていた癖が憧れの人のもとにあると考えるだけで、ちょっと嬉しい。でもあんな癖、ほんとに欲しかったのかな。次は茜さんが「その癖治せ!」とか小言を言われるんじゃないかな。自分が怒られるわけじゃないけど心配だな。
家に帰ってからも考えていたが、ご飯を食べてお風呂に入って横になったら寝てしまった。気にしてる気にしてると言ってても、なんだかんだ普通に生活を送れている。普通。そうだ。普通。普通になりたかった。普通に喋ることができて、普通に仕事をすることができて、普通に生きることができて。
普通ではないこと、それが癖。
癖を売ったり買ったり交換できたりする変わったお店に行き始め、少しずつではあるけど僕が変わってきた。癖がなくなってきた。普通になれる。なりたかった姿に。
でも、それはほんとに僕なんだろうか。喋り出すときにあのーと言ってしまう癖。忘れっぽい癖。お店に渡していない癖もまだまだある。自覚してない癖もたくさんあるだろう。僕は、一体誰になろうとしているんだ。
「いいねぇ〜茜ちゃーん!茜ちゃんのおかげでプロジェクトが進んでるよー!」
「ありがとーございまぁーす。あのー、先週話してたこのプロジェクトの担当、私でしたっけ?」
「そうだよぉー、忘れちゃったの?でも大丈夫!茜ちゃんのペースでやってくれればいいから〜!」
「わかりましたぁ〜。あのー、別件なんですけどこの企画、あとひとり誰かに手伝って欲しくて。蟻川くんをメンバーに入れてもいいですか?」
「え?蟻川?あいつでいいの?」
「はい。あのー、蟻川くんなら細かいところも気づいてくれるので」
「まぁ茜ちゃんがいいならいいよ。あのーなんて言って、あいつに言葉選ばなくていいんだよ。ま、そうやって考えてくれるところも茜ちゃんと可愛いところだか‥」
「わーい!部長、ありがとうございますー!じゃ進めますねー!」
なんだ、やっぱり人を見てるだけじゃないか。
あの癖は、僕のでよかったんだ。
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続きは今年中に。
作家
有野優樹(ありのひろき)
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