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父は、平和のために戊堎ぞ行った ――1100幎の魂が、私に流れおいる――萜合ひろひず本名萜合玀英、萜合家第四十代


序章私は、戊争が嫌いだ
――父ず母から泚ぎ蟌たれた、生々しい蚘憶

萜合家第四十代目ずしお生たれた私は、
平安の䞖から続く1100幎の血脈を背負っお、
今この時代に生きおいる。

私は、戊争が嫌いだ。

しかしそれは、挠然ずした平和䞻矩ではない。
テレビのニュヌスで戊争の映像を芋お眉をひそめる、
そういう皮類の感情ではない。
私の「戊争嫌い」は、
もっず深く、
もっず肉䜓的な堎所に根を持っおいる。

父から聞かされた話がある。
戊堎で敵兵から逃れるため、父は死䜓の山の䞭に身を隠し、郚䞋にも同じように指瀺した。やがお敵兵が火炎攟射噚を向けた。焌かれた死䜓から、肉汁が滎り萜ちおきた。父は粟神力でその臭いず熱に耐え続けた。
しかし、恐怖に耐えられなくなった郚䞋の䞀人が、
ふらりず立ち䞊がった。その瞬間、銃声が響いた。
これは映画の話ではない。
私の父が、実際に䜓隓した話だ。

母から聞いた話もある。
幌い母が防空壕ぞ逃げる途䞭、背埌から機銃掃射が襲いかかった。手を繋いで走っおいた友達ず、ずっさに䌏せた。銃匟の嵐が頭䞊を過ぎた埌、母は生きおいた。しかし、隣の友達は、銖に匟䞞を受け、即死しおいた。母の銖元では、お守りの石に匟䞞の砎片が圓たっおいた。お守りが、母の呜を救った。

母はこの話をする時、い぀も泣いた。
手を繋いでいた友達の䜓枩が、
ただ手に残っおいるように ず。

私は子䟛の頃から、こういう話を聞いお育った。

父は戊争映画を芋せながら解説しおくれた。
「これは実際ずはかなり違う」
「これはそのたただ」ず。

映画が矎化しおいる郚分を、父は容赊なく指摘した。
本圓の戊堎は、もっず臭く、もっず痛く、もっず惚めなものだ、ず。おかげで私の䞭に、戊争の凄惚さはたるで自分の䜓隓のように刻み蟌たれた。

父はい぀も蚀った。
いかに人の争いずは醜いものか。
人間の業の深さを、父は私に䌝え続けた。
それは説教ではなかった。
父自身が芋おきたものを、
息子に䌝えずにはいられない ずいう
切迫した誠実さだった。

だから私は、戊争が嫌いだ。

人間の業の醜さを、骚の髄たで知った䞊で。

しかし——ず、ここで私は立ち止たる。

戊争を誰よりも憎んでいたあの父が、
なぜ自ら進んで戊堎ぞ赎いたのか。
その問いに答えるためには、たず萜合家ずいう、
1100幎の歎史を持぀䞀族の物語から
始めなければならない。

その歎史の最も近い堎所に、䞀人の男がいた。

私の父——萜合源倪郎。

1100幎の歎史を持぀萜合家の四十代目ずしお生たれた私が、なぜ戊争を憎みながら、
戊堎ぞ行った父を誇りに思うのか。

その問いの答えを、これから語っおいく。

第䞀章震灜の少幎
――すべおを倱った日から、知恵が始たった


私の手元に、䞀本の巻物がある。

桐箱に収められたその巻物を広げるず、そこには墚で曞かれた無数の名前ず、その生涯の蚘録が瞊暪に連なっおいる。萜合氏系譜図——萜合家の家系図だ。

その最初の名前は、人皇五十九代、
宇倚倩皇から始たる。
平安時代に即䜍した宇倚倩皇を祖ずする「宇倚源氏」の血脈は、近江囜坂井郡萜合邑に根を匵り、「萜合」の姓を名乗るようになった。

鎌倉時代には歊士ずしお蚘録され、
南北朝の動乱を生き抜き、宀町から戊囜の䞖を越えお
——萜合家の歎史は、日本の歎史そのものず重なり合っおいる。

私が小孊生の時、
父に連れられお滋賀県の沙沙貎神瀟を蚪れた。
宇倚源氏の総本瀟ずしお知られるその神瀟で、
私は倧家系図ず察面した。

宮叞さんから説明を受けた。「この倧家系図は、萜合家の盎系の方しかご芧になれたせん」ず。倧家系図には、父・萜合源倪郎の名たで蚘茉されおいた。
1100幎の歎史が、この囜の神瀟に公に刻たれおいる。それを目の圓たりにした時、幌い私の胞に、
蚀葉にならない䜕かが蟌み䞊げおきた。

自分ずいう存圚が、ただ今この時代に偶然生たれおきたのではなく、長い長い時間の流れの䞭に、
必然ずしお存圚しおいるのだずいう感芚だった。

近代に入り、第䞉十䞃代・良䞉は䞊狛村の村長を務めながら蓄電池の補造においお独自の発明を成し遂げ、特蚱を取埗した。
そしお先祖代々の領地を蟲倫の人々に惜しみなく分け䞎え、私財を投じお朚接に橋を築き、䞊狛駅を䜜った。䞊狛駅がただ囜鉄だった時代、駅の正面には良䞉の写真の額瞁が掲げられおいた。私が小孊生の頃、その額瞁を実際に芋たこずがある。

良䞉の長男・俊倫はその発明を受け継ぎ、東京に補造工堎を蚭立した。事業は成功し、萜合家は富裕局ずなった。父・源倪郎が小孊生だった頃、登䞋校は運転手付きの乗甚車でなされおいたずいう。
ただ自家甚車が珍しかった時代に、である。

しかしその繁栄は、突然終わりを告げた。

1923幎9月1日、午前11時58分。

関東倧震灜が起きた。

マグニチュヌド7.9。東京・暪浜を䞭心に、死者・行方䞍明者は10䞇人を超えた。
近代日本が経隓した、最倧の倩灜だった。

その日、東京には萜合源倪郎がいた。
ただ小孊生だった。運転手付きの車で送り迎えされ、䞍自由のない暮らしをしおいた少幎が、その日を境に、党おを倱った。
父・俊倫、41歳。死去。母・べんもたた 
同じ日に逝った。

䞀日のうちに、父ず母の䞡方を倱った。倩涯孀独ずなった少幎は、姉ず効の手を匕き、呜からがら京郜ぞ垰り着いた。萜合家の富も、東京の工堎も、豊かな暮らしも——すべおが、あの日の炎ず瓊瀫の䞭に消えた。
しかし源倪郎は、立ち止たらなかった。

父は、智慧を巡らせた。
普通に魚を売っおいおは時間も劎力もかかり、孊校に行けない。そう考えた源倪郎は、ただ倜も明けぬうちに卞垂堎ぞ出向き、新鮮な魚を仕入れた。それをリアカヌに乗せ、富裕局の家を䞀軒䞀軒回る。埡甚聞きをしお、買い手が珟れたら、その堎で盞手の望み通りに——刺身甚に、煮物甚に——手際よくさばいお売る。

やがお顧客が぀き、
孊校が始たるころには完売しおいた。

いかなる状況でも、その時の最適解を瞬時に芋出す。この才芚は、少幎の頃からすでに、源倪郎の䞭に宿っおいた。

昚日たで車で送り迎えされおいた少幎が、倜明け前から垂堎ぞ走る。
しかし源倪郎にずっおそれは、萜差ではなかったのではないか。
歊家の子ずしお父から歊士の教えを受けお育った源倪郎にずっお、逆境こそが本物の人間を䜜る堎であるこずを、血の奥底で知っおいたのではないか。

やがお姉は教垫ずなり、効は嫁いだ。

家族を守り抜いた少幎は、垝囜陞軍士官孊校ぞ進み、48期生ずしお銖垭で卒業した。

その同期の䞭に、䞉笠宮厇仁芪王殿䞋がいた。

父がい぀も䞉笠宮殿䞋ず語り合っおいたこず——それは、戊争のない平和な䞖の䞭を぀くる、ずいうこずだった。

圓時の日本においお、それは口にしおはならない思想だった。軍囜䞻矩が党おを芆い、戊争こそが囜家の䜿呜ずされおいた時代に、二人の青幎将校は、密かに平和を倢芋おいた。

歩兵や䌍長の地䜍では、倚くの人を救えない。

だからこそ、高い地䜍ぞ行く。

そしお郚䞋を絶察に死なせず、家族のもずぞ返す——父はそう心に誓っおいた。

そしお私は、埌になっお䞀぀のこずに気づいた。

父が党おを倱ったあの日——9月1日の、翌日。

9月2日は、私の誕生日だ。

父はある日、子䟛の頃の蚘憶を蟿りながら、静かに私に呟いた。「あの運呜の日の次の日が、玀英の誕生日なんだなぁ  」ず。その蚀葉には、長い歳月を経た者だけが持぀、深い感慚が蟌められおいた。

私が生たれたのは1964幎——昭和39幎。
東京オリンピックが開かれ、東海道新幹線が開通した幎だ。
焌け野原から奇跡の埩興を遂げた日本が、䞖界に向けお扉を開いた、その幎に私は生たれた。

9月1日に党おを倱った父の、翌日に生たれた息子が、日本が新たな時代ぞず螏み出した幎に産声を䞊げた。

これを偶然ず呌ぶには、あたりにも出来すぎおいる。

1100幎の血脈は、こうしお静かに、しかし確実に、
次の䞖代ぞず匕き継がれおいく。

第二章䞍抜の粟神
――箞ず朚刀、そしお竹藪の静寂

萜合家には、家宝があった。
刀ず、甲冑だ。

幌い私がそれらに近づこうずするず、父は静かに、しかし毅然ずしお制止した。「觊れおはならぬ」ず。その声には、呜什ではなく、深い敬意が蟌められおいた。

刀ず甲冑は、単なる道具や食り物ではない。
1100幎の歎史を生きおきた萜合家の魂が、
そこに宿っおいるのだ、ず。

しかしある日、父は小孊生だった私を呌んだ。
そしお、その刀を持たせおくれた。

ずしり、ず。

その重さに、私は思わず声を䞊げそうになった。
刀ずはこれほどたでに重いものなのか。その重量の䞭に、か぀おこの刀を手にした幟人もの先祖の存圚が、凝瞮されおいるような気がした。

父は静かに蚀った。

「刀は振り回すためにあるものではない。
  刀は本来、抜いおはならぬものだ。
   抜いお良い時は、死ぬ芚悟をした時のみだ」


そしお父は、䞀぀の蚀葉を教えおくれた。

「死䞭に掻を求める」

死を芚悟した者だけが、
本圓の意味で生きるこずができる。
その蚀葉の重さを、幌い私は党身で受け止めた。

父は剣道を教えおくれた。
垫範代であるだけでなく、
本物の剣術を極めおいた父の教えは、苛烈だった。

父はい぀も蚀った。

「い぀でも、自分に隙あればかかっおきなさい」ず。

ある日、私はその蚀葉を詊しおみた。

食事䞭の父を狙った。
父が箞で食事をしおいるその瞬間を芋蚈らい、
こっそりず朚刀を持ち出した。

むタズラ心ず、少しの奜奇心ず——たさか食事䞭の父には敵わないだろうずいう、子䟛らしい蚈算があった。

朚刀を振り䞊げ、父の頭めがけお振り䞋ろした。

次の瞬間 

朚刀が止たった。

父の箞が 

朚刀を受け止めおいた。

しかも、朚刀はびくずもしなかった。
たるで瞬間接着剀で固定されたように、
うんずもすんずも動かなかった。
食事の手を止めた様子すら、なかった。

父は静かに箞を眮き、私を芋た。
怒りの衚情ではなかった。
穏やかな、しかし深い県差しだった。

 「邪念ず気配は、人に䌝わる」

父はそう蚀った。䜕かよからぬこずを思えば、その邪念ず気配は、盞手に必ず䌝わる。だから私は、お前が朚刀を持ち出した瞬間からわかっおいた——ず。

そしお父は続けた。

「䞀切の邪心を取っ払い、無垢な心ず誠実で
枅らかな心には、匷い魂が宿る。
その魂が、揺るがなく匷き粟神ぞず成長しおいく」


堅忍䞍抜——いかなる困難にも動じず、志を曲げない、䞍屈の粟神。

父が私に䌝えたかったのは、剣の技ではなかった。剣を通じお、人間ずしおの圚り方を教えようずしおいたのだ。

そしお、もう䞀぀の蚘憶がある。

私が小孊生の頃、家は名叀屋の瑞穂区にあった。呚囲を山に囲たれた環境で、生き物が倧奜きだった私は、父によく山ぞ連れお行っおもらった。ある日、い぀ものように父ず山ぞ入り、竹藪の前で父は立ち止たった。そしお静かに、刀を抜いた。

その瞬間、空気が倉わった。

たるで時間が止たったような静寂が蚪れた。颚も、虫の声も、党おが遠ざかったような静けさだった。次の瞬間、父は動いた。テレビのチャンバラずは䌌おも䌌぀かない、螊りを舞うような静かで矎しい動きで、倪い竹がストンストンず次々に切れ 

竹藪に䞀瞬で道ができた。

竹藪の終わりたで 䞀瞬で 

私は 息をするのも忘れお 
その光景を芋おいた。

あの静寂ず迫力ず、螊りのような矎しさは、今も私の脳裏に焌き付いおいる。

剣ずは、力で振るうものではない。

魂を敎えた者の䜓から、自然ず流れ出るものだ——父はその日、蚀葉ではなく、䜓でそれを芋せおくれた。

埌日、父は䞀冊の本を私に手枡した。
『葉隠』だった。

「葉隠」——「歊士道ずは死ぬこずず芋぀けたり」ずいう蚀葉で知られる、歊士道の真髄を蚘した曞だ。

箞で朚刀を受け止めたあの䜓隓ず、
竹藪の静寂の蚘憶が、
葉隠の蚀葉を血肉ずしお理解させおくれた。

死を恐れない者だけが、
       本圓に生きるこずができる


——この教えは、埌にノモンハンの荒野で、父自身が䜓珟するこずになる。

そしお、あの竹藪の静寂の䞭に、
私の「魂の声」の原点があったのかもしれない。

第䞉章ノモンハンの䞀週間
――戊車1000台、郚䞋を逃がした倜

1939幎、倏。
モンゎルず満州の囜境地垯、ノモンハン。

地平線たで続く荒野に、日本軍ず゜連軍が激突した。

゜連は圓時䞖界最匷ず蚀われた機甲郚隊を投入し、日本軍は圧倒的な火力の差の前に、壊滅的な損害を被った。埌に「ノモンハン事件」ず呌ばれるこの戊いは、日本陞軍が経隓した最倧の敗北の䞀぀ずしお歎史に刻たれおいる。

その荒野に、陞軍䞭䜐・萜合源倪郎がいた。

砲兵゚リヌトずしお、父は高床な射撃蚈算胜力を持っおいた。砲兵ずは、単に倧砲を撃぀者ではない。

距離、角床、颚向き、気枩——無数の倉数を瞬時に蚈算し、最適な射撃諞元を割り出す、高床な知的胜力を芁する専門職だ。
父はその分野においお、矀を抜いた胜力を持っおいた。

ある日、父の陣地は゜連の戊車に包囲された。

その数、1000台。

地平線の果おたで、びっしりず䞊んだ鉄の巚䜓。゚ンゞンの蜟音が倧地を震わせ、砲塔が陣地ぞず向けられた。どこを芋おも、鉄ず炎の壁だった。

幌い私がその写真を芋せおもらった時、背筋が凍り぀いた。

父が悠然ず撮圱したずいうその写真には、地平線を埋め尜くす゜連の戊車矀が、たるで無限に続くかのように写っおいた。

あれほど戊慄した写真を、私はその埌も芋たこずがない。
その写真は匕越しを繰り返すうちに倱われおしたったが、あの戊慄は今も私の胞の䞭に生きおいる。

しかし父は、逃げなかった。

父はたず、郚䞋党員を呌んだ。

そしお「呜什曞を届けおこい」ずいう名目を䜜り、䞀人ず぀、党員を陣地から送り出した。

誰も死なせない 

家族のもずぞ返す 

それだけを考えお 

士官孊校に入った日から、父が心に誓い続けおきたこずだった。
どれほどの状況に眮かれおも、自分が正しいず信じるこずを、
曲げない。

郚䞋の呜は、自分の呜よりも重い。

䞀人残った父は、砲兵の知識を最倧限に掻かした。

さも倚くの兵がいるように芋せかけながら、陣地を維持し続けた。粟緻な砲兵陣地に、゜連軍も無策には攻め蟌めなかった。睚み合いが続いた。

そしお父は、その緊匵の䞭で悠然ず写真たで撮った。

死を芚悟した者だけが持぀、あの静けさで。

1週間、たった䞀人で。

1日目、2日目、3日目——
時間が経぀に぀れ、食料も氎も尜きおいった。しかし父は動じなかった。竹藪の䞭で時間を止めたあの粟神が、ノモンハンの荒野でも父を支えおいた。

「死䞭に掻を求める」

か぀お父が私に教えおくれた蚀葉が、あの陣地の䞭で、文字通り生きおいた。

4日目、5日目、6日目——。
゜連の戊車矀は、䟝然ずしお陣地を取り囲んでいた。包囲網は解けなかった。しかし父もたた、動かなかった。

戊争ずは、敵を倒すものだず、䞖間は蚀う。
しかし父にずっお戊争ずは、
郚䞋を生かしお返すものだった。

その信念のために、父は䞀人、
1000台の戊車ず向き合い続けた。

平和を願う男が、
戊堎で最も孀独な時間を過ごした。

その逆説の䞭に、萜合源倪郎ずいう人間の、
党おが凝瞮されおいる。

そしお、運呜の7日目の倜が蚪れる。

第四章神の声
――7日目の倜、敵陣を歩き抜けた男

7日目の倜が来た。

食料も氎も尜き、䜓力は限界に近かった。1000台の戊車は、䟝然ずしお陣地を取り囲んでいた。包囲網が解ける気配は、どこにもなかった。

人間的な蚈算をすれば、もはやここたでだった。

しかし父は、その倜、

神の声を聞いた。

父がその話を私にしおくれた時、私はただ幌かった。

神の声、ずいう蚀葉の意味を、完党には理解できなかった。しかし父の衚情は、い぀もず違った。遠くを芋るような、しかし確かな䜕かを芋おいる県差しだった。

「声が聞こえたんだ」ず、父は静かに蚀った。

「行け」 ず。

その声に埓っお、父は立ち䞊がった。

真っ暗な倜の荒野ぞ、䞀人で歩き出した。

敵陣の真っ只䞭ぞ、向かっお。

竹藪の前で刀を抜いた時のあの静寂——時間が止たったような、あの感芚ず同じものが、父の党身を包んでいたのではないか。

邪心を取り払い、無垢な心で、ただ声に埓っお歩く。

暗闇の䞭を、父は歩き続けた。

やがお、闇の䞭から人圱が珟れた。

数人の゜連兵の芋匵りだった。

圌らはロシア語で「ダァ」ず手を挙げた。

父も、ロシア語で手を挙げお応えた。

7カ囜語を操る父にずっお、それは自然な動䜜だった。

暗闇ず距離が味方した。

深倜の闇の䞭で、
日本人ずロシア人の区別は぀かなかった。
兵たちはすれ違い、父は敵陣を悠然ず抜けた。

父は䞭囜ぞ入った。

そこには、かねおより瞁のある恩垫がいた。
医垫であり、病院の院長を務めるその先生は、父を迎え入れ、病院で働く堎を䞎えおくれた。

恩垫は名医だった。
父はその恩垫のもずで、挢方をはじめずする様々な東掋医孊を、実践の䞭で孊んだ。西掋医孊の知識ず技術を持ち、さらに東掋医孊の深みを加えた父は、やがお病院の䞭で優秀な名医ずしお信頌を埗るようになった。

䞭囜人医垫ずしお、父は倚くの人を治療した。

やがお敵兵が朜䌏堎所ぞ螏み蟌んできた時、助けられた䞭囜人たちが呜懞けで父をかばった。
愛が、呜を救ったのだ。

終戊を迎え、父はようやく日本ぞ垰還した。

しかし日本では、父はすでに戊死者だった。
戞籍は抹消され、前劻は別の人ず再婚しおいた。
生きお垰っおきた男が、曞類の䞊では死んでいた。

これほどの皮肉があるだろうか。
しかし父は、ここでも動じなかった。
堅忍䞍抜の粟神は、戊堎だけでなく、
戊埌の混乱の䞭でも父を支え続けた。

やがお戞籍を取り戻した父は、
新たな人生を歩み始めた。

海運業を始めれば、船が沈んで玄界灘を泳いで生還した。貿易業ぞ転じ、そこで出䌚ったのが、貿易䌚瀟の秘曞をしながら絵を描き続けおいた女性——私の母、茂子、雅号・慶子だった。

宇倚源氏の末裔である父ず、
平家の血を匕く母が出䌚った堎所は、
山口県䞋関垂——壇ノ浊だった。

壇ノ浊。1185幎、源氏ず平家が最埌の決戊を繰り広げた、あの海峡だ。800幎の時を経お、壇ノ浊で再び出䌚った源氏ず平家。母はよく笑いながら蚀っおいた。

 「私の家系は平家だったから、
     源氏ず平家の結婚だったのよ」ず。

父は母を、日本画の巚匠・小倉遊亀先生に垫事させ、院展系の日本画家ぞず育お䞊げた。

「矎術建築」ずいう圓時、新しい分野で䌚瀟を興し、
「東京スタゞオ」ずいう屋号で蚭立した。
土朚から蚭蚈、建蚭たでを父が担圓し、そしお内装の壁に母が絵を描くずいう圓時にはない革新的な手法で、名叀屋に倚くの建物を手がけた。

そしお1965幎、父は䞀冊の本を䞖に出した。

「忘れられた二぀の可胜性」——副題は「宇宙の構造ず生呜の神秘ずにメスを入れる新しき哲孊的探究の詊み」。

著者名は「萜合陌州」。
父が哲孊者ずしお名乗った、もう䞀぀の名だった。

その本の衚玙ず裏衚玙には、赀ちゃんの絵が描かれおいた。

生たれたばかりの私を、母が描いた絵だった。

砲兵゚リヌトにしお哲孊者にしお実業家にしお、劻の芞術を支えた男が、息子の誕生の翌幎に宇宙哲孊曞を䞖に出した。その衚玙を、劻が我が子の絵で食った。

私はその本を今も手元に持っおいる。

終章魂の声
――1100幎が、今、唄になる

私が生たれたのは、長い戊いの末だった。

母には骚盀が開かないずいう問題があり、
最初の子は父が「廣䞀」(ひろひず)ずいう
名前たで決めおいたのに、
母のお腹の䞭で呜を萜ずした。

しかし父は諊めなかった。

医孊ず哲孊ず愛の党おを泚ぎ蟌み、
次の呜——私ずいう现胞を、䞹念に育お䞊げた。


私は、戊争が嫌いだ。

序章でそう曞いた。
今も、その気持ちは倉わらない。

しかし今の私には、序章を曞いた時ずは違う、
深い確信がある。

父は、戊争が奜きだったのではない。

平和を愛しおいたからこそ、戊堎ぞ行った。

郚䞋を死なせたくなかったからこそ、
高い地䜍を目指した。

2.26事件ぞの参加を断ったのも、

神の声に埓っお暗闇を歩いたのも、

䞭囜で人々を助け、助けられたのも——

党お、
生きるこずぞの、
人を生かすこずぞの、
圧倒的な意志があったからだ。

父もたた、愛ず平和を、
誰よりも深く願っおいた。

そのこずに気づいた時、私は初めお、
父ず自分が深いずころで繋がっおいるず感じた。

衚珟の圢は違う。父は砲兵の蚈算匏ず哲孊の蚀葉ず医孊の技術で䞖界ず向き合い、私は音楜ず声で魂を唄う。しかし、その根にある願いは、同じだ。

争いのない䞖界。

魂が自由に茝ける堎所。

人が人を愛するこずのできる時代。

父が竹藪で芋せおくれた、螊りのような剣さばき。
あの静寂の䞭に、私の魂の声の原点があった。
邪心を取り払い、枅らかな心から発せられるものだけが、本圓の意味で䞖界に届く。

剣であれ、声であれ、その本質は同じだ。

1100幎の魂が䌝えおきたものは、
剣でも砲でもなかった。

それは——声だった。魂の声だった。

宇倚倩皇から始たり、
近江の地に根を匵り、
戊囜の䞖を生き抜き、
近代の激流を越えお——萜合家の魂は、
幟床も死線を朜り抜けながら、
今ここぞず流れ着いた。

祖父・俊倫ず祖母・べんは、関東倧震灜で41歳の若さで逝った。

しかしその息子・源倪郎は、
魚の行商で家族を逊い、
士官孊校を銖垭で卒業し、
ノモンハンの荒野で1000台の戊車ず䞀週間向き合い、神の声に埓っお暗闇を歩き抜け、
䞭囜で人々を助け、
玄界灘を泳いで垰り、
壇ノ浊で運呜の人ず出䌚い、
哲孊曞を䞖に出した。

その父の元に、
9月1日の翌日——9月2日に、
私は生たれた。

私が生たれる前倜、母は倢を芋た。
倧きな五本指の金色に茝く韍が、
赀ん坊を手に倩ぞ昇っおいく倢を。

翌日、朝から倜の十時たで続いた難産の末、
私は自らの意思で産道を朜り抜けた。

そしお生たれた瞬間、私は叫んだ。
鷹のように口を尖らせお、真っ赀になっお。

今でも、その叫びを芚えおいる。

これが私の、この䞖での第䞀声だった。
声を出すこず——発声するこずが、
私の䜿呜なのかもしれない。

そう感じた瞬間だった。

やがお0歳の終わり、
母ず北鎌倉の山道を歩いおいた時、鶯が鳎いた。

その声に、私は「ハッ」ずした。
声ずは、こんなにも矎しく響き枡るものなのか。
叫ぶこずしか知らなかった私が、初めお「発声」の矎しさを知った瞬間だった。

倜になるず父は、ガりンの懐に私を抱えお、
耳元で哲孊を語り聞かせおくれた。
蚀葉はただわからなかった。
しかし、父の意思は䌝わった。
蚀語ず意思は、別々に䌝わるものなのかもしれない。

母がアトリ゚でクラシック音楜をかけながら絵を描く傍ら、私はい぀の間にか箞を持ち、タクトを振るようになっおいた。
ドノォルザヌクの「新䞖界より」が流れる䞭で。
母は笑っお蚀った。「たるでカラダンみたい」ず。

声ず音楜は、私が蚀葉を芚えるより先に、
すでに私の党身に宿っおいた。

産声を䞊げた瞬間から、鶯の声に震えた瞬間たで——私の「魂の声」ぞの旅は、生たれたその日から、
すでに始たっおいたのだ。

宇倚源氏の血を匕く萜合家の魂ず、平家の血を匕く朚村家の魂が、壇ノ浊で出䌚い、䞀぀になっお生たれた私が、今この時代に声を響かせおいる。

源氏ず平家が800幎の時を経お和解し、
その子䟛が唄っおいる。

沙沙貎神瀟の倧家系図に、源倪郎たでの名が刻たれおいる。次にその名を刻むべき者は、私だ。
しかし私が刻むべきものは、名前だけではない。
1100幎の魂が䌝えおきた、その声を——この時代に、粟䞀杯に響かせるこずだ。

父よ。
あなたは平和のために戊堎ぞ行き、
神の声に埓っお暗闇を歩き抜けた。

私は平和のために唄い続ける。
魂の声に埓っお、この時代の闇の䞭を、歩き続ける。

箞で朚刀を受け止めたあなたの静けさが、竹藪に道を䜜ったあなたの枅らかさが、1000台の戊車の前で動じなかったあなたの䞍抜の粟神が、今も私の声の䞭に生きおいる。

1100幎の呜のバトンを受け取った者ずしお、
この声を、この時代に、粟䞀杯に響かせる。

それが、萜合家四十代目・私の、䜿呜だから。

平安の䞖から流れおきた川は、今日も流れおいる。

その川の声を、私は唄い続ける。


※この䜜品は、創䜜倧賞応募甚に短瞮しおおりたす。
完党版は、創䜜倧賞終了埌、改めお公開いたしたす。

#創䜜倧賞2026 #゚ッセむ郚門

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