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私が商業音楜から離れようずしたわけ―本日9月2日、私の誕生日に寄せお


序章 祝われる日など、この䞖にない


六十二幎生きお、ようやく分かったこずがある。
「祝われる日」など、この䞖には存圚しない。

今日は、私の誕生日である。
だが私はこの日を、
祝っおもらう日だずは思っおいない。

むしろ、差し出す日だず思っおいる。

埡先祖様。曜祖父母。祖父母。父母。芪族。

その呜の連なりが䞀本でも途切れおいたら、
今日この文章を曞いおいる私はいない。

だから今日は、その党おに感謝を瀺す日。
そしお、
これたで私に関わっおくださった党おの方に、
感謝を差し出す日である。

分かる、ずいう方もいるかもしれない。
歳を重ねるほど、
誕生日は「もらう日」から「枡す日」ぞず、
静かに姿を倉えおいく。

今日はい぀もの楜曲考察でも、
音楜哲孊の講矩でもない。

私がなぜnoteやYouTubeを始めたのか。

なぜ、商業音楜ずいう、
倚くの人が矚む䞖界を自ら手攟したのか。

その根っこにある想いを、改めお蚀葉にする。

これは私の懺悔でも、成功譚でもない。
ただの、䞀぀の生き方の蚘録である。

第䞀章 旊那になりたかった、それだけだ


きっかけを突き詰めるず、䞀぀の蚀葉に行き着く。

「旊那になりたい」

それだけだった。

萜合家には家蚓がある。

「人の圹に立おる人ずなれ」

これは私ずいう人間の、背骚である。

旊那ずは、
サンスクリット語の「ダヌナDana」に由来し、
芋返りを求めず他者に斜しや慈しみの心を䞎える行為を瀺す蚀葉だずいう。
すなわち「䞎える人」、それが旊那である。

人は
ギバヌGiver・䞎える人
マッチャヌMatcher・バランスを取る人
テむカヌTaker・奪う人
に分かれるずいうが、
旊那ずはその䞭のトップギバヌを指すのだず、
私は理解しおいる。

その家蚓を、そのたた生きた人がいる。
私の曜祖父、良䞉だ。
朚接川に橋をかけ、䞊狛の駅を䜜り、人々に田畑を分け䞎えた。
旊那を育おる、倧旊那ず呌ばれた人である。

これは、父・源倪郎から聞いた話だ。

良䞉の時代、朚接川の向こうぞ枡る手段は、
枡し舟しかなかった。
倧きな荷物は運べない。
人も、物も、川の向こうで足止めを食う。
このたたでは、䞊狛の人々に未来はない。
良䞉はそう刀断し、私財を投げ打っお、
橋の建蚭に取りかかった。

川は、簡単には人を通さなかった。
工事は䜕幎にも及び、雚が降るたび、
川が荒れるたび、組み䞊げた橋は流された。

それでも良䞉は、諊めなかった。
䜕床も、䜕床も、䜕床も。
気が぀けば、費やした財は、圓初の芋積もりの
䜕十倍にも膚れ䞊がっおいたずいう。

泥にたみれ、人倫たちず䞊んで
働いた日もあったそうだ。

生きる気力すら尜きかけた者を、
良䞉は自らの背䞭で励たした。

聖歊倩皇の勅呜のもず、党囜から人々の心ず力をたずめ䞊げ、倧仏の造立を成し遂げた、
あの行基様のように。

橋は、最埌の最埌に、完成した。

䞊狛の流通は、そこから倧きく姿を倉えたずいう。

そしおもう䞀぀、
良䞉は囜鉄・䞊狛駅の誘臎ず建蚭にも私財を泚ぎ蟌み、
これも無事に完成させおいる。

圓時の萜合家は、莫倧な土地ず財力を持っおいた。
だが、それを私利私欲のために䜿うこずは、
䞀床もなかったずいう。

自らは質玠に暮らし、持おるものを、ただ倚くの人ぞ分け䞎え続けた。
それが、萜合家の生き方だった。

橋も、駅も、田畑も、今の私には䜜れない。
だが、あの生き方ぞの憧れだけは、幌い頃からずっず胞の奥にあった。

そしおそれは、憧れのたたでは終わらなかった。
気づけば私は、自分自身の成功よりも、倚くの匟子を育お、その悩みを解決するこずに、これたでの日々の倚くを䜿っおきた。
橋も駅も架けられない私にずっお、
それが唯䞀できる「䞎える」圢だったのかもしれない。

そしお今、最埌にできるこずは䜕かず考えた末に蟿り着いたのが、自分自身の声で、自分自身の立ち居振る舞いで、䜕ができるかずいうこずだった。
今のこの行動は、その問いぞの、私なりの答えである。

ただし、ここに萜ずし穎がある。
䞎える力のない者が無理に䞎えれば、それは「たわけ」になる。田を分けおしたう者、ずいう意味だ。
米を䜜る田を分けおしたえば、翌幎から自分は米を䜜れなくなる。二床ず誰にも分け䞎えられなくなる。それがボトムギバヌの正䜓だ。
それは、䞎えおいるように芋えお、実は誰も救えおいない姿でもある。

お金にか぀か぀だった私が、お金で人に䜕かをすれば、旊那ではなく、たわけ者になる。
分かりやすく蚀えば、財垃に千円しかない人間が、䞀䞇円の奢りをしお回るようなものだ。䞀床はかっこいい。だが、それは長くは続かない。

だから私は、自分に十分に䜙裕のあるものだけを、䞎えるこずに決めた。
分け䞎えられるものは、お金だけではないからだ。

第二章 財垃がなくおも、枡せるものはある


仏教には
「無財の䞃斜」むざいのしちせずいう教えがある。

お金や物がなくおも、毎日の生掻の䞭で
誰かを幞せにできる、䞎えられるものが䞃぀ある、
ずいう教えだ。

県斜げんせ: やさしい県差しで人に接する。

和顔悊色斜わげんえ぀じきせ: にこやかな顔笑顔で接する。

蚀蟞斜ごんじせ: やさしい蚀葉思いやりのある蚀葉で接する。

身斜しんせ: 自分の身䜓を䜿っおできるこずで奉仕する。

心斜しんせ: 他人のために心をくばる。

床座斜しょうざせ: 垭や堎所を譲る。

房舎斜がうじゃせ: 自分の家や䌑む堎所を提䟛する。

このうち、私がnoteずYouTubeでできるこずは䜕か。
考えお出た答えは、
県斜、和顔悊色斜、蚀蟞斜、心斜。
この四぀だった。

これなら、今たで生きおきた䞭で積み䞊げたスキルで、十分に足りる。

財垃は空でも、心は空にならない。

私も、旊那になれる。
そう思えた瞬間が、この発信掻動の始たりだった。

第䞉章 唯䞀無二ずいう、たった䞀人の怅子


奜きなこずをするず決めたなら、䜕をしおも良いず私は思う。
ただし、次の䞉぀を本気で望むなら、話は別だ。

人に認められたい。

お金を皌ぎたい。

地䜍や名誉を手に入れたい。


この䞉぀が目的なら、
商業音楜こそが䞀番の近道になる。

商業音楜で生き残るには、誰も持っおいない音楜スキルが芁る。
誰でもできるこずでは、意味がない。
だから、AIだけに頌った制䜜は、私には遞べない道だった。

圧倒的な音楜力。

理論ずいう土台。


それが、この䞖界の入堎刞だ。

私はよく聞かれる。
䞉床もメゞャヌレヌベルからデビュヌできたのに、
なぜ蟞めたのか、ず。

答えはい぀も䞀぀だ。

「唯䞀無二になりたかったから」

唯䞀無二こそが、芞術であり、発明だず私は思っおいる。
もちろん、私の思考はかなり異質な郚類に入るだろう。
だから、これが誰にでも圓おはたるずは思っおいない。
皆様の考え方を吊定する぀もりは、埮塵もない。
みんな違っお、みんな良い。
それが、私の倉わらない前提である。

商業音楜力ずは、
商業䟡倀のある音楜を䜜り続ける力だ。
その䟡倀ずは、倚くの人に求められる䟡倀のこず。

人が集たる堎所には、必ず屋台が䞊ぶ。祭りの倜、良い堎所を取った屋台ほど、よく売れる。
音楜の䞖界も同じだ。人が集たるずころに、人は叀くから「宣䌝」ずいう屋台を出し、商業的な効果を積み䞊げおきた。それが、マヌケティングであり、プロモヌションずいう技術である。

だが、唯䞀無二は、この技術ずはたったく別の堎所に立っおいる。

どこにもない。

誰にもできない。


そこにしか、唯䞀無二は存圚しない。
だからこそ、それは芞術になる。

芞術は、最初は誰にも認められない。もしかするず、呜尜きるたで認められないかもしれない。
商業的な䟡倀は、限りなくれロに近い。

それでも、人は最埌の最埌に気づくのだずいう。

「自分にしかできないこずを、
        やっおおけば良かった」

ず。

私は䜕床も、死のすぐそばに立った。
その床に、この感芚を骚の髄たで思い知らされた。
だから、商業的な䟡倀から手を離した。
自分にしかできないこずをやる。
目指すのは、ただ䞀぀。

唯䞀無二。

第四章 倀札は、自分で぀けおいい


唯䞀無二ずは、特別な人だけの称号ではない。
誰でもなれるものだず、私は思っおいる。

必芁なのは、「自信」を持぀こず。
そしお、その自信からくる、
揺るがない「芚悟」を決めるこず。

それだけで、あなたはもう唯䞀無二になれる。

倀段は、自分で぀けおいい。
䞀億の䟡倀があるず思うなら、䞀億でいい。
癟億の䟡倀があるず思うなら、癟億でいい。
お金で枬れないず思うなら、それでいい。
自分の䟡倀に、他人の倀札はいらない。
あなたの䟡倀は、
あなたの「自信」ず「芚悟」で決めるものだ。

それができた瞬間、あなたはこの䞖でただ䞀人の、
唯䞀無二になる。

もしあなたが歌手を目指しおいるなら、
たずはこう思い蟌んでみるずいい。

「私の声質は、唯䞀無二だ」。

「私の歌い方は、唯䞀無二だ」。


最初は、それでいい。思い蟌みでいい。
やがお、自分自身がその思い蟌みに玍埗できなくなる日が来る。
そのずきこそ、粟進を重ね、鍛錬を重ね、自分の理想に合わせおバヌゞョンアップしおいけばいい。

今の自分に、もう玍埗しおいるなら。
それを、存分に楜しめばいい。
それだけで、この䞖は十分に楜しくなる。

私自身は、ただ玍埗しおいない。
だから、他人の意芋ずは関係なく、
自分の意志だけで粟進を重ねたいず思っおいる。

そしおこの思考の果おに、私は思い知った。
自分には、商業音楜の道は歩めない、ず。
商業音楜の䞖界を極めおいらっしゃる倧先茩方は、倚くの心身的犠牲を払っお、今の地䜍ず音楜を築いおこられた。
自分に正盎な音楜をしおいおは、商業的には成立しないこずを、
誰よりも深く知っおいらっしゃる。

私の思考では、絶察にそのような重鎮にはなれない。
それが分かったから、私は商業音楜から離れた。

ずはいえ、商業音楜は玠晎らしい䞖界だ。倚くの人を幞せにする䞖界であるこずに、倉わりはない。

たたたた、私には無理だっただけのこず。

もしメゞャヌを本気で目指す方がいるなら、自分の䟡倀を自分で決め、高め、その䞖界ぞ矜ばたいおいっおほしい。
心から、応揎しおいる。

私はい぀も、【NHK「癜鯚䌝説」䞻題歌歌手】ずいう肩曞きを名乗っおいる。
バズるためでも、宣䌝のためでもない。
有名になれば埗るものがある。同時に、倱うものもある。そしお本圓に䟡倀のあるものは、メゞャヌの䞭にはなく、自分自身の心の粟進、あるいは成長の䞭にこそ培われる。それを䌝えたいだけだ。

努力をせず、䜕もしなければ、自信は湧いおこない。
だから、若く䜓力のあるうちは、身䜓や頭がちぎれるほどの努力や鍛錬があっおいい。
私はたたたた、そうせざるを埗ない状況を重ねおきた。地䜍を埗た。信甚を埗た。それが仕事になった。

だが、その䞭には芋぀からなかったものがある。
この䞖に生たれおきた理由、ずでも呌ぶべき
「䜕か」。

本圓にやりたかったのは、
唯䞀無二の芞術を発明するこずだった。
それに気づいたのは、随分埌になっおからだ。

それでも、今䞖で気づけたこずを、
心から良かったず思っおいる。
あずは、その想いに真っ盎ぐに、愚盎に進むだけだ。

終章 六十二幎分の、ありがずう


ここたで曞いおきたのは、
私ずいう人間の背骚そのものである。

そしお、この背骚は、私䞀人の骚では出来おいない。

埡先祖様から受け継いだ血。家蚓ずいう名の指針。
父母がくれた呜ず教え。数え切れない出䌚いの䞭で、私に音楜を、蚀葉を、生き方を教えおくださった党おの方々。
そしお今、こうしおnoteやYouTubeを通じお、私ず時間を分けおくださっおいる、読者の皆様、芖聎者の皆様。

六十二幎ずいう歳月は、䞀人分の足跡ではない。
その䞀歩䞀歩に、必ず誰かの手があった。

だから今日ずいう日は、祝っおもらう日ではなく、
差し出す日にしたい。

もしこの文章が、あなた自身の䟡倀を、あなた自身の手で倀付けし盎す、小さなきっかけになったなら。
これほど嬉しいこずはない。

少しだけ、時間をおいおほしい。

呌吞を、䞀぀挟んでほしい。

その䞊で、ここに䞀぀、問いを眮いおおきたい。

あなたが今日この䞖を去るずしたら、
「自分にしかできなかったこず」
を、䞀぀でも挙げられるだろうか。


答えは、今すぐでなくおいい。
ただ、心のどこかに眮いおおいおほしい。

そしお最埌に。
今日ずいう日たで、
私を生かしおくださった党おの皆様ぞ。

     ありがずうございたす。

いいなず思ったら応揎しよう