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息を吐く

    今抱えている気持ちを、なんと言えばいいのだろう。

    身体が重いわけでも、気分が悪いわけでも、気怠いわけでも、モヤモヤしているわけでもない。

    ただ、何かがひっかかっている。その気持ちを引き上げてみようとしても、底が暗くて何も見えない。何の手掛かりもない。

    確かに、最近、不安だと抱えていることがいくつかある。どうしようもなく、かなしかった出来事もある。ただ、そういったものとはまた違っている気がする。

    これは少々困った。不安やかなしみ、それらと付き合いながら、自分ができないと思いたくなかったことを認めてみる、許してみると、むしろ清々しい気分だったのが、つい最近のことだ。だから、どうしてしまったのだろうと思う。

    湯船に浸かりながら電気を消して、電子書籍で本を読む。熱くなってきたので追い焚き機能をオフにする。湯はすっかり冷めてしまったけど、文字を追うのをやめられない。ふと、その端末の光から目線を外すと、湯船の中は暗く、身体の輪郭がうっすらと見える程度だった。こんなにも暗かっただろうかと思う。

    基本的に、頭の中にあることは書き出すようにしている。だから、やりたいことや考えていたこと、用事、買い物リスト、読みたい記事、そういったものを一旦書き出してみると、少しだけ落ち着いてきた気がする。

    決して、言葉にすることが全てだと思っていない。言語化、非言語なんて分け方はナンセンスだと思っている。自身の言葉になる前のものは、どうやったって言葉にはなり得ない。そういう絶望があるからこそ、言葉を尽くそうと思える。だから書いてみる。今は特に書く必要があった。

    それでもどうも息苦しさがある。息を吸いたい、と思う。いや、既に吸いすぎているのかもしれない。息を吐けたらと思うが、吐き切る前に吸ってしまう。

    そういえば、ダイビングに夢中だった頃、初めて潜ったときを振り返ったり、初心者を見ていて思ったりしたのは、息を吐くことだけをすればいいのに、ということだった。

    生身では呼吸できない水中で、わざわざタンクを背負ってまで呼吸をしているのに、息を吸わなきゃと焦っても、貴重なエアーを消費するだけで、ちっとも楽にはならない。

    息を吸えなくなるかもと思うと怖いけれど、むしろ息をできるだけ長く吐いてみる。息を吐くのだ。ふぅーっと。吐ききったと思うところから、さらに吐き続ける。肺の形が変化しているのがわかるぐらいに、でもゆっくりと。そうすると、その反動で息を吸う。徐々に落ち着いてくる。すとんと、その場にちょうど一人分の自身の存在を感じられる。吸おう吸おうではなく、とにかく吐く、吐き切る。肺の中の空気を出し切る。やがて、息を吐くことがどこか心地よく思えてくる。息を吐いて吸うだけで、水中で身体は上下する。やがて呼吸を通して、バランスを取れるようになってくる。私はダイビングではなく、息を吐くために潜っていたのかもしれない。

    そういう感覚を携えていたのだけど、ダイビングからすっかり離れてしまった。数年前に久しぶりに潜ってみると、その感覚は見事に失われていた。

    どうしても息を吸おうとしてしまう。そうなると、吸っても吸っても苦しい。息を吐くことを忘れてしまいそうになる。息を吐けばいいと知っていたから、後半は落ち着いてきたし、きっとまた定期的に潜れば戻る感覚なのだろうけど、あのときの私はもういないのだと、少しかなしかった。

    そういう感覚に今は近いのかもしれない。きっと、息を吸ってばかりいる。だからずっと息苦しい。そうか、これは息苦しさだったのか。

    身体が空気を吸い込もうと必死になっている。肺が新鮮な空気を求めている。だけど、そのためには、肺の中を空っぽにして、それが入る余地を作る必要がある。それなのに、私は今入っている空気を溜め込んだまま、苦しい苦しいと、新鮮な空気を渇望していたのかもしれない。

    息苦しいというのは、ずっと続く状態に思われるが、きっとそうではない。苦しい、欲しいと言っても、一向に新鮮な空気はやってこない。手一杯だったものをゆっくりと手放していく。空っぽな自分を想像すると怖いが、徐々に明け渡していくと、不思議と新しいものが収まってくる。

    きっと私はまだ何かを手放したくないと思っているんだろうな。それが何なのかがよくわかっていない。それでも、こうして書いてみると、確かに少しだけ息を吐けたような気がする。

    息を吐くと、自身の重さがすとんと腑に落ちるような感覚になる。ちょうど一人分、そこに在る。たったこれだけ。世界の物質と比べてしまうと、なんとも頼りなく、すぐに吹き飛ばされてしまうような重さである。

    だが、どこか妙に可笑しく思えてくる。感じるのは軽さではなく、重さである。どんなに重量は軽くても、重さとして、重量として確かに存在している、してしまっている。何も持ち合わせていない自分を許せると思えるのだとしたら、それはむしろ歓待するような状態であるのかもしれない。

    軽薄という言葉があるが、軽くて薄いなんて、息を長く吐いて、しっかり生きている証拠じゃないかと思う。


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    生活と言葉がぐるぐると螺旋を描き始める、静かにふつふつとする文化を掘り起こす、書店と出版の活動「Cahiers」(カイエ)をはじめました|ZINE『いえのあいだで』|ポッドキャスト『共存人類学研究会』『古典を読む会』|埼玉|https://lit.link/hirochrs

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