いわゆる「プロ」には2種類いるという洞察
エンターテインメントや芸術の世界を語るうえで、どうしても事前に定義しておかなければならない重要な視点がある。というか、これもどこかで言っておきたいと思っていたことだ。
それは、いわゆる「プロ」と呼ばれる人々には決定的に異なる2つのタイプが存在するということだ。まずその定義付けをしてからでないと、これらの話をするのは適切でない! というくらいに私は思っている。
一方は、自らのエゴや世界観を表現する「芸術家(アーティスト)」。
そしてもう一方は、圧倒的な技術と適応力で要求に応える「職人(エンジニア・デザイナー)」である。
この2者の違いを理解していないと業界の構造も作品に対する評価の本質も見誤ることになる。
1. 常に78点を確実に出す「職人・エンジニアタイプ」の存在
音楽業界を例にとってみよう。
表舞台で脚光を浴びるアーティストの裏にはスタジオミュージシャンやスタジオ作曲家、レコーディングエンジニアといった存在が多数蠢いている。
彼らは、例えば以下のような発注を受けた際にその真価を発揮する。
「このアイドルに、今度こういうトーンの曲を作ってほしい」
「このアニメのOP用に、こういう世界観の楽曲を」
「この歌手の声を活かせるバラードを」
彼らは例えそこに自分の魂を絞り出した「一生モノの傑作」を込めずとも、要求仕様に対して的確に最適化した「78点の完成度」を安定して納品することができる。どんなにツマラナイ題材であろうともだ。(逆に言えば、真のアーティストたるもの、その題材自体が面白くなければならない)
これは職業として見ればとてつもなく凄まじい職能だ。自分の名前で大ヒットを飛ばさずとも他者の作品を大量に成立させることで業界の血流となりプロとして食い続けていくことができる。
この構造は小説の世界(プロ作家)でも全く同じだ。
新人賞の下読みを担当したり、表立った大ヒット作はなくとも長年執筆で食えている作家たちは、編集者からの
「このレーベル向けのラブコメを」
「この読者層に刺さるミステリーを」
という依頼に対し商品として成立する原稿をブレずに仕上げる力を持っている。
2. なぜ彼らの作品は「面白くない」のか?
しかし、このエンジニア/デザイナータイプのプロが作る作品にはある種の限界や物足りなさが付き纏う。端的に言えば「尖りがなくて面白くない」のだ。
なぜなら、彼らの作品には「この人間でなければ絶対に出てこない狂気や偏執、歪んだ世界観」が希薄だからだ。ルールに詳しく技術が高いだけだからだ。
彼らの仕事は個人のエゴを解き放つことではなく、与えられた題材や制約に対して「綺麗に最適化すること」にある。どんなにつまらない題材であっても及第点まで引き上げる安定感と引き換えにエッジの立った鋭利さは削ぎ落とされていく。
芸術家(アーティスト)として彼らを見たとき、我々が物足りなさを感じるのはまさにこの点にある。
3. ユニット文化の裏に透ける構造
この「職人(エンジニア)」と「フロントマン(表の顔)」の組み合わせという構図はJ-POPの歴史や現代の音楽シーンにおいても非常に普遍的なシステムとして機能している。
例えば、かつて一世を風靡したEvery Little Thing(ELT)における伊藤一朗氏のような立ち位置をはじめ、近年のユニット——capsule(中田ヤスタカ)、YOASOBI、ヨルシカ、ずっと真夜中でいいのに。、MYTH & ROIDといった面々にもどこか類似した空気感が見え隠れする。
もちろん、高野寛、織田哲郎、中西圭三、大沢誉志幸、樋口了一といった面々は、自身の大ヒット曲を持つ一級の表現者たちだ。しかし彼らの根底にも依頼を受けて的確な仕事(スタジオワークや楽曲提供)をこなせる高度なエンジニア的・職人的資質が濃密に存在している。もし自身のヒット曲がなかったとしても、彼らは優秀なスタッフや作曲家として業界で確実に生き残っていたはずだ。
「スタジオミュージシャン」という職業があるが、言うなれば彼らは「スタジオ作曲家」なのである。
4. 「職人の世界」へ至るための高い壁
若い頃からこうした「エンジニアタイプのプロ」の存在に気づいていた者なら一度は「なんとかしてそのルートから業界に入り込めないか」と考えたことがあるのではないだろうか? 表舞台でスポットライトを浴びる過酷なカリスマ勝負ではなく、確かな技術を武器に裏から業界を支えるプロフェッショナル。
しかし現実にはそこにも高い参入障壁が存在する。
音大や専門学校で純度の高い技術体系を修めて就職ルートに乗るか、あるいは一度アーティストとして表舞台に出て実績を残すか……といった明確な「入場券」がなければその職人の座にすら就くことはできない。
まとめ
更に別視点でこう、まとめても分かり易かもしれない。
これは何のジャンルにも言えて、
例えば「プロの作家」と一言で言っても完全に2タイプに分かれると思っていて、
A:芸術家として売れまくっているプロの作家と、
B:仕事として正確な文章を依頼されて書いている様な、プロのライターみたいな活動をしている作家
……の2タイプだ。
これは他の事にも言えて、それらで例えても更に分かり易いと思うのだが、例えば政治家と官僚だ。
あまりよく知らない人から見れば、大臣と事務次官はどちらも同じところで働いていて区別がつかないと思うが実はその性質等が全然違う。
もっと分かり易い例で言えば、「芸術家」と「デザイナー」の違いだ。
芸術家というのは自分の表現したいことを発明的に世に出している人だが、デザイナーは自分の意志ではなく、依頼があってそれを完璧にこなして出している人だ。だからデザイナーは「前例」の無い物を作る仕事ではない。が、芸術家はむしろ「前例」があったら作る意味がない。
で、私は常にこの「芸術家」のタイプで、「デザイナー」の連中が割と好きではない。一般人から見れば芸術家とデザイナーは混同されがちだが、実はこの両者の間では言葉も通じないくらいの壁や溝があると思うのだ。
己の狂気と世界観を刻み込む「芸術家」
どんな要求にも78点の解を提示する「職人(エンジニア)」
エンタメや芸術の業界はこの両輪によって回っている。
「プロ」という言葉をひとくくりにするのではなく、今、目の前にある作品がどちらのロジックによって生み出されたものなのかを見極めること。それこそが作品の深層や業界のダイナミズムをより深く解読するための第一歩となるのだろう。
しかしそれはただ単に「商業ベースに乗っている作品か否か」の違いではない。むしろその作者の根本的な性格に近い部分の話だ。
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