
#8 『ダジャレ好きの天才プランナーに出会った日 チェック&チェック物語 前編』 | 第8章 新企画はダジャレで5万件目標&エピローグ
ライバル企業現る
海外編発行の頃より社員がかなり増え始めた。開拓スタッフだけでなく、クライアント営業の責任者まで。そのため、その頃チェック&チェックの提携企業数もかなり増えていった。
ある日その営業責任者から社長はこんな話を聞かされた。
最近、新しい提携先の営業で、チェック&チェックの採用を検討してくれていたいくつかの企業が違う会社の企画を採用したとのこと。
その会社の企画内容を調べると、加盟店舗数をはじめ、店舗ラインナップや特典内容もチェック&チェックよりかなり見劣りしていたが、1点だけ負けていた。
全国47都道府県に加盟店があることだった。
当時チェック&チェックは20%OFF以上の加盟店を全国で3000件以上ネットワークしていたが、全国主要8大都市だけだった。
採用する側の大手企業は自社会員が全国にいてるため、加盟店の特典内容よりも全国に加盟店があるということを重要視していた企業が多かったのだ。
そんな話を聞いた社長は負けず嫌いの性格に火がついたようで、すぐにその会社を蹴散らすことを決めた。そして次の企画の構想を考え始めた。
こっちは47都道府県どころか、全国津々浦々まで、至るところに加盟店網を構築しようと。
ちょうどその頃、各クレジットカード会社はカードの年会費の値上げを考えていた。
クレジットカード会社の収益源は加盟店からの手数料もしかりだが、会員からの年会費も大事な収益源のひとつである。
そのカードをよく利用している会員なら多少の値上げでも気にはしないが、全くカードを利用せず、タンスの中に仕舞い込んでいた会員には年会費が落とされていることも忘れていた会員も多かった。
年会費値上げが決まれば当然会員へ告知しなければならず、タンスの中に眠っていたカードが大量に解約されるのでは、と収益低下を恐れていた。
そのため、各カード会社は決済機能以外の会員サービスの充実に力を入れた。あるカード会社は昔からある会員サービスを今頃になってアピールしていた。そして多くのカード会社は新たな会員サービスを探していた。
社長はカード業界の動きを察知し、新たな企画の構想を固めた。
またダジャレで5万件約束
新しい企画PMCのコンセプトは汎用型割引システムであった。
チェック&チェックが提案型企画に対して、どこの町にも加盟店があり、ガイドブックがなくても加盟店とすぐにわかり、特典が使えるといった内容だ。
具体的なスキームはこうである。
加盟店は企画に申し込みすればすぐその場で、加盟店の印である企画名のロゴステッカーを店頭に貼付し受け入れを開始。
特典内容は割引にこだわり、飲食店、美容室などは10%OFF、物販店は5%で統一した。
チェック側は取材や撮影した店舗情報を定期的にクライアント側へ提出し、企業側でガイドなどを作成したり、既存発行の会員向け会報誌などで加盟店と企画をPRして利用促進を促した。
クライアントは企画採用と同時に、自社発行のクレジットカードやメンバーズカードなどにカード切り替えのタイミングで企画名である「P」、「M」、「C」のいずれかのマークを券面に印刷する。
会員はその券面のマークを同じステッカーが貼ってある加盟店で提示すれば特典が受けられる。
ちなみに当初マークは「P」と「C」の2種類だけで、「P」マークが住友VISA限定で、以外の企業は「C」マークの採用だったが、途中である理由で「M」マークが登場することになる。
住友VISAへ企画構想を初めて説明した時に担当者より、加盟店数の規模感を聞かれた。
企画採用に前向きではあったが、担当者としては社内稟議を通すためにもインパクトのある件数を期待した。
そのとき社長は、
「至るところに加盟店を作ります。“ごまん”とあるので、5万件を目指します。」
といつものダジャレのノリで目標件数を伝えた。
社内で新しい企画の説明と目標件数を聞かされたとき、誰もが、5万件は絶対に無理と思っていた。
外注を使わず、社内スタッフだけで開拓する考えだったので。
周りから件数の見直しの意見を言われたが社長は方針を変えず、プロジェクトを始動させた。
クライアントからのひとことで企画マークをひとつ増やす
現場は開拓準備を進め、社長や営業責任者はクライアント営業で積極的に動いた。
「P」マークは住友VISAを中心としたVISAジャパングループで採用が決まっていたが、当時バブルとはいえ高額の企画契約料を提示していたので、先方の社内決裁や契約書締結までかなり時間がかかっていた。
そのため、住友VISA以外のクライアントで「C」マーク採用企業を早く決めていきたく、各業界大手企業に営業をかけていた。またある広告代理店大手からも企画販売の申し出があったので、そちらにも営業活動してもらった。
そして、いくつかの大手企業に「C」マークの採用が決まり始めたが、一番早く契約書締結してくれたのが、ある消費者金融の大手企業だった。
世の中の業界イメージはあまり良くはないが、企画採用してくれた会社はしっかりとした企業であった。社員教育も徹底されていたようで、本社の担当者と何度か打ち合わせしたが、全員が紳士的な対応であった。
ただ、業界イメージをあまり良く思っていなかったのは、他のクライアント担当者も同じであった。
当時はほぼ全社員がこの企画プロジェクに関わっており、俺は大阪の第2開拓チームのリーダーとして採用面接、新人スタッフの指導や自らも店舗開拓して、土曜日も結構休日出勤していた。
ある土曜日、俺も入れて数名が出社して仕事をしていたときに、東京の流通大手企業で、「C」マーク採用内定企業の担当者から社長に電話が入った。
「社長、あの業界まで企画営業されていたんですが。ちょうど今から役員会へ企画採用の最終提案をしようとしていましたが、この業界の企業も同じマークを採用していると役員が知ったら稟議が通りませんよ。なんとかしてください。そちらの契約を破棄できないんですか。」
どうも一番目の契約締結企業の情報がその担当者まで伝わったようである。
なんとかしてくれと言われても、一度契約書締結したことを簡単には破棄することはできず、また、企画契約料も事前に前払いしてくれていたので、社長には契約破棄の考えは全くなかった。
ただ、このままこのクライアントの契約が流れてしまうのを食い止めたかった。
考えたすえに社長はその場で、担当者に返事をした。
「今回の企業さんとの契約を破棄することはできません。代わりにそちらさん用に新しいマークを追加させます。会社名から1文字とって「M」マークにします。詳細は改めて書面で報告しますので、それで役員会の稟議を通してください。」と。
そう伝えクライアントとの電話を切った後にすぐに俺たちが仕事していたところにやってきた。
「あんな、企画のマークを1個追加することになった。Mマークや。それでマークの名称がまだ決ってないんや。なんかMから始まるいい言葉がないかなー。」
企画のマークにはそれぞれ名称があった。
「P」マークは「プライムクラブ」、「C」マークは「C―システム」だった。
「社長、英語の単語でメープルがあるので、例えばメープルサークルとかはどうですか?」
誰かが返事をすると、社長は
「それええな。その名称に決めるわ。」と言ってすぐに自分のデスクに戻り、デザイナーにMマークのロゴ依頼を電話して、先ほどのクライアントへの報告書を作り始めたのだ。
風とともに去っていった社長の後ろ姿を追いながら、俺は心の中で叫んだ。
「まじか!。またひとつマーク増やすんかい。しかも、そんな簡単にマークの名称を決めてええんかい」と。
ただ、自分が決めたことは周りから反対されてもやり遂げるのが社長だった。
こうして、この企画はPCからPMCへとマークが追加された。そして「M」マークについては一業種一社に絞ることで企画のブランドイメージを上げて、各企業からは独占料としてそれなりの企画契約料を得ることができた。
クライアント営業はこの一件が落ち着いてからは順調だったが、開拓はあまり順調とはいかず、最初からかなり苦戦した。
そのため、社長も現場に降りてきて、自ら店舗営業もしていた。また、新しい開拓手法を考えるために一人で地方へ開拓出張して、新しいやり方を検証もしていた。
大変で苦しいときが長かったが、最終的には国内4万件、海外2千件の加盟店ネットワークを構築させた。当時としては世界最大級の優待加盟店数であった。

PMC開拓の思い出・・・知らずに有名店へ飛び込み営業
PMCの開拓手法は基本飛び込み営業で、一発勝負である。
①企画提案
②申込書作成
③取材シート作成
④店舗撮影
⑤ステッカー貼付
これらを加盟OKになればその場ですべて作業していた。
地方出張でそのエリアはその日だけの訪問であれば、朝から夜遅くまで作業をしていた。
そして、加盟店数も4万件を超えても、一部のクライアントよりピンポイントの地方エリアでの開拓依頼がちょこちょこと出ていた。
その頃は全国区のクライアント以外に地方企業や地方の銀行や信用金庫までが採用してくれたので、本店や本社があるその地方エリアには加盟店が必要だったためである。
そんな地方開拓専任者に俺が任命されて、他の企画の開拓もしながら、このPMC企画ではいろんな地方エリアに出張に出ていた。この頃は飲食店のみでの開拓だった。
この地方開拓のおかげで入社してから全国約40の都道府県を出張していた。
しかも県庁所在地だけでなく、ピンポイントの地方都市も多かった。
例えば、北海道の苫小牧市、山形県の酒田市、秋田県の大館市、愛媛県の西条市、長崎の佐世保市、などなど挙げればきりがないぐらいである。
その地方都市で秋田県の大館市へ行ったとき、ある有名なお店に知らずに飛び込みしてしまったのだ。
ある日クライアント営業部の担当者からいつものようにPMCの地方開拓の依頼があった。
「タニやん、今度は秋田市へ開拓に行ってほしいねん。それで秋田市内がメインやけど、1日だけ日帰りで大館市という町まで行って、そこで1件でもいいから開拓してほしいねん。クライアントからの要望なんで。」
「大館市?どこ?またそんな超地方まで開拓依頼をハイハイと受けてくるんや、この人は。」と、
心の中でつぶやいたが、いつものように開拓依頼を受けた。
大館市は秋田県の北部に位置し青森県に隣接しており、秋田市内より距離が100キロ、在来線で約2時間かかる場所だった。
秋田駅前のホテルに泊まりがなら市内開拓し、1日だけ大館市へ移動して開拓した。
午前中に移動して昼からの開拓だったが、思っていた以上にあまり飲食店はなかった。
何軒か飛び込みしても断られたり、飲食店も昼営業が終わればほとんどが店を閉めていた。
街中をかなり歩き回っていたときに、1件のお店を見つけた。
のれんが仕舞われていたので、当然休憩中とは思ったが、入り口の戸が少し開いていたので、飛び込んで声をかけた。
「すみません。店舗紹介の企画を担当している会社の者ですが、店長さんおられますか?」
店内は電気が消えていたが、すぐに明かりがついて、奥から年配の大将が出てきてくれた。
座敷に上がらせてもらって話を聞いてくれた。
企画説明を一生懸命にしたが、昔気質の大将は値引きをすることに抵抗があり、悩んだ末に加盟はできないと言われた。
ただ、俺自身のことを気に入ってくれたようで、
「にいちゃん、腹減ってないか?せっかくやからうちの店の料理を食べていけんか。」
と言ってくれて、名物のきりりたんぽ鍋をすぐに用意して出してくれた。
お言葉に甘えて料理を食していると大将が奥から1冊の漫画の単行本を持ってきた。
「この表紙の写真、この店で撮ったんや。ほらそこの囲炉裏でな。」
見せてくれたのはあの有名なグルメ漫画の『美味しんぼう』だった。
そしてなんとこのお店が実名で漫画の中で紹介されており、表紙の撮影もここで行われたとのこと。
比内鶏やきりたんぽなどの料理の素材のこだわりなどを話してくれた。
食事が終わったときに、大将は企画説明時に渡した企画マークと採用企業一覧のチラシを見て、
「ふーん、『P』、『M』、『C』ね。いろんな企業さんが採用してんねんな。割引は嫌やけど、もしこのマークを見せられたら何かサービスしとくよ。にいちゃんも仕事大変やろけど頑張りや。」
とあたたかい言葉をかけてくれた。
加盟はしなかったのでステッカーも貼付せず、店舗情報もクライアントへ連携することはないので、マークを提示する人はいないはずではあるが、大将の心遣いの言葉がうれしかった。
俺は少し感激して大将に丁重にお礼を言ってお店を出た。
その店の名前は『昔のきりたんぽや』だった。
社長の頭はすでに次の企画へ
住友VISAとのチェック&チェック提携の頃より日経新聞には会社のことやチェックの企画などが度々取り上げられたが、このPMC企画では新聞以外にいろいろなところで取り上げてくれた。
朝の情報番組、情報誌のクレジット特集号や、朝日新聞の週刊誌「AERA」、中には取材は受けていないが、有名な経済小説家の橘玲さんの本の中でも企画内容と会社のことを紹介してくれていた。
その後、PMC企画のサブブランドとして「N」「S」「A」の3つのマークが新たに加わった。
チェック&チェックの加盟店とPMC加盟店の両方で特典が受けられる特典マークである。
これによってさらに企画採用企業も増えていき、ますます会社は発展していった。
そんなとき、社長はすでに次の企画を考えていたのだった。
なんと今度は割引企画から180度方向転換した割戻(キャッシュバックやポイント)企画だった。そして、すでに割戻企画専用に子会社も用意していた。社名ももちろんダジャレでつけていたのだ。
エピローグ
割戻企画の構想を考え始めた社長は、その企画専用の子会社をすでに作っていた。
「PASTAカード」という社名で「ペイバック システム アソシエイション」の略としているが、
ダジャレ好きの社長ですからそんなカッコよく社名をつけるわけはありません。海外編のネーミングを見れば何から洒落で会社名をつけたかは、想像ができると思います。
PMCの開拓時代は辛い時もありましたが、海外出張をやり終えた頃はサザエさんシンドロームなんて言葉も知らず、週末は早く休みが明けて会社に出社して仕事がしたかったぐらいです。
会社や仲間や社長が好きで、仕事も楽しくやっていました。
そして、この会社はどこまで大きくなるんだろうと、心が躍っていました。
まさか最後の日を迎えるとは、このときは夢にも思っていなかった。
あとがき
ここまでこの小説をお読みいただき、ありがとうございます。
この小説は私が20年間務めていた企画会社、株式会社海外開発センターのヒストリーであり、前編は創業から割引企画全盛時代まで、そして私の自叙伝としても描きました。
日本初、世界最大級といった冠がついた企画を次から次へと立ち上げていったすごい企画会社です。
その会社を立ち上げたときの社長の事業への思いはC&Cの中でこのように書かれていました。
『Starting Small and Growing Big :The Essentials of Managing Growth』

もう一度生まれ変わっても、このおっさんと一緒に仕事がしたいと思える社長です。
一人でも多くの人に、「こんなすごい会社があったんだ。こんな社長がいたんだ。」と知っていただければ幸甚です。
筆者 ひろあき(タニやん)