
在宅って、“生活臭”があるから面白い
病院と在宅の違いって何ですか?
そう聞かれた時は私はたぶん、
「生活臭があることです」
と答えると思う。
もちろん、いい意味で。

初めて訪問の仕事をした頃、私は少し驚いた。
玄関には脱ぎっぱなしの靴。
つけっぱなしのテレビ。
干し途中の洗濯物。
食べっぱなしで流しにおかれている食器。
病院では見えなかったものが、在宅にはたくさんあった。
病院は“治療の場”だけど、在宅は“生活の場”なんだと改めて感じた。
実際にその空気の中に入ると、
「人がここで生きている」という感覚が想像以上にリアルだった。
訪問すると、その人の人生が部屋中に転がっている。
几帳面に並べられた薬。
昔の家族写真。
毎日きれいにされている仏壇。
なぜか大量にある同じお菓子。
壁に貼られたお孫さんの絵。
「あ、この人こういう人なんだな」
身体を見る前に、暮らしから人柄が伝わってくることがある。

逆に、部屋の荒れ方や空気感から“限界”を感じることもある。
ちゃんとしていた人ほど、急に生活が崩れる時もあったりする。
洗濯できなくなった。
ゴミが増えた。
食べた形跡がない。
でも本人は「大丈夫」と笑う。
在宅は、そういう小さな変化がすごくリアルで。
だから私は、在宅って“病気”だけを看る仕事じゃないと思っている。
その人がどんな生活をして、どんな人生を歩いて、何を大事にしてきたのか。
それが全部、家の中にはある。
もちろん、正しい支援だけではうまくいかないことも多い。だからこそ、支援は単純じゃない。
転倒リスクがあっても、本人は慣れた家具配置を変えたくないかもしれない。
「危ないから」だけでは動かない。
そこには、その人なりの生活のしやすさや、思い出や、長年積み重ねた感覚があるから。

塩分制限が必要でも、毎朝の味噌汁がその人の楽しみかもしれない。
家族からすると、
「やめさせてほしい」
になることもある。
でも本人からすると、
「それを取られたら何の楽しみもない」
だったりする。
安全だけを優先したらその人らしさが消えてしまうこともある。
どうしたらいいんだろう。何度も葛藤もしてきた。
在宅は、“正解”だけでは進めない。
そのバランスに今もなお、悩むことも多い。
でもだからこそ在宅は面白い。
私は、そこが好き。
その人らしく生きるって、たぶんすごく生活的なことだから。
病院では見えなかった、その人の暮らし。
私は今日も、その人の人生の続きを、少しだけ見せてもらっている。