
命は、まだ見えないのに、私の人生を変えてしまった。
命とは、不思議な存在だ。
目には見えない。
触れることもできない。
声も聞こえない。
それなのに、まだ会ったこともない小さな命は、一人の人間の人生を、こんなにも大きく変えてしまう。
私は長い間、「妊活とは、赤ちゃんを迎えるための時間」だと思っていた。
病院へ行くこと。
薬を飲むこと。
検査を受けること。
体を整えること。
そのすべては、未来にいる赤ちゃんへ向かう準備なのだと信じていた。
でも違った。
何万人もの願いに寄り添い、数え切れない涙を見届けてきた今なら、はっきりと言える。
妊活とは、命を迎える準備ではない。
一人の人間が、「生きる」ということを学び直す時間だった。
人は、思い通りにならない現実に出会ったとき、自分という人間を初めて知る。
「どうして私だけ。」
「何がいけなかったの。」
「あと何年待てばいいの。」
誰にも言えない問いが、夜になると静かに胸を締めつける。
朝になれば笑顔をつくる。
職場ではいつも通り働く。
友人には「大丈夫だよ」と返事をする。
でも、その「大丈夫」は、本当の大丈夫ではない。
心は毎日、小さく悲鳴をあげている。
私は、その悲鳴を何度も聞いてきた。
ある人は、スーパーで赤ちゃんの泣き声を聞いて涙が止まらなくなった。
ある人は、友人の妊娠報告を見てスマートフォンを閉じ、そのまま何時間も動けなかった。
ある人は、「おめでとう」と送信したあと、一人で声を殺して泣いた。
誰も悪くない。
赤ちゃんも悪くない。
友人も悪くない。
それでも苦しい。
だから、自分を責める。
「私は心の狭い人間なんだ。」
違う。
私は何万人もの人生を見つめてきたから、迷わず言える。
それは、心が狭いからではない。
それほど深く命を愛しているからだ。
人は、本当に大切なものの前では弱くなる。
本当に守りたいものの前では泣く。
それは人間として、とても自然なことだ。
私は妊活を通して、たくさんの「喪失」を見てきた。
時間を失った人。
自信を失った人。
笑顔を失った人。
未来を信じる力を失った人。
でも、その方々は同時に、目には見えないものも手にしていた。
人の痛みが分かる優しさ。
夫婦で本音を話す勇気。
親への感謝。
今日という一日を大切に思う心。
何気ない「おはよう」が、こんなにも温かいのだと知る感性。
苦しみは、人生から何かを奪う。
でも苦しみは、人にしか育てられないものも残していく。
私は、お空の上の小さな命を思うことがある。
もし本当に見守っているなら、その命は「まだ会えない」と悲しんでいるのではない。
「今日もママは生きた。」
「今日もママは誰かに優しくできた。」
「今日もママは希望を捨てなかった。」
そんな毎日を、静かに誇らしく見つめているのではないだろうか。
だから私は思う。
命は、お腹に宿る前に、人の生き方を変える。
まだ姿も見えない。
まだ声も聞こえない。
それでも、その存在は、人を優しくし、人を強くし、人を深くする。
私はこれまで、多くの「おめでとう」を見届けてきた。
でも同じくらい、多くの「ありがとう」を見届けてきた。
「先生、主人と笑えるようになりました。」
「先生、自分を少し好きになれました。」
「先生、あの頃の私を抱きしめてあげたいです。」
その言葉を聞くたびに思う。
奇跡とは、陽性判定の日だけに起こるものではない。
絶望の中で、もう一度人を信じられた日。
自分を責めることをやめられた日。
生きていてよかったと思えた日。
それもまた、人生の大きな奇跡なのだ。
だから私は、妊活を「命を待つ時間」とは呼ばない。
それは、一人の女性が、人として深くなり、愛することの意味を知り、自分自身の人生をもう一度信じられるようになるまでの旅だ。
もし今日、この文章を読んでくださったあなたが、今も何かを待っているのなら、どうか忘れないでほしい。
待つ時間は、空白ではない。
あなたが流した涙も、眠れなかった夜も、誰にも見せなかった笑顔も、そのすべてが、未来のあなたをつくっている。
そして、いつか振り返ったとき、あなたは気づくはずだ。
「あの時間は、命を待っていた時間ではなかった。」
「あの時間は、人を愛し、自分を愛し、生きることを学んだ時間だった。」
その物語は、誰とも比べることのできない、あなただけの人生である。