
幸せと童貞
「幸せになることを諦める」と話してくれた友人へ
「幸せ」はそんなに大層なものじゃないと思うよ。
童貞がセックスに幻想を抱くように、人は経験したことのないものに大きな期待を寄せる。セックスをすれば人生が変わると思っていても、実際に経験すると「なんだ、こんなものか」と感じる人は少なくない。
幸せも同じではないだろうか。
私たちは「幸せ」という言葉に壮大なイメージを抱いている。幸せになれば不安がなくなり、満たされ、これからの人生が輝くのではないかと思っている。しかし、その理想が大きすぎるからこそ、目の前にある幸せに気付けないのかもしれない。
手に入れた瞬間の高揚感は消え、日常になる。
そして人はまた次の幻想を探し始める。
心理学ではこれを「ヘドニック・トレッドミル(快楽順応)」と呼ぶ。人は良い出来事にも慣れてしまうという考え方である。
ふと「もしかして今の自分は幸せなのではないか」と気付いたとしても、実際には劇的な感動があるわけではない。
きっとその時に感じるのは、「なんだ、こんなものか」という拍子抜けに近い感覚だろう。
「こんなものか」と言うと価値がないように聞こえるが、人は結局、その地味なものが失われた時に初めて大切さに気付くことが多いからだ。
なぜなら、本当の幸せは特別な出来事ではなく、積み重ねた日常の中にあるからだ。
誰かと笑い合うこと、美味しいものを食べること、安心して眠れること。積み重ねた日常は、手に入れた瞬間から当たり前になっていく。
幸せが見つからないのは、幸せが足りないからではなく、幸せに過剰な幻想を抱いているからなのかもしれない。
だからね、
「幸せになることを諦める」なんて言わないで私と一緒に美味しいご飯でも食べようよ。