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6枚目のクゞが倉えた運呜 ―― タむ移䜏14幎、40歳「子䟛郚屋おじさん」の脱出劇

    はじめに

    14幎前、私は40歳で「独身子䟛郚屋おじさん」だった。

    厳密には自宅でSOHOず呌ばれた圚宅ワヌクをしおいたが、䞖間の目から芋れば立掟な「負け組」確定だったず思う。
    圓時はただ既婚か独身か、どの倧孊を出たかで人の䟡倀が決たるような颚朮が根匷く、倚様性ずいう蚀葉も、LGBTQずいう抂念も䞀般的ではなかった。

    そんな息苊しさの䞭で、40歳にしお海倖移䜏を決心した。
    決め手ずなったのは「神様からの啓瀺」ずいう、いささかスピリチュアルな盎感だった。

    今振り返れば、あの遞択がなければ党く違う人生になっおいただろう。
    しかし、運だけで今の幞せを掎んだわけではない。
    この14幎の間に経隓した幟倚の苊難が、私を䞀回りも二回りも成長させおくれたのだ。
    私の歩みが、今人生に迷っおいる誰かの指暙になれば幞いである。


    第䞀章 移䜏の決心ず、運呜を倉えたプラス枚

    圓時、倧阪で䞀人暮らしをしながら䌚瀟勀めをしおいた私は、将来ぞの䞍安ず孀独感に抌し぀ぶされそうになっおいた。
    唯䞀の歊噚は、同䞖代より早くから觊れおいたパ゜コンスキル。
    奜きだからこそ独孊でWEBやデザむンの知識を増やし、なんずか食い繋いでいた。
    しかし、組織に銎染めず転職を繰り返し、結局は実家に戻っお個人で仕事を始めるこずにした。

    「SOHO」ずいう響きに優越感を抱いおいた時期もあったが、珟実は厳しかった。
    営業も経理もノりハりがなく、行き圓たりばったり。
    そんな折、玍品先の未払いが重なり、生掻は䞀気に窮地に立たされる。
    絶望感に苛たれおいた時、たたたた立ち寄った神戞の䞭華街。
    そこで催されおいた「春節祭」の華やかな空気に、荒んだ心が掗われるのを感じた。

    「日本以倖の囜は、どんな景色なんだろう」――そんな憧れが芜生えた瞬間だった。

    そんな䞭、祭り䌚堎で芋぀けた、1回200円のクゞ匕き。
    1000円分(5回)だけ匕こうず列に䞊んだが、自分の番が来た時、口から出た蚀葉は「6回匕きたす」。
    なぜキリが悪い1200円分にしたのか、今でもわからない。
    5枚目たではハズレの粗品。そしお運呜の6枚目。

    そこには、映画のような奇跡が蚘されおいた。
    なんず『等の海倖旅行』が圓たったのだ。嘘みたいな本圓の話。

    党身に電気が走った。「海倖ぞ行きなさい」ずいう倩啓だず確信した。

    春節祭が1月23日。タむぞ降り立ったのが4月12日。
    わずか3ヶ月足らずで移䜏たで挕ぎ着けたあの決断力ず行動力は、今でも圓時の自分を耒めおあげたいず思う。

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    圓時の蚌拠写真。No.00002は1等だった。

    第二章 タむでの怠惰な生掻。「自由」の勘違い

    タむでの生掻が始たるず、私はずにかく浮かれたくっおいた。
    初めおの海倖生掻ぞの期埅に加え、到着した翌日からはタむ正月「゜ンクラン」が始たった。
    街䞭が狂ったように氎を掛け合う、噂通りのカオスな祭り。
    私も氎鉄砲を手に氎飛沫の䞭ぞ飛び蟌み、「こんなに楜しい祭りがこの䞖にあるのか」ず心の底から感動した。
    頭の䞭は完党にお祭りモヌドだった。

    仕事はコヌルセンタヌを遞んだ。
    日本語だけで働けるので、語孊力がなくおも海倖で働きたい日本人に人気の職皮だ。
    圓時、PC操䜜さえできれば採甚されるず蚀われおいた。私もそれで難なく採甚しおもらえた。
    日本より絊料は栌段に安いが、珟地の倧孊新卒よりは倚くもらえた。

    ここで䞀぀、自分でも驚く倉化があった。
    日本にいた頃には考えられなかった「家蚈簿を぀ける」ずいう習慣が身に぀いたのだ。
    物䟡の安さもあり、莅沢をしなければ貯金たでできる。
    最初の「成長」だった。

    しかし、自由は人を怠惰にする。
    タむ人の友人ができ、蚀葉の壁を勢いだけで乗り越えおいた圓時の私は、たさに「怖いもの知らず」だった。
    週末ごずにクラブぞ繰り出し、朝たで遊び歩く。
    将来のこずなど䞀文字も考えず、「今が楜しければそれでいい」ず刹那的な快楜に身を任せおいた。


    第䞉章 運呜を倉えた出䌚いず転職ず楜芳的思考

    そんなある日、䞀人のタむ人ず知り合った。
    他の誰ずも違う独特の雰囲気に、匷く惹き぀けられた。
    二人の距離が瞮たるのに時間はかからず、半同棲から、い぀の間にか䞀日の倧半を共に過ごすようになった。

    時を同じくしお、私は転職を決めた。
    元々持っおいたITスキルを掻かせる仕事だ。
    この堎所が、その埌の私の人生を支える䞻戊堎になるずは、圓時はただ知る由もなかった。

    関係が深たる䞭で、パヌトナヌから衝撃の事実を告げられた。
    タむ人ではなく隣囜の囜籍であるこず。そしお圚留ビザのない䞍法滞圚状態であるこず。
    思うように働けないパヌトナヌを私が逊う圢になったが、それでも生掻は回っおいた。
    タむ囜内を旅し、思い出を積み重ねる日々。
    ただこの頃の私は、「なんずかなる」ず楜芳的な甘い考えの䞭にいた。


    第四章 溶けおいく貯金ず、「誰かのために」生きるず決意した日

    平穏で楜しい日々が氞遠に続くず信じおいた。
    しかし、その願望は無惚に厩れ去る。

    パヌトナヌの倧病が発芚したのだ。

    もちろん保険などない。怜査ず治療に䞇単䜍のバヌツが、文字通り溶けるように消えおいった。
    毎月の高額な薬代をすべお負担し、䞀時は貯金が底を぀いお同僚に借金たでした。

    「結婚もしおいない盞手に、ここたでしおこれから自分はどうなるんだろう」
    「もし、自分たで倒れたら  」
    抌し寄せる金銭的な䞍安。
    出口が芋えず、いっそ二人で自死したほうが楜になれるのではないか、ずさえ考えた。
    それでも、目の前の呜を助けたい䞀心で、私は必死に仕事にかじり぀いた。
    自分䞀人のために生きおいた日本にいた頃にはあり埗なかった、「誰かのために必死になる」ずいう感情。
    それは、絶望の淵で生たれた、私の最倧の成長だった。


    第五章 コロナ犍の残酷な別れず絶望からの埩掻

    パヌトナヌは結局、ビザの問題で母囜ぞ垰るこずになった。
    離れおいおも、毎月欠かさず仕送りを続け、幎に数回は䌚いに行った。

    しかし、運呜は残酷だった。
    䞖界䞭を襲ったコロナ犍。
    囜境は封鎖され、䌚いに行くこずすら叶わなくなった。
    パヌトナヌの䜏む田舎では医療も機胜せず、十分な治療を受けられないたた、パヌトナヌはこの䞖を去った。

    葬儀は、矩理の姉がネット電話で䞭継しおくれた。
    画面越しに映る、暪たわる最愛の人。
    私はただ泣くこずしかできなかった。
    3䞇バヌツの葬儀代を送金し、氞遠の別れを告げた。

    「人はい぀か死ぬ」ずいう蚀葉の、本圓の重さを知った。
    胞がはち切れるような心の痛みは䞀生続くかず思ったが、時間が経぀に぀れ、䞀぀の決意に倉わっおいった。
    これから残りの人生は、誰かのために生きたい、ず。


    第六章 新しい家族ずの出䌚いず静かな生掻

    コロナ犍ずいう荒波の䞭でも、幞い私には仕事があった。
    旅行䌚瀟に勀めおいた友人が職を倱い垰囜しおいく䞭で、私はタむに螏み止たるこずができた。

    これを「運」ず蚀わずしお䜕ず蚀おうか。
    日本に戻る遞択肢はなかった私にずっお、この囜に居られるこずぞの感謝が蟌み䞊げた。

    パンデミックが明ける頃、新しいパヌトナヌずの出䌚いがあった。
    それを境に、生掻のリズムは䞀倉した。
    あれほど奜きだった倜遊びをピタリずやめた。
    倜の繁華街ぞ行くのは日本から友人が来た時くらいに制限した。
    終電があるうちに垰り、無駄遣いを削っお将来のための貯蓄を増やすこずにした。

    「老埌の蚭蚈」を考え始めたのも、この頃だ。
    長く生きるこずに執着はないが、定幎埌もこの囜で静かに暮らしたい。
    前のパヌトナヌずの蟛い経隓から、今のパヌトナヌには意識しお優しく接するようになった。
    些现なこずで怒るこずもなくなり、数幎経った今でも䞀床も喧嘩をしたこずがない。
    ようやく手に入れるこずができた、心穏やかな安定した生掻。
    今の私にずっお、この平穏を守るこずこそが䜕よりの優先事項になった。


    第䞃章 これからの私 ―― 埮笑みの囜に居続けるために

    私は幎に䞀床だけ、日本ぞ垰省する。
    その床に日本で感じるのは、日本人の隙のない真面目さず匕き換えに倱われた「心の䜙裕」だ。

    日本人は自分にも他人にも厳しい。
    察しお、タむ人は自分にも他人にも優しい。

    困っおいる人を攟っおおけないタむ人の粟神、ノンビリずしたマむペヌスさ。マむペンラむ気にしないでずいう蚀葉が倧奜きだ。
    この「ゆるさ」こそが私にずっお䜕よりの救いだった。

    14幎前、タむに来た頃の私は「今が楜しければいい」ずいう子䟛のような人間だった。
    しかし、最愛の人ずの死別を経お、今隣にいおくれる人を倧切にしたいずいう想いが、私を倧人にしおくれた。

    神様の啓瀺が思い蟌みだったずしおも、日本にいたら絶察に出䌚わなかった二人の存圚が、今の私の生きる掻力になっおいるのだ。


    おわりに

    「今、人生に迷っおいる人たちぞ。」

    私の経隓は特殊すぎお参考にならないかもしれない。
    けれど、これだけは䌝えたい。

    「自分に合った環境」を自ら探し、動くこず。

    仕事、人間関係、お金。
    それらのストレスから自分を救い出せるのは、結局のずころ、自分の足で䞀歩螏み出す決断だけなのだ。

    垞倏のタむの空の䞋、私は今日も些现な幞せに感謝しながら、自分の手で人生の物語を綎っおいる。


    #創䜜倧賞2026 #゚ッセむ郚門

     
     

    BKK_KAN

     
     
    バンコク圚䜏10幎以䞊のデザむナヌクリ゚むタヌの50代のおっさん。 倚趣味すぎお時間が党く足りたせん。想像劄想の䞖界に篭りがち。 趣味はAI生成、カメラ、動画線集、䜜詞、線曲、楜噚挔奏、MV制䜜、堎末巡り、散歩などなど 同じ趣味の仲間募集䞭。

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