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The Pink Panther_#6邂逅

    浅井叶

    #6邂逅

     その後、どうやって事務所いえまで帰り着いたのかは俺もよく覚えていない。が、こうして無事に根城で朝を迎えられたのだ。万事ヨシとしたい。
     したかった……。
    〈おはよう。タイタス・ホーガン〉
    「うゎあああああ!!!!」
     昨夜の拘束具の少女が枕元に立っていた。大慌てで飛び起きた俺はすぐさま得物を少女へ向けていた。いや、こんな大型マグナムを住処で撃ブっ放すことは避けたいが、命は惜しい。
    「タイタスー? 帰ってたの? 連絡寄越さないから心配したのよ……?」
     声を聴きつけてリュドミラがやって来た。
    「どうしたのよ朝っぱらから大きな声出して……って、誰よその娘こ?」
     そしてドアを開けるや疑うは痴情ハレンチ。リュドミラの言葉には怒気が乗っている。落ち着いてくれ相棒ハニー、そういったこと,,,,,,,をするなら向けるのはマグナムはマグナムでも下のマグナムだ。
    「知らん!」
     いや、知ってはいる。知ってはいるが……記憶の限りだと俺を助けてくれた後彼女は沈黙していたはずだ。深傷ふかでを負った俺がそのまま担いで帰ってきたような記憶はない。
    〈──ワタシはエリス。T.P.S.-βエリス。アナタは?〉
     真っ赤な瞳がリュドミラを覗き込む。無垢、といった調子で昨夜名乗ったそれと同じ個体識別名コードネーム(?)を口にした。
    「T.P.S.!? ──ってまさかタイタス!」
     リュドミラは絶句し、タイタスの襟首を掴んで揺する。揺すられながらも、彼はただ首を振るしかなかった。事実、何がどうなってこの状況になったのか彼だって説明がほしい側だ。
    「だから知らねぇって言ってるだろ! ティーピーエスって何だよ。サードパーソンシューティングか?」
    〈Titan Prometheus Series〉
     ぽつり、少女──エリスと名乗るT.P.S.が口にする。その声は至って冷淡で機械的な調子だ。
    「Augmented Tactical Limb And Synapseアトラス──その技術を応用したプロメテウス……ネクサスの極秘技術よ」
    「は──? プロメテウス……だと…………?」
     そこまで聴けば俺も合点がいった。同時、溺れたかと錯覚するほどの苦しさを覚える。
    「プロメテウスって……俺たち新東都公安機動部隊SPSを壊滅させた、あの……?」
     2年前、表向きには権力闘争の末に解体──ということになっているSPS。しかし、実態は解体でなく消滅と呼ぶべき凄惨な顛末だった。
     国家──新東都サテライト直属の公安と民間軍事会社PMCであるネクサス、どちらがサテライトの治安維持を真に担うかという権力闘争の果てではあるのだが、ネクサスが強行──もとい凶行に出た。
     ──超兵器、プロメテウスの導入である。
     SPSの本部へ差し向けられた不滅の人型兵器。当時、牙城に詰めていた隊員23名を──半刻足らずで全滅せしめた殺戮の暴威。それがプロメテウス。
     タイタスは特命を受けて出ていたがために難を逃れた。逃れてしまった──唯一の友、敷島圭太郎と共に逝くことも能わずに。
    「あのとき、SPSの連中が全滅したのも……こいつのせいってことかよ!?」
     特務から帰還したタイタスを出迎えたのは大紅蓮地獄のような夜。最期の断末魔さえも凍てついたかと思わせる──極点の冷気に満たされた沈黙の死地。同僚たちの冷凍遺骸。氷柱に閉じ込められたオブジェのように氷漬けにされた者、瞬間冷凍された肉体を殴り砕かれバラバラにされた者、それからそれから……今でも瞼の裏に焼きついて離れない。
     エリスはトラウマに震えるタイタスを睥睨してもやはり、無表情のまま答えた。
    〈いいえ。それは同胞が成したこと〉
     エリスの冷たい声色がタイタスの神経をどうしようもなく逆撫でた。
    〈当時の戦闘記録はワタシの記憶領域には存在しないわ〉
    「都合のいい作りだな……」
     リュドミラも顔をしかめた。
    「そう……ね。この子はβ。SPSを襲ったのはα……先行技術実証型」
     タイタスと同じように別命──ネクサスでのスパイ活動で出ていたために命拾いしたリュミドラが言葉を補う。
    「……」
     タイタスは鉛を飲み込んだような重く湿った沈黙を落として、視線をエリスに向ける。彼女もまた、真っ直ぐに瞳を返す。真紅の双眸。冷たいが、どこか人間の眼のような、憂いにも似た何かを宿しているように見えた。
     ……いや、それはきっと錯覚だ。兵器に情などあるものか。
    「で、βさんよ。お前は何しに俺んとこ来た? 否いんや──何で俺を助けた?」
     エリスは少しだけ間を置いてから、静かに口を開いた。
    〈それは……ワタシにも、まだ答えが存在しない〉
    「は……?」
     思わず声が漏れる。思ってもみなかった言葉にタイタスは眉を顰める。彼女は機械らしく感情の欠片も見せずに言い切った。だが、それが却って奇妙な誠実さを感じさせた。計算された言葉ではなく、ただ、あるがままの事実を提示しているかのようで。
     部屋の空気が静まり返る。リュドミラすら何も言わず、ただ視線だけをエリスに向けていた。
     やがて、タイタスは短く息を吐いた。
    「チッ……めんどくせぇ女だな、まったく……」
     そうぼやいて、タイタスは背を向ける。だがその表情には、怒りではなく、諦めでもなく、どこか複雑な苦笑が浮かんでいた。
    「──いや待て! お前兵器だってんなら発信機とかは……!?」
     意図的ではないにせよ、ネクサスの極秘兵器を強奪してきてしまったのだ。捜索されているに違いない。
    〈無いわ。プロメテウスの基礎設計として電磁干渉・電波干渉に強く作られているもの〉
    「こりゃまた都合のいい作りだなオイ」
    「ねぇ、タイタス……この子を、しばらく……」
     ここに置こうと言うんだろう。
    「囲って、様子を見ながら利用する……と」
     悪い女だぜリュドミラ・クズネツォフ。
    「いいえ。可愛いからよッ!!」
    「はァ!?」
    「こぉんなに可愛い女の子を! くぉぉんな汚れた街に放り出すわけにはいかないじゃない!」
     いや、確かに見てくれは悪くないが……兵器なんだろ? そんな理由で…………。と思っている間に、リュドミラはエリスのために己の服を何着も持ってきた。
    「オーバーサイズで可愛いのとなるとこのフーディーあたりかしら? Tシャツも悪くないわね」
     そう言って次々に服をあてがう。
    「タイタスはどっか行ってなさい! この子着替えさせるんだから!」
     蹴り出された。俺の部屋なのに……。
     仕方なくベランダへ出て、ウィンストンの箱を取り出す。まだ三分の一は残っていたか。一本抜いて火を点ける。紫煙が静かに肺へ染みていく。無造作に手摺へ肘をかけ、深く息を吐いた。
     紙巻、決して特別旨いわけではないし、吸いたくて堪らないというほどではない。なら何故吸うかと言えば、健康寿命という貴重な資産を浪費するという贅沢を楽しんでいるのだと思う。朝、忙しなく行き交う人々を見下ろしながら一服するという自由職ならではの味わいもこの無益な行いを味わい深いものにしてくれる。
     灰皿代わりの缶に何本目かの吸い殻を突っ込み、二本目に火を点ける。紫煙がまた宙を舞う。過去現在未来に何のかんのと思いを馳せながら、部屋の奥から微かに聞こえる何か楽しげな華やいだ調子の姦しさに笑みが零れた。
     一服を終えてリビングで茶をしばいていたところへリュドミラの声。
    「見て見てタイタス! 可愛いでしょう?」
    〈可愛いでしょう?〉
     あのベルトまみれのモノクロ拘束服から着替えた金髪少女を連れてリュドミラが出てきた。
    「へぇ……」
     馬子にも衣裳というやつか、思わず息が漏れる。稀代の殲滅人造人間プロメテウスであることなんて忘れそうになるほどの美少女がそこには居た。リュドミラが満足げに頷きながら、エリスの肩に手を置く。
    「でしょ? この子、素材が良いんだから、ちょっと手をかけてあげればちゃんと花咲くのよ!」
     最新鋭の殺戮兵器だけどな──なんて口をついて出かけたが、リュドミラが物言わぬ防人くんドローンを愛玩動物のように可愛がっていることを思えば、こうなることも必然かと気付き口を紡ぐ。偉いぞ俺。よく出来ました。
     エリスはいつもの無表情のままだったが、どこかそわそわと落ち着かない様子で、裾の長いフーディーの袖を指先で摘まんでいた。
     着せられているのは、リュドミラの私物のフード付きパーカー。淡い水色の生地で胸元にはフランス語で「自由Liberté」と刺繍された一着。裾はエリスの膝まで届いており、まるでワンピースのよう。
    〈下も履いているわ。安心なさい〉
     ガバと裾を捲り上げてデニムのショートパンツを見せつける。
    「やめろ馬鹿。はしたない」
     捲って見せるその仕草が良くない。
     髪までもリュドミラが丁寧にセットしたらしく、ゆるやかなウェーブをつけ左右非対称に結われている。
     確かに可愛い。のだが、当の本人はといえば──
    〈けれど、この服装は戦闘用には不向き。防御性能も皆無〉
     と、淡々とコメントする始末。
    「可愛いから大丈夫よ」
    〈可愛いは有効かしら?〉
    「当然」
     何に使うんだ、とは思いつつも触れずに問う。
    「──で? オメカシしてどこ連れて行く気なんだ?」

     ●

    「というわけなんだわ──んだこりゃ!? これ美味いな!」
     タイタスは粒あん揚げブリトーチミチャンガを頬張りながら、事態の経緯を説明した。
    〈甘くて美味しいわ〉
     隣のリュドミラが「太りそぉ……」と眉を顰めているのもお構いなしに件の少女も同じものをぱくつく。
    「──事情は分かった」
     安藤礼華は腕を組み、頷く。
     ピンクパンサーの一行がオメカシして訪れたのはGOZ、安藤礼華の工房であり今回の依頼主ロバートの居候先だ。用がある人には悪いが事情が事情、シャッターを下ろして「準備中」とさせてもらう。が、当の依頼主クライアント様はお眠らしい。テメェが寄越した依頼で命を落としかけたんだから文句の一つくらい言わせてもらいたい。そして何より、持って帰ってきてしまったプロメテウスをお上へ上納したくて仕方ない。
    〈ワタシのオジサン〉
     そんな俺の思惑をよそに、エリスが頓珍漢なことを言い出す。何だ? 早速不調エラーか? ポンコツが。
    「せやな」
    「はぁ?」
     おいおいおいオヤジまでボケ始めたか? アンタまだ55だろ? しっかりしてくれよ……。
    「韻鏡十年といった顔やな……馬鹿弟子が」
    「彼はプロメテウス……Titan Prometheus Seriesの技術立証者よ」
     俺の表情から察した様子で、リュドミラが言葉を補足した。
    「技術立証……って!」
    〈T.P.S.-αアイテールを生み出した男。アンドレイ・ミハイロヴィッチ・カールソン。通名、安藤礼華〉
    「せや。──このβはワシのそれを元に作ったんやろうな」
     悪びれもせず、腕を組んだまま首肯する。
    「お前今までどういうつもりで俺の面倒見てたんだよ!? ──何考えて俺たちに仕事寄越してたんだよ! 答えろ爺ジジイッ!!」
     赫怒の焔が一気に点火した。タイタスは師父の胸座を掴み、拳を振り上げた。安藤はそれを捌くことも出来たろうがしかし、甘んじて彼の怒りを受け止める覚悟を示した。
    「タイタス……それを言うなら私もよ」
    「は……?」
     タイタスは安藤から手を解く。
    「──私がSPS時代、技術スパイとしてネクサスに潜入していたのは知っているでしょう?」
     リュドミラはタイタスが落ち着き、腰を下ろすのを待ってから言葉を紡いだ。
    「ああ」
     修士課程の女がSPSに引き抜かれて、二足──いや、スパイ先での活動も含め三足の草鞋をしているのが居ると敷島ゆうじんから聞いたのが彼女を知ったキッカケだった。同世代の活躍を素直に凄いなと感心したことをよく覚えている。
    「そのときの上司……開発チーフが安藤礼華──アンドレイ」
    「ああ」
     それも知っている。
    「私は小型のリアクターの開発をしていたの。名称を『ノヴァフレア』。微量のエネルギーから莫大な出力を取り出すための革新的な技術。完成させたわ。当然、世のためになると信じてね」
     このエネルギー枯渇の時代、それが完成していれば大発明だ。しかし、そんな物が流通している話は聞かない。
    「それがプロメテウスに使われたの」
    「……ッ」
    「プロメテウスの根幹技術はワシが作った。より正確には──その前進となるアトラスを作ったのもワシや」
     自慢げに補足した方の事情はタイタスも当然知っていた。
    「プロメテウスはアトラスの人体改造技術を応用した、人体を核に製造する人造人間──古今独歩の汎用人型兵器や。人の死骸を再利用出来れば兵の質も量も、単純計算倍になる」
     タイタスは、背筋に冷たい汗がじわりと伝うのを感じた。理屈はそうかもしれないが、それを実現することは人倫に反すると思えてならなかった。
    「ワシの既に悪かった脚を素材として……半身から作り上げたんがαアイテール。ただ当然骸を使う以上、動力源が必要になる。それもなるべく小型で膨大なエネルギーを生み出せる、な……。人体ってのは存外効率よぉ出来とんねん。再現──それ以上を成すのために作っとったんがノヴァフレアや」
     自分が信じ、頼り、父のように慕ってきたこの男が──そして仲間と未来を信じて技術を注いだリュドミラが──結果的に、あの地獄の源流を作っていたことを知る。
    「結果的に、ワシらの作った技術もんが──聖別を招いたんは事実や」
     聖別──SPS解体の契機となった事件。
    「それが──!」
     いけしゃあしゃあと宣う師父にタイタスは声を荒らげる。
    『技術者に罪は無ェよ』
     スピーカーから響いた眠気混じりの声がタイタスの声を──「それ以上言ってはだめだ」と遮った。
    「ロバート……」
    『道具はどう使うかだ。「道具を、技術を悪用したお前を逮捕する」お前がアタシに言ったんだ』
     それは確かに、かつてロバートをとっ捕まえたときに言った言葉だ。
    『おっさんや姐さんは悪くねぇ。悪いのはネクサスだ』
    「──そのネクサスに俺たちは負けた」
     タイタスの声は低く、絞り出すようだった。
    「SPSは潰された。仲間も死んだ。……全部、終わったんだよ。しかも奴らは懲りずにβだ? 笑わせる」
     拳を血が滲まんほどに握り込み、震えていた。
    〈今度は勝てばいいじゃない〉
    「は……?」
     エリスの平坦な声がタイタスの胸を貫いた。
    〈今度は勝てばいいじゃない〉
    「何を言って……」
    〈ワタシがいるわ。T.P.S.-βエリス──製造目的、T.P.S.-αアイテールの鎮圧。諸元スペックを開示〉
     エリスがそう言うと、モニターがひとりでに立ち上がり、ズラリズラリと大量の文字列が投影された。
    「これは……」
     安藤が目を見開く。
    「ワシを……αを止められる……止めるために作られた個体や」

     ●

    「何……? βが奪われただと?」
     レオリオの眉間に深く皺が刻まれた。
    「はい。配備したアトラスも尽く撃滅されておりました」
     秘書は淡々と事実を伝える。
    「なるほど──想定以上だ」
     レオリオは己のネクタイを僅かに緩め、一息ついてから締め直す。
    「考えられることといたしましては裏切者か──」
    「政府の犬SPSの生き残りか……」
     一咲かずさの言葉を遮るように、レオリオは言った。彼としては前者の線は薄いと見ている。確かにアトラスを撃破し得る存在として真っ先に考えられるのはアトラスである。しかし、そのアトラスへ成るには適格者であるかが検査され、加えて施術の前にはネクサスへの忠誠を試験する。狭き門である。そして、改造手術を受けた以後には名誉と報酬が約束される。飼い犬に手を噛まれるようなことのまずないよう万全を期していた。
     それでも、現に事件は起きた。
     この事態が示すのはただ一つ――敵が我々の想定を超える何かだということ。
    「アトラスに敵うという点ではβの覚醒きどうも考えられますが……」
    「ああ。その線だが……未だ目覚めたことのない眠り姫だ……何とも測りがたい」
     レオリオは椅子の背に深くもたれかかり、しばし天井を仰いだ。T.P.S.-β エリスはT.P.S.-αアイテールの制御を目的に製造したが、一度も本格覚醒を見せていなかった。しかし、もしもβの起動が認められれば──。
     敏腕副社長レオリオはその持ち前の勝負強さから強気な一手を選択する。
    「──計画を前倒し、γの試験運用を行う」
     T.P.S.-γ。2年前に鹵獲したプロメテウス適合のあったSPS隊員──その遺骸を核に製造した第3号プロメテウス。暴走の危険を孕むαの精神性を制御可能な水準にまで抑え込み、ようやく実用域に到達した調整型モデルである。
    「そこでβが──βを持ち出した者が釣れれば、αも導入する」
     T.P.S.-αアイテールは謂わばネクサスの鬼札。安藤の狂気と執念が産み落とした純粋なる暴。たった一度の覚醒を最後、今なお封印が解かれていないのはその強さのためではない。──制御不能だからだ。αアイテールの鉄鎖つがいとして開発していたβエリスが手元にない今、出来ることは限られる。
     裏を返せば、覚醒したβが現れさえすればその真価を試すことが出来る。世紀の大実験の幕開けとなろう。
     ──という理屈を秘書相手へ口八丁でレオリオは説いた。
    「承知しました。T.P.S.-γケルベロスの試験運用作戦を進めさせます」
     陶酔を滲ませる声で応じる秘書にレオリオは曖昧な微笑みを返す。
    (……ウォルト。あと少しだ)
     一咲の命を救ったアトラス1型ファーストアトラスレオリオ・サザーランド──彼の瞳に映るのはいつだって亡き親友ただ一人。脳裏に焼きつく彼だけがレオリオの真なる目的だった──。

     ●

     新東都サテライト商業地区──。
     海の匂いの僅かに乗った風を浴びながら、敷島美空は自動販売機の前で立ち尽くしていた。彼女が着ていたのは警官の制服でなく私服。半袖Tシャツ一枚にスキニーデニムとスニーカー、とてもカジュアルな装い。右手には封の切られていない缶コーヒー。それも最早「つめた~い」ではなく常温となっていた。
    「あぁ~あ……」
     敷島美空、本日4度目の「あぁ~あ……」であった。彼女は非番……というわけではない。謹慎──停職を言い渡されていた。理由は単純明快。先の晩に住宅地で発砲したから。
     彼女は正義のため、世のため人のために警察官となった。そして、人助けのために銃火を放った──結果が謹慎コレ。
     タイヤのバーストした二輪車──乗っていたひったくりの容疑者二名はそのまま単独事故を起こして軽傷。盗まれたバッグは少々汚れてしまったものの無事。当然、空薬莢も回収した。……だというのに、彼女は称賛されるどころか始末書5枚に謹慎処分。──正しさの何たるかくらい考えたくもなるというものだ。
    「や!」
    「えっ?」
     不意に声を掛けられ、美空は思わず肩が跳ねた。
    「敷島巡査……だよな?」
     男は「制服じゃないから自信なかったぜ」と笑う。
    「はい! あ、あぁ……えっと、タイタス……さん?」
     美空は彼の顔を見て「今は違うかもしれません」なんて口を尖らせた。先日出会ったハリキリガールの様相は薄れ、どこか物憂げな少女のようだったのがタイタス・ホーガンには印象的だった。
    「まさか辞めた……わけではないみたいだな」
     同時、敷島美空は先日出会ったタイタス・ホーガン氏から感じた……いや、何も感じ取ることの出来なかった印象とはまるで違う。決意や自信に満ちた印象を抱いた。それは口調だけではない。身に纏う気配が同僚や、亡き兄のそれに似ていた。公安職特有の鋭利さが滲んでいた。
    「はい。……お休み中です」
     言葉を濁す。
    「なら都合良い。手を貸してくれ。一緒に圭太郎の仇を取らないか?」
    「は? どういう……え、どうして、兄の名を……」
     美空の黒い瞳が揺らぐ。呼吸が浅くなっていく。
    「彼の……いや、俺の友人だから──」
     そう言ってタイタス・ホーガン──否、夏来剛は身分証を二枚取り出す。
    「なッ……!?」
     手品の如く彼の手から躍り出たのは二枚のIDカード。一枚は先日確認した「タイタス・ホーガン」のそれ。もう一つは「夏来剛」という男のそれ。
    「これは……?!」
    「どっちも俺の。良く出来てるだろ? タイタス・ホーガンの方は偽造さ」
     男は「ははっ」と笑って見せびらかした。
    「え!? えぇっ……!? でも確かに照会できたはず……た、逮捕します!」
    「オフなんだろ?」
     タイタスは苦笑して言う。
    「こんな薄い顔してタイタス・ホーガンなんて名前おかしいだろ」
     テメェの顔を指差して言った。
    「それは差別になりますよ」
    「おっと! そりゃ失礼」
     最近の子はちゃんとしてんな、などと思いつつも真剣な表情を作って本題に戻る。
    「敷島……君のお兄さん、圭太郎はネクサスによって謀殺された」
    「はい……? 兄はただの巡査長だったはずです。謀殺だなんてそんな……」
    「それは君を心配させまいと吐いた嘘だ。奴は俺と同じ、SPS──新東都公安機動部隊のエージェントだった」
    「──噓ですよね? え、待ってください。何が何だか……」
    「殉職したというお兄さんの遺骸が上がらなかったのは何故だ? 君だって考えたことがあるだろう」
     戸惑う親友の妹に、事の経緯を説明した。──SPSが解体された契機であり隊員のほとんどが虐殺された事件『聖別』の事。聖別を逃れた……逃れてしまった俺たちの事。俺自身の事。
    「ネクサスに恨みがある。殴り返さないと気が済まない」
     そして、これから行う事を……。
    「そんな……だとしても、そんなこと許されませんよ……」
     当たり前だ。それが罷り通れば私刑だらけの血で血を洗う無法世界になってしまう。
    「それでも行く。それがこれからの世のためになると信じるから──」
     そう言って、手を差し出す。
    「俺は、俺達は万屋──」
    「……っ…………!」
    「君の無念も俺が晴らす。万屋、『ピンクパンサー』が」
     そう強く宣誓したと同時──商業地区の外れ、倉庫街の方向から爆音が轟いた。地面が微かに揺れ、周囲の人々が一斉に悲鳴を上げる。
     美空は反射的に腰へ手をやるも、当然得物は持っていない。
    「やる気はあるみたいだな……俺と来い!」
     タイタス・ホーガンは敷島美空の手を握り、駆け出した。

     
     
     
    自称シナリオライター兼剣術家

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