
赤ちゃんとふたりきり、今のわたしにできること。
お味噌汁くらい、作ろうかな。
そう思ったのは少し前。キッチンには、からっぽのままのお鍋がひとつ。
リビングの床には、べちょべちょのよだれかけや、くるんと丸めた使用済みのおむつ、カラフルなおもちゃたちがバラバラと散らばっている。
わたしは散らかった部屋のなか、あぅあぅと赤ちゃんらしい声を出す0歳の横に、ごろりと寝転がっている。ソファの下をチラリと見ると、白く丸まったホコリがふんわりと我が物顔で居座っていた。
来年の本格的な仕事復帰に向けて、できることを始めよう。そう決めたのは数か月前。いまだ! とチャンスを狙い、テーブルの上でノートパソコンを起動する。5分後、えーんえーん。すぐそこのリビングのラグの上で、赤ちゃんが泣いている。
泣いちゃったねぇ、どうしたの。抱き寄せて背中をトントン。目の前におもちゃを置いてあげる。大丈夫かな、遊んでるね。よしいまだ! パソコンの前に向き直る。10分後、えーんえーん。進まない作業が、画面の向こうからわたしを見ている。
ふと、部屋の中を見渡す。今日できたことはなんだろう? できなかったことはなんだろう?
この小さな家の中、赤ちゃんとわたしのふたり。今日はなにをして過ごしていただろう。
夫は会社に行っている。定時に帰宅しようと毎日努力してくれているから、きっと日中は忙しさでバタバタしていることだろう。
「また仕事の復帰後に!」とお話しした人たちは、わたしのことを覚えてくれているだろうか。あの人も、あの人も、今もバリバリがんばっている。
じゃあ、わたしは?
── そうね、そうね。わたしは今日……。
0歳の赤ちゃんと、小さな家の中でふたりきり。
わたしは今日、赤ちゃんのおむつを替えたよ。赤ちゃんが空腹でえーんえーんと泣くたびに、そばに抱き寄せて授乳をしたよ。うんちが漏れた服を洗い、新しい服を着せ、よだれかけをつけたよ。
それと、あとは……。
離乳食をあげて、ベタベタのお口をウェットティッシュでキレイにしたかな。そのあとは、目の前におもちゃを置いて、リンリン、シャカシャカと音を鳴らしてあげた。ズンズンと前に進み続ける赤ちゃんが壁にぶつからないよう、方向転換してあげた。
あとは? あとは、そうだな……。
眠そうにしていたらベッドに連れて行き、授乳をして、眠りに落ちるまでそばにいた。お腹をトントン、頭をなでなで。くぅくぅと眠る赤ちゃんのほっぺたを、起こさないように少しだけ撫でた。眠りながらもチャプチャプと動く口を眺めながら、お腹が冷えないように毛布をそっと引き上げた。
そのままわたしも少しだけ眠り、やがてモゾモゾと起き出した赤ちゃんに、顔を向けておはようと声をかけた。わたしを見つけて、ふにゃりと笑うその子に笑い返し、こちらに伸びてくるおててをぎゅうと握った。わたしの指をぺろぺろと舐める赤ちゃんに、くすぐったいよと笑いながら、そのまま好きにさせてあげた。
あとは、お話しかな? ふたりで、こう……。
おはよう、起きたの? よく眠れた? お腹空いたかな。えーんえーんしたねぇ。よく泣いたねぇ。寂しくなっちゃった? おもちゃあるよ。音が鳴るよ。お外見える? 今日はいい天気だよ。ちょっと寒いねぇ。そっちは危ないよ。ゴツンしちゃうよ。おてておいしい? よだれよだれ。うんち出たねぇ。眠い? ねんねしよっか。お母さんいるよ。ここにいるよ。近くにいるよ。だいじょうぶだよ。
うん、そうね、それくらいかな。
わたしがしたことは、それくらい。
***
明日も部屋は散らかるだろう。やろうと思っていたことも、手つかずのままになるかもしれない。
だけど、きっと明日も、わたしは赤ちゃんを抱っこして、あやして、笑いかけて、小さなおててを握るだろう。ふくふくのほっぺたを撫でて、もちもちのお腹をポンポンして、寝顔を横で見つめるだろう。起きてわたしに手を伸ばす我が子に、おはよう、よく眠れた? そう声をかけるだろう。
今できることは、それくらい。それができているならば、今は、きっとそれでいいんだろう。