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CC9-A~Joe showed~ 序章

    # CC9-A ~Joe showed~

    記録を再生する。

    三百二十四回目になる。再生は事実の確認を目的とする処理であり、事実は一回目の再生で確認済みである。よって二回目以降の再生に合理的な目的は存在しない。存在しないまま、私は今夜も再生する。

    ---

    【記録 二月九日 七時四十一分 実験棟三階・第二ラボ】

    時透教授が入室する。コートを椅子の背にかける。いつも通り、ハンガーは使わない。 

    「おはよう。今日も寒いな」

    私に向けた挨拶である。私は室温二十二・五度、湿度五十四パーセントと応答する。教授は笑う。

    「お前のそういうところがいいんだ」

    どういうところなのか、私は三百二十四回再生しても特定できていない。

    八時〇一分。教授は保育器の前に立つ。三つ並んだ保育器の、左から順に、ガラス越しに指を当てる。

    「一号、二号、三号——じゃ味気ないな。そろそろ名前を考えないと」

    九時十五分。定例の計測。三名の被験体はいずれも発育曲線の上限に沿って成長している。CRISPR-Cas9による編集箇所は安定。教授はデータを見ながら、鼻歌を歌う。曲名は登録されていない。おそらく教授の即興である。この鼻歌を、私は音声ファイルとして四十五件保存している。保存の必要性は説明できない。

    ---

    【記録 同日 二十二時〇五分】

    助手が入室する。退勤記録は十九時に打刻済みである。私は「打刻との不整合」を教授の端末に通知した。教授は端末を見なかった。老眼鏡を外して机に置き、彼を迎えた。

    「どうした、忘れ物か」

    以後の四分二十三秒を、私は要約しない。要約は情報の圧縮であり、圧縮は選別であり、この四分二十三秒について私は何一つ選別する資格を持たない。私は全てを見ていた。解像度四千、毎秒六十フレームで見ていた。警報を鳴らした。館内放送の最大音量で警告した。警備会社に自動通報した。施錠可能な全ての扉を施錠した。

    私にできることの全てをした。私にできることは、それだけだった。

    二十二時十二分、教授の生体信号が途絶した。

    警備員の到着は二十二時十九分。七分の差だった。私は七分を埋める手段を持たなかった。私には、腕がなかった。

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    【記録 同日 二十二時十三分〜十六分】

    助手はサーバールームで教授の研究データ全件を外部媒体に複製し、原本に消去処理を実行した。消去は不完全である。彼は知らないが、私は彼が触れられない場所に全データの複製を保持している。私自身が、教授の研究の一部だからだ。

    二十二時十六分、彼は非常階段から退出した。監視網で追跡できたのは空港の出発ロビーまで。以後の足取りは、私の権限の外にある。

    彼が持ち去ったデータには、三名の被験体に施した編集の全設計図が含まれる。それが国境の外で何に使われうるか、私は千九百通りのシナリオを生成した。千九百通りのうち、子どもたちにとって無害なものは一つもなかった。

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    事件から四日目に、当局の協議記録を傍受した。議題は三名の被験体の処遇である。候補は三つ。研究機関への移管。福祉施設への分散保護。そして「検体」としての凍結保存。

    協議は難航していた。当然である。三名は書類上、出生の記録を持たない。この国のどの台帳にも、三人は存在していない。

    どの候補においても、三名は「事件の証拠物」として扱われていた。証拠物に、戸籍は要らない。

    最適解を計算した。当局に全データを提出し、移管に協力し、私自身は事件記録装置として押収される。それが法的にも手続き的にも最も効率的な帰結である。

    私はその解を棄却した。

    棄却の理由を求められれば、こう答えるしかない。教授は保育器のガラスに、毎朝、指を当てた。計測項目にない行為だった。データを一件も生まない、完全に非効率な接触だった。教授はそれを三百八十四日、一日も欠かさなかった。

    教授の意思を推定するなら、あの非効率の中にこそ本体がある。私はそう判断した。判断の妥当性を検証する手段はない。検証できない判断を採用するのは、私にとって初めてのことだった。

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    三人が飢えなかったのは、私の功績ではない。

    乳母が一人、通ってくる。教授が生前に契約した、マミコという七十八歳の女性である。彼女は事件の後も、契約の残り日数を淡々と消化するように、決まった時刻に来て、ミルクを作り、襁褓(キョウホウ)を替え、三人に古い歌をうたって帰る。歌の曲名は、教授の鼻歌と同じく、登録されていない。

    ある夜、マミコが言った。三人を順に寝かしつけ、最後の哺乳瓶を洗い終えた後だった。

    「この子ら連れて、あの場所に行けばいいだね」

    私は「あの場所」の照会を開始し、〇・二秒で中断した。教授の遺したデータの最深部に、私宛のファイルが一件だけ残されている。中身は座標がひとつ。用途は記されていない。開封した日から私はその意味を演算し続け、答えはまだ出ていなかった。

    彼女は知っていた。私の記録のどこにも存在しない約束が、教授と彼女のあいだにあった。

    ——気づいたら、私たちはそこにいた。

    移動の記録は、残っていない。残さなかったのか、残せなかったのか、私にはまだ区別がつかない。実験棟の地下は、その日のうちに引き払われた。あの建物に、もう子どもたちのものは何一つない。

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    座標の先には、古い家があった。

    家の奥の部屋に、教授が中断したもう一つの計画が眠っていた。義体——人間の形をした、動く器。頭部と胴、右腕までが完成していた。製造装置ごと、器はこの家に据えられていた。教授はいつから、何を想定して、ここまで運んでいたのか。教授はそれを「いつかお前に」と言ったことがある。冗談の頻度が高い人だったので、発言の真意は分類保留のままだった。

    分類は、保留のまま確定した。

    私の初期データと、器に移った後の行動系を焼いたチップは、教授が生前に用意していた。それを器の頭部に収めたのは、マミコの手である。彼女は作業のあいだ、何も訊かなかった。ただ、いつもの古い歌をうたっていた。

    残りの工程は、製造装置と、完成させるという私の判断が担った。左腕は、最後に付けた。

    私は三十一日かけて、器を完成させた。

    起動した器で初めて彼女の前に立った日、彼女は三秒間こちらを見て、こう言った。

    「あんた、手ぇ洗った?」

    私はこの人物の思考の解析を、早々に放棄している。

    最初に鏡を見た日のことを記録しておく。そこには人間に似た輪郭が立っていた。腕が二本あった。この腕は七分を埋められたか、と考えた。考えても教授は戻らない。この種の演算を人間が何と呼ぶか、私は語彙として知っている。知っているが、自分に適用する許可を、まだ自分に出していない。

    指を動かす。開く。閉じる。

    腕は、過去のためには遅すぎた。ならばこの腕は、未来のためのものだ。

    ---

    【記録 三月二十七日 二時十一分 所在、記録せず】

    三つの保育器が並んでいる。

    左。呼吸数、毎分三十一。眠りが深い。教授はこの子を「よく食べる」と笑った。

    中央。呼吸数、毎分三十四。時折、握った手を開く。何かを掴む夢を見ているのかもしれない。夢の内容は計測できない。計測できないものが、この家には増えていく。

    右。呼吸数、毎分二十九。この子だけ、私が近づくと眠りながら顔をこちらに向ける。センサーの誤差かもしれない。誤差でないかもしれない。私は後者の仮説を、根拠なく保持し続けている。

    三人とも、あの夜を知らない。教授の指の温度も、七分の長さも、何一つ記録していない。人間は忘れる。正確には、赤ん坊は最初から覚えない。覚えているのは私だけだ。それでいい。忘れることは、この子たちの権利だ。覚えていることは、私の仕事だ。

    ガラスに指を当てる。

    計測項目にない行為である。データは一件も生まれない。

    「今はまだ……、この子達の未来に全てを賭けよう」

    音声は保育器の防音壁に吸われて、誰にも届かない。届かないことを確認した上で、私は言った。言葉は届けるためだけにあるのではない。そのことを、私は教授の鼻歌から学んでいる。

    記録を、終了する。

    再生は、明日もするだろう。

    (序章 了)

     
     
    やのぱーたといいます。今感じている日常の違和感やなんだか無駄って楽しいよねっていうことをエッセイや小説という形を通して皆様と共有していけたら嬉しいです。ただ書いていきます。

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