
右利きのサウスポー|創作大賞2026|エッセイ部門
最初の揺れで、足元が消えた。床が波打ち、壁が軋む。しがみつくものを探すが、すべてが動いている。怒号が飛び交う。天井が剝がれていく。膝が笑い、指先が痺れる。
時すら崩れた。身体の感覚では、永遠だった。
セピア色の幼少時代、高校の道場、噛み噛みのプレゼン、論文に囲まれ悶える自分、教壇から見える学生たち、母の背中、父の最期――場面が次々と浮かんでは消えていく。
これが、走馬灯か。
そうか。私はここで死ぬのか。
携帯の画面越しにしか見たことのない、生まれたばかりの娘の顔が浮かぶ。まだ抱いたことがない。あの小さな手を、一度も握っていない。
最後に、幻の自分が問いかけてくる。「君は何を成し遂げたか?」と。社会のために生きると誓ったはずだ。なのに、何ひとつ形にできていない。答えられなかった。でも、惰性の末に死にたくはなかった。
左中段
身体が硬かった。走るのも嫌いだった。
同級生たちが華麗な上段回し蹴りを練習しているのを横目に、私は視線を逸らしていた。柔軟性のない関節で空高く足を上げるなど、リスクしかない。
「何をやらないか」を決めること。後に出会うマイケル・ポーターの言葉を知る由もなく、私は10代の至らない計算で「トレードオフ」を実行していた。
私が選んだのは、地味で、誰も見向きもしない「左の中段回し蹴り」だ。ただの回し蹴りではない。身体の移動と蹴りを完全に同期させ、円運動を直線に変える。横からではなく、前からえぐるように突き刺さる軌道。
全国の強豪たちは、この「システム」にハメられた。間合いが遠いからと油断した瞬間、腹に衝撃が走る。嫌がってガードを下げれば、ガラ空きの顔面に突きが飛ぶ。動けば蹴られる。守れば打たれる。相手を「詰み」の状態にしてから、淡々と作業のようにポイントを取る。
中でも最強の相手が、「西の龍」だった。
個人組手の3回戦。事実上の決勝戦と呼ばれた一戦だ。
彼が主将を務めた神戸の高校は、「西の虎」と呼ばれた一つ下の怪物と共に、団体・個人の組手、型、その全てを制覇する常勝軍団だった。彼は、4歳から空手着に袖を通していたという筋金入りのエリート。高校から空手を始めた私にとって、同じ歳でありながら、彼はあまりに高く、遠い壁だった。
試合場で向かい合った瞬間、同級生のはずの彼が、物理的に大きく見えた。まだ何もしていない。ただ構えただけだ。それなのに、放たれるオーラと気迫に押され、私はじりじりと後退させられた。
「待て」「場外」
「待て」「場外」
気がつけば二度、ラインの外へ出されていた。あと一歩下がれば「技あり」を取られる。もう後がない。
私は腹をくくった。オーソドックスな構えを捨て、サウスポーにスイッチする。「これしかない」。高校生活の全てを賭けて磨き上げた、唯一無二の武器。左の中段回し蹴り。
覚悟を決めて放った一撃。しかし、彼はそれさえも読んでいた。私の左蹴りの軌道に対し、左手一本でガードしながら、同時に右の上段突きを合わせてきたのだ。
——研究されていた。常勝軍団は、私の「左」を封じるためだけの練習メニューを組んでいた。
審判の旗が上がる。「有効」。ポイントは彼に入った。まったく同じことが、もう一度繰り返された。
0-2。終わった、と思った。
その時だ。本部席に座っていた最高師範が、突然立ち上がり、審判団を呼びつけた。
「蹴りの方が、速い」
判定が覆った。0-2の絶望が、1-1の五分へと戻る。その瞬間、視界にかかっていた霞が晴れた。巨大に見えていた「龍」が、ただの等身大の同級生に戻った。
流れは、こちらに来た。私はゾーンに入った。記憶が飛ぶほどの集中の中で、ただひたすらに、信じた「左」を蹴り続けた。相手の猛攻も、研究し尽くされたカウンターも、全てその左足一本で凌ぎきった。
結果は、3-2。私の勝利。あの最強の龍が、その大会で唯一喫した黒星だった。
しかし、決勝戦は違った。待っていたのは、常勝軍団のもう片翼、「西の虎」だ。
一つ年下の「怪物」。空手家の血統、幼少期からの英才教育、左右自在の身体能力。龍が「巧」なら、虎は「異次元」だった。私の「対・右利き専用ハメ技」は、彼が悠然とサウスポーに構えた瞬間、無力化された。
圧倒的な「リソース」の前に、小手先の「ポジショニング」が粉砕された瞬間だった。私の青春の戦略は、虎の牙の前に散った。
不思議と、悔しさはなかった。むしろすがすがしかった。自分の戦略の射程を、正確に測れた気がした。
空手はそこでスパッと辞めた。身体が小さく、柔軟性もなく、体力もない。この身体では続かないと見切った。10代最後の勝ち逃げだった。
二年後。大学の図書館で『What is strategy?』を読んだ時、鳥肌が立った。右利きの身体でサウスポーの軌道を生み出す。得意だからじゃない、相手が受けにくいから。何をやり、何を捨てるか。その選択こそが戦略だった。
「俺がやっていたのは、これだ」。ポーターの理論が、私の敗北と勝利のすべてを説明していた。
じしん
大学院に進んだ私は、大人の都合で「ファイナンス」という武器を持たされた。「将来、教壇に立つために必要だから」。戦略論を愛していたが、食っていくためのトレードオフとして、数字の羅列と向き合った。空手で言えば、嫌いな筋トレをさせられている気分だった。
博士課程は満期まで在籍した。しかし、論文が書けなかった。正確に言えば、書く気になれなかった。「私じゃなくても書けるもの」に命を削る理由が、見つからなかったのだ。
ある日、テレビのニュースに目が止まった。数十年ぶりに国内で確認された「狂犬病」の報道だ。解説に出てきたのは、その病気だけを長年研究し続けてきた一人の男だった。日の目を見ない研究室で、人類のために生涯を捧げる。彼の纏う空気は、あまりにも静かで、あまりにも重かった。
私は画面の中の「本物」と自分を秤にかけた。答えは明白だった。
「私は、こっち側じゃない」。
違和感は確信に変わった。だが、降りる決断はまだできずにいた。
そして、あの日が来た。
2011年3月11日。教授の付き添いで石巻にいた私は、あの揺れの中にいた。
しばらく携帯の電波は届いていた。やがてそれも途絶え、最後まで残ったのはいまはなきワンセグだった。声を発することのできない小さな画面が、街の呑まれていく姿をただ映し続ける。
天井の剝がれた教室で、三月の東北の夜を震えながら明かす。
翌日朝、私たちが避難した建物からわずか100メートル離れたところに、大きな魚が打ち上げられ空を見ていた。
あの夜、私は受信しかできなかった。声を出すことも、誰かを守ることも、何もできなかった。
あの朝、私は生まれ直した。後ろは、絶たれていた。ならば、私にしかできない構えを取る。
貪欲に貢献する。形にとらわれず、自分を生かす。遠慮はしない。
守るべき人たちがいる。その人たちが、志を持ったまま経済的にも豊かになれる仕組みを作りたい。研究室にこもるよりも、そちらの方がよほど私らしかった。
私は今、大学教授という肩書きを持ちながら、マーケットの構造変化を追い続けている。3万人にフォローされる株垢の中の人として。
論文は書かない。査読付きの学術誌に載る言葉よりも、目の前の人間の人生を動かす言葉の方が、私には切実だからだ。その代わり、ピンマイクに向かって思考を吐き出す。AIとの壁打ちは新しい日常だ。タイピングする時間すら惜しい。
ある時、研究室の合宿で近況を報告した。恩師は、本気で怒った。
「気をつけた方がいい」
愛情からの苦言だった。だが私は、その夜に決めた。フェードアウトする、と。
ポストのためだけに論文を書く人々の中で、恩師は例外だった。その例外にさえ、今の私は通じない。ならば、通じないままでいい。
私の人生は、私が決める。遠慮はしない。
私は私の土俵でしか戦わない。かつて「虎」に敗れたあの日とは違う。今の私には、武器があるのだから。
龍
昨日のことだ。さいたまでの講演を終えた私の前に、ひとりの男が現れた。
一瞬、時が巻き戻った気がした。30年近い歳月が経っているにもかかわらず、その立ち姿はあの頃のままだ。かつて拳を交えた、あの「西の龍」だ。
「1を話したら、5を理解してくれる。この間に濃い時間を過ごしてきたことがわかったよ」
別れ際、彼はそう言って笑った。
30年の時を経て、かつての敵は「同志」となった。住む場所も、戦うフィールドも違う。けれど、我々はそれぞれの場所で、守るべきもののために、泥臭く体を張って生きている。あの日の3分間、死に物狂いで拳を交えた記憶が、言葉以上の信頼となって今の我々を繋いでいる。
「今度、サシ飲みしよう」。そう約束して別れた。グラスを傾けながら、あの日の「幻の判定」の続きを語り合う夜が、今から楽しみでならない。
虎
龍と再会する少し前、教え子の結婚式で「西の虎」と居合わせた。彼は空手の道で生き、投資家としても成功している。人生とは実に面白い。
「あの日、実は必ず勝てる秘策があったんですよ。こちらがサウスポーで構えたら、ってやつ。それに、赤ちゃんの時から親戚の師範に鍛えられたので、鍛え方が違います」。彼はそう言って笑った。私の弱点を、彼は最初から見抜いていたのだ。
龍は「私の組手」に付き合って負けた。虎は「自分の組手」で勝った。
だが、私の「左中段」は今も健在だ。龍には通用し、虎には通用しなかった。それで十分だ。
「それより先生、あの有名垢の正体が先生だって聞きましたよ。良い銘柄教えてくださいよ」
虎とは、すでに裏の裏まで共有する仲間だ。