
背中の熱さ
真夏の海辺で、私は女の子をおぶって歩いている。
片手にはごみ袋。もう片方の手で、背中からずり落ちそうになる彼女を辛うじて支える。朝早くからごみ拾いをしていて、すっかり疲れた彼女は、「おんぶして」と言って、その場に座り込んでしまったのだった。
「なっちゃん。あついよ」
背中で溶けている彼女にちょっと文句を言う。私の文句に、彼女はへらへらと笑った。
彼女は私より背は低かったけれど、それでも立派な高校生。暑い中、人をおんぶしたままごみ拾いをするのは、なかなかの重労働だった。
そのうちに私も疲れてしまい、こっそりごみを拾うふりをして海辺を歩き回った。ばれないようにサボりながら、「海鳥が鳴いてるねー」なんて、他愛のない会話をした。
背中がとても熱かったのを覚えている。
なっちゃんとは、大学生の頃に所属していたボランティア団体で出会った。私より年下で、当時は高校生になったばかりだった。
大きくてきらきらした瞳。
猫のようなくせっけの髪。
小柄な身体で、よく食べ、よく動き、よく笑う。
明るくて元気で、そして何より、とても甘えん坊。隙があればくっついてくるし、疲れたらおんぶや抱っこをせがんでくる。
私にとって、なっちゃんは健やかさそのもののような子だった。
何かきっかけがあったわけではないが、そんな彼女の人懐っこい性格に、いつの間にか仲良くなっていた。
そのうち、ボランティアの活動がない日でもたまに会って遊ぶようになった。
ある日、なっちゃんに誘われて動物園に行った。なっちゃんは上機嫌で、ゲートをくぐるなり、「早く行こう」と私の手を引っ張る。いろんな生き物を前に、なっちゃんは小さな子どものように歓声を上げ、いつもよりもはしゃいでいるように見えた。
ただ、その日も容赦なく暑かった。前日あまり眠れなかったと言う彼女は、はしゃぎすぎたのか、途中で電池が切れたかのように足取りが重くなった。一番見たいと言っていたライオンを前に、眠そうな目をしてぼんやりしている。
声をかけてもあまり反応がないので、日陰のベンチに座り、お茶を渡した。「抱っこして」と甘えてきたので「いいけど、ここ動物園だよ」と一応宥める。
さすがに周りが気になったのか、少し不満そうにしながら、私の膝を枕にごろんと横になった。
私もお茶を飲みつつ、なっちゃんが疲れているし早めに切り上げようかな、などと考えていると、「うちで遊ぼうよ」となっちゃんが甘えた声で言った。
そうして、そのまま動物園を後にして、私はなっちゃんの家にお邪魔することになった。
なっちゃんの家に着き、スリッパを履いて部屋に入れてもらう。
初めて入るなっちゃんの家。
キッチン、ダイニングテーブル、家族の写真、生活の気配。
ごくありふれた部屋の中で、本棚だけ、雰囲気が違って見えた。
そこには、介助や就労支援についての本が雑多に並んでいた。
なっちゃんに重い障がいがあることを、私はもちろん知っていた。
けれど、私はあえて知らないようにしてきた。
私たちの関係性の真ん中に、彼女の障がいを置きたくなかった。
私たちは普通の友だちで、一緒によく笑って、海辺を歩いて、動物園にも行った。彼女が甘えてくるのに少し困りながらも、私はそれを、なっちゃんらしさとして受け止めていた。
その一方で、そうしていないと、私たちはただの友だちという関係性ではいられない気がしていた。
疲れているときにおんぶをしつこくせがまれて困ったことも、夜中に起きて、眠れない彼女に付き添ったことも、癇癪を起こした彼女が落ち着くまで隣にいたことも。ひとつひとつは大したことではなかったけれど、それらすべてを真正面から受け止めてしまうと、破綻してしまいそうだった。
だけど、なっちゃんの家で彼女の生活の背景に触れたとき、彼女が小さな身体で、どれだけたくさんのことに闘ってきたかを、私は改めて思い知ることになった。「そりゃあ、人に甘えたくもなるよね」と思ったら、それまで抱いていた不満が、なんだか無性に申し訳ない気持ちにもなった。
「なっちゃん。動物園、楽しかったね」
そう話しかけると、彼女は「うん」と、嬉しそうに飛び跳ねていた。
なっちゃんのご両親もとても優しい方たちだった。
「夜ご飯、食べていくよね?」となっちゃんのお母さんがにこにこしながら誘ってくださり、夕食をごちそうになった。
大皿に山盛りになった唐揚げが出されて、食卓は信じられないくらい明るかった。なっちゃんはずっとふざけているし、笑い話が途切れない。なっちゃんが大きな口で唐揚げを頬張るのを、みんなが笑いながら見守っている。
唐揚げは本当においしかった。
ひとしきりご馳走になった後、たくさんお礼を言って、なっちゃんの家を出た。
夜道をひとりで歩く。辺りが急に静かになったが、賑やかさの余韻が残っていて、全く寂しさを感じなかった。
そんな余韻に浸りながら、「こんなにあたたかく夕食を食べたのは、いつぶりだろう」と考えた。当時はひとり暮らしをしていたが、実家にいるときでさえ、こんなに食卓があたたかいことはなかった。
家族が全員そろっているのに誰も何も喋らず、ただ無機質なラジオが流れるだけ。もしくは酔っぱらった母の暴言だけが響く。私が思い出せる食卓は、そんなものだった。
育児放棄されていたわけでもないし、機能不全の家族だったとも思っていない。ただ、時々お酒を飲み過ぎてしまう母を中心に、家族全員の間で少しずつ、コミュニケーションがうまくできなかった。
だからこそ、なっちゃんの家でのあたたかい光景が、なんだかぐっときてしまった。もちろん、あんな風に笑っていられる日ばかりではないだろうし、私のために張り切っておもてなしをしてくれていたのかもしれない。
それでも、あのあたたかな食卓の雰囲気は、今日だけのために作り上げたものではなく、普段の関係性からつくられる、本物のあたたかさだったような気がした。
ふと、見上げた空に満月があった。
ひとりで歩く帰り道に、月さえもいつもより明るく澄んでいるように見えて、少しだけ涙が出た。
なっちゃんにとって、日常生活は、いくら訓練を重ねても容易いものではなさそうだった。彼女のことを何も知らない人が、お気に入りのポシェットを着けて、飛んだり跳ねたりしながら歩くなっちゃんを見て、冷たく笑うこともあった。
けれど、彼女はあたたかい関係性のなかで、まっすぐに生きていた。
そして、一方的に助けてもらう側でもなかった。
あるとき、真夏の屋外作業で私がへたり込んで動けなくなっていると、隣へやってきて「がんばろ!!絶対できるよ!!!」と、これ以上ないくらい、一生懸命に、熱烈に励ましてくれた。あまりにも熱烈な応援に、座りこんだまま笑っている私を見て、なっちゃんは私の手を引っ張り、起こしてくれた。
ほかにも、いつもは遠慮なく甘えてくるのに、突然、「私、負担になってない?」などと心配そうに私の顔を覗いてくることもあった。
甘えたい気持ちと、相手のことを気遣う優しさが、なっちゃんの中には同じようにあった。
それに、なっちゃんは、自分ひとりでどうにもできないときに、素直に周りに助けを求めることもできた。全部抱え込まずに、できないことは誰かに頼ってもいい。
人に頼ることが苦手で、ひとりで抱え込みがちな私にとって、その姿は少し眩しかった。
なっちゃんと出会う前、私は多分、障がいがある人との関係を、どこかで「助ける側」と「助けられる側」に分けて考えていた。けれど、なっちゃんと過ごすうちに、その分け方は何度も揺らいだ。
彼女は私を疲れさせることがあった。けれど、私を励まし、心配し、支えてくれたのも、同じなっちゃんだった。
支えることと、支えられること。頼ることと、頼られること。
その境目は、思っていたよりもずっと曖昧で、あたたかいものなのだと、私は彼女と過ごす中で少しずつ知っていった。
あれから、もう五年以上が経った。今、私たちは遠く離れた街にいて、連絡を取ることもほとんどなくなった。それでも、自分を取り巻く世界を冷たいと感じるとき、なっちゃんと過ごした時間のことを、ふと思い出すことがある。
真夏の海辺で、背中に感じた熱さ。
あの夜に感じた、あたたかさで心が満たされる感覚。
へたり込んだ私の手を、なっちゃんが引っ張り起こしてくれたときの手の感触。
楽しいことばかりではなかったけれど、あの時間は私にとって、紛れもなく大切な時間だった。
だから、なっちゃんにはずっと、あたたかい世界の真ん中で笑っていてほしい。
そう願うたびに、同時にまた私も、あたたかい世界で生きていたいと思い直すのだ。
背中に残ったあの熱さは、もうずいぶん昔のものなのに、今でも私の中で冷めきらずにいる。
