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神様病院入院中

    <作品あらすじ>
     
    平凡な生活をおくっていたつもりの鈴(主婦)
     
    ある日、目が覚めると同じ部屋の異世界にいた。
    とてつもなく奇麗な異世界の人に世話をされながら
    元気を取り戻し、過去を振り返り、越えていく。
    生まれてきた意味、大切な人生の問題点や現実の苦しみを
    異世界の人とのカウンセリングで越えていき理解していく。
    そして最終関門の対話に挑みます。
     
     
    鈴の見てきた世界を、ご一緒してください。
     
     
    ***
     
     
    目覚めると、もう暗くなった自分の家に見たこともないような美女が笑っていた。
    えーっと。状況がのみこめない。なんだっけ?そうだ、さっき急にめまいというか…覚えてないや、そこから。
    「お目覚めですか?」
    ニッコリと笑う、その美女は桜色のロングワンピースに同じ色のエプロンをつけ、古典的な艶々のストレートヘアで上品なメイドさんみたいな格好をしている。
    「……どちら様ですか?」
    現実感がないせいか、意外と冷静な声がでてきた。
    「ご挨拶いたしますね、わたくし鈴様御担当の看護師の『こころ』と申します。ご入院おめでとうございます。」
    ……あまりに意味が分からないと、人はとりあえず目の前のことを受け止めようとするのか、彼女、こころさん?を見つめながら、話を聞いてしまうというか……いやいや、待てよ?
    「入院おめでとうって、生きてきて初めて聞いた言い回しだけど。それにここは、私の家でしょう?意味が分からないです。」
    「そうですね、ご説明しなければなりませんね」
    ニッコリ笑う看護師って言っている、こころちゃんの笑顔は極上で、整いすぎていて、動く人形というか、まるで…
    「…天使みたい。」
    あ、思わず声に出てしまった。
    「さすが鈴さまは勘がよくていらっしゃる。似たようなものではあります」
    さらに美しく笑う、こころちゃん。
    …私、ついにここまでおかしくなってしまったか。変になったってことかなぁ。
    「自分で言っておいて何だけど、天使なんかいるの?」
    いるわけない、と思いながらもちょっと美しすぎる彼女から目が離せない。
    「目の前に、おりますよ」
    絶品の笑顔を撥ね退けられないなー。
    「天から使わされたものを、天使、と呼びますので、形はそれぞれですわ。」
    そうなのか、羽とかないから違うのかと思ったけど
    「出そうと思えば出せますが、お部屋の中ではいらないかと。ぶつかりますからね」
    理由が面白いけれど
    「……とりあえず、分かるように説明してくれる?」
    「かしこまりました。」
    またも極上の笑顔でそう言われて、いつの間にか横たわっていた私のベッドに、腰掛けるように座った。
    「ここは、鈴様のご自宅でありながら、今までのご自宅ではございません。使い勝手こそ今まで通りに近いのですが、こちらは違う階層にございます。」
    階層?パラレルワールドみたいなものかな?
    「そうですね、そのようなものと考えていただいてよろしいかと。」
    え?そう言えばさっきから、私、口に出してた?
    「ひとつ申し加えますと、こちらは特別な空間に配置されており、わたくしは天の使いとなりますので、鈴様が、ご自身でお話されようと、心で思い描こうと、すべてが言語としてわたくしに伝わります。」
    え?そうなの?悪口とか言えないじゃない…って、言うような悪口も無いけど。
    ふっと目を落とし、微笑むこころちゃんは続ける
    「皆様、口に出していないから大丈夫、という風に思いがちですけれど、現実世界でも、口にこそ出ていなくても、なんとなく顔つきや態度、眼差しにも、色々と思いは伝わっておりますことを、気づいてはおられませんね。こちらの世界では、なんとなく、というものが無い状態です。本当のこと、しかないという状態ですわ」
    目を伏せながら話すこころちゃんは、さながら奇麗な仏像のようでもあり、動いているけれど。
    そして今、なんだかとてつもなく深いことを言われた気がする。そうだよね、目は口程に物を言うっていうか、周囲を見ているとバレないと思いながら、情報駄々洩れの人を良く見かけていたな。
    「そうですね、皆さまはご自身がどれほどの表情を体中から溢れさせているかどうかを分からないままに暮らされております。そして、そこがとても重要だということにお気づきにはなっておられません」
    ……っと、また聞こえているのね、慣れないと、ややこしいというか。
    こころちゃんは微笑みながらこう言い放つ。
    「大丈夫ですよ、時間はございます。この状況に慣れる前に調和が生まれる方々はほとんどおられませんから。こちらにいることに慣れるように、わたくしも努めさせていただきますわ」
    うーん、なんか、長くかかるとか、っていう意味なのかな?まぁ、そのままの自分の家だけど、こころちゃんがいること以外は何も変わらないけど、別空間ってことだよね?
    出たくなくて家から出られないのと、ここ以外に出られないのは同じようで全く違うし、何より、
    「…それって、怖いけど」
    「そうですね、怖いですわね。その怖さを軽減するために、こころがおります。鈴様お一人ではございません。少しずつ、ご説明していきましょうね、鈴様に起きている、今、この現状を。」
    確かに、ぜひ、聞かせてほしい。
     
    「まず、今いる場所は次元の違う、鈴様のお部屋です。現実世界の鈴様のお部屋と、こちらの神様のご用意された鈴様のお部屋と同じタイプの病室となるのです。つまり、鈴様は、神様のおひざ元である
    この場所で、ある一定の状態に戻るまで、魂としての鈴様がこちらに暮らされます。」
    「現実世界にも、私はいるってこと?」
    「そうですね、そちらでは鈴様の肉体が暮らされております。御身体からは決して切れない糸のようなもので魂まで繋がったままとなっております。」
    え?どこに?
    「目には見えませんわ。わたくしからは見えますが、人間として暮らしておられる鈴様の目には写りません。」
    「現実の私も、同じような状態で部屋に籠っているの?」
    「はい。魂自体が移動しているので多少ボンヤリしておられる状況です。現実世界には、鈴様御担当の者が守護としてついておりますので体を乗っ取られる心配はございません。」
    「乗っ取られる?!」
    「そうです。あまりにも辛い現実を受け止めきれないと体の外に魂がズレていきます。同じ容姿の方が双子のように寄り添う形に見えるような状況であったり、頭の上に風船のように足先だけで引っ掛かかりフワフワと浮いている方もいたりと、様々ですわ。」
    それは可愛くない風船だなぁ…
    「そして、魂のズレている状態ですとその隙間にご本人以外のモノに入り込まれる場合がございます。それを防ぐために、わたくし共が神様の命を受けてお護りしております。」
    良かった、怖い話は苦手だし、なんか変なのに乗っ取られるなんて冗談じゃないもの。
    「えっと、じゃあなんで私は、こうなったの?」
    「そもそも、こちらに入院する方々の特徴としては、間違った寿命の速度を選ぶ人の魂が一時的に非難する場所なのです。」
    こころちゃんの話を要約すると、人には寿命がある。なのに、真面目な性質を持つ人が、努力をし過ぎたり、我慢したりし過ぎて自分を責め始めて病んでいく。そして気づく気づかないにかかわらず、鬱になり、発作的にマイナス方向に走ってしまう。本当はまだ続く人生なのに、その中で起きる試練に耐えられずに寿命を早めてしまうということがおきるようだ。それって、私も?まずい方に向かっていたのかな…
    「私、なんかしたの?」
    「何かをなさる前、に、緊急処置ですわね。ご自身のお気持ちが、全てです」
    言われると、ここで目が覚める前の私は、何もない自分だったような。落ち込むでもなく、ムリだと泣くわけでもなく、ただ、なんにも考えてなくて「無」としか言いようのない、それでそのあと何か動こうとして、でも何でボーッとしたんだっけ?
    「とにかく!」
    急に強め口調のこころちゃん
    「お休みをして、戻る日まで共に暮らしましょう」
     
     
     
    普通に眠って、普通に夢を見る。
    けれど割とメッセージ性のある夢を見るのは、ここにいるからなのかな?
    夢の中の私は海岸沿いにいる
     
    小舟を出そうとしているけれど、何度も男性に止められていた
    「本当に行くのか」
    その人が見つめる。
    「大丈夫。本当に見つからないときは、まだ傷の浅いうちに戻してくれたらいいから。」
    そう言って笑う私。
    ようやく旅立ちを許してもらい出立後の、私を見送った「誰か」が私の身を案じている。
    海から水平線へ繋がるような空はスクリーンのようで、そこには私の人生の時間が流れ出す。
    私はなかなか「宝物」を見つけられず、当たり前だが、磨くための試練を超えていく。
    見送り、見守るその人は宝物も見つけられず多すぎる苦難を超えていく私に耐えがたくなり、もう苦しむところを見たくはないと考え始め、
    「戻す」
    そう呟く。
    傍らにいる者が
    「…ですが、まだハッキリと、そう決まった訳では…」
    と、止めようとしてくれる。
    「…傷は浅い方が良い。私がおろかだったのかもしれぬ」
    私の意見を尊重したが、無理な筋書きだったと、やはり私を引き戻しかけた、その時に、私に『宝物』が見つかった。それに気づいたその人は、迷う。
    宝物が見つかった後も、苦難は続くのを知っているからだ。
    「そんなことすべて、乗り越えて見せるわ」
    そう笑って決めた私のことを思い返しても、あまりにも苦難は多すぎた。
    全てのことを、今回1度で終わらせるための、沢山の試練がくる。
    その人は悩む。
    今、自分の考えを優先させても、誰にも咎められはしない。そして、引き戻したとしても結果的に私もその人を許すだろうという理解はしている。だが、また、私は旅に出ようとするだろうし、同じことを選ぶ。そして引き戻した罪として、苦難がひとつ、加算される。
    悩んだ末に、見守ることを決めるその人は、ただ、行く末を見守っている…
     
     
    そこで目が覚めた。
    覚めたというか、思い出したというか、寝ていたという感覚ではなく、過去を振り返っていたような鮮やかな別の時間の中の私から、こころちゃんのいる、この部屋に急に戻ったような、奇妙な感覚。
    「お目覚めですね?ご気分はいかがですか?汗がすごいですわ。」
    言われて気が付いたけれど、走ってきたかのように、汗でじっとり服も髪もはりついている。
    「大丈夫……だけど、シャワーでも浴びようかな」
    「それがよろしいですわ。その間にお食事の支度をしておきましょうね」
    こころちゃんはそう言って、まるでずっと一緒に暮らしてきたかのように慣れた手つきでキッチンで作業している。
    ふと顔を見上げて、こっちを見たこころちゃんが
    「ずっと一緒におりましたから」
    と、にこりと極上の笑顔を見せる。
    ずっと一緒?どういう意味?
    まぁ聞こえているだろうけれど、私の問いかけのような思考に返事が無いときは、答えてはくれないとき。ちょっとこのやり取りというか、暮らし方にも慣れ始めている。
     
    少し熱めのシャワーを浴びていると頭もハッキリしていく。不思議なことにこの部屋から出なくても、冷蔵庫には何でも入っている。飲んでしまったり食べてしまっても次に開けたら補充されているし、食べたいな、と思うものが出てきたりする。そう、食事も掃除も何もかも、こころちゃんがやってくれていて、私は本当に閉じこもって暮らしている。以前はお腹もそんなに空かなかったのに、こういう状況になってからは普通に食べている。むしろ健康的だけど、いくら食べても太りはしない。
    初日のごはんから美味しくて、久しぶりにものすごい量のご飯を食べてしまったけれど、私が
    「太っちゃったら嫌だなぁ」
    と呟いたら
    「こちらでどう暮らされようと、体型は変わりません」と告げられた。
    どうやら、魂が記憶している形に影響がない空間らしい、素敵だなぁ、女性の夢だよね、太らないなんて。
     
    汗を流してさっぱりして浴室から出ると、部屋着が置いてある。人からお世話されるなんて、いつ以来か分からないし、なんだかこころちゃん、私の奥さんみたいね。パートナーのいる暮らし、こんな気持ちなのかな。それとも慣れて当たり前になっているのかな。私としては、この状態ってとてつもない感謝しかないわ。だって自分でやるしかないし、どんなに具合の悪い時も、お世話していたし。…って、あれ?私、誰の世話を…?
    「鈴様!」
    「わ、びっくりした。」
     
    こころちゃんにしては大きな声に驚き振り向くと美しすぎる笑顔のこころちゃんがいた
    「レモンタルトを作りました。お茶にいたしますか?」
    「食べる!」
    こころちゃんの料理もお菓子も、極上なのよ~困るよ~幸せだよ~。
    「鈴様は幼子のようで可愛らしいですね」
    こぽこぽと紅茶をつぎながら微笑むこころちゃん。
    ん?褒められているのかは分からないけれど、どうでもいいや。美味しいもの食べていると幸せだ。
    目の前の美味しい誘惑に全く逆らおうとしない私。
    それでも、頭にはいつもある、この考え。
    「ねぇ、こころちゃん。私はいつまでココにいるの?」
    顔を上げると困ったようなこころちゃんが私を見ている。
    「そうですね。鈴様が回復なさるまでですわ」
    回復?…って何だろう。私は十分元気にしている。
    ここに来て何日経ったかも分からなくなったけれど、別に辛い所もなければ、よく寝ているし、よく食べているし、どこを回復させなければならないんだろう…でも回復っていうと、アレだよね
     思い返すのは自分の病状だった…

     
    なぜ私なんだと思う人も、叫ぶ人も、きっと、沢山いる。
    良くある話だと風に飛ばすには重たすぎるけれど。
     
    今日は天気がいい、でも、私の体調は、良いとは言えない…
     
    みんな楽しそうなのに
    みんな笑っているのに
    そんな中、私の地面だけ、ぐらついている。
    「……暑い」
    ただでさえ苦しいのに、暑さが更に苦しさを増し
    自分の影が、もう真下に来ている。
    …あ、ダメだ。息が、吸えない、もう…
    「…くるしい…」
    …パタ。
    崩れるように、倒れこむと周囲が騒然となる。
    きゃぁ!
    え?やだ、何?
    ちょっと、あなた大丈夫?
    なんとなく人の気配が集まる中、地面の熱さを感じながら、景色が朦朧とし始める。
    ホコリ臭いな…。
    そんな風に思いながら、だんだん息が吸えなくなり動けなくなる
     
    『…病って、まるで自分にだけやってくる、災害みたいだ』
     
    少しずつ、目の前がチカチカとする。なんだろう、星みたい。
    でも景色は少しずつ暗くなる。
    誰かが周りで騒ぎ続けている中、私は意識を失った。
     
     
    目が覚めたのは、きれいな空と、都心の街並みの見える窓辺の近くのベッドの上。
    さながら高級ホテルのような景色と飾った花たちが見えた。
    あ、病院だったっけ。
    お花、元気を無くし始めているし、このままでは枯れてしまうかな…
    のそのそと起きだして、お見舞いに頂いたバスケットの花を、平な花器に活け替えて、共有の冷蔵庫の上に飾りベッドに戻る。
    簡素な病室にお花があるのと無いのとでは景色も変わってくる
     
    4人部屋に入院して、数日たった。
    暇を持て余した同室の年配の方々が噂するのが微かに聞こえてくる。
     
    あの人が活けていたの?
    最初バスケットになっていたお花でしょ?
    お花の先生なのかしら。
     
    入院生活の中で、よく分からない病状で入院してきた上に、若い私は、噂話には最適なのだろう
    先生なんて呼ばれない、一般人ですよ、と心で返答する。
    考える時間がありすぎるほどの入院生活の中で、挫折感ばかり味わっていることも切なかった。
     
     
    あの日、倒れた私は救急車で運ばれた。そして偶然に友人の兄の働く病院に運ばれた。顔を知っている私に驚いたお兄さんは、すぐに友人に連絡をして、そこから家族に知らせてもらえた。
    もともと体調が悪くて病院に行こうとしていたところだったので、身分証明書や通っている病院の診察券を持っていたから、病院間で連絡を取り、転院扱いでいつもの病院に運ばれ、そのまま入院して今に至るが容態が落ち着いてきたので、もうすぐ退院できそうだ。
     
    病室の外でバタバタと子供たちが走っていく。お見舞いに来る子供たちの無邪気さに、入院中はとても癒され、それと共に切なさも湧き上がる。
     
    今は、体調面から自ら決めて、子供のいない人生を歩んでいる。
    そんな中、もう何度目の入院になるのだろう。
    そんなことを考え出すと気持ちがうつむきそうになってしまう。
     
    不思議な病気になったのは、会社に勤めていた時だ。
    肺が毎月潰れる。たまになる人や頻繁になる人もいるが私は定期的に肺がつぶれてしまう。そしてそのせいか不整脈も起こりエコー検査では右弁の逆流も見られた。心臓の方は1日がかりの検査が必要なのだが、本来短いスパンの肺の病気の薬を長く使っていた事の影響なのか体は弱っていて、免疫力も下がり、酷いアレルギーとなったので、検査に使用する造影剤なども使えなくなり、病名はつかないままで今に至る。医師から聞かされた病名は長すぎて思い出せない。医師と話して症状を言うと
    同じ病名が戻ってくるが、やはり長くて聞き返しもせずすぐ忘れてしまう。命に別条のない場合と、ある場合があって、ややこしいけど経過観察になった。
     
    自分のことを考えると、うつむいてしまうし、何か苦々しい気持ちになる。
    病院の窓から眺める空に、ため息が漏れる。
    綺麗な空が見たい時ほど青い空は見えず、白々と霞がかった曇りともまた違う、白い空。
    溜息は水蒸気になって空に薄絹みたいな雲をつくるのかな?
    そんなことを思い浮かべていた
     
     
    体もまだ思うようにならず、今回は大きな手術をしたが根治するような原因も発見できなかった。
    さすがに8時間という手術後に「わかりませんでした」という対応は、家族を怒らせた。
    だが、この時は私の病気はまだまだ難しく、数件の病院しか対応していないような状態だった。
    私の主治医は、この病気の研究をしながら論文を発表するような医師だったため、それ以上にこの病気を知っている医師はいなかったのだ。
    今でこそ当たり前のセカンドオピニオンは考えられず、ただいわれるがまま、手術をして、そして医師から聞かされた言葉に困惑した。
     
    「今回の手術では、勝手ながら同時にある検査をしました。子供が産めるか、どうかです。
    実はこの病気の原因は、まだ不明な点が多い中、妊娠出産後に再発しなくなったという事例が上がってきています。
    どうでしょう、体には異常は見られません。妊娠を考えてみませんか?」
     
    これを言われたとたんに、心に何かのブレーキが働いた。
     
    「子供が私の、特効薬になるということですか?」
    聞き返す声が少し震える。
     
    「あまり明言もできませんが、現時点での最善の方法の一つ、と考えていただきたいです」
     
    そう伝えられても、私が治るために、利用するってこと?
    人間の命は、私の体を治すための、薬の代わりではない。
    心が理解できずに、追いつかない自分がいた。
     
    「ほかに方法は無いのですか?」
    それを聞いて、少し困ったような顔の医師からの回答は
    「ホルモン剤を用いて、生理を止めてみる方法です。新婚さんということもあり、最善の方法で治ればと様子を診ていたのですが、お仕事を忙しくされていて、子供をまだ考えていないということを知りましたので…」
    当たり前だ。普通の新婚状態とは訳が違う。私は入院費を作るために働いていた様なものだ。治ってからなら分かるけど、体力だって落ちているのに…
    うつむいて考えこんでいるだけの私に、医師が声をかける。
    「毎月少しずつ悪くなっていくのは、ご自身が一番お分かりですよね?このまま、自然に任せているのはリスクが有りすぎます。一度ご主人と良くお話をされて、どちらの方法を選択するか、次回の外来でお返事いただけますか?」
    「…はい。」
    そう伝えられても、もう弱々しい声しか出なかった。
    次から次に予想もしない方向に流されていく自分に身震いして、うつむくことしかできなかった。
     
    病院の退院の日。
    夫の和樹が迎えに来てくれた。
    車の揺れに身を任せながら景色を眺める。心に反して晴天の今日は、流れる景色も美しくて、医師からの話が夢の中のようにさえ思える。
     昔から、ぼんやりとだけれど、
    「私が悪い人間だから、嫌なことが起こるのだろうか」と考えてしまうところがある。
    私は、罰が当たるようなことを、したのだろうか。
    どちらかというと、人や流れに任せていたから、そんな覚えも無い。
     
    「どうした?まだ何か辛いのか?」
    和樹に問いかけられ、現実へと意識は戻る
    「大丈夫よ、いつも迷惑かけて、ごめんなさい」
    何を言ってるんだか、というような困った顔をして、肩をポン、とたたかれる。
    優しいこの人に、医師から言われた子供を作るかどうかの話をしなければならない。
    「着いたら起こしてやるから、寝ていたらどうだ?」
    「…ありがとう、そうするね」
    眠れるか分からなかったが、私は目を閉じて、物思いにふける。
    子供に関連付けて出てくる、自分の過去を思い出すと、余計に暗くなりそうだ。
     
     
    神様病院入院中の私は、以前のことを思い出せるようになっていった。
    夫がいたんだな…そうだった。
    思い出したくないような楽しくないことが蘇っても、分からないままよりは、いい。
     
    守るために半分預かると言われた。その状態は、現実世界では鬱となっているらしい。
    私はそろそろ退院できるのだろうか。
     
     
    今までの自分の部屋と違うところは、カーテンを開けたら、景色が違った。違ったなんてものではなく、私の部屋からは公園が見えるけれど、今は目の前は海だった。
    この世のものとは思えない世界。この世じゃないからだけど、色彩が美しすぎた。
    緑色の海にピンクの空の中、踊るように舞い飛ぶ龍がいた。ゆらゆらと水面は光り輝き、鮮やかな虹がくっきりと空にわたっている。綺麗な彩色だけの世界で、一度も見たことがないのに、知っている場所だと思う自分がいた。その龍は近くに飛んできて目の前で止まった。なんだろう、少しも怖くないな、と眺めていると、龍が話し出す。
    『誠の心根を押し隠し、自分に嘘ばかりついていたな。だが大切なものを守るために嘘という鎧で身を固めないとならなかったのならば、それは辛いことだ。』
    日本語だ…でも、どう答えていいか分からなくて、カーテンを握りしめていた。
    「鈴様、お茶でもいかがですか?」
    振り向くと絶妙に美味しいフルーツのアイスティが置いてあり、もう一度龍の方を見ると、彼方へと飛んで行っていたので、素直に腰をおろした。
     
    「ねぇ、こころちゃん、みんなさ、って、さっきの龍もだけど、私の事を知っているの?」
    そうじゃないと、嘘ついていたな、なんて言わないよね。人を騙す嘘じゃないけどね、人に合わせすぎてつく、嘘というか、ごまかしというか。
    「みんな鈴様のことは存じておりますし、鈴様のことを知らない者たちはこの空間にはおりませんよ」
    「そうなの?」
    「そもそも、鈴様のために用意した空間ですので、敵になるようなものは居りません。ですが、表に出るにはそれなりの気をつけなければならないこともございますし、何より鈴様はこちらに静養に来られているので、表に出る必要がないので、おやめくださいね。」
    「窓を開けるのはいいの?」
    「そうですね、状況によっては水浸しになる可能性はございますが…」
    それって、目の前のこの子が生きていられる理由になるのかな?やっと分かってきたぞ。
     
    窓の外はすぐに海ではないのだけれど、奇麗な魚たちが浮かんでいるというか、泳いでいる。
    「はい。お気づきの通り、熱帯魚が目の前にいるのも、空気と水の混ざった、こちら特有の状況で、外は軽めのゼリーのように水がたゆたう状態です。しばらくは形を成していますが、そのうち表面張力のように、プルンと室内に膨れ上がるように水が入り込みますよ」
    「部屋の中も水だらけになるの?」
    「そうですね、全部が注がれるようなことではございません。気持ちの寂しい時には水の空間が近く、朗らかな気持ちの時には空の空間となりますので、時と場合によるというよりも、鈴様の心の反映も左右するのですわ」
    何それ。
    「釣りとかできないの?」
    聞いたとたんに噴き出すこころちゃん。あ、なんだか、近しい反応。人間っぽいよ、うれしいな。
    「失礼いたしました。鈴様は本当に素直ですね。釣りは、出来ますよ。気持ちのコントロールがきくようになれば、それも自由になります」
    へ~、面白いな。
    でも、そっか。私は寂しかったんだ。以前は外に出るのが嫌になって、部屋にこもるようになって人に会わないことも寂しいなんて思う事もなかったのに。
    どこにいても辛いなら、極力一人でいようと思い始めたんだよね、昔みたいに…
     
     
    私の実家は共働きで父はあまり家にいなかった。
    母は飲食店を手伝っていたから夜は家にいないし、日中は居たとしても、寝ていることも多かった。
     
    料理上手の母はお店で使う料理の仕込みを頼まれていて、自宅で作って、ついでに少し食事を置いて出かけて行ったけど、それ以外の家事は年齢につれ自然に私がやるようになった。姉がいたが彼女は自分の事に忙しいし家事は好きじゃなさそうだった。
     
    世間的に、仕事や人に尽くす『良い人』と呼ばれる部類の人は
    家族に手をかける時間を作れない。
    我が家も、それに当てはまり、尚且つ幼いころから家にいるし
    外での両親を知るすべもないから、怖い親、という認識しかなく、寒々しい思いを抱えながら育っていた。
     
    外で気を張っている分、疲れるのだろう。家だと自分のペースで物事を進めるし、私達という存在は、娘でもありながら、自分たちのコピーのように扱われるが、そのコピーは思い通りに上手く動かない。
    別人格、個性という概念は、今ほど無い時代だから、出来なくて当たり前のことを、出来ないからと叱られ、いえ、怒られる毎日だった。
     
    私は親に合わせて補助をするというか
    私が自分の意見を出していたら、親に合わせにくいから、ますます無口になっていった。
     
    私は言われるがまま、こなす暮らしをしてきてしまった。
    何をするにも一人の時間が多かったし、門限も厳しく、バイトも許してもらえなかったから、友人が家に来てくれないときは、誰とも話さない時間が続く。姉とは気が合わないことと、いつもコッソリ抜け出して、出かけていたので一人暮らしのようなものだった。
     
    結婚していながらも、生活費を満足に入れない父の代わりに、事実上シングルマザーのごとく生活している母。
    国の制度も対応も、それほど良くない時代で、結婚という戸籍上の事実がある中での救済処置は無かった。
    ヘトヘトになるまで働いて、心のすさんでいく母親が、よく私に向かってこう言っていた。
    「あんたたちさえいなかったら、こんなに苦労もなかったのに、全部おまえ達がいるからよ。おまえ達のせい。」
    そう言われて育ってきた。
     
    子供が居なかったら、とっくに離婚していた、とよく聞かされた。
    姉は同じように言われても、くってかかって言い合いになっていた。
    母は、自分の身ひとつなら何とでもなるだろうが、子供がいれば、出費は年と共に増えていく。
    家を空けがちな父と、生活費や子供のためにと働きづめな母の八つ当たりの対象は、娘である私達に向けられるのだろうと、年齢を重ねた今なら、そう思い描ける。けれど、それによって私の心は固まりながら時を重ねた。
     
    思春期の当たり前にくる反抗期のような衝動は、閉じこもって生きてきたことで、はじけることもなかったが、心のモヤが、間違っているのか、何なのかもわからず、毎日伝えられる「おまえ達さえいなければ」の言葉は大きくなっていく。自分の生きているということが、罪悪感として巨大化していった。
     
     
    少しずつ慣らされていく世間との距離感やコミュニケーションは、小さなころなら、小さな失敗で済む。
    子供を守ることも大事だが、親が手を放して子供の取り巻く世界から体験して得られる失敗は、その子供自身の見えない守りとなって、いろんな人間がいるという目を養ってもいく。
     
    今思うと、箱入り娘のように扱われて、親としては、大切にしたい気持ちも少しはあったのかもしれないが、ほとんど一人でいて、周りは私にとって最悪のことは絶対にしてこない、という身内の人間しか居ない環境は、良し悪しを見抜く目を養えなかったのだった。
     
     
    夫の和樹は優しくて、私に手を上げたことなど一度もない。浮気の影すら、見えたこともない。
    もう過去になった最低の人の行動なら、逆にあきらめがついたとしても、最愛の夫から同じことをされたら、流せずに怒りに変わってしまうだろうと思う。
    目の前のあなたに、過去に受けた時間と同じことをされたらと思うと、怖い。
    子供を持つことで、母と同じようになったらどうしよう。
    和樹が父のように離れていったらどうしよう。
    生活の中に、無意味な恐怖心が影を潜めている。 
    あまりにも残酷な日常が当たり前だったからか、私には平凡な幸せを疑ってしまう癖がついてしまったのかもしれない。

    ぐるぐると過去の思いが回るうちに車が止まった。
    そうだ、退院したんだ。


    「着いたぞ、起きろ。大丈夫か?」
    目を開けると、優しく笑う旦那様がいた。
    和樹さん、私はあなたに迷惑をかけたくない。
    私を嫌わないでほしい。
    そう思うだけで泣きそうになって、誤魔化すように私も笑った。
    「大丈夫よ、おうちは久しぶりだね」
    笑うと細くなるから、私の涙をこらえた赤い目は、気づかれない。だから私はいつでも笑っていた。
    もう余計な心配もさせたくなかった。
     
    泣きながら目が覚めた。
    ここはまだ異世界だ。
    同じ家にいるけれど、和樹さんはいなかった。
     
     
     
    「こころちゃん、あれは何?」

    外を眺めていると所々から宝石のように光り輝く龍が垣間見える巨大な雲が流れている。
    「あれは…隠れ雲ですわ」
    「隠れ雲?」
    「龍が身を隠しながら進むときの雲ですわ。でも今回は“大きなこと”の後ですので、雲の中には沢山の以前生きていた人達も、今を生きている人たちも、一緒に隠れて移動していきます。大きな輝きは、旅立つ「個の魂」です。もう心が落ち着き次に進む決心がついたという証拠の光です。小さな光の輝きは、生きている「個人」ですが、一時的に隠れ雲という安全な強い場所に集められて、旅立つ魂の「個」と共もに清められ、同じ時間を過ごした後、生きている「個人」も小さな光の輝きを放ちます。」
    「えーっと、なんだかよく判らないけど、この空間に見えるってことは、私を知っている人も居るの?」
    「いえ、あれほどの規模であると、清いルートを選んで通るので、護られたこの空間の近くを通っておりますので、窓越しに見えているようなもので、別空間にはなります」
    おおきなことってなんだろう。
    「そうですわね、今、地上では“”大きなこと“がおきて暮らしの変化がありました。鈴様もお戻りになれば知ることとなります。その大きなことのせいで生き残っている方々の心は傷ついています。傷ついた方々は皆様共通して、感情を止め始めます。仕方のない事ですが、心に動きがなくなりますと、現実的に病となるかたも出てきます。日常を普通に暮らされている中で、もぎ取られてしまう生活のストレスは非常に大きなものです。現実世界の中の方々を心配する守護の要望により、夢の時間、眠っているときですが、その時間を借りて魂は集められ、清められています。これからの変化に対応すべく洗い流されるのです。」
    「私と同じって事?」
    「いえ、鈴様は入院中ですが、あの雲の中の、生きている方々は、ほんのひと時こちらを通過しているだけです。眠りの時間のわずかな時の中で癒され、休まされます。そののちに生きていた場所に戻ります。旅立つ「個」とのお別れと、その悲しさを軽減させる時間でもあります。生きていくうえで、たとえ覚えていなくとも大切な時間の中にいます」
    「忘れちゃうの?」
    「そうですね、夢として断片を記憶しているかたも居ますが、多くは忘れて、今日はよく眠れてスッキリした、と思う程度の現実になります。」
     
    旅立つ人たちと、見送る人の混在する雲か。
    そういえば、大きな事故や大きな災害、お盆の時とか、分厚い雲が流れていくのを見たことがあるけれど、起きている時だから違うかなぁ。
    こころちゃんは優しい眼差しで言った
    「まれに日常の中で、その雲を見て、気に掛けるかたも居ます。でもその方もまた、寂しい思いをされた方です。」
    そうか、と、……黙ってしまう鈴。
     
    「その時代その時代に明記されていないような事柄も含めれば、毎日が悲しい日にもなりうるのです。
    各世代の人々、多様な時代を生きた人々は、寂しい思いをしてきております。
    神こそ4つの魂をお持ちではありますが、人々も2つに分かれるのです。その時代を生きた「人」としての人格の魂は、その時の好きな年代の姿に戻り、似通った時代の階層に住まい、暮らします。生きている方々は、パラレルワールドと呼んでおりますが、その方々の終わりの後のご褒美の暮らしです。そこで愛する人を待ちながら、もう幸せだけの毎日を『生きて」いるのです。人としての人生が終わった後にも消えるわけでは無いのですよ。2つに分かれた魂のもう一つは本来の何物にも変わり得ない元素のような魂です。また次の人間として生まれるまでの間、しばし休む時間を挟みます。その魂は、最初の形に戻り、やはり幸せだけの時間の中で時を待ちますから、ご安心ください」と微笑んだ。
    幸せだけの時間、か。生きていると、なんで幸せだけじゃダメなんだろう。
    なんで嫌な思いも経験するのかな…
     
     
     
    鈴が決めた、子供を作らず、まずは体を治そうと始めた投薬治療は、初めのうちは何も変わらなかったのに、今月の生理はこなかった。
    こんなことで、本当にしっかりと、女性周期は止まってしまうんだ…。
    物心ついてから、意識的に止めることなどなかったリズムは、しばらくすると焦りに変わる出来事が起きた。
    お腹が、膨らんできたのだった。
    投薬を始める前に、念入りに妊娠していないかの確認をされていた。大丈夫だと思い込んでいたが、まさか?と奥の方から恐怖心がわく。仮に妊娠していたとしたら、強いと聞いていた薬が、胎児に何か影響を与えないのだろうか?すぐに止めたら平気なのか?でも、産める?
    怖さが爆発寸前で、外来予約の日が来たことで、医師に相談してみた。
     
    「先生、なんだかお腹が出てきて、もしかして妊娠していたということでしょうか」
    困ったような医師は
    「いえ、違いますよ。いつも外来時に色々な検査をしますよね。妊娠の有無のオーダーをしておきましたし、妊娠してはいなかったですよ。」
    そうか、大丈夫だった、とほっとする反面…少し寂しくなるのはなぜだろう。
    「ご説明しますと、今の反応は、体が間違えている状態です」
    「体が間違える?」
    「女性周期が止まったということで、体、主に脳に作用する薬なので、頭は『妊娠した』と思い込んで、子供を守る準備をします。お腹に肉をつけて、万が一の衝撃から守り、骨盤を広げて、内臓にスペースを作ろうとします。痛い場合も歪んだ姿勢になることもあります。何か辛いことが出始めたら、その都度対応しますので、すぐに知らせてくださいね。」
    「副作用、ということですか?」
    「そうです。薬がホルモン剤だという説明もしましたよね」
    「はい。生理も止まるし、更年期みたいになるというお話でしたよね」
    「細かく言いますと、更年期障害の女性が、妊娠している、というような症状が出てくると考えると近いかと。人によって更年期障害の状態が違うように、この薬を使っている人が、どんな症状になるかは使用してからでないとハッキリしません。脳にとっては情報処理するみたいなもので、体の生理が止まったことで、妊娠したと勘違いをして、そして守るために、お腹に脂肪をつけ始める。妊婦さんに起きるようなことが、体に反応として出てきます。」
     
    分かっていたつもりでも、改めてこうなってみると、衝撃を受けた。
    空っぽなのに。
    何も育まれてはいないのに、そこを守ろうとするために、太り始めるということか。
    「…他には、何か目立った症状が出てくるのでしょうか。」
    「薬の副作用というのは、薬に添付され記載されていることがすべての人に起こるわけではありませんし、何か変化があったらその都度の対応をしていきましょう。」
    「なにかあったら、副作用を疑う感じですか?」
    「そうですね、まぁ、先に症例を上げて怖がらせてもいけませんし、考え続けてその症状を起こしやすくしても困ります。何か辛くなってきたら、その都度対応していきますから、もう十分大変だと思うけれど、あまり身構えずに過ごしていてください。何かあればすぐに病院へ来てください。」
    そう念押され、病院をあとにした。
     
    診察室を出て、支払いを済ませて帰路につく。
    最近は節約のために、都バスの一日乗車券を使い、乗り継いで病院に通っていた。和樹さんの帰宅するまでに帰ればいいし、地下鉄と違って、景色がある。街がどんなふうに繋がっているのかが良く分かるようにもなった。
     
    不思議と、不調の理由が分かると、落ち着く。
    原因不明の病気が治ったわけでは無いのだが、薬を使いだしてからは、毎月入院しなければならない、ということもなくなった。嘘みたいに発作は起きなくなり、息ができるっていうのはなんて便利なのかと、今までは分からなかったことに感動した。
    これからまた他にも副作用が出るのかどうかは分からないけれど、じわじわと息ができなくなる、あの時間が無い方がマシに思えた。
    病気の薬を始めてから、もう数か月が経ち、副作用なのか、術後の後遺症なのか、天気予報のできるような体調になってしまっていた。
    鼻から吸引するタイプのホルモン薬だが、こんな簡単なもので効くのだろうか?と思うほどだったが、きっちりと生理は止まった。
    それなのに、バスで座席を譲られることが増えてきて、途方もない気持ちになることも増えてしまった。
     
     
    あれ、また私、夢の中だ。
    暗闇でよく見えないけれど、私に皮肉な笑顔を見せている人がいる。
    「だれ?」
    問いかけると何も言わず、さらに口の端を引き上げて、笑う。
    ここに留まることを選んだんだろうと、そう思ってその人をおいていくことにする
    ナニカが反響する。人の声か、音なのか、鳴り響く大きな音の渦の中を、明るい方向に走り出す。
    ここ、トンネルの中だ。もうすぐ出口みたいだけど。
    景色が急にスピードを出し流れていく
    あ、私、運転中だ。
    イタ、痛い?あ、そうか、左膝、半月板にヒビが…
     
    「ねぇ、鈴、私、言われたんだよね、友達みんなに。」
     
    唐突に話し出す声に驚くとバックミラーをのぞき返事をする
    「何を?」
    後ろには、父と姉が座っていた
    そうか、父の病院に行くところなんだ。
    姉は「私は運転苦手で怖いんだよね」と送迎は出来ないと言いだしたので
    ケガをしているが仕方なく「左足だから大丈夫」って誤魔化してウソをつき
    私が運転していくことにしたのだった。反論するのも面倒だった。
     
    姉はそのまま喋っている
    「友達とか、みんなにね、妹ちゃんがそんなに頑張ってくれるんなら、いいんじゃない?って言われるの」
    「何を?」
    …で、それきり黙ってしまった姉。
    それだけかい。
    なんのことだろう、相変わらず、いきなり話し出す人だな。
     
    ほどなく病院に着き、診察などの対応をした。
    そしてその日以降、父の病院には姉は来なくなったので私が一人で送迎をした。
     
    後から聞いたら、結婚後の姉の自宅の近所では自家用車を運転しているらしい
    え?運転できないって言っていたよね?怖いって言っていたよね?
    何?なんなの?

    「…なに?」
     
    …あ。
    自分でしゃべった声に驚いて起きてしまった
     
    …また不思議な夢っていうか、本当に運転していたような、ワープしたみたいな感覚で不思議。
    ここにいること自体も不思議なのだけどね。
     
    人間の適応能力って、すごいよね
    不幸にも不思議にも慣れていく。不幸って、私は不幸だったのか?
    「うっ」
    キーンと大きな耳鳴りと、頭痛、湧き上がる怒り、そして叫んでしまった
    「私は、可哀想なんかじゃ、ない!」
    言いながらいつの間にか泣いていた、理由が分からないのに泣いている、あれ?なんだろう
    あれ?と、身動きしたら布団の中だった。
    今起きた。
    起きたという夢を見ていたのか?訳が分からない。
     
    「鈴様、お目覚めですか?たくさんたくさん、嫌な夢を見たご様子ですね。
    ご自身の悔しさ、また思い出しましたか」
    「嫌なことは思い出した」

    こころちゃんは続ける
    「ご自身の傷ついたときに動く感情を、表現するか、しまい込むかどうかで心も変わってくるのですよ
    心、と言うのは胸元にあると思われがちですが、ご自身の大切な場所で影響の出るところで
    心は脳と連動しています。自分では忘れてきた過去の出来事、と思っていますが全ての記憶は頭の中に大切に保管されています。
    思い出したくない、忘れろ、と言われた類の出来事も、忘れたのではなく蓋をしているだけ。
    なぜだか分からないような不安や恐怖感というものは、昔の嫌なことが要因です、これがトラウマという分類になるのでしょう。トラウマだと、口に出せるのなら越えてきた出来事になっていますが
    思い出せない辛い過去は、今、現在の鈴様の行動にまで影響する怖いものなのですよ」

    そう言われて思い出すのは、あの時…
     
     
     
    やっと病院から家に着く。
    見慣れない景色を眺めるのは楽しいけれど、少し疲れた。
    節約で乗るバスは、地下鉄を乗り継ぐよりも時間がかかるのだ
     
    ふと振動音に気が付いたら、電話が鳴っている。携帯の音を出しておくのを忘れていた。あ、バイト先の先輩だ…。
    ちょっと躊躇してから、気を取り直し、電話に出る。
     
    「もしもし、こんにちは、佳代子さん、お久しぶりです」
     
    「やぁね、出ないから切ろうとしたところよ。元気にしてる?時間あるなら今日、これからお茶でもしない?」
    やっぱり。
    佳代子さんはいつも急にお誘いが来る。
    今からお茶するのに外へと出歩くのは体調的にも辛いからなぁ…。
    断ればいいのかもしれないけれど、職場で良くしてくれていたこともあり、今も働く彼女からのお誘いは、懐かしい人達や、子供たちの話が聞けるのもうれしい。
    昔、幼稚園の事務のお手伝いをしていたことがある。
     
    「もし良ければ、また私の家でも良いですか?たいしたお構いは出来ませんけど…」
    「大丈夫よ、伺うわ」
    電話を切って、佳代子は思った
    むしろ都合がいいのよね、あの子の家の方が。
     
    職場から自宅までの中継地点にある、鈴の自宅は本当にイイ時間つぶしになるのだ。
    むしろ好都合よね、出てこられても困っちゃう。お茶菓子が美味しいのよね、あの家って。
    そして今日も、手土産一つ持参せずに向かう佳代子であった。
     
    帰宅して落ち着く間もなく、慌てて用意を始める鈴。
     
    お菓子、あったっけ…あ、そうだ、お土産に頂いたお菓子、使わせてもらおう。いつも和樹さんがなんだかんだ頂いて帰宅する。こういう時、とても助かるけど、佳代子さん良く食べるから…たりるかな。
     
    佳代子さんは、良い人だけれど…噂話の好きな人。
    自分の友人の嫌なところとかを必ず伝えてくる。
    …どんなに仲の良い人のことも悪く言う、というか、自分の考えとは違うところを全否定する…というか。
    聞いていると、それなら、私も他の人に悪く言われて、洗いざらい報告されているのだろうか?と、気になってもくるけれど、確認できるわけでもないし、気にしないようにしておこう。
     
    ちょうど、紅茶の用意ができたところでチャイムが鳴って、佳代子がきた。
    「今開けますね」とオートロックを解除して、台所へと戻る
     
    「どう?最近連絡ないし、ちょっと時間空いたから来てみたよ」
    来るなり話しながら部屋に入る佳代子。
    突然には慣れているけれど、今日はいやにジロジロと私を見てくる。
    部屋も見回しているし、なんだろう。
    「実家のことでバタバタしていたんです、色々と重なって。もうやけ食いで最近太っちゃいました。」
    そういうと、何とも言えない拍子抜けのような顔で振り向く佳代子。
    「え?食べ過ぎて、太っただけ?」
    そんなことないわよ、とか一切お世辞もなしの佳代子が清々しい。
    「そうですよ、忙しいけど運動不足だし、食べてばかりでは太りますね。」
    …なんて、嘘ついてみた。でも、まだ、薬の副作用で太ってきたなんて言いたくない。
    平気な顔して説明できるほど病気を乗り越えてもいないし、傷がいえたわけでもないし、何より病気の話すらしていないのだから。
     
    すると、彼女は急に笑い出した
    「あ、なんだ、そっかー、太っただけか。でもそれぐらいじゃないとこっちの割に合わないわよ、あっははは。」
    え?割に合わない?
    「それ、どういう意味ですか?」
    問い返すと、
    「いやいや、たいした意味ないけど、冗談よ、冗談。」
    なんの冗談なのかも意味が分からないけれど、そのまま違う人の話になってしまい、確認しなおす流れでもなくなった。
    しばらく話をしていると、慌て始めた佳代子。
    「あ、もう、こんな時間!予定があるのよ、私、帰るわ。」
    言いたいことを話して、すっきりしたようだ。
    「送っていきましょうか?今日、夫は車を置いて出かけたみたいなので」
    「大丈夫、自転車だし、あ、もう、ここでいいからね、またね、バイバイ!」
     
    慌ただしく帰っていった佳代子を送り出し、玄関前でちょっと息をつく。
    鍵を閉め戻って台所をふと見ると、帰りに佳代子に渡そうと思っていた手土産のお菓子を置いたままだったと気が付く。
    しまった、と追いかけると、一足違いで下がっていくエレベーター。横の階段から駆け下りれば、そう大差なく間に合うことを知っていたので、追いつけるはず、とお菓子片手に駆け下りる。あぁ、ちょっとフラつく。めまいの症状も、なくなればいいのにな。
     
    玄関ホールに入る扉を開けかけた時、
    「あ、佳代子さん、偶然ね」と、近所に住む知人と遭遇したのが聞こえた。
     
    どうしよう、お菓子、一つしかない、と躊躇して、開けかけた扉に隠れたその時に、聞こえてきたのは耳を疑う二人の言葉だった。
     
    「どうだった?鈴さん、妊娠だった?」
    「それが違ったよー、ただのデブよ、デブ」

    聞こえてきた言葉の衝撃は、予想より強かった。
     
    「えー?あんな太り方する?顔つきも変わったしさ」
    「うーん、実家で色々あったとか言っていたし、けっこう大食い系でしょ?ストレス太りっていうか、過食なんじゃない?」
    「あ、それだけなの?なんだ、やっと仲間になるのかと思ったのに。」
    会話を聞きながら、
    今までは仲間じゃなかったのか…などと思いつつ、ただ立ち尽くす。
     
    「そういえば実家のことって何?」
    「面倒で聞かなかったよ。まぁ普通にしていたし、大丈夫なんじゃない?なんか腰が痛いとか言ってたけどさ。」
    「太ったからってこと?ウケるんだけど。」
    「そうなんじゃない?ちょっとは太るぐらいじゃないと、こっちの割に合わないよね」
     
    あ、まただ、割に合わないって何?
     
    「まぁね、あまりにハッピーオーラ出されていてもね」
    「そうだよ、こっちは子供のこととかで忙しくしているのに、なんかいつも余裕でさ、旦那さんとも仲いいみたいだしさ、太るぐらいじゃ足りないけどさ、不幸度が。」
    「えー、でも妊娠間違われるくらい太って、違うなんて可哀想だよね」
    「そりゃそうだね、可哀想かもね。あ、ちょっと、もうお迎えの時間だよ!」
    「本当だ、やばい、行こうか!」
     
    自転車に駆け寄り立ち去る二人。
    大きな子供用の椅子のついた自転車は女性としての勲章のように思えた。
    あの二人から見た私は、可哀想な人間なのか。
     
    二人がいなくなっても、しばらくそのまま動けなかった。
    デブで可哀想、か?子供がいないのに可哀想、なのか。
    ドアにもたれかかるように立っていた私に、ドアを押し開け驚いたご近所の方に
    ごめんなさい、などとやりとりと挨拶したのち、誰もいなくなったエレベーターホールに入り、佳代子たちの居た方をしばらく眺めていた。
    何か奥の方から、こみ上げてくる気持ちを抱えて、家に戻ってきた。
     
    …なんだったの、今の、本当にあった時間?考えが追いつかない、見えない何かに射抜かれたみたいになって、体が固まって動けなくなった。
    私、次に彼女に会ったら笑えるのかな。
    いや、もう会わない、会えないか。
    相手は私を友人としてみていたわけでは無かったんだな。
    元の職場の知り合い?にしても、あの裏表って何から来るんだろう。
    私を見てなんの悩みもなく幸せそうって決めつけていたのかな。
    痛みの想像力が無くて、あんな風に考えるのかな。人の不幸を喜ぶって、どういう感情?
    それとも、自分が言われる側になるのが嫌だから、言う側の立ち位置にいるんだろうか。
    子供たちのイジメの始まりでもあるまいし、…あぁ、でもそんなこと、私には分からない。
    私は彼女じゃない。考えても、答えは出ない…。
     

    眠れない。

    布団に入っても、暗闇の中ずっと悔し涙は止まらなかった。
    湧き上がる焦燥感と共に、泣くと息苦しさが増す。
    ため息交じりに寝返りをうっていると
    「どうした?眠れないのか?体、辛くなったか?」
    いけない、和樹さんを起こしてしまった。
    「起こしちゃった?ごめん、寝付けなかっただけだよ。大丈夫。」
    薄闇の中、かすかにほほ笑んだように見える和樹。いつも優しい。
     
    …やめよう。
    布団の中で悶々と暗くなってしまうのは辛すぎる
    どうせなら朝陽の中で泣いたほうがいい
    夜は闇が深すぎて、理由以上にいくらでも泣けてしまいそうだ。
    楽しく幸せな方に向かうって決めたから
    暗闇で目を見開いて泣いているのは、もうやめる。

     
    …こうして、あの時のことを思い出してしまうと今も重い気持ちになるな。

     
    私は、何一つできなかった。
    彼女に会う事をやめて、ただ忘れる努力をしただけだ。
    思い出したという事は、こころちゃんにも聞こえているんだろう。
    振り向くと私を見守るような顔をしていた。
    そしてこころちゃんは話し出す。
     
    「それでも、わかっていただきたいことは、どんなにひどい言葉が来ても、ひどい人に会っても、
    生きている間の嫌なことなど、気にしていてはいけません。
    それは、その経験は、ほんの一瞬のことで必ず終わるものとお考え下さい
    その部分にとらわれたままだと、暗闇の方向に頭が支配されてしまいます
    次、という時間、未来の事ですが、この先に起こる楽しそうな未来を描くことで今と言う不安から早く切り替えられる方法となり得ますから。未来を想像していくことは、必要な技術なのですよ」
     
    そう真剣に諭してくれるこころちゃんの言葉は、初めて聞かされているのに
    本当は知っていたことを再度確認させられているような、そんな不思議な感覚で聞こえてきた。
     
    聞くと納得するし、励ましの言葉は有難い。でも心に浸透するまでは、時間がいることも経験済みだった。
     
    あのあともそうだった。
     
    あれから数日たっても、なんだか小さな棘でも刺さっている様な気持ちで日々を過ごしていた。
    そんな時、和樹に話しかけられた
    「なんだか、毎日上の空だけど、どうした、何かあったのか?」
    落ち込む気持ちと同時に、自分を見ていてくれる人のいる有難さにジンとする。
    自分を気にかけてくれる人がいるって、なんてありがたい事だろう。
     
    「うーん、そうだね、実はね」と
    先日の佳代子とのことを話した。
    そして
    「体の事もあるし、こういうことがあると、ひとつひとつ、自分の大事なものがもぎ取られるような感覚になってしまう。今までの頑張り方が間違っていたのか分からないけど、どこからやり直せばいいのかも分からないし、そもそも、時間が戻らないからやり直せないしさ。」
    黙って聞いていた和樹が
    「何言ってんだ、おまえ」と口調が強めになる。
     
    え?予想外の反応。
    「やり直すとか、そういう問題じゃないだろう?一体だれのために生きてるんだ?自分の為だろう?親の為でもなきゃ、その佳代子って人の為でもないだろう。誰かが認めてくれなきゃいけない人生なんて無いんだぞ?おまえはお前のままで、頑張ってきた、そのままで、これからは、もっとゆったりした気持ちをもって生きていって、ただ、幸せになればいいんだよ」
     
    口を開けたまま和樹さんを見つめてしまった。この人の、こういうところ、なんだかすごいと思う
    大変だったことを聞いてくれる誰か。
    大変だったねと声をかけてくれる誰か。
    気持ちを共感してくれる誰か。
    自分を理解しようとして、自分の立ち位置に立って考えて声をかけてくれる誰かが、一人でもいることは、とても幸せな事だ。
    そうだ、時間には、限りがある。
    「…相容れない人と無理して付き合うこと、無いのかもね」
    ふと表情を和らげる彼。
    「誰かを“変えよう”と思うのは無理が出るし、何言ったってその人変わらないだろう。鈴本人が今の自分から変わりたいって思ったって時間のかかるものだし、まして他人は自分の思い通りになんかならない。悩んでも解決しないぞ。」
    本当にそうだ、私だってなかなか…
     
    「私も、いつも同じようなとこ、グルグルしちゃうもんね、難しいよね」
    私自身は、がんばっている。いろんな見ないフリしていたことを真正面から見て、
    納得して、直そうと思い至ったけれど
    「それでもなかなか、別人みたいにはなれないよね、なんだか恥ずかしいよ」
    は?という顔になる和樹が
    「それでもお前は、変わろうと努力してるだろう?何か恥ずかしいことあるか?思い通りにいかなくても、目の前のことをこなしながら、ひとつひとつ乗り越えてきた先の今に立ってるだろう」
    思いがけない言葉に、一瞬とまどう。
     
    「人がどう思おうと勝手だ。それに、みんなと同じ考えや行動が出来ないからって、それを恥ずかしいとは思うなよ。バカだとバカにしてくる奴がバカなんだ。そこに対してやり返さなくて、もう無視するって、受け流すって考えを持てるようになったんだろう?上出来じゃないか」
     
    「励まされるとは思わなかった…それにいつも、何も言わないから和樹さんの考えていることも分からなかったよ」
    「え?俺?ん~まぁ、いろんなこと、言っても悩ませるかな、とも思ってたしな。子供のことにしても、子供は好きだからさ、まして、二人の子供なら、俺も会いたかったよ。
    でもさ、本当の本音のところだと、まだ会ったことのない、形にもなっていない想像するだけの小さな命より、今いる、目の前のお前の方が、俺には大事なんだよ」
     
    吹っ飛んだ。
     
    今の言葉で、何もかも、どうでもよくなった。
     
    人からどう思われようと、たった一人の大切な人に
    同じように「大切だ」と思われていたことが、こんなにも自分を奮い立たせる力となるなんて、想像もしてなかった。

    そしてやっと、自分の決断も肯定できるのかもしれない。
    「ほかの人の人生では置き換えられないけど、今回の私たちの選択では、子供は作るもの…じゃなく、いただくものだからと共通した思いになったから、決めたんだもんね」
    「あの時、鈴が居なくなって、俺と生まれた命が残されたら、とか考えると怖いからな。」
    確かにそれは、怖いし、したくないな。
     
    何度も自分に言い聞かせても、当たり前の常識の流れに、巻き込まれる毎日だった。
    命に代えても、母親にならないといけない?とすら、考えるようになった。
    だって、私には価値がないけれど、私の生み出す命には、価値があるかもしれないって。
    そもそも、どうして自分には、価値がないって思いこんでいたのだろう。
    病気になったから?何か躓いたら、そこで終わり?
    …違う、私は他の人にはそんな風に思わない。
    支えとなりたいと思うだけなのに、自分には厳しい目を向けてしまう。
     
    私が好きと思う、大切な人の横にいられる。その私が、自分を価値がないなんて思っていたら、
    私を好きだと思ってくれた和樹さんに、失礼だったんじゃないのか…な。
     
     
    …あの頃を思い返して泣きそうになる私の横で
    「鈴様、私も、あなたの味方ですよ」
    そう言ってくれる、こころちゃんの顔も悲しげに歪む。
     
    「自分を責めるという事は何よりも酷い仕打ちなのですよ
    人から責められるよりも心を弱らせるスピードは速いのです
    心が弱くなれば体もそれについていこうとします
    病は気からと言う言葉のようにとてつもないスピードで自分が自分自身を潰しにかかります
    カラダが真っ先に弱くさせ、休ませるという勘違いを起こすのは、脳、です
    私たちの『心』ともいうべき場所。
    休ませよう、回復させようとする脳の反応は、時として過剰な反応を選択します。
    動きを止め始めるのです。やる気をそぎ、気力を弱らせ、事実上の休息を取らせようとするけれど、私たち本人は、動けなくなっていくことでもっと自信を失い、悪循環ではありますが、脳の指令は、感情ではなく機能なのです。それが世間で言われている「鬱」というものです。

    そして鬱と言う『症状』で命を早めそうになる時の緊急避難場所が、今、ここなのです。」
     
    そういう事なのか。じゃあ私は、変な事を考えたという事…?
    「え?ちょっと待って、こころちゃん、そうよ、私、結婚してるじゃない、和樹さんは?あれ、どう暮らしているの?」
    「思い出されましたね、大丈夫ですよ。現実世界での小さなトラブルでケガをなさって、入院中ではありますが。そんな時に鈴様自身にも痛みを伴う出来事があり、お心がねじれ始めてしまったのですが。」

    ねじれる出来事って?何だろう。

    「皆様が辛いときに、心が折れそうと申されますが、最初は少しずつ、捻じれていくような感覚です。前を向いていたはずの正しき目線がズレ始めて、後ろを向き、反転して、また思い返しながら、捻じれてグルグルと回りだし、いらない考えが増えていくのです。そして千切れかけて、折れてしまうのです。思考はもともとの皆様の応援者と繋がっております。応援者の誘導する人生ではなく、鈴様ご自身の選択が生む未来の方向を助言して、選ばせるのが応援者の役目です」
    「出来事って何?」
    「和樹様のことを思い出された鈴様なら、もう心の体力が戻っているので思い出せるはずですよ」
    こころちゃんに言われて、考えていると、情景が浮かんでくる
     
    夜だった。
    人にぶつかられて階段を踏み外した和樹が足に軽くヒビが入り、痛みが抜ける数日間の安静入院となった。数日間の点滴と安静で、後は鎮痛剤を服用しながら仕事も出来るだろうと言われ、ホッとした。和樹の入院したのは、私の通う病院で、フロアの違う整形外科の病棟にお見舞いに行くのも不思議だった。
    「そうだ、電源戻さないと」
    電車に乗ろうとして電源を落としていたスマホを思い出した
    電源が立ち上がると父からも姉からも電話が来ている。
    何だろうと思ってまずは父に、何かあったのか?出ない、と思ったら、他からの着信が来た
    え?お姉ちゃん?
    「もしもし、どうし…」
    「あんたのせいよ!」
    矢継ぎ早にまくしたてる姉
    「お父さん、何回もあんたにも電話してたのよ!なんで出ないのよ、なんで行かなかったのよ!!なんで気が付かないのよ!!!」
    「え、何?落ち着いて、だって今日、私は様子見に行く日じゃないよ?どうしたの?」
    「私のせいじゃないからね、あんたが殺したんだから!」
    「え?」
     
     
    …思い出した。
    そうだ、そうだった。
    あの日、父はずっと、姉と私に電話をしていた。私は病院に、姉は友人と会ってから父の所に向かうつもりでいて、電話を無視した。父は緊急の救急車に繋がるホルダーのスイッチを落としてしまい、手元の電話で私たちに連絡をしたのだった。
    そして、間に合わなかった。
     
    声が出ないけど、叫んでしまう前に、涙で消えた。叫びは嗚咽に変わり、号泣する私を
    こころちゃんは、ずっと抱きしめてくれていた。
     
    泣きながら思う
    私は最低だ。
    出ていった母と同じだ。
    母は好きな人が出来たから、私達と父を捨てたんだと思う。
    母はいつも、自分の愛する人を優先する人だった。
    私も和樹さんを心配している間、父のことを忘れていた、同じだ、同じ…
     
    「違います」
     
    こころちゃんは言う
     
    「その考えは正しくは無いのです。子供の記憶は悲しみに囚われます。ですが、夫婦間の問題は、夫婦にあります。本当のことは、子供に伝えられず、誤解されたまま逃げるしかない状況もありうるのです。人には、その時々の、いろんな顔があるのです。偏ってしまった記憶の情報で、ご自身を責めることは、鈴様、正しくありません」
    こころちゃんには反論できない迫力があった。
     
    あの日、電話を切られて、父の所に駆け付けた。そしてパニックを起こす姉に責められながら色々と対応して、和樹には病院にいてもらい、後日、とお願いした。喪主は姉だがうつむいて泣いてばかりなので、私が色々と対応した。無事に父を見送り、家に安置した後、なんだか外に出たくなった。
    玄関の先はすぐ廊下で左に行けばエレベーター。正面は何もない空。
    私は正面に向かって、真っすぐ歩いていくつもりだったことを、思い出した、けど…
     
    「え?こころちゃん、私、飛び降りたの?」
    「いいえ、最初にお伝えいたしましたよね、肉体の鈴様はご自宅においでです。」
    焦った。そっか、天国みたいだけど、違うって言われたもんね。
    「鈴様は間違えかけましたが、ドアを出ようとした時に気を失いましたので寸前で止まれました。気持ちが下を向いてしまった人の多くは、決心の末ではなく、発作的に何も考えず、という事はとても多いのです」
    「私も危なかったのか」
    「鈴様を止めたのは、お父様ですよ。」
    「え?だって」
    「お亡くなりになっても、七日ごとの準備を終えるまでは地上におられますし、無の状態でドアを出ようとする鈴様に向かって、『どこに行く!』と叫んでおられました。
    落ち着いている鈴様てあれば別ですが、その時の鈴様は、一瞬、物音にでも感じたのでしょう、振り返ろうとして、段差を踏み外しました。崩れ落ちるようにしゃがみこみ、貧血を起こしてそのまま気を失われたのです」
    「うわ、恥ずかしい、転んで気絶って何よ。でも、お父さん、止めてくれたんだ。」
    ごめんなさいと、ありがとうと、後悔の念とが湧き上がる。
     
    冷静になっている今の私なら、それぞれの立場とその相手によっての顔があると思えるけれど
    自分が冷静ではいられずにいた、あの日々の私には、見えないものも多かったはずだ。
     
    母も、言いたいことも言えずにいたのかもしれない。子供には言えない話は、年齢を重ねてもあるのかもしれないし、捨てられた悲しみから、一方的に逃げたことを罪だと思った。恋人ができたのではなかったのか?頼った誰か、というだけだったのか?
    「今の私はまだ確かめられないけれど、憶測で判断する事はやめて、何が本当か、焦らずに知っていくよ。現実世界にいる、和樹さんは大丈夫かなぁ。お母さんも、姉さんも、どうしているんだろう」
     
    私を見つめるこころちゃんの眼差しは優しい。そして口を開くと
    「鈴様の最終治療として、問診があります。鈴様を守護する神様とお会いいただきます」
    え、神様と会えちゃうの?あ、それよりも
    「最終治療って、退院するための?」
    「はい。本来の、鈴様になっておられますからね。この空間でも、現実を思い出し、自分のこと以外に目を向け、自分以外の人の身を案じておられます。人のために、なにか動こうとする方は後ろ向きの行動は致しませんから、卒業できそうですね、この生活から。」
    複雑な感情が湧き上がる、和樹さんも大事、現実も大事で、でも、こころちゃんも、もう大事な人なんだ。
    「申したはずですよ、いつも一緒だと。さぁ、いってらっしゃいませ」
    こころちゃんが両手をふわりと上げたら、部屋に透明な渦が出来た。
    水?何?
    捻じれながらも形を成していくそれは、蛇のような、でも、違う、この子、私の…
    『お迎えに来ましたよ』
    聞こえると同時に渦に巻き込まれ、猛スピードで上昇した。
     
    まるで水の球体に閉じ込められたような状態から、急にまたポン、と奇麗な白の空間にきた。
    白のグラデーション、色んな白の陰影でなされた空間は、これって、雲?
     
    「久しいな」
    声の主を見ると前に見た夢、船を見送ってくれた人だ。
    「試練を越えてきたな。見ていたぞ。」
    え、見ていた…すさんでいた頃は誰にも知られたくない心を抱えているし、そんな自分を見られたくも知られたくもないけど…。
    「それは無理だな、私もお前の守護でもある」
    あ、こころちゃんと同じか、口に出さなくても聞こえちゃう。
     
    「お前だけではない。この世に生きとし生けるものは、皆それぞれ護られて、見られている。
    その者ら個々の人生の波に差はあるが、決めてきた課題を越えていくというのは同じではあるから
    その中で無事に生きて、また戻る時までの、大事な魂に差はない。そしていかに決めてきた道筋を無事に歩み全うするためには、護りも必要だ」
    なんだか、守護霊みたいなものかな?それにしては何かすごそうというか、偉そうと言うか…あ、失礼。
    苦々しい顔つきのその人は、相変わらずだな、と呟いた気が、した。
    向こうの心も聞こえるのかも。
     
    「お前自身は、今世、何があっても自ら死を選ばず生き抜くと目標を掲げて生まれている」
    「そんな、自分で決めたみたいな言い方」
    「自分で決めている。皆、そうだ。」
    何をいまさら、みたいな顔をされた。
     
    「生きてきた後悔の数をいかに次で減らせるかどうかも重要な事だ。特にお前は無茶な設定をしておる。お前の『宝』に追いつこうと、今まで生まれた数の後悔を全部詰め込んだ。」
    「今までって…」
    言い終わる前に何もない空間に映像が流れだす。
    みんな違う人、女性も男性もいるけれど、みんなの…最期の時の映像…。
     
    ただただ眺めていたけれど、途中から数を数えてみた、1,2,3,4,・・・14,やっと止まったけど
    最期のセリフが「おしり」って言って意識がなくなるって何よ。
     
    ただ、映像的には怖すぎるよね、何か光って爆発して、目の前に人が飛んできて、それがお尻部分で、もしかしたら、そこだけが飛んできた…そして私も意識が消えた。
     
    「ねえ、今の全部、私?」
    多分そうだよね、顔も性別も違うけど、何か分からないけれど、自分だと思って見ていた。しかも、こんなに何度も生きてきたの?
     
    「どう思うかは別だが、やり直せるという時間があることは、幸せな事だ。限りはあるが。」
    その人は続ける
    「おまえは宝を探すこと、そしてその宝と共にあろうとして、試練の数を増やしている。」
    たびたび聞くけど
    「宝って、何ですか?」
    「お前の場合は、今の夫だ」
    「…確かに、宝物に出会えた気はする」
    「あれはやはり苦難が多い人生だ。共通して言えるのは、不運に見えずして苦労が多いのはわかるな」
    「はい。あの人は、苦労人ですね。でも、元々が心の奇麗な人ですし、答えを知っているのに、知らない私の立ち位置にまで降りてきて、考えさせてくれる。そしてそれを偉ぶることもない、生まれて初めて会った人間、という感じですけど」
    「生まれて初めて、というのは今回のことで、お前たちは今までも出会いはするが、別れを繰り返している」
     
    頭の中に映像が流れる
    今世より少し遡る頃、私、彼のお妾さんだった…。そして、病気になって、駆け込み寺に逃げ込んで、え、肺を患って会わないままに…これって?
    「言ったであろう。やり残したことを解消することが出来るのが、生まれ変わることと。」
    …ちょっと、こわいな、つじつまが合いすぎて。
    「おまえの決めた試練のひとつは、同じ環境でも互いに離れずに乗り越えることだ。それは見事に越えたではないか」
    乗り越える、と言えるよね、気持ちは、もう越えられた気がする。あとは、体?
     
    「体の再生に伴う痛みは、かなりのものだ。おまえなら分かるな」
    「そうですね」
    私は、体が悪くなってから、始めた仕事がある。そこで体の再生する様子は、見てきた
     
    「痛みが強く、治ることで弱るという悪循環を生まぬため、通常なら、我らが管理をする。生きていながらにして終わりの時のように実体と魂に分けるのだ。今回のおまえのように、運命ではまだ生きる予定のものが、間違えてしまわぬよう、体を治さねばならない時に今回のような方法は使われる。我らのようなものが一時的に保護をして、現実世界の体を守りながら魂の治療をする。お前についていたものに聞いておるだろうが、切れぬ糸が繋がってはおるが実体は空洞化している様なものだ。そこに入ろうとする輩がおり、つきまとう。」
    「それは聞きました。」
    「現実世界での空洞になった体は、よからぬ者たちにも分かるからな、標的になりやすい。未練を持つものも、やり直したいとすがる気持ちから肉体を持ちたがる。」
    そういえば、きちんと掃除をして空気を換えられるようになる前の、体調の悪い頃は、なんだか部屋も暗くてうすら寒いというか、それって、変なのが寄ってきやすいからなのかな?
    「じゃあ、助けて、と思う、もう肉体の無い人たちが来るから、陰湿な空気感になるの?」
    「そうだ。あやつらはまず、生きているものの気力をそごうとするからな。自分らが動きやすい荒れた環境を維持しようとする。そういう危険な時には実体の守護のものが魂の代わりに体に入り隙間をうめる。そうすると多少顔が変わってしまうが護りやすい。そして守りやすい場所もあれば、面倒な場所もある。それらを回避するために、現実的には、鬱となっておった方が、安全な場所にいる時間も増える。全てにおいて都合がよいのだ」
    なんだか、そう聞くととても納得する。でも病気でもない子供の頃から学校以外を閉じ込められるように生きてきたから、心や体が暗くなったかと思っていた。
     
    「閉じ込めるというと、気持ちでは下向きな言葉に受け取れもするが、
    おまえが今まだ此処に在るのは、そのおかげでもあるのだぞ」
     
    「どういうこと?」
     
    「その時にどう思うかではなく守る、いや、護るために今までの時間はあった。生きながらに環境は、この空間での状況と似ておろう。
    お前が選んだ今の人生の時間は、越えるには過酷なものだったという事だ。
    人は一つの大事でも、一生考え続けるほど傷を負う事もある。お前は絶え間なく転生の回数分の後悔を解消しようとすれば、全ての課題に取り組むためには、不幸中の幸いとも呼べるよう一番低い不運を作ってはあるが回数は多すぎる。ゆえに、絶え間なく不運がやってくるという事だ。極力家にいるような環境を作れば、うっかり、危険を呼び込む事柄も減るからな。」
     
    「私が自分で寂しい筋書きを決めてきたの?」
     
    「そのようなものだな、大筋を決めると、それに沿う事態が物語のように作り上げられる。その調整も、この空間で行い、ギリギリで決定するが、その中で生きたお前が、高い不運を自ら作り出してしまう事がある。個人の魂の特性で、耐えるか、怒るかで変わってくる。お前の場合は耐える方が強い特徴になり、我慢を出来てしまう事で、不運を越えるという事より、不幸に慣れてしまい『越えない』ことも起きてくる。改善しないのだ。そうならないようにも護っていなければ、度を越えてしまう。」
     
    「なんだか難しいですね、頑張るほど逆効果、って言われている気がする」
    「波のようなものだ。その生命の動きによる大波や小波のように、不定期なようで緩和された波に乗れているうちは、自然な流れで進めもするが、不必要な力を入れ壁を作り立ち向かえば、チカラの弱ったものが負けるという事だ。
     
    「私は、自分の人生を失敗しそうになったということ?」
     
    「失敗ではない。課題に打ち勝つことは、試練を超えるということとなる。自分で決めた大筋は、たいがいの人間は越えられるべきものではあるが
    今までのやり残しを解消すること、全てのやり残しを一度に済ませるべく試練が増えるために、苦しみすぎて、故に、間違えて終わらせてしまう場合もあるだけだ。」
     
    確かに、しんどいことは沢山あった。死なない程度の、ギリギリの不幸みたいなことが。
    当時の私に言えば怒るだろうけれど、ここで思い返す、今の私なら、納得のいくコトバ。
     
    「不幸と試練は違う。全くの別物だ。今の生で自ら命を絶つのは試練の数を増やすこととなる。人生を終わらせる時期が来ることは、有り難いことでもあるのだ。死して生まれ変わり、やり残したことは別の人生で遂げる努力をすることができる。期間を設けられているということは懸命に生きようとする心も作り上げる。だが例外もある。己の人生で、時代による終わりの形で自ら死を選ばねばならないものがいる。それを恐怖により逃げたとする。それを悔いた魂は、また今世で自らの命を絶つことを『卒業』の形として決めてくるものもいる。武士という時代を経験したものに多い方法だ。その場合は、周りが悪いのではなく、本人が弱いのでもなく、ただ、決めてきた終わり方というだけだ。その者の人生を振り返れば、おそらく優しくて強いものであったはずだ。けれど、終えなければいけない方法として、選んだ悲しい方法であり、その場合は次の生まれ変わりに試練は増えぬのだ。」
     
    「そうなんだ…。誰かのせいでもなく、本人のせいでもなく、大きな流れの中の出来事の一つだと、残された人が思えるかどうかで、変わってくるけれど…みんなそんなこと、分からないままなのに。」
     
    「全て理解して生きているものはおらぬ。その悔い、それを越えてまた、大切なものは、大切に思う者たちと、同じ時代に生まれようとする。次なる課題の中に、悲しませた詫びとして、幸せな人生を描いてくることになる。」
     
    「それを聞いていて思ったんだけど、いろんな人生を持っている個人の魂が、思い直して、後悔を消し、ひとつひとつ越えた、各個人の未来には、不幸が減ってくることになるわよね。今はまだ悲しい結末も、越える課題にしているから、悲しい出来事も多いけれど、だんだん減ってくるんじゃない?辛い出来事って。」
     
    ほ、と緩む顔を見せて言った
     
    「それが我らの望む世界だ。」
     
    「やだ、神様みたいなこと言って」

    はっ、と笑われた。
     
    笑うその人にも、人間だった時代があるのだろうか。
     
    「お前が思うよりも、複雑で、そして知ってしまえばなんて事の無い事情の不運もあるのだ。
    人間は神格化された者たちは二度と生まれ変われないと思っているが、そんなことは無い。各々の役割があるために、回数制限もあるが、わたしは全部で八回、転生できる」
     
    「そうなんだ、でもそれって、良かったね!なのか、どうなのか、分からない」
     
    「ふ、変なところに鋭いな。役割を置いてまで人になろうとするときには、たいがいは孤独を背負う事となる。例えば、憎まれたり、嫌な役目を請け負っても、護りたいものの側に生まれる。例えば私は、お前の父親に生まれ、おまえの母親も、また神である」
     
    …?…
    何か言いたくて
    何も言えなかった。
    口を開けたまま、言葉にならない空気が漏れただけ。
     
    「お前だけではない。八百万の国に生まれる全ての人間の敵は、嫌な役目を引き受けた神々の分け御霊だ。憎む、恨む、悲しむという負の塊を消し飛ばせるのは我らだからだ。相手に嫌われようと憎まれようと、その者の決めた人生を全うさせるために、降り立つ。」
     
    「…何それ、私なんか届かない孤独なのはあなたの方じゃない」
     
    今、私たちが立っている、どこまでも続く、白い空間、それはとても、寂しくて怖くも見える。
    そんな中で私たちのために、嫌な思いを引き受けながら、異空間でも現世でも守り続けているなんて…
     
    「決めたよ、私は戻ったら幸せになる。あなたがくれた貴重な転生を無駄にしない生き方をする。そして私が今度は、あなたを幸せにしてあげる」
     
    真っ向から見据える鈴に
     
    「はっははは!合格だ、鈴、送り出してやる。そしてその気持ちで天寿を全うできれば、お前の「宝」である、夫にも追いつくことになるぞ。」
     
    あ、そうだ、人探しと言うか、私は和樹さんと幸せになるために、探して生まれてきたんだもんね。
    でも追いつくって何?
     
    「あれは、今回で人間の役割を終える魂だ。その後は我らの手助けと言う形での、転生をすることもあろうがな。おまえはそこに至ってない為に焦って試練を詰め込んだのだ」
     
    何それ、考えなしと言うか…
     
    「無謀でもあるが、自信家でもあるな。」
    初めて、いい笑顔で笑ってくれた。
     
    人探しの目的を持つものや、守護側にまわる為の最終人生とするために、生まれ変わることを選ぶ。
     
    私は人間世界で見てきた、自分以上の辛い出来事を抱えて、自分では越えられないと思うような気持ちを抱えても、耐えて生きている人たちに出会い、そこに寄り添い生きてきたことから共感以上の何かをもらった。
    光と闇の混在する中で、その狭間で、大切な人達のどこに焦点を当てていくかでもまた変わっていくんだろうな
     
    「ねぇ、神様、私、戻ったら何か見つけて、頑張っていくよ。今までやってこなかった、自分ってものも大事にしながら生き直してみる」
     
    「それがいいな、自ずと見つけられるであろう」
     
    探す宝は、いつも傍らにいた。人生の中の、色んな『尊い俳優さんたち』に囲まれて、自分の過去の中に答えを探し続けてきたけれど、私は、やっと。今、ここから歩き始める。
     
    「また、いずれ」
     
    そう言って手を上げたら金色の暴風に体が舞い上がった
    「いやぁぁぁぁぁ」
    叫んでいたら
    ボサッ
    異空間の部屋のベッドに落っこちた。
     
    「おかえりなさいませ。退院おめでとうございます」
    「それは文字通り、嬉しい言葉、なのかな。」
     
    ふふふと笑いながら、こころちゃんが促す
     
    「鈴様、出口は玄関ではございません、ご案内しますね」
    狭い我が家で向かった先は
    「パントリー?」
     
    「そうです。現実とつながっているのはこの部分になります」
    指さす場所は上から二段目の右端の、何も置いていない場所。
    え、こんなところ?
     
    「ねぇ、一度帰ったらもう戻れなくて、その、もう、あの」
    「そうですね。このように対峙してお話しできるのは、これが最後にはなります」
    あ、やっぱりそうか、それだけはとても寂しい。
     
    それでもこころちゃんは、満面の笑顔。
    「それでも、鈴様が天寿を全うして、お戻りになれば向かい合う事はできますよ」
    「そうなの?!」
    ちょっと楽しみできたぞ、って駄目だ、そっちに積極的に進んでも問題だ
     
    「ここは、現実に戻ったら、入口なの?」
    「そういうことではないのです。そもそもは違うルートでお越しいただいておりますし、この場所は一時的な鈴様の避難場所ですので、現実に戻れば消えます」
    「うわぁ、魔法みたいだね!」
    「鈴様は子供のようですね」
    ふふふ、と笑っているこころちゃんの方が、私から見れば子供のように可愛いのだけれどね。
     
    「最終試験にもパスして生きることを取り戻せた鈴様は、今から新たな気持ちでお過ごしになれますし
    この先の道には、安心と幸せばかりですよ」
    何それ、私の1番欲しかったもの。
     
    「一番、ではございませんわね」
    あ、そうか。一番は、あの人。
     
    私を待っていてくれるあの大切な人の、恩に報いていかなければ。
    「そうですね、そのお気持ちを忘れないことが大事で、原点です」
     
     
    私がここに来て分かったことは
    世界には、生きている場所があり、天寿を全うしたら暮らす場所もあり、
    そして休息の空があること。
     
    今までの辛い毎日は、わざわざ越えようと自分で決めた取り決めだったなんて。
    私の宝物は、人だった。愛する人。
    その人との魂のレベルを同じ位置にするために、苦難を越えて自分を磨いてきた。
    辛さから逃げることなく向き合っていき、一時的に荒れた心を抱えたとしても、やがて反省して、考え直し、許したり忘れたりする。相手や物事を記憶のひとつと出来るのなら越えたことになる。
     
    そしてこの休息の空の時間を越える前に、生まれるときに約束された苦難は
    神様との最終試験によりすべてが片付いたことになり
    この場所から戻るのは、「幸せだけの人生」となる
    だから、周りのみんなも巻き込んで、幸せになっていこうと思う。
     
    「その気持ちがカギです。他者を思う心があればこそ、これからのすべてはうまく運びます。
    向こう側に行き、自分を統合させることが出来るのです」
     
    あ、よかった、合体?
    「現時点であちらにいるのは、そもそも、学びはいらない、自分です。
    自分の核は今ここにいる鈴様で、どちらかを無いことにして生きていけるものはおりません。
    試練を越えて世界に身を置くと決めて生まれた人々は苦難の中でも自分を取り戻せた瞬間から
    幸せなご褒美の時間の中に行くことができます」
    「あの人は?」
     
    「もうとっくに退院してご自宅に戻られておられます。現実世界で、鈴様を待っていますよ」
     
    この部屋から事の成り行きを見守ってくれていた
    こころちゃんとは、これで離れる。
     
    彼と共にいようとしすぎてしまった、鈴。
    彼に追いつこうとするあまり同じレベルになるような負荷の青写真を決めた
    一人の人生の中で越えるものの、何倍になるだろうか。
    それは誰もやろうとしてこなかったこと。成し遂げた前例もなく、そして大義でもない、一個人の人生のつまずきをはらすこと。
    越えられるかどうかの保証もなかった。
    負荷が強く、失敗はそのまま、自らを終わらせる事に繋がり
    この人生の章の終わりを意味してしまう
    すると次の人生での負荷は自動的に増える。
    それでも私は決めて、どうやら、関門を越えたようだ。
     
     
    気づかされた、生きる方向を。
    選んでいかないと、生きる方法を。
     
    宝は見つかった、私の探し物は、「人」で、
    人こそが「宝」で、あの人だけではない、宝物に囲まれていた。
    「私は幸せに生きるね」
    口に出してパントリーの棚によじ登り、見ると一部分だけ、壁に穴がある。
    ここから帰るのか。
    最後に、こころちゃんと握手する
     
    運命は誰のことも見捨てない。
    なぜなら私はきっと、幸せになるためにも生まれてきたのだろうから。
    今度こそ、そう、今からだ。
     
    「こころちゃん、またね」
    忘れるって言われたこっちの空間。それでもここでの体験は、わたしのどこかに刻まれて、消えることは無い。
    「鈴様、ともに戻りますよ」
    握手していた手を引き、壁の向こうに引っ張られる。
    「一緒に?」
    言う間もなく、こころちゃんが私に重なる
    「まだ、ご一緒できますよ」
     
    そして何も、見えなくなった。
     
     
     
     
    「鈴、おい鈴、起きろ」
     
    「ふぁ、おはよう、和樹さん」
    「何?親父さんの夢でも見た?」
    ダラダラに泣きながら起きてしまった。
     
    「大丈夫、でもなんか、すごい休んだ気がする」
    「まぁ昨日早めに寝たもんな、俺が来たの知らないだろ」
    「うん、分からなかった」
    「ビクともしなかったぞ」
     
    「なんだか、会えてうれしいよ、和樹さん」
    「なんだそれ、朝は、おはようございます、だ」
     
    リビングに行くと、すごい青空が見える。
    いつもの白っちゃけた空がウソみたいに晴れてる。
     
    「親父さん、連れていくんだから、支度しろ」
    あ、そうだ。父を安置する日、ちゃんとお礼言わなきゃ・・・お礼?
     
    「わかった急ぎます」
     
    と、ふと、窓の外に桜の花びらが貼り付いている
    前の公園から、吹きあがってきたのかな?奇麗。

    窓を開けると
    『一緒ですよ』と声がして、花弁はひらりと飛んで行ってしまった
     
    「和樹さん、何か言った?」
    「何も言ってない」
     
    はーい、と返事して、窓を閉める
     
    鈴の毎日は、また普通に重なっていく。
    いつしか平凡と同じように扱われるようになった、普通と言う言葉
    あまねく行きわたり、差別がない事
     
    本来の意味は、とても素敵なものなのに今の時代に変わったコトバ
     
    私は時間をかけて、幸せになる
    普通の毎日を生きていく。
     
    ありがとう。
    私に気づかせてくれた存在たちに、感謝します



    おしまい。
     

    #創作大賞2026 #ファンタジー小説部門

     
     
    はじめまして🍀 ひかり と申します たくさんの見たいもの してみたいことがあります 身動きができなかった時間もあったので 今から楽しみたい noteは、家族や友人にすすめられて 始めてみようと思いました 宜しくお願い致します🍀

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