
「父の日」の贈りもの
「母の日」に贈るカーネーションの売れ行きについての新聞記事を読みながら、「ところで父の日はいつだったか」と思いはじめた。ネットで検索すると、毎年6月の第3日曜日だとわかった。5月の第2日曜日の「母の日」より1カ月ほどあとになる。「母の日」はなんとなく5月かな、と記憶にあったが、「父の日」についてはまったく知らなかった。アメリカではじまって日本にも広まった。1900年代の半ばから後半のことらしい。
カーネーションは「母の日」の贈りものの定番だが「父の日」は、と考えると、さて、なにだったか。思いつかないし想像すらできない。もともとは白いバラのようだが、それも今回初めて知った。
もちろん「母の日」もカーネーション〝一択〟ではないだろうから「父の日」も贈る相手を思い浮かべていろいろ候補はあるだろう。ただ、わが身を振り返えれば、どれほど記憶をさかのぼっても贈りものをした場面にたどり着かないのが、情けない。
昨年の6月、父を見送った。父が逝く1カ月ほどまえ「話ができるうちに会っておいたほうがいい」と実家から急報があり帰省した。父は入院して個室にいた。
2日間見舞った帰りぎわ、スムーズな会話がつらそうだった父がわたしの名前を口にしたような気がしたので「どうした?」と話しかけると、「あれっ、おまえか」と意外そうに返された。その場にいた家族全員がエッという表情で顔を見合わせた。
病院の規則でマスクをしていたとはいえ、声でわかっているものだとばかり思っていたが、そうではなかった。「だれと思ってたの」と聞き返すと、これまでも見舞いに来ていた孫と思っていたらしい。そのときは笑って病室をあとにしたが、気持ちは複雑だった。
いま思い出すのは、あのとき病棟の廊下を行きながら「マスクをとってちゃんと顔を見せたほうがよかったかな」と父のいる病室を振り返ったこと。でも、戻らなかった。気持ちのどこかに「こんど来たとき」との安易な考えがあったのだろう。「こんど」はやって来なかった。
昭和一桁生まれで、男ばかり4人兄弟の三男。育った時代と家庭環境が影響したのか男尊女卑の考えが強かった。わたしを長男というだけで、多くの面で姉より優遇した。それでも会話はそう多くなかったと思う。昔かたぎ。男同士の気恥ずかしさも互いにあったか。こんなだから「父の日」は素通りしていたのかもしれない。
「もう」なのか「まだ」なのか、気持ちは整っていないが、6月20日に一周忌法要がある。1年ぶりに父と〝会う〟。その翌日は「父の日」だ。すっかり遅くなってしまったが、贈りものは「素顔」と決めてある。
(了)