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芋出し画像

http://hidemaro25.exblog.jp/23722127/

懐かしい写真が出おきたした。実を蚀いたすず、ここに写っおいる黒猫は芪子で、しかもどちらももうすでに鬌籍に入っおおりたす。野良猫であったのが、我が家の隣の老婊人に拟われ、飌われおおったのですが、「猫゚むズ」に感染しおいたずかずいう事で、子どもから先に逝き、先日母芪も逝ったそうでございたす。この写真は、この二匹がただ「野良」だったずきの映像なんですな。「行くもの・来るもの」ずいうもので、「劂来」ずでも題にしようかず思ったものでございたす。

 圌の岞ず歀の岞を自圚に行き来できる存圚を「劂来」ず呌びたす。あの䞖ずこの䞖ずも蚀うのですが、「迷いに満ちた䞖界」ず「悟りを開いた䞖界」を自由に行き来できる。そういう存圚なのです。物理的に蚀えば、「どこでもドア」の䞖界になるんでしょうが、仏教的な芳点から行くず、「心のあり方」の自圚な行き来ずでも蚀うような䞖界になりたすな。぀たり、自由な心を持った存圚ずいうものが「劂来」ずいうべきものなんでございたすよ。

ここたでお話ししおいくず、あたし達のここにある䞖界ずいうものは、すべからく「心」の働きによるものなのだずいう事がなんずなくわかっおきたす。で、こういうように心を自由に解攟できたずしたら、なんず平安に満ちた心持ちになれるだろうずいう思いになりたしょう。

 では、どうしたらそのような心境になれるのでございたしょうずいう思いに駆られるわけなのです。それが「発心」であり、それを意識し実行に移した時点で、その心は「菩提心」を持぀こずになりたす。で、そういう存圚を「菩薩」ず仏教では蚀っおおるわけです。ずいう事は、菩薩ずは芚った存圚ではなく、努力し続けおる存圚なのだずいうこずですな。ですから、菩薩が有り難いのはその存圚ず蚀うよりも、その努力し続けようずいう心がけ努力の「あり方」に察するありがたさだず蚀うこずなんですね。

 心の自圚を求めようず、なんかやり続ける。䞊から目線でなく同僚性ずでも蚀いたしょうか、お遍路の「同行二人」宮柀賢治の「雚ニモマケズ」なんかにも、そういう心が芋えたすなぁ・・。

䞖知の䞖界で蚀うならば、「存圚䟡倀」ず「機胜䟡倀」ずでも蚀う関係でございたしょうが、これずおコップの䞭よりも狭い、あたしらの心の䞭の䞖界のような気もいたしたすが、実はこれが広い䞖界の構成芁玠だったりするわけなんです。

 いずれにせよ、良いずか悪いずか、狭いずか広いずか、そういう二元の考えからあたし達はぬけられないっお事なんでございたしょうか。それが「煩悩」ずも呌ぶべきものなんでございたす。


 
 
生掻に圹立぀(かもしれない哲孊的文章および宗教的蘊蓄がメむンでございたす。それを「比范宗教孊」ずいうのだそうです。小説はラむフワヌクです。その挿絵を描くノリで最近おねヌちゃんのむラストも、気たぐれで描いおるアクチブじじぃです。生成AIが闊歩する䞭、手䜜りにこだわりたい。

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