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似非ひらがな

野良のひらがなが廊下に落ちていた。
何のことかというと、子どもの園グッズから脱走したお名前アップリケを見つけた話である。どうしてこんな所に「や」がいるんだと一瞬思って、まぁ往々が掃除をサボったツケだと察して言及をやめた。
急遽引越しをすることになった。当方、子どもの頃から引越しばかりの人生だったが、『急遽』引越しをするのは二度目であった。
引越しをすると決めてから物件を探し内見を済まし引越し業者を頼むまで、その間一か月もなかったと思う。
これを読んでいる方の脳内サジェストに『もしかして:夜逃げ』と提示されているかもしれないので言明するが、決して夜逃げではない。白昼堂々立ち退くので安心してほしい。
それで当方、嫌いなものはいくつもあるがトップに食い込むのが箱詰め作業である。その二つくらい前に箱から出す作業が来ることは置いておいても、全くちっとも進まない作業に飽きて移動を図ったのちに脱走済みの野良ひらがなを見つけるのは、なんとも皮肉めいている。
今の家に来たのは子どもが2歳の頃だった。当時はコロナ禍真っ最中、どこもかしこも不安に塗れて外出を極力しないが美徳であり人徳みたいなもので、空いてる物件が本当に無かった。不動産屋もマスクの下で苦笑しているのが見てとれた。条件に合う物件を半泣きで探しやっとの思いで越したのが今の家で、どんなに古くて不便で駅からも隔離されとんのかってくらい離れていても、それなりに都だったのだ。
夏になるとあちこちから飛ぶ系のむし(漢字にすると恐ろしさが増すのでひらがなでいかせてもらう、当方むしが全て無理)が湧くし、冬になるとエレベーターが軋み出してまるで鯨の腹の中にいるみたいな音を立てて不安にさせた家だ。不満の数だけ、乗り越えてきた愛着があるのだ。
当方が住んでいる地域は名の知れた物騒タウンで、悪く言えば治安が悲惨な場所である。
しかしながら公園が沢山あるところや、えげつないホラー映画に出てきそうな毒々しい紫陽花が咲く近所、何かしらの甘いものを作っている工場から漂ういい匂い、焼肉屋の匂いと喧嘩しがち、あほみたいな路駐グループをすり抜ける細い道、夏場絶対買っちゃう17アイス自販機、でけえワンちゃん飼ってるお家。どこを歩いても何かしら思い入れのある道とおさらばするのは、どうしたって物悲しくある。
あと半月、私は箱詰め作業に没頭ロボットになることで忙しいが、定期的にセンチメンタルな気持ちで最後にこの街を見て歩くのも悪くはないだろう。
ひとまず野良のひらがなを新居に連れて行くか、悩むフリをして箱詰め作業をサボるのだ。

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