目的のない移動、それは旅でもあった
ある日、家族がプールに行きたいというので、出かけて行った。
私は迷ったけれど、プールという気分ではないので、私は行かないことにした。
ちょっと申し訳ないかな、という気もしたが、まぁ全部家族にイエスと付き合っているのもどうなのか?と最近思っていたので自分の意思を尊重してみた。
実際プールにまつわる準備というのは大変で、片付けも含めるとまぁまぁ労力がかかる。
なので、片付けはしっかりやってあげよう?ということで、自分だけは別行動することにした。
が、その日はファミリーデー(家族の予定優先日)だったため、いざ予定が空くと、あれ?何しよう?という気持ちになった。
いや、厳密にはやることは山ほどある。あの事務手続き、あれをしまう、あれを出す…
だとしても、本当にそれは今やる必要あるのか?本当にやるべきことなのか?というと、なんとなく直感的に心は、あれ?やることなくない?と言ってきたのであった。
ふむ、思いがけずの1人時間というか、家事時間というか。
何をしようか?と迷いつつ、とりあえず行動!と、トイレ掃除など雑務をこなした。
が、やっぱりなんかいいアイディアはわかない。
そこで、思い切ってなんの目的も持たずに出掛けてみることにした。
とりあえずいつもの持ち物を持って行けばいいのだから、と。
思い返すと、またも、なにおれさんの本を思い出す。
目的を持たずに移動すること、ただ歩くことなどが推奨されていたではないか?と。
これはせっかくのよい実験の機会だとなんとなく納得する。
時は昼12時。
夏の日差しがジリジリとしている。
外に出たら案の定人はあまりというか全然歩いていない。
というか、まさにみんな出たがらない時間帯である。
けれども不思議といざ歩いてみると、その日はうわっと面食らうほど暑くもなく、むしろ風は心地よかった。
しかもいつもより人通りが少ないのだからなお良い。
とりあえず家族のいる、プールの近くまで電車で行ってみることにした。
そこで合流でもして、お昼でも食べるか?という感じである。
あのショッピングモールに行ってあれを買おうか?とかいろいろ考えたけれど、今日は特に目的を持たず電車に乗る。
で、よく考えたら、目的を持たずにただ出掛ける、という機会が逆に全然ない、という事実にも気がついた。
あの用事を済ませる、これを買う…
いつも何かのために、何か追われているような…
人生は忙し過ぎる、と思ったけど、自分で自分を忙しくさせているだけなのかもしれない。
そのプールには電車で行ったことがなかったので、新鮮な経路であった。
へぇこんなところ通るの?という。
その見慣れない街並みの新鮮さとなんの目的もないという不思議な開放感。
そこにはゆったりとした時間が流れていた。
あ、これなんだか旅みたい、と思った。
なにおれさんも、目的を持たない移動は旅、と言っていたような…
短い時間の旅。
まさにショートトリップのような感じか。
だけど、不思議とリフレッシュできたような気がする。
また目的を持たない移動、という名の旅をやってみたいと思った。
そこにはただ空白がある。
そこに癒されるのかもしれない。
