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誰かの日常、誰かの非日常

    私たちのデイケアでは、年に2回、外食プログラムを組んでいます。

    普段、外食をする機会が少ないメンバーさんたちにとって、それはカレンダーを見ながら何日も前から心待ちにしてくれる、特別なイベントです。

    つい日前、そのプログラムで私たちは「フードコートのケンタッキー」へ行ってきました。

    実は、この企画が形になるまでには、小さな議論がありました。院長に企画書を出した際、こんな言葉が返ってきたのです。

    「フードコートでケンタッキーなんて、ちょっと日常的すぎない? どうせなら、もっと特別感のあるお店の方が喜ぶんじゃないかな」

    確かに、一理あります。

    贅沢な御膳やおしゃれなレストランの方が、分かりやすく「特別」に思えるかもしれません。

    私たちは、立ち止まりました。

    メンバーさんたちが喜ぶ「特別」って何だろう。

    明快な答えは出ないまま、私たちはその問いを胸に抱えて、当日を迎えることになりました。


    プログラムを決行したのは、平日の昼時。

    いつも私たちが過ごしているデイケアの部屋は、穏やかで、どこか静かな時間が流れています。

    しかし、一歩足を踏み入れたフードコートは、まるで休日かと思うほどの人の多さと、圧倒的なにぎやかさに包まれています。

    その激しいギャップに、メンバーさんたちだけでなく、私たちスタッフもどこかソワソワしていました。


    無事に注文を終え、いざ食事が始まっても、スタッフの胸のざわつきは消えません。

    そこに広がっていたのは、全員がパッと満面の笑みを浮かべるような、わかりやすい「大成功」の景色ではなかったからです。

    あるメンバーは表情を変えずに淡々としたまま。 またあるメンバーは言葉もなく、ただ黙々と、少し急ぐようにチキンを口に運んでいます。

    周りの賑やかなトーンに比べて、彼らの静けさは、まるでいつもと変わらない、あるいは少し戸惑っているようにすら見えました。

    「……本当に、これで良かったのかな」

    それぞれのテーブルをハラハラしながら見守る中、スタッフの間には一瞬、そんな空気が流れたのです。

    けれど、黙々とチキンを食べ終え、コーラを吸い上げた彼らの顔をじっと見つめていたとき、私はふと、ある変化に気づきました。

    そこにあったのは、どこかホッとしたような、小さな安堵の表情。

    そのとき、気づかされました。

    私たちにとっての「ありふれた普通の場所」に行くために、彼らがどれほどのエネルギーを使い、どれほど緊張していたか、ということに。

    「日常的すぎる」かと議論したあのフードコートは、彼らにとっては、十分すぎる非日常だったのです。

    やがて緊張の糸がほぐれ、各テーブルから少しずつ会話が始まりました。


    そんな賑やかさの余韻を乗せて、いつものデイケア室に戻ってきたとき。

    とあるメンバーさんが、静かに言いました。

    「みんなで食べられて、本当によかった」

    いつも通りの静かなデイケア室で、その横顔はなんだか少し誇らしげに見えます。


    彼らにとっての特別感について真剣に悩んでいた答えが、少しだけ見えた気がしました。

    私の持っているものさしは、彼らの世界を測るには少し短かったようです。



    メンバーにとっての「非日常」。

    次は、どこにあるでしょうか。

     
     
    臨床心理士・公認心理師として20年以上、人の心と向き合ってきました。 日々の出来事から、いろんなことを考えます。心のありよう、誰かとのつながり、愛すること、働くこと。そして、生きること。 毎週水曜日、思いを言葉に。 2026/05/13

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