
なぜ“教えすぎる人”は増やせないのか
ヘラブナ釣りの人口を増やしたい。
そう思う人ほど、
熱心に教えようとする。
もちろんその通りだと思う。
理論を伝え、
配合を教え、
タナの意味を説明する。
でも、不思議なことに
教え過ぎる人ほど
へら釣り仲間は増えない。
教える人に悪意はない。
むしろ逆だと思う。
早く上達してほしい。
うまくなってもらいたい。
自分が遠回りしたから、近道を渡したい。
それは善意だ。
でも、善意と結果は一致しない。
ビギナーの中では、
きっと、別のことが起きている。
ちょっと何言ってるか分からない。
恥ずかしい。
迷惑をかけたくない。
できない自分が目立つので気まずい。
そこに大量の“正解”が降ってくる。
理解できない。
覚えきれない。
出来ない自分が強調される。
楽しい、よりも
追いつかなきゃ、が前に出る。
人が本当にハマる瞬間は、
自分で気づいたときだ。
他人の正解は、記憶に残る。
でも、自分の発見は体験に残る。
体験には中毒性がある。
正解は、義務にのようになる。
教え過ぎる人は、
上達を目的としている。
でも初心者が求めているのは、
居場所。
安心。
否定されない空気。
順番が逆だ。
上達は後。
空気が先。
優秀さは、拡大装置ではない。
拡大装置になるのは、
余白と、
沈黙と、
待つ時間。
教えない勇気がある人が、
へら釣り人口を増やせる人だ。