夕餉の匂い
小学生だったころ、私は夕陽が沈むぎりぎりまで公園で遊んでいた。
ブランコ、鬼ごっこ、砂場、友だちの笑い声。夢中になっているうちに、空はだんだん茜色に染まり、遊び疲れた体に少しだけ寂しさが差してくる。そろそろ帰らなければならない時間だった。
家の玄関を開けると、まず聞こえてくるのは炊飯器のカタカタという小さな音だった。そして台所のほうから、鰹の出汁の香りがふんわりと漂ってくる。その匂いは、時計を見るよりも確かに、夕飯の時刻を知らせてくれた。
「手を洗ってらっしゃい。ご飯食べましょ」
母の声に促され、私は小走りで洗面所へ向かった。冷たい水で手を洗いながら、もうすぐ食卓につけるうれしさで胸が弾んでいた。
食卓には、お肉の炒め物、サラダ、温かいスープが並んでいた。特別に豪華な料理ではなかったかもしれない。けれど、そこには確かに家族の平和な団欒があった。湯気の立つご飯、出汁の香り、母の声、家族の何気ない会話。そのすべてが、幼い私にとっては安心そのものだった。
今思えば、母は一日をかけて、掃除をし、洗濯をし、炊事をし、家族の暮らしを静かに支えてくれていたのだと思う。家の中が整い、食卓に温かい料理が並び、子どもが何の不安もなく外で遊び、勉強に向かえる。その当たり前のように見えた日常は、母の働きによって築かれていた。
私はその安心と安全に守られていた。思いきり遊び、一生懸命に勉強すればよかった。外の世界でどれだけ疲れても、家に帰ればご飯の匂いがあり、母の声があり、家族の食卓があった。
あの夕餉の香りは、ただの食事の記憶ではない。私の成長を静かに支えてくれた、家庭の温もりそのものだったのだと思う。今でも鰹の出汁の香りに触れると、夕陽の公園と、炊飯器の音と、母の「ご飯食べましょ」という声が、胸の奥によみがえる。
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