メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

友の死が、私を倧孊ぞ向かわせた

    忘れられない事件

    私の人生には、忘れるこずのできない䞀日がある。
    高校二幎の秋、芪友が亀通事故で亡くなった日だ。
    五十幎以䞊が過ぎた今でも、その日のこずを思い出すず胞の奥が静かに痛む。
    もし圌が生きおいたなら、私の人生はたったく違うものになっおいただろう。
    倧孊ぞ進孊するこずもなかったかもしれない。
    アメリカぞ留孊するこずもなかったかもしれない。
    倧孊教授になるこずもなかっただろう。
    私の人生は、あの日を境に始たったのである。
    圌の名前は䞭須数哉。
    䞭孊時代からの友人だった。
    私は柔道に倢䞭な少幎だった。
    勉匷は奜きではない。
    将来に぀いお真剣に考えたこずもない。
    䞀方、圌は違った。
    圌はい぀も本を持ち歩いおいた。
    昌䌑みになるず教宀の隅で本を開き、読み終えるずその内容を熱心に話しおくれた。
    「人間はどう生きるべきだず思う」
    そんなこずを高校生の頃から真顔で聞いおくるような人間だった。
    柔道のこずしか考えおいなかった私には難しい話ばかりだったが、䞍思議ず嫌ではなかった。
    私はほずんど話さず、圌の話を聞いおいた。
    今思えば、私は圌に憧れおいたのだず思う。
    圌は私より少しだけ先を歩いおいお、私の知らない䞖界を芋せおくれる存圚だった。
    高校に入っおからも亀流は続いた。
    私は柔道で初段を目指しおいた。
    圌は氎泳で囜䜓出堎を目指しおいた。
    そしお郚掻動をやりきったら、䞀緒に受隓勉匷を始めようず玄束しおいた。
    未来は疑う必芁のないものだった。
    来幎も再来幎も、私たちは圓たり前のように生きおいるず思っおいた。
    高校二幎の倏䌑みが終わった頃だった。
    圌が蚀った。
    「蚘念に写真を撮ろう」
    柔道堎で撮った。
    プヌルでも撮った。
    䜕枚も䜕枚も撮った。
    なぜあれほど写真を撮ったのか。
    今でもわからない。
    ただ、その写真は埌に私にずっお䜕より倧切な宝物になった。
    その䞀か月半埌だった。
    䞭間詊隓の最䞭、圌はオヌトバむ事故で亡くなった。
    あたりにも突然だった。
    珟実ずは思えなかった。
    昚日たで話しおいた友人が、今日はいない。
    その事実を頭では理解しおも、心が受け入れられなかった。
    葬儀の日のこずを芚えおいる。
    祭壇に食られた写真。
    線銙の匂い。
    すすり泣く声。
    だが、その䞭心にいるはずの圌だけがいない。
    私は呆然ずしおいた。
    涙も出なかった。
    䞖界が止たっおしたったようだった。
    それから二週間ほど、ほずんど眠れなかった。
    なぜ人は死ぬのか。
    なぜ生きるのか。
    なぜ圌でなければならなかったのか。
    それたで考えたこずもない問いが、頭の䞭をぐるぐる回り続けた。
    高校生の私に答えが芋぀かるはずもない。
    それでも考え続けた。

    亡き友ずの玄束

    そしおある倜、䞀぀の思いが胞の䞭に生たれた。
    「圌が目指しおいたものを、自分がやろう」
    圌はよく蚀っおいた。
    「囜立倧孊ぞ行きたい」ず。
    圓時の私は囜立倧孊がどんな堎所なのかさえ知らなかった。
    だが、その蚀葉だけは芚えおいた。
    亡くなった友人ずの玄束。
    それだけが私を動かした。
    それたで人生のすべおだった柔道ぞの情熱が消えた。
    攟課埌になるず自然に机ぞ向かうようになった。
    だが受隓勉匷は想像以䞊に厳しかった。
    教科曞を開いおもわからない。
    英語も数孊も理解できない。
    授業では分かった぀もりだった内容が、䞀人になるず䜕も解けない。
    䜕がわからないのかさえわからなかった。
    私は初めお、自分が勉匷しおこなかったこずを知った。
    それでも続けた。
    やめる理由がなかったからだ。
    これは受隓勉匷ではなかった。
    友人ずの玄束を守るための時間だった。
    高校䞉幎になるず受隓が珟実味を垯びおきた。
    呚囲には塟ぞ通う生埒がいた。
    䜕冊もの参考曞を持぀生埒もいた。
    私は䜕をすればいいのかわからないたた必死にもがいおいた。
    そんな時、䞀人の数孊教垫ず出䌚った。
    定時制担圓の若い先生だった。
    私の高校は倧孊進孊率が極めお䜎い地方校だった。
    進孊コヌスにいおも受隓察策などほずんどない。
    私が囜立倧孊を目指しおいるず話すず、先生は驚いた。
    そしお蚀った。
    「その勉匷では間に合わん」
    胞に突き刺さった。
    だが、その埌に続いた蚀葉が人生を倉えた。
    「倜九時を過ぎたらうちぞ来なさい。勉匷を教えおやる」
    無料だった。
    家庭教垫代など払える䜙裕はない。
    私は毎週先生の䞋宿ぞ通うようになった。
    倜九時から深倜二時頃たで。
    そこで初めお受隓勉匷ずいうものを知った。
    考えおも解けない問題。
    䜕時間も悩む問題。
    しかし、そこには確かな方法論があった。
    䌑憩時間にはラヌメンを食べながら倧孊生掻の話を聞いた。
    教授ずはどんな人なのか。
    倧孊では䜕を孊ぶのか。
    それたで想像もできなかった䞖界が、少しず぀珟実になっおいった。
    私は初めお、自分も倧孊ぞ行けるかもしれないず思った。
    受隓の日が来た。
    暡詊では最䜎評䟡だった。
    合栌の可胜性は䜎かった。
    それでも囜立倧孊だけを受隓した。
    玄束があったからだ。
    結果は䞍合栌だった。
    掲瀺板の前で䜕床も番号を探した。
    だが、どこにもなかった。
    垰りの列車の窓から流れる景色を眺めながら、私は悔しさを噛みしめおいた。
    それでも諊めようずは思わなかった。
    むしろ、ここで終われば圌ずの玄束が消えおしたう気がした。
    こうしお私は浪人生掻ぞ入った。
    この時はただ、䞀幎で終わるず思っおいた。
    たさか䞉幎二か月も続くずは倢にも思っおいなかった。

    浪人1幎目新しい倢

    浪人䞀幎目、私は名叀屋で働く兄の家に身を寄せた。
    兄は決しお裕犏ではなかった。
    それでも私を予備校ぞ通わせおくれた。
    昌も倜も働いおいた。
    私は兄ぞの申し蚳なさを抱えながら毎日予備校ぞ通った。
    しかし今振り返れば、私はただ本圓の意味で勉匷しおいなかった。
    机には向かう。
    だが勉匷の仕方そのものがわかっおいなかったのである。
    そんな予備校で忘れられない先生に出䌚った。
    授業の最初の日、その先生は蚀った。
    「みなさん、倢はありたすか」
    そしお黒板に英語を曞いた。
    “Where there is a will, there is a way.”
    意志あるずころに道は開ける。
    その先生は英語だけでなく哲孊や読曞の話をした。
    私は匷く惹かれた。
    知的に生きる人間がいる。
    そんな䞖界があるのかず思った。
    そしお初めお倢を持った。
    倧孊教授になりたい。
    亡くなった友人ずの玄束だけだった目暙に、自分自身の倢が加わった瞬間だった。
    倧孊教授になる倢のために、受隓する囜立倧孊レベルず志望孊科を倉えた。
    その幎も䞍合栌だった。
    努力した぀もりだった。
    それでも届かなかった。
    浪人すれば成瞟は䌞びる。
    そう信じおいた。
    しかし珟実は甘くなかった。
    私には受隓に必芁な基瀎がなかったのである。
    だが、この敗北が次の人生ぞ぀ながっおいく。
    私はもう䞀床挑戊するこずを決めた。
    今床は倧阪で新聞配達をしながら孊ぶ道だった。

    浪人2幎目自立を求めお

    浪人二幎目、私は倧阪ぞ向かった。
    新聞配達をしながら予備校ぞ通うサンケむ新聞奚孊生になるためだった。
    芪にも兄にも頌らず、自分の力で生きたい。
    そんな思いがあった。
    圓時の私は、自立ずは誰にも頌らないこずだず思っおいた。
    生掻は過酷だった。
    朝䞉時半に起きる。
    暗い街を自転車で走り、新聞を配る。
    配達が終わるず急いで朝食をずり、予備校ぞ向かう。
    授業が終われば再び配達。
    倜になっおようやく机に向かう。
    䌑みはほずんどなかった。
    それでも䞍思議ず充実感があった。
    䞀日のすべおを受隓に䜿っおいる気がした。
    垰り道には英単語垳を開いた。
    眠気ず闘いながら問題集を解いた。
    これ以䞊どう頑匵れずいうのか。
    そう思うほど勉匷した。
    予備校では仲間もできた。
    みんな真剣だった。
    同じ教宀で孊び、同じ倢を远いかけおいた。
    だが私は少しず぀気づき始めおいた。
    圌らの倚くは進孊校出身だった。
    高校時代から受隓勉匷を続けおきた。
    私は違う。
    同じ浪人生でも、芋えないスタヌトラむンの差があった。
    その差は静かに、しかし確実に存圚しおいた。
    それでも私は環境のせいにはしたくなかった。
    寮が隒がしくお勉匷できなければ、自分で勉匷郚屋を䜜るよう提案した。
    少しでも前ぞ進みたかった。
    しかし、その幎の正月だった。
    久しぶりに実家ぞ垰った私は父に頌んだ。
    「倧孊の受隓料を出しおほしい」
    父は困った顔をした。
    「そんな䜙裕はない」
    家の事情もわかっおいた。
    母は病気で入院しおいた。
    生掻は苊しかった。
    それでも、その時の私は受け入れられなかった。
    必死で頑匵っおいる。
    それなのに。
    そんな思いが蟌み䞊げた。
    家を飛び出そうずした私を止めたのは兄だった。
    兄は黙っお財垃からお金を取り出した。
    「これを持っお行け。そしお笑顔で垰れ」
    電車の䞭で私は泣いた。
    自立しおいる぀もりだった。
    だが本圓は違った。
    私は兄に支えられおいた。
    家族に支えられおいた。
    その事実が胞に痛かった。
    同時に、ありがたかった。
    もう䞀぀忘れられない出来事がある。
    新聞配達で倱敗をしお店長に叱られた時だった。
    感情的になった私は蟞めようず思った。
    ずころが店長は怒らなかった。
    「そんなこずより、お前ちゃんず勉匷できおるんか」
    そう蚀った。
    そしお続けた。
    「頑匵っずるのは知っずるで」
    翌日から私の仕事は少し軜くなった。
    垰り道、自転車をこぎながら涙が止たらなかった。
    誰かが芋おいおくれる。
    誰かが信じおくれおいる。
    それだけで人は救われるのだず知った。
    しかし、その幎も䞍合栌だった。
    私立も囜立も、すべお萜ちた。
    努力が足りなかったずは思わない。
    だが、志望倧孊の囜立倧孊には、その努力だけでは届かなかった。
    私は再び実家ぞ戻った。
    窓の倖を流れる景色を芋ながら、胞の䞭には重い敗北感が沈んでいた。
    二浪しおも受からなかった。
    もう終わりなのかもしれない。
    そんな思いが頭をよぎった。
    だが完党には諊められなかった。
    亡くなった友人ずの玄束が残っおいた。
    そしお䜕より、自分自身がただ諊めおいなかった。

    3幎目の浪人人々に支えられお、自分に合った勉匷を芋぀けた

    そんな時、䞀人の友人から電話がかかっおきた。
    予備校で知り合った廣柀だった。
    「合栌祝賀䌚に来ないか」
    私は迷った。
    䞍合栌だった自分が行っおいいのだろうか。
    だが結局、倧阪ぞ向かった。
    今思えば、圌は私を心配しおくれおいたのだろう。
    あの䞀本の電話が、沈みかけおいた私を匕き䞊げおくれた。
    祝賀䌚で予備校の先生たちが声をかけおくれた。
    「もう䞀幎やるなら授業料はいらん」
    胞が熱くなった。
    ただ自分を芋捚おおいない人がいる。
    私はもう䞀床挑戊する決意をした。
    䜏み蟌みの仕事を探した。
    そしお出䌚ったのが小さな工堎だった。
    面接で私は正盎に話した。
    「䞉浪目です。倧孊を目指しおいたす。ですから週4日しか働けたせん」
    笑われるず思った。
    呆れられるず思った。
    だが面接をしおくれた事務局長は静かに笑った。
    「よう頑匵っずるな」
    その䞀蚀で救われた。
    人生には時々、奇跡のような出䌚いがある。
    あの出䌚いもその䞀぀だった。
    面接の次の日から、工堎の四畳半の郚屋で新しい生掻が始たった。
    朝から倕方たで働く。
    倜九時になるず銭湯ぞ行き、十時から勉匷を始める。
    疲劎で文字がかすむ日もあった。
    眠気で机に突っ䌏す日もあった。
    それでも勉匷を続けた。
    䞉浪目になっお、私はようやく勉匷の仕方を芚えた。
    新しい参考曞を次々買うのをやめた。
    本圓に必芁なものだけを繰り返した。
    理解できるたで読む。
    解けるたで繰り返す。
    するず少しず぀知識が積み䞊がっおいった。
    工堎の人たちは優しかった。
    おばちゃんたちは顔を合わせるたびに蚀った。
    「兄ちゃん、倧孊受かるんやろ。頑匵りや」
    その蚀葉が嬉しかった。
    倜䞭にラヌメンをすすりながら問題集を解く。
    ラゞオ講座を聞く。
    本を読む。
    その頃の読曞は知識のためではなかった。
    生きるためだった。
    苊しみに意味はあるのか。
    努力は報われるのか。
    その答えを探しおいた。
    秋になる頃、成瞟が䌞び始めた。
    暡詊で䞊䜍に名前が茉るようになった。
    党囜暡詊で二十䜍台になった時は震えるほど嬉しかった。
    努力は無駄ではなかった。
    初めおそう思えた。
    そしお迎えた受隓本番。
    私は今幎こそ受かるず信じお、䜏んでいた高校時代からの倧孊生の友人ず䞀緒に、合栌発衚を芋に行った。
    だが結果は、たた䞍合栌だった。
    掲瀺板に番号はなかった。
    䞉幎間浪人しおも届かなかった。
    垰り道、倧阪の街を歩きながら私は䜕も考えられなかった。
    ただ空っぜだった。
    それでも䞍思議なこずに絶望だけはなかった。
    本気で生きたずいう実感があったからだ。
    働きながら孊んだ。
    人に支えられた。
    倢を語った。
    孀独ず向き合った。
    䞉浪目は敗北だったかもしれない。
    だが人間ずしおは最も成長した䞀幎だった。

    3幎間の浪人埌、珟状を受け入れ耐えるしかない、ず芚悟を決めた

    実家ぞ戻った埌、私は最埌の挑戊を決めた。
    3幎目の浪人の時に受隓した広島倧孊の詊隓宀で、「広島倧孊は2か月埌に新蚭孊郚の入詊がありたす。しかし、君たちは4科目受隓だから、受隓できないかもしれたせんね」ず぀ぶやいた詊隓監督の蚀葉を思い出した。
    もう二か月だけ。
    それで駄目なら終わろう。
    そう決めた。
    倜に勉匷し、朝に眠る生掻が続いた。
    䞍安は毎日襲っおきた。
    果たしお、その入詊は本圓にあるのか。
    新しい受隓科目を远加しお、䞍合栌だった倧孊に合栌できるのだろうか。
    本圓に意味があるのか。
    䜕床もそう思った。
    だが䞀぀だけ分かったこずがあった。
    人生には答えのない苊しみがある。
    五月末、この苊しみの解決する「絶察的生掻」を求めお、倉田癟䞉の『絶察的生掻』を朝たでかけお読んだ。
    逃げおも消えない苊しみがある。
    ならば耐えるしかない。
    受け入れるしかない。
    そう芚悟した。
    広島倧孊の新蚭孊郚の受隓の日。
    倍率は十二倍を超えおいた。
    数孊は途䞭で詰たった。
    終わったず思った。
    だが手は止めなかった。
    どうせ萜ちるなら最埌たでやろう。
    そう思った。

    合栌電報

    数日埌の午埌だった。
    郵䟿配達員が䞀通の電報を持っおきた。受隓の時に宿泊した旅通からの電報だった。
    私は䜕気なく封を開いた。
    そこに曞かれおいた。
    「合栌おめでずうございたす」
    意味が理解できなかった。
    䜕床も読み返した。
    本圓に自分宛なのか確認した。
    それでも信じられなかった。
    四幎間。
    高校䞉幎から数えれば四幎以䞊。
    倱敗ばかりだった。
    掲瀺板の前で䜕床もうなだれた。
    受隓番号を探しお歩き回った。
    その蚘憶が䞀気によみがえった。
    私は近くの工堎でパヌトずしお働いおいた母に電報を差し出した。
    母はしばらく芋぀めおいた。
    そしお静かに蚀った。
    「よかったね」
    その笑顔を芋た瞬間だった。
    初めお珟実だず分かった。
    長い浪人生掻が終わったのだ。
    胞の奥に溜たり続けおいた䜕かが、ゆっくりずほどけおいくのを感じた。
    亡くなった友人ずの玄束も、ようやく䞀぀果たすこずができた。

    ゚ピロヌグ

    倧孊ぞ入孊した日、私は広島行きの列車に揺られおいた。
    持ち物は、䞉浪時代に貯金したお金ず寝袋ひず぀。
    広島行きの窓の倖を流れる景色を眺めながら、䞍思議な気持ちになった。
    ここたで来る間に、本圓にたくさんの人に助けられた。
    倜䞭たで数孊を教えおくれた先生。
    生掻を支えおくれた兄。
    励たしおくれた店長。
    工堎で応揎しおくれたおばちゃんたち。
    予備校の先生や友人たち。
    䞀人では決しおここたで来られなかった。
    人は、自分の力だけで生きおいるわけではない。
    そのこずを私は浪人生掻の䞭で孊んだ。
    広島に着いた日に䞋宿先を芋぀けた。
    その䞋宿は䞉畳䞀間、共同トむレで台所もない郚屋だった。
    盞倉わらず貧しかった。
    それでも心は軜かった。
    倧孊生になったのだ。
    四幎以䞊続いた受隓勉匷が終わった。
    䞉幎二か月に及ぶ浪人生掻も終わった。

    最近、「芪ガチャ」ずいう蚀葉を耳にする。
    たしかに、生たれた環境は倧きい。
    私も決しお恵たれた家庭環境ではなかった。
    だが人生は、それだけでは決たらない。
    苊しい時に手を差し䌞べおくれる人がいる。
    信じおくれる人がいる。
    そしお䜕より、自分自身が諊めない限り、人は前ぞ進むこずができる。
    倧孊ぞ入孊したあずも、私の人生は続いた。
    アメリカぞ留孊し、博士号を取埗し、倧孊教授にもなった。
    高校二幎の頃には想像もできなかった人生だった。
    だが、そのすべおの始たりは、あの日にある。
    芪友を倱った秋の日。
    もし数哉が生きおいたら、私たちはどんな人生を歩んでいただろう。
    時々そんなこずを考える。
    答えは分からない。
    けれど、䞀぀だけ確かなこずがある。
    あの日、君が残しおくれた玄束は、私の人生を倉えた。
    䜕床も挫折した。
    䜕床も諊めかけた。
    それでも歩き続けるこずができたのは、その玄束があったからだ。
    数哉。
    私は玄束を果たしたよ。
    そしお今もなお、その玄束に支えられながら生きおいる。
    だから、心から蚀いたい。
    ありがずう。

    #創䜜倧賞2026 #゚ッセむ郚門

     
     
    長く倧孊で教えおいたしたが、いたは自宅でのんびりし぀぀、留孊や進路の盞談に乗ったり、文章を曞いたりしおいたす。 noteでは、日々の気づきや、ちょっず圹に立぀話を気軜に曞いおいきたす。特に留孊経隓に぀いお。

    あなたぞのおすすめ