
「普通」ができない僕の自分サーバー運用術(1)|難しい仕事はできるのに簡単なことで壊れる僕が、紙一枚で現場に残った話
【「自分サーバー」運用術|全5話】
① 難しい仕事はできるのに、簡単なことで壊れる理由(この記事)
② 僕は壊れているのではなく、そういう仕様の一台だった
③ 世間の正しいやり方が、僕には毒だった
④ 僕が作っていたのは、ライフハックではなく取扱説明書だった
⑤ 「使えない人」ではなく、置き場所が違っていただけだった
第一部 なぜ僕は、普通のことで、何度も落ちたのか
この連載で渡すもの
難しい仕事はできるのに、簡単なことで壊れる。僕は長いあいだ、そういう人間だった。
決まった時間に決まった場所へ通えない。広い部屋で座り続けられない。「いい感じにやっておいて」と言われた瞬間に、頭が止まる。そのたびに、自分の性根を疑ってきた。
いまの僕は、フルリモート・フルフレックスのソフトウェア開発の現場に、フリーランスとして残っている。何かを克服したわけではない。通えない僕は、いまも通えない。変えたのは自分ではなく、仕事の受け方の条件と、頭の中身を外に置く手順だ。
自分を一台のサーバーだと思って、スペックを嘆く代わりに設定を書き換える。この連載でやるのは、それだけだ。
第1話では、いま入っている現場に合流したときの一巡りをそのまま書く。どこでつまずいたか、何が分かったか、何を変えたか、結果どうなったか。 最後に、僕が資料を渡されたとき必ずやる五つの手順と、質問の作り方も置いていく。理屈より先に、使えるものを一つ持って帰ってほしい。
第1章 ひと月の「勉強期間」は、試験だった
契約の前に、四つ言った
話が来たとき、僕はまず、できないことから伝えた。
「常駐はできません。フルリモートでお願いします」
「即レスは約束できません。返信は、当日中か翌営業日になります。急ぐ用件は、そう書いてもらえれば先に見ます」
「口頭の打ち合わせを減らして、仕様のやり取りは文字で残したいです」
「完成前に一度、見てもらう区切りを入れさせてください」
生意気だと思われる覚悟はあった。でも、僕はもう知っていた。この四つを言わずに始めた現場で、僕は何度も壊れてきた。壊れてから抜けるほうが、先方にとっても損だ。
三つは、あっさり通った。もともとフルリモートの会社だったのが大きい。返信の速度も、「緊急かどうかを書く」という一手間で折り合いがついた。
通らなかったのは、打ち合わせを減らす話だった。定例は動かせない、と言われた。そこで僕は、条件を引っ込める代わりに、こう提案した。定例には出る。その代わり、決まったことは僕が箇条書きにして、その日のうちに投げる。それでいいか、と。
これは通った。以来、僕はずっと議事メモ係をやっている。会議は減らなかったが、「口で決まって、記録に残らない」という僕がいちばん苦手な状態は、なくなった。
条件交渉は、全部通すゲームではない。通らなかった一つを、別の形で無害化する。そこまでが一組だと思っている。
「勉強期間」の正体
「資料一式は共有フォルダに入れておいたので、そこから始めてもらえますか」
「最初のひと月ほどは、勉強期間と思ってください。その頃に一度、ミーティングをしましょう」
ひと月、報酬をもらいながら勉強。贅沢な話だ——と一瞬思って、すぐに打ち消した。
これは見極めだ。この資料を独力で読み解けるか。誰にも手を引かれずに合流できるか。試されているのは知識ではなく、自走できるかどうかだ。
ソフトウェア開発の現場は、どこも人が足りない。内部を知り尽くしているのは中心にいる数人で、その人たちの手が空くことは、まずない。最前線に、親切な研修は存在しない。それは分かっていた。
それにしても、と思った。共有フォルダを開いて、軽く血の気が引いた。仕様書は、最終更新が十年前。開いても、いまのコードとは様子が違う。ソースファイルを覗けば、コメントがほとんどない。「コードを読めば分かるだろう」という思想の現場だと、一目で分かった。
しかも、フルリモートだ。僕が画面の前でうなっていても、覗き込んでくれる人はいない。困っているなら、自分から言う。それも、この働き方では仕事のうちだ。
正直に言えば、この感覚には覚えがあった。やるべきことが大きすぎて、どこから手をつけていいか分からず、ただ途方に暮れる。昔の僕を何度も落としてきたのは、いつも、この入口だった。
違うのは、いまの僕が、落とし穴の場所を知っていることだけだ。
僕の頭には、棚がない
僕はここで、精神を立て直したわけではない。手順を踏んだ。
まず、大きな塊を切り刻む。「全体を理解する」なんて目標は立てない。「この章まで読む」「読んで分からなかった点を書き出す」。そのくらいまで小さくして、ようやく手が動く。
次に、仕様書を読みながら、全体の構成図をフリーハンドで紙に描いていく。十年前の仕様書だろうが、ないよりはましだ。何度も描き直すことになるのは分かっている。でも仕方がない。
僕の頭には、全体図を仮置きしておく棚が、ない。
これが、あのひと月でいちばんはっきりした発見だった。記憶力が足りないとか、集中力がないとか、そういう漠然とした話ではない。一時的に置いておく場所がないから、置きっぱなしにできる紙が要る。 それを怠ると、僕の脳みそはあっという間にオーバーフローする。
スケッチブックとボールペン。道具はそれだけだ。系統ごとに枠を描いて、名前を書いて、線でつなぐ。矛盾が出たら、その横に「?」と書く。きれいには描かない。三日で描き直すと分かっているものを、きれいに描く意味がない。
ひと月後のミーティング
当日、プロジェクトごとに担当者が概要を話し、僕が質問する形になった。案の定、仕様書に影も形もないモジュールの話が、次々に出てきた。
それでも、ついていけた。
正直に打ち明けると、僕は細かいコードを覚えるのが絶望的に苦手だ。ひと月かけて読んだはずのソースコードも、細部はほとんど頭に残っていない。だが机の上には、描き直し続けた手書きの全体図があった。助けになったのは、こっちだ。
聞いたこともないサブシステムの名前が出てくる。それでも、紙がある。「これは、あの系統につながるやつだな。だとすれば、機能はあのサブシステムに近いはずだ。そういえば、コードでも見た覚えがある」。細部を覚えていなくても、全体のどこに刺さるかが分かれば、話にはついていける。
知らない土地の話をされても、地図を持っていれば迷子にはならない。
質問も、紙から作った。この現場の人たちは、芯を外した質問をされることを嫌う。たぶん、そこが前任者たちの躓いた場所でもあったのだと思う。僕は空気は読めないが、構造なら読める。だから、こういう形で訊いた。
「この機能を、僕はいま◯◯系のひとつだと理解しています。△△とつながっているように見えたからです。この理解は合っていますか。違うなら、どこが違いますか」
自分の理解を先に見せてしまう。間違っていれば、訂正だけが返ってくる。「分かりません」と言うより、こっちのほうが早いし、相手の手も止めない。
一日が終わると、疲れ果てていた。先方は一言もそうは言わなかったけれど、あれは説明会や打ち合わせではない。事実上の採用試験だった。
結果
チームに加わってしばらく後、若手のメンバーが、打ち合わせの雑談でそっと教えてくれた。
あのミーティングのあと、リーダーが「今度の人は、続くかもしれない」と言っていた。この一年、フリーランスが何人も来ては辞めていって、そのたびにペースを合わせ直すのが正直しんどかったから、助かります——と。
僕はいま、その現場にいる。高卒のプログラマーが一人、大学や大学院を出た人たちの中で開発を続けている。
能力で並んだからではない。並ばなくても回る条件を、先に決めたからだ。 常駐しない。即レスを約束しない。決まったことは文字にする。そして、覚えられない頭の代わりに、紙を一枚使う。
僕は、彼らの土俵には上がらなかった。ただ、自分が勝てる盤面に、移動しただけだ。
使えるようにして置いていく
いま僕が、知らないシステムの資料を渡されたときにやることは、この五つだ。
目的を一行にする。「全体を理解する」ではなく、「この章を読み終える」まで小さくする
塊を切る。資料を章や機能の単位に割って、一回分を三十分以内で終わる大きさにする
紙に置く。フリーハンドで系統図を描く。きれいに描かない。何度でも描き直す前提にする
分からなかった点を、その場で別ページに書き出す。あとで思い出せる、と信じない
質問を構造の言葉で作る。次の三行を埋める
質問の三行は、これだ。
いま僕は、これを「◯◯系のひとつ」だと理解している
そう考えたのは、△△とつながっているように見えるから
この理解は合っているか。違うなら、どこが違うか
特別な道具はいらない。スケッチブックと、書き出す場所と、この三行だけだ。
ただし、昔の僕は、これができなかった
ここまで読むと、僕は要領のいい人間に見えるかもしれない。
そうではない。この五つは、失敗の記録から後から拾い上げたものだ。同じ入口で、僕は何度も落ちている。落ちたときには、「紙に置けばいい」という発想そのものがなかった。自分の頭に棚がないことを、知らなかったからだ。
その代わりに、僕が長く握っていた説明はこうだった。僕は怠け者で、根性がなくて、要するにどこか人として欠けている——。
なぜ僕が、そう思い込むところまで行ったのか。それを話すには、いったん正反対の場所まで、三十年以上前の、あの春まで遡らなければならない。
第2章 入学式の朝、僕の靴下だけが赤かった
僕は中学の三年間、成績がずっとクラスで一番だった。とはいえ、授業そのものは苦痛で仕方がなかった。じっと座って、決められた話を聞き続ける。それが、どうしてもできない。
だから進学先を、成績とはまるで別の理由で選んだ。家からいちばん近い。授業の一部が実習だから、ずっと座学ではない。それだけの理由で、学力で言えばかなり下の高校に決めた。一日中座っていなくていいというのが、何より魅力だった。
高校側は、少し期待していたらしい。中学からこんな子の推薦がきた。ぜひ入学式で、新入生代表の挨拶を読んでほしい、と。
いま思えば、この時点で僕は一つ、大事なことを取り落としていた。「新入生代表に選ばれる」ということの意味だ。それが名誉であるとか、その場の顔になるとか、そういう温度が、まるで伝わってこない。「ふうん、挨拶を読むのか。それならできる」。その程度の認識だった。
一方で僕は、もらったばかりの生徒手帳を、入学前に隅から隅まで読んだ。規則を把握しておこうという殊勝な理由ではない。ただ活字に飢えていた。それだけだ。そして気づいた。靴下についての規定が、どこにもない。
中学では、生活指導の先生が、靴下のワンポイントやラインの一本までチェックしていた。それがない。だから僕は早合点した。この学校は、ものすごく自由な学校なのだ、と。
なぜ赤を選んだのか。深い理由はない。中学のワルたちが履いていた原色の靴下に、どこか憧れがあったのかもしれない。彼らのあいだの「決まり」を、僕はなぜか一つだけ読み取ってしまっていた。よりによって、その場にいちばんふさわしくない一つを。
目立ちたかったわけではない。むしろ逆だ。僕は昔から気が小さくて、人目にさらされるのが大の苦手だった。だから僕の頭の中では、その靴下は「靴の中で、ひっそり赤い」はずだった。外からはほぼ見えない、ささやかな赤。
本当に抜け落ちていたのは、もっと手前のことだ。
入学式は体育館で行われ、その入口で靴を脱ぐ。ただそれだけのことに、僕は思い至っていなかった。
当日。体育館の入口で、前にいたクラスメイトたちが靴を脱いだ。その瞬間に、「あ、これはマズい」と思った。
ただ、そのとき頭に浮かんだのは、「新入生の中で、ちょっと目立ってしまうな」という一点だけだった。これから自分が壇上に上がり、真っ赤な靴下で挨拶をする——その絵までは、まだ見えていない。僕の気づきは、いつも、なぜか一段だけ浅いところで止まる。
「新入生代表、挨拶」。名前を呼ばれる。覚悟を決めて、壇上に上がる。クラスメイト、上級生、先生、来賓。たくさんの視線の、その先に——僕の、真っ赤な靴下。
これが、僕の高校デビューだった。
言っておくが、僕は校則を破ったわけではない。むしろ僕は、生徒手帳を誰よりも丁寧に読んでいた。読めていなかったのは、校則の外側にある「その場の意味」だ。
生徒手帳のどこにも、こうは書いていない。「新入生代表として壇上に上がる者は、その場の意味を考えて、無難な靴下を選ぶこと」。書いていない。そして、書いていないことは、僕にとって、存在しないのと同じだった。
このときは、まだ笑い話で済むと思っていた。子どものちょっとした失敗。誰にでもある、と。
だが、この「書かれていないことが読めない」という一点は、大人になるにつれて、笑い話では済まなくなっていく。
ちなみに、いまの僕がこれにどう対処しているかというと、対処法は一つしかない。読めないと分かっているものは、口に出して確かめる。
だから第1章で、僕は条件を先に並べた。あれは礼を欠いた要求ではなく、「書かれていない前提」を、書かれた状態にする作業だった。返信が半日遅いと不安になるのか。定例に出ないのは失礼にあたるのか。訊けば教えてもらえる。訊かなければ、僕は三十年前と同じ靴下を履いて壇上に上がる。
第3章 「誰にでもできる」ことが、僕にはできなかった
入学式の靴下は、笑い話で済む。だが、社会に出てからの「読めなさ」は、そう軽くは済まなかった。
社会人としての経験も浅い頃、ある開発の現場に入ったときのことだ。
それまで僕は、手順がきっちり決まった、いわゆるお堅い方式の開発しか経験がなかった。ところが、その現場は違った。指示が、とにかく曖昧なのだ。「いい感じにやっておいて」に近い、輪郭のぼやけた指示が次々と降ってくる。
これが、僕にはいちばん相性が悪かった。
手がかりのある課題なら、僕はどこまでも食らいつける。だが、どこにも持ち手のない、つるつるの球体をいきなり手渡されたような——そういう曖昧さを前にすると、僕の頭は完全にフリーズする。
そして、フリーズした僕の脳は、逃避を始める。
気がつくと僕は、仕事と関係のないウェブサイトを延々と見ていた。いけない、と我に返って、コードの画面に戻る。だが、しばらくすると、またいつのまにか別のサイトを開いている。自分でも止められなかった。手が、勝手にブラウザをクリックしていた。
やがて、背中に視線を感じるようになった。まずい。気づかれている。それでも、どうにもならなかった。そして当時の僕は、「わからないので、助けてください」と言うことが、どうしてもできなかった。
ほどなくして、僕はその現場を去ることになった。「業務の都合で」と告げられた。はっきりとは言われなかったが、なぜそうなったのかは、ほかの誰よりも僕自身がいちばんよく知っていた。
これを書くのは、正直いまでも気が重い。だが、隠しても仕方がない。あの頃の僕は、そういう人間だった。
環境が合わないと、僕はてきめんに壊れる。そのポイントは、指示の出し方だけではなかった。
僕がいちばん苦手なのは、広い部屋に机がずらりと並んだ、開かれた作りのオフィスだ。日本の会社では、いちばんありふれた形かもしれない。だが、僕にとってあれは拷問に近い。
四方八方から、人の視線を感じる。すると僕は、「じっとしていられない自分を必死に抑え込む」ことに脳のリソースのほとんどを使い果たし、仕事どころではなくなる。数日はなんとか耐えた。だが無理だった。用もないのにトイレの個室に逃げ込んで、許されそうなぎりぎりの時間まで籠った。たぶん、周りにはとっくにバレていたと思う。結局、数ヶ月もたずに自分から申し出て、その現場を離れた。
もう一つ、忘れられない現場がある。
開発が終盤に入り、直しても直しても終わらない不具合に追い立てられていた。追い込みのために、関係する会社が発注元の会議室に集められ、机を並べて作業する体制になった。
通勤が苦手で、わざわざ地元の会社を選んだはずなのに、その発注元のビルまでは電車で二時間弱。徹夜で家に帰れず、始発で通勤する人たちと逆向きの電車に乗って帰り、シャワーを浴びて着替えて、また戻る。そんな日々が続いた。
僕は、少しずつ壊れていった。携帯の着信音が鳴るだけで、顔から血の気が引く。朝、家を出ようとすると急に腹が痛くなって、電車に乗り遅れる。それが何度もあった。
妙なのは、ここだ。
その現場で僕がやっていた仕事そのもの——複雑にこじれた不具合を解きほぐす作業は、できていた。むしろ、そういう入り組んだ問題を追うのは嫌いではなかった。僕を壊したのは、仕事の中身ではない。毎日、決まった時間に、決まった場所へ、身体を運ぶこと。その、誰もが当たり前にやっていることのほうだった。
なんとか、そのプロジェクトの納品までは、やり遂げた。だが、そこが限界だった。これ以上は無理だと、社長に頭を下げて会社を辞めた。
こういうことが、僕の人生には、いくつも、いくつもあった。
決まった時間に通う。同じ場所に座り続ける。曖昧な指示を、適当に飲み込む。世の中の多くの人が意識すらせずにこなしていることの前で、僕は何度も膝をついてくずおれた。
当時の僕は、その理由を一つしか思いつかなかった。僕が怠け者で、根性がなくて、要するに、どこか人として欠けているのだ、と。
だが——いま、こうして書き並べてみると、腑に落ちないことがある。
これらの現場で僕を壊したのは、いつも、仕事の「難しさ」ではなかった。むしろ、複雑で難しい部分はこなせていた。僕を壊したのは、決まって、その周りにある「簡単なはず」のこと——通うこと、座り続けること、空気を読むこと、そっちだった。
難しいことは、できる。なのに、簡単なことが、できない。
第1章で書いた四つの条件は、この一覧から作られている。常駐しない。即レスを約束しない。文字で残す。区切りで見せる。どれも、僕が壊れた場所の裏返しだ。
つまり僕は、壊れた記録を、条件表に書き換えた。
もし、いま同じ入口で止まっている人がいたら、第1章の五つを、紙一枚でやってみてほしい。手順のほうは、今日から使える。
ただ、条件表を作るには、その前に一つ、越えなければならない場所がある。
自分を責めるのを、やめることだ。
責めているあいだ、僕はずっと「根性が足りない」という一つの答えしか出せなかった。壊れた場面を、データとして見られなかった。そこを抜けるのに、僕は何年もかけている。次の話は、そこから始めたい。
【「自分サーバー」運用術|全5話】
① 難しい仕事はできるのに、簡単なことで壊れる理由(この記事)
② 僕は壊れているのではなく、そういう仕様の一台だった
③ 世間の正しいやり方が、僕には毒だった
④ 僕が作っていたのは、ライフハックではなく取扱説明書だった
⑤ 「使えない人」ではなく、置き場所が違っていただけだった
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