
「自由」について。
ぼくの家でとっている新聞のね、
先日の投書論では、ある中学生の方が、
たばこを吸う親戚のおじさんに対して
「分煙を心掛けて。」
とお願いする発言が掲載されていて。
ぼくはさ、たばこを吸わないので、
この中学生の方の気持ちも
どちらかと言えば、
わからなくもないのですが。
この投稿の中ではさ、
「たばこを吸うのは個人の自由だ。
しかしながら、
周りの人に悪影響を及ぼすことを知りながら、
たばこを吸い続けられる?」
とおっしゃっていて。
このことばを読みながら、
たばこを吸うことは、ほんとうに
個人の「自由」なのだろうか? と思ったの。
もちろん、
現在の日本では20歳以上ならば、
喫煙は法律で許されているから。
たばこを吸いたいと思った人は、
たばこを吸うこと自体の「意志」は、
自由であるとはぞんじますが。
世間的にも、
施設内での喫煙スペースだったり。
条例で路上喫煙が禁止されていたり。
家族や親戚から喫煙を煙たがれたり。
そうなると、
喫煙の「意志」自体は
個人の「自由」なのだとしても、
たばこを「じっさいに吸う」ことは、
世間的に制限が課せられていて。
なにかしらの
「制限」がついてしまったら、
それは、もはや、
「自由」とは言えないような気がしたのよね。
「自由」って、
なんの制限も無いときに
言われることばだと思うから。
そうなると、もう、
自由だった「個人の意志」すらも、
自由意志では思えなくなる。とゆうか。
自由な気持ちでは、
たばこを吸えないこんな世の中なんだろう。。。
ポイズン。。。
ことばの文章的にね、たとえば、
「○○は自由だけど、」と言った場合は、
「自由」ということばと
「だけど」ということばは、
ほんとうは結びつかないんじゃあないか。って。
なので、先述の
新聞投書欄の投稿者さんおっしゃる
「たばこを吸うのは個人の自由だ。
しかしながら、
周りの人に悪影響を及ぼすことを知りながら、
たばこを吸い続けられる?」
というのもさ。
「自由」ということばの後に
「しかしながら」と付け加えるならば、
それはもう「制限」を加えているのだから、
この「自由」ということばは、
ある意味では「嘘」とも言えて。
なので、そう言われる
親戚のおじさんにとっては、
けっこう酷なのではないかなあ。
と思ったんだよね。
考えてみれば、「自由」とは、
どういうことなのかよくわからないな。
「自由」って、いったい、
何なんだろうなあ?????
令和3年2月3日