これからも私のために
中学生の頃、全国規模の大きなコンクールの審査員を務めている先生のレッスンを受けたことがあった。そのレッスンの中で一番よく覚えているアドバイスが、「予選落ちする子は板付きしただけでわかる」というものだった。
舞台袖から出てきて指定箇所でポーズしてから踊りが始まることを「板付き」と言い、コンクールではこの板に付くまで歩くところから見られている。
「下手な子は出てきただけでわかります。ああこの子はダメだわってなったら、それ以降は見てもらえないですよ。審査員は何百人もの踊りを見なくちゃいけないんだから、わざわざ下手な子の踊りを最後まで見ることはしないですね」
これを聞いた時はショックだった。実力不足で予選落ちするのは仕方ないにしても、まさか出てきた瞬間に結果が決められているとは思いもしなかった。「この子は細かい足捌きができてないけど、ジャンプは綺麗だな」とか「回転力はあまりないけど、上半身に表現力があるな」とか、細かいところまで見てもらえていると信じていた。
その後自分に実力がついてくると、あの時の先生の言葉がよく理解できるようになった。歩き方が下手な人に上手な人は絶対いない。一歩一歩出す足先の動かし方やつま先の美しさに基礎力が出るからだ。私は詳しくないが、武術とかだってそうなのだろう。宮本武蔵の立ち方は、見る人が見たらそれだけで震え上がると聞いたことがある。
バレエコンクールは全国にたくさんあって、コンクールの中には審査員の好みが明確に出ているものもある。審査員を務める人の顔ぶれを見れば、入賞する子の傾向がわかるとも言われていて、「技術云々の前にスタイル。太めの子は論外」というコンクールもあれば、「鬼厳しい基礎基準」のコンクールもある。
ここ数日、創作大賞の中間選考に通った落ちたという記事をたくさん見かけた。
創作大賞もバレエと同じなんだろうなと思った。審査員が何名いるのかわからないが、応募総数18万とかそこらの作品のすべてを、上から下まで読むことはしないだろう。小説ならあらすじで、エッセイだと最初の数行で決められてしまうと思う。
審査員でもなんでもない私だってそうだ。どんなに人が「この小説がすごい」「この人のエッセイがおもしろい」と言っていても、それを読みに行って最初の数行で読むのをやめることは多々ある。単純に好みの問題だ。
それとは別に、好み云々関係なく、最後まで読むのは普段から交流のある人やフォローしている人の記事である。記事そのものが好きなのはもちろんだが、その人に興味があるから最後まで読めるのだ。これはきっとみんな同じだと思う。
バレエだって、自分の家族とか友達はどんなに下手でも最後まで踊りを見てくれるが、それ以外の人にとっては、よっっっぽど上手でもない限り、よその子の踊りなんて最後まで見てられないだろう。自分の子どもの出番が終わった途端に帰るお父さんはめちゃくちゃ多い。笑
文章の世界にも、コンテストはたくさんあると聞く。そのコンテストそれぞれには審査員の好みもあるだろうし、入賞する作品の傾向もあるだろう。創作大賞だってきっと例外ではない。
個人的には「これを通さないなんて!?」と思うものもあった。というか、私が好きだなと思った作品は軒並み落ちてしまっていた。私は余白とか行間で読ませる小説や、しょーもないエッセイが大好きなのだが、これらは創作大賞のカラーとは合わないということなのだろう。
選ばれるためには、傾向を知り、対策する必要があるのだ。バレエでも受験でもnoteでも。どの世界でもおんなじだ。
創作大賞がなんだってんだ!あなたのファンはここにひとりいる!
だから私のために、これからも書き続けてください。笑
(お前はジャイアンか。)
