
第8章┃主語が私のままだから
人は交わりを求めている。
深く通じること。
本当に触れ合うこと。
分かち合うこと。
それなのに
それはほとんど起きない。
人は理解しようとする。
優しくしようとする。
尊重しようとする。
愛そうとする。
それでも
どこかですれ違う。
近くにいるのに
遠い。
分かり合えたと思ったのに
また離れてしまう。
なぜだろう。
その理由は
思っているより
根深いところにある。
人は交わりを求めながら
自分を中心にした世界を
手放さない。
自分の人生。
自分の痛み。
自分の願い。
そこから世界を見る。
そこから相手を見る。
そこから愛そうとする。
そこから理解しようとする。
そのとき
人は相手と出会っているのではない。
自分の世界の中で
相手を扱っている。
相手の言葉を聞いているようで
自分の解釈で理解している。
相手の気持ちを想像しているようで
自分の感覚で置き換えている。
つまり
人は相手を見ているのではない。
自分の世界の中で
相手を見ている。
そして相手もまた
同じことをしている。
だから関係は生まれる。
会話も生まれる。
愛情も生まれる。
でも
交わりは起きない。
それぞれが
自分を主語にして
世界の中心に立っているからだ。
だから
交わりは起きない。
人はこんなに
交わりを求めているのに。
深く通じること。
本当に触れ合うこと。
分かち合うこと。
それでも
人はその場所を
どこかで怖れている。
なぜなら
交わりの場では
自分の物語が成立しなくなるからだ。
自分が中心である世界。
自分の人生。
自分の願い。
自分の意味。
それがいったん崩れる。
誰かが
主語になるわけでもない。
相手が
主語になるわけでもない。
その間に
誰のものでもない場所が現れる。
そこでは
自分の正しさも
相手の正しさも成立しない。
勝ちも負けも成立しない。
だから人は
その場所に長くいられない。
また
自分を主語にした世界に戻る。
理解しようとする。
優しくしようとする。
もっと愛そうとする。
もっと成長しようとする。
でもその場所では
やはり交わりは起きない。
だから人は
どこかで感じている。
愛しているのに
孤独が残る。
理解されているのに
何かが違う。
満たされているはずなのに
空いている場所がある。
それは
愛が
足りないからではない。
努力が
足りないからでもない。
人が
未熟だからでもない。
ただ
主語が自分のままだからだ。
そしてもし
その主語がほどけたとき。
自分を中心にした世界が
静かに外れたとき。
人と人の間に
あの場所が現れる。
それが
狭間。