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Photo bytwin_crown

スイミーやごんぎつねの気持ちは分からなかった

    一

    「魚の兄弟がみんな食べられた時、スイミーはどんな気持ちだったのでしょう」
    「もしあなたがごんぎつねだったらどうする」

    小学校の国語の授業でのこの類の問題が自分は苦手だった。スイミーやごんぎつねは動物だし、自分は人間だ。架空の動物の気持ちなど考えようがない。それに、自分が他の何者かになったつもりで心情を考えるというのが、どこか気恥ずかしいし、自分の兄弟がいなくなってしまったり、火縄銃で撃たれたりする状況を想像したくもなかった。

    だから、子どもの頃の自分は小説が嫌いだった。どうしても読書をしなければならない時は、フィクションを避けて、ノンフィクションばかりを選んでいた。実際に存在する人物についての話や論文調の本であれば、架空の登場人物に感情移入することは要求されず、いくばくか安心して読むことができた。

    二

    大学生になって、教職科目を履修していた。夏が近づく頃、「教育原理」という科目の期末レポートを書くために大学図書館に足を運んだことがあった。はじめは、レポート執筆に必要な本だけを一、二冊借りて帰るつもりだった。でも、図書館に入ってみると、一部屋しかない小中高の図書館や、二階建ての地元の図書館とは違って、ここの図書館は五階まであって、とっても広く、必要な本を見つけるだけでも一苦労。館内をさまよっていると、「漢籍コーナー」というところにたどりついた。本の中身はよく分からなかったが、中国語を履修していた自分にとっては、こんな本もあるのかと関心を持った。その隣には言語学のコーナーがあり、古代ギリシャ語や音声学など、それまであまり意識したことがない言語や学問についての専門書が多く並んでいた。気になった本を手に取り、数ページだけ読む。また棚に戻す。隣の本も開いてみる。そんなことを繰り返しているうちに、窓の外は夕焼けから夜へ変わっていた。

    必要な本を探しに来ただけだったのに、知らない言語や歴史、学問への入口が至るところにあった。図書館は、本を置く場所というより、世界への入口の集まりのように思えた。それ以来、図書館が好きになった。静寂な空間、古い本のにおい、書架に並べられた数多くの本を五感で感じながら、館内を歩き回るため、図書館に行くと、きまって時間が溶ける。

    三

    小説を好むようになったのは最近になってから。社会人として生活していると仕事やプライベートでうまくいかないことも少なくない。仕事でのミスやコミュニケーションの齟齬が続くと、もしかすると自分はダメ人間なのかもしれない、とひどく落ち込む時もある。そんな時、図書館の小説コーナーを練り歩き、裏表紙のあらすじを読んで、気になった本を読んでみることにする。
    ある時、村田沙耶香さんが書いた『コンビニ人間』という小説を読んだ。主人公の女性は、世の中の「普通」が分からずに、生きづらさを抱えていた。また、別の登場人物の男性は、この社会の「常識」を嫌悪するようにして生きていて、それが原因で周囲の人から疎まれているようだった。読み進めるうちに、彼女ら彼らの違和感が、どこか自分のものにも思えてきた。しかも、『コンビニ人間』に限らず、他の小説や随筆でも、同様の感覚が描写されているものが少なくないことに気づいた。ダメ人間(と周囲からみなされている)は自分だけじゃないんだ、いや、この社会では誰もが何かしらの生きづらさを抱えながら生きているんだということに気づき、どこか安心した気持ちになった。
    以来、自分の生きづらさを共感できる人がこの世界には他にもいるんだという安心感を得るために、小説を読むようになった。

    兄弟の中で一匹だけ真っ黒だったスイミー、厚意を誤解された挙句に撃たれてしまったごんぎつね。周囲とは少し違う何かを抱えながら生きていた彼らの気持ちが、今なら少しだけ分かる気がする。


    #創作大賞2026 #エッセイ部門

     
     
    都内在住サラリーマン。30歳。 自身の経験に基づくエッセイとかを書いていきます。なお、身バレ防止のために、内容は若干脚色しています。

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