
「なぜ、ウチは、カトリックなのか」
ウチがどうやらよそさまと違うということを知ったのは、カトリック系の幼稚園に入園してからだった。幼稚園に入園するまでの私は、ウチが世界のすべてだったのだから仕方がない。
クラスの中で私ともう一人の女の子が別室に呼ばれ、他のクラスの同じような子たちも集められ、副園長シスターからの教えを受ける時間があった。
それは「べんきょうかい」と呼ばれ、初聖体というカトリック信者がはじめて聖体を受ける儀式に向けた準備で、洗礼を既に受けたカトリック信者の子どもたちが集められていた。
幼稚園にはもちろん信者でない子たちも通っていた。彼ら彼女らには洗礼名がないことを知った。私にはある、誇り高きミドルネームが。なんなら洗礼名が由来の本名なので、アイデンティティのひとつだった。
私は特別。
その他大勢の子とは違う空間にいられること、みんなには秘密でおべんきょうできることが嬉しかったし、特別感に浸っていた。
さらにその喜びを感じたのは、年長クラス担当のクリスマスの聖劇でのこと。
本当は大天使ガブリエル役が良かったけれど、主役のヨゼフとマリアと同じく、既にカトリック信者の女の子が内密にご指名を受けていた。
おべんきょうかいのおともだちなので特に僻むようなことはなかった。と思いたい。多分そう。そうかな。
でも天使役にはなりたかった。
羊飼いにイエスの誕生を伝える数名の天使役はやはり人気で、倍率は相当なものだった、と記憶している。
負けん気だけは六歳にして立派に育ち、心の底から天使役を望んだ私は、さてどうやって勝ち取るか、一生懸命考えていた。涙で訴える?
しかし気づいたときには、戸惑いと納得のいかない怒りが混じった「じゃーんけーん」という声が聞こえてきた。どうやら先生にご指名を受けた数名の子たちがじゃんけんを促されているのだ。
瞬時に歓喜と失望に湧く教室。
いやいやいや、わたしは!?その土俵にすら入れてない!と慌てた矢先、先生は私ともうひとり女の子に天使役を通達してきた。彼女も信者だった。
つまり信者はじゃんけん免除で天使役を獲得したのだ。
嬉しかった。清々しかった。カトリック信者は正義だと思った。思ってない。六歳はきっと、いえーい!としか思ってないだろう。
でもじゃんけんに負けたのぞみちゃん(仮名)の怒りに満ちた号泣顔はこの年になっても忘れられない。彼女はその他大勢の、台詞が一言だけの、ナレーター役になった。
余談だが、この配役方法は公平ではないとして、次年度からは見直された、と母から聞いた。先生と保護者の間で、あるいは保護者間で、一体どんな世界が存在したのかはご想像にお任せする。
ここまで素直に育ったと思う。
父よ、母よ、祖父母たちよ、ありがとう。
でも天使役を譲る優しい子にはなれなかったし、のぞみちゃんにどう声をかけたらいいか分からずスルーした心無いわがままガールができあがってしまったよ、ごめんなさい。
さて、ここからは捻くれていく。
「なぜ、ウチはカトリックなのか」
これまでに、何度、この問いを思い浮かべてきただろうか。
見たいテレビがあるのに、あるいはそんな気分でないのに、それでもミサに連れて行かれるとき。(そんな気分ってどんな気分)
土曜のミサに行けなかったので、日曜のミサに行くべきなのに寝坊して父に怒られたとき。
小学校の課外学習で地域の寺院について調べることになったとき。
アウストラロピテクスなど人類の起源について学んだ授業後に「人間のはじまりはアダムとイブやろ、シスター言いよったもんね、先生おかしかよね」と同じ教会学校の同級生に同意を求められたとき。
母にはシスターになるという人生があった、と知って、その場合私は生まれていなかったと気づいたとき。
社員旅行の行程のひとつに、かの有名な神社があるも、一切のしきたりをしなかったという父の土産話を聞いたとき。
大学の卒論テーマを遠藤周作に決めたとき。
映画『沈黙ーサイレンスー』を公開初日のどこ見てもシスターな満席劇場で鑑賞したとき。
友人の結婚式で日本語カタコト牧師を目撃してこんな寸劇をするために雇われた彼は一体どういうマインドでにこにこしているのか考えたとき。
仏教の夫との結婚を考えるようになったとき。
そんな夫に結婚式場のチャペルで挙式ができない理由を聞かれたとき。
結婚して家を出て教会の籍を移してはじめて教会費を払ったとき。
大人になって洗礼を受けたという諸先輩の話を聞いたとき。
全く教会に行かない幼児洗礼同士の娘夫婦がお宮参りには違和感があるという理由で子どもに洗礼を受けさせて、やっぱりその後も教会には全く通わないと話す初孫に喜ぶ女性の話を聞いたとき。
『宗教二世』の問題が連日報道され、マスコミの報道がほとぼり冷めたころ二世たちの著書をむさぼるように読んでいたとき。
ドライブの道すがら、南島原市のマリア観音公開イベントに参加し、カトリック信者はひとりもおらんとですけど、と笑顔で案内してくれる実行委員の高齢男性と話したとき。
「マリア」と「観音様」の融合になんとも言い難い気持ちを感じつつ、島原天草一揆について今更ながら勉強した上で、この地域におけるカトリックの存在について考えたとき。
えっと、ところで、なんでカトリックなんだっけ、私って。
と、ふと思うことがある。
何を言い出すの、と自分でも思うけれど、様々な出来事に触れて、そして幾度となくこの問いを思い浮かべながらも、明確な答えは出ず、強いて言えば「父と母が幼児洗礼を受けたカトリック信者で、子である私にもそれを望んだからです」という私の意向はどこにもない答えになってしまう。いや、父と母も、祖父母の意向だったのでは?そのまた祖父母の、そのまた祖父母の…
いつだったか、大学生のころだったか、反抗期×この問い×世界が広がったことによる沢山の誘惑・欲望がマックスに膨れ上がてしまい、母に気持ちをぶつけたことがある。改めて素直に育ってしまったよ、ごめんね。
そして私は自分の発言をはっきりとは覚えてはいない。多分、もう教会行きたくない、とか、なんで行かんばと、とかそういったことだと思う。
でも母がなんと答えたかだけは、はっきり覚えている。
「私が死ぬときまで我慢してよ。お葬式は教会でしてほしかけん。そのあとはどうでもよかけん」
しっくりときた。
腑に落ちた。
いや、待て待て、多分違うんだ。
母は、感情だけでぶつかった娘に、感情だけでぶつかり返してきただけなんだと思う。いつもは娘である私に対して一人称が「お母さん」なのに、このとき「私」なのはそういうこと。
そこは教会の教えを説くわけでもなかった。
でも教会の教えを説いて私のマインドを変えようとしてくるわけではなくて、母の意向を伝えられてはしっくりくるしかない。してやられた?
これ以降、私はより一層この問いについて考える。
天草一揆を調べている過程で、村の中ではじめてカトリックに触れた人々の気持ちを想像する。その子どもはどう感じたのか。そのまた子どもはどうか。悲惨な争いと化したこの騒動を経て、現代を生きる子孫たちはどう感じるのか。
マリア観音を案内していた男性はどうだったのか。
処刑された誰かの子孫なのか、それとも踏み絵で迷わずイエスを踏んだ誰かの子孫なのか。
私は?私の先祖はどうだったのか。誰が私をカトリックに導いたのか。
そんなことが気になって、家系図を作りたくなっている。
タイムスリップできるならならなぁ、なんて思う。
答えは出ない。
でも答えが出ない、という現状を書いておくことにする。
そしてまたミサに行く。
羅列したエピソードをひとつひとつ書けたらいいなと思ってる。