
母からの無言の伝言 銀杏並木の思い出〜Always together〜
いつも、いつまでも、ママと一緒にいるよ!――。黄金に輝く銀杏並木の下で、幼い私はそう約束した。あれから数十年も経ってから、母から無言の「答え」を受け取ることになるとは、思いもしなかった。
「今はこうしてママと手をつないでくれるけど…。いつか大きくなったら、好きな男の人と手をつないで歩くんだろうなぁ」
私の手を引いて銀杏並木を歩いていた母が、おもむろにひとりごちた。私は確か3歳ぐらい。そこは横浜・日吉駅前から伸びる慶応大学日吉キャンパスの中にある道だった。開放されていて通り抜けができたので、当時、近くに住んでいた私たち家族はよく通っていた。
足元には落ち葉が散り敷かれ、頭上では交わる枝が黄金色のトンネルをつくり、どこまでも続いていた。母はその先にまだ見ぬ未来に思いを馳せていたのかもしれない。あまりの景色にうっとりしていた私は、慌てて母の顔をのぞき込んだ。
「いつもママと一緒にいるもん!」
母はそれには答えず、少し笑って握った手に力を込めた。
思えば私は幼いころ、いつも母と一緒だった。小学校に上がるころまで同じ布団で寝ていた。寝相の悪い私の肘鉄が当たり、母の前歯をぐらつかせたこともあった。寝る前はいつだって母がほっぺたに「おやすみのチュー」をしてくれた。
ちょろちょろと動き回る私はよく母におんぶされていた。洗い物をする母の背中越しに、台所の湯沸かし器の青い炎をじっと見つめていた。
ひなたぼっこしながら昼寝をしていると、たまに「ちょっとおいで~」と猫なで声で呼ばれた。膝枕しながら私の耳掃除をしたがり、身をよじって嫌がっているのに、耳にフーッと息を吹きかけられた。
幼き日の思い出は黄金色のイメージに彩られて、あの銀杏並木へとつながっている。甘ったるくて、くすぐったくて、心がやわやわとほぐれていく。その感覚を「幸せ」と呼ぶのだと、母を失ってから思い知らされた。
昨年の晩秋、母は不慮の事故で突然逝った。荼毘に付すことができたとき、あの痛ましい姿から、やっと人並みの「仏さま」にしてあげることができて本当に良かったと思った。これで母の魂が安らかになってくれればと、ただそれだけをひたすら祈った。
横浜市内の火葬場から戻って葬儀会場を後にすると、すでに夕刻が迫っていた。分骨された母の小さな骨壺を持って、東京近郊の自宅へと車を走らせた。有料道路を避けて一般道で帰ることにしたが、平日の帰宅ラッシュの渋滞につかまってしまった。カーナビはルートを二転三転。まるで何かに導かれるかのように、いつもとは違うルートを指し示した。右往左往している私の目に突然、黄金の世界が飛び込んできた。
そこはあの日吉キャンパスの銀杏並木だった。黄色に色づき始めた木々が、夕陽を浴びて輝いている。そのやわらかな残照の中で、私は母の声を聞いたような気がした。
「お母さんはここにいるよ」
――日吉駅前のこの場所にたどりついたのは、決して偶然なんかじゃない。お母さんが黄泉の国からメッセージを送ってくれたんだ。方向音痴なのに一生懸命カーナビをいじって――
そう思ったら、涙があふれてきた。
どうしても新聞記者になりたくて就職浪人をしたとき、父に内緒で就活の交通費を出してくれた母。演劇なんて不案内なのに、ギリシャやイギリスの観劇旅行に付き合ってくれた母。直島で美術館に一緒に泊まった母。いくつもの顔が脳裏に浮かんだ。
――お母さんはもういない。どこにいっちゃったんだろう。まさかこんな日が来るなんて思わなかった。たった一人、あんな場所で逝かせてしまった。「さよなら」も「ありがとう」も言えなかった。どんなに苦しかっただろう。手をさすって顔をなでてあげることもできなかった。ごめんね。お母さん。もう少し一緒にいたかったよ。お母さん。お母さん。お母さん…――
しばらく涙が止まらなかった。泣くだけ泣いて、泣き疲れて少し落ち着いてから、また私は車を走らせた。
そんな私に、母はもう一度メッセージを送ってくれた。葬儀会場で配った、母を紹介する「栞」に使った写真を元のアルバムに戻そうとした途端、吸い寄せられるようにあるページが開いたのだ。そこには就職内定祝いで母と一緒に撮ったプリクラが貼ってあった。ハート型の上に笑顔の2人。その下には次の文字が書かれていた。
Always together
