創作大賞についての所感
結論から言うと、創作大賞は
「note発の作品として出版社に書籍化してほしいもの」
を、選ぶ場なんじゃないかな、と思います。
傾向や分析は、たくさんの方々がしているので割愛しますが、
大体の場合、説明可能性が多く言われているような気がします。
気がするだけかもしれませんが。
で、中間選考というのが、つまるところ、
note運営が、noteの色が出ている作品を選ぶ場、
で、
それを出版社にプロモーションするのが最終選考
なんじゃないのかな、と思ったわけです。
私は最初、中間選考にも各協賛出版社が何らかの形で関与、あるいは人員を出すなどしているのかな?と簡単に考えていました。
しかし、それは各出版社の規模の違いや、それによる公平性などの問題から、流石にないよねえ、と思い至り、
精々がチェックシートを渡すくらい、だったんじゃないかなと思ったわけです。
その仮説に思い至った時、前述の結論がでてきたわけですね。
同時に、noteが現在打ち出している理念であるところの、
数字と戦う、みたいな話が、そこをちょっとややこしくしていて、
数字がない作品を選ぶ
とか、
数字がある作品を選ばない
とかそういう話でもないんですね。
むしろ、数字の有無による葛藤が、逆に視野を狭めている可能性もある。
この作品は数字があるが、似たような数字のない作品を選ぼう、なんていう変なバイアスがかかる可能性だってある。
と言っても、これは単なる可能性であって、実際どうなのかは存じ上げないのでご注意ください。
決して、作品が選ばれた理由でも選ばれなかった理由でもないので、怒ったりホッとしたりするような話ではありません。
ただそういうことあったら選考する人の頭の中ぐっちゃぐちゃになりそうでおもろいな、と思っただけです。我ながらひどい。
ですから、中間選考が示しているものは、面白い面白くないという話ではなく、
note運営が、自分の所のブランドとして見せたい作品か
というだけの話なのかもしれないのです。
以上はもちろんただの仮説であり、思い込みであり、そして自分が選ばれなかった事への慰めであり戒めでもあります。
いや、というか、普通に考えて私の作品を面白いといってくれる人はごく少数ですので、そもそも選ばれにくいのはそうでしょう。
だめじゃん。
まあ、そんなわけで、物を書く上で、選考の当落を深く気にする必要はないかと存じます。というと誤解を招きそうですが、作品価値に直結はしないという意味です。
勿論それぞれの賞で、
「この賞じゃないとダメなんだ!」
と本気で臨み、落ちてしまった人は、思う存分悔しがった上で、次回への糧にするべく分析と対策をするべきでしょう。
その悔しさはあなただけのものです。
通った人は、喜びを十分にかみしめたら、スタートラインに並びましょう。
喜びは二倍に膨らんだ。ありがとう!皆のおかげで!明日からまた力強く踏み出せる。
懐かしいな、ホームメイド家族。
物を書くと言うのは、よーいどん、で始まる競技ではありませんが、スタートラインだけが無数にあります。
書きたいと思う。
書き始める。
完結させる。
賞に応募する。
通る。
落ちる。
また書く。
ずっとスタートラインです。
気負ってしまうこともあると思いますし、見えないゴールに疲れることもあるかと思います。
自分のペースで、できれば書きたいものを書きながらやっていければいいなあ、なんて思います。
以上、所感でした。
いや、創作大賞の所感じゃねえぞ、これ。
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