
引き算のできない大人達。忘れてしまった計算式。
引き算
この言葉を考えると思い出すことがある。
小学1年生の時のことだ。
私は塾で泣きながら、引き算の練習問題をやっていた。
昔の考え方で「まず自分で考えてやってみなさい」というものがあった。
何も教えず、計算式だけ書かれたプリントを渡されて、机に座って考える。
当然-という記号を知らない子供に、答えは出せない。
書いても書いても、違うと言われる。
先生に聞きに行っても、教えてもらえない。
「自分で考えなさい」と言われ、机に戻される。
わからないまま時間が過ぎていき、空が暗くなってくる。
お腹が空いてくる。
鉛筆が、音を立てる気配がない。
正座している足も辛くなってモジモジし出す。
他の子はプリントが終わり、どんどん帰っていく。
自分だけ終わらない、帰れない。
そして泣き出す。
その様子を見て、ようやく先生が「こっちへ来なさい」と言い、引き算の考え方を教えてくれた。
現代の考え方では、ありえないやり方だ。
今になってみると、もう少し良いやり方があったのではないかと考えてしまう。
だが思い返してみれば、私が引き算という言葉を強く考えるようになったきっかけは、この出来事だった。
不思議なものだ。
こんなものが何の役に立つんだろうと、泣きながら計算式を解いていた私が、今こうやって引き算について書いている。
もしかしたらこの出来事のおかげで、引き算というものが無意識に頭に残るようになったのかもしれない。
少しだけこの思い出に感謝を。
大人になってから、気付く。
働く時間
増えていく手間
積み重なっていく課題
悪化する状況
減る事はない、増えていくだけ。
会議の内容は、どんどん増えていく。
サービスはより高い水準を、求められ続ける。
業務問題は、悪化していく。
仕事はなんと足し算の多い事かと思う。
働いていると、増やす事を良い事と考えてしまう人をみる。
何か新しい事をやらなければいけない。
何か出来る事を増やさなければいけない。
何か厳しくしなければいけない。
でも減らす事は絶対にない、引き算はしない。
時間も、動ける量も限られている。
心の容量も限られている。
仕事以外にも、やらなければいけない事がある。
仕事以外にも、やりたい事がある。
このまま足し算をし続けると、いつか破裂する。
破裂した風船は、元に戻らない。
破裂してしまった会社は、退場する。
破裂してしまった人間は、苦しみ続ける。
足し算に終わりはない、終わるときは壊れた時。
引き算に終わりはある、引く事ができなくなった時。
終わりの見えない問題と終わりの見える問題。
どちらが大切だろう。
大人になると足し算しかできなくなる。
子供の頃に習ったはずの計算式を忘れてしまう。
どうやったら楽になれるのか、どうしたら解決できるのか。
どうしたら自由になれるのか。
人生という解を出すために計算式がある。
苦しくなったら、物事を引いてみてほしい。
わからなくなったら、いくらでも引いてみて欲しい。
その先に答えがある。
この話は、あなたが忘れてしまった
引き算の計算式
働きアリは考える。
今日も考える。
あなたは、まだ計算できますよ。