
何故、同情が駄目なのか
私はずっと、自分の人生を隠して生きてきた。心に固く鍵がかかっていたからだ。
しかし冷静に見える外見の内側では、
心の底から同情を欲していた。
同情=理解、だと思っていた。
しかし世間には、同情されたくない、
という人が圧倒的に多い。
私はずっと何故なのか分からなかった。
「かわいそう」と言ってもらえれば、
自分に優しく寄り添ってくれたように感じるはずなのに。
誰かに分かってもらいたい。
私一人では抱えきれないほどの辛苦。
でも私の人生は、自分で話す事も恐ろしく、昔は夫にすら話せなかった。
そんな私が今はnoteで自伝を綴っている。
隠し続ける事には限界がある。
必要な破壊の神は、
精神疾患として我が身に到来した。
治療は地獄の苦痛を伴う。
心の鍵を破壊し、
暴走する自律神経を薬でなだめ、
封じ込めた体験と抑圧した感情を排出し、
それを言語化できるほどに回復した。
西洋医学と、
支えてくれた人達に感謝している。
では本題、何故、同情が駄目なのか。
私はかわいそうな大人に囲まれて育った。
私の両親と祖父母、
誰一人として幸せな人はいない。
だから私は幸せの見本を知らない。
「かわいそう」と同情する心だけが、
異様に発達した。
「かわいそう」と思ってしまったら、
寄り添ってしまう。
寄り添ってしまったら、
境界線の無い者は同化してしまう。
同化してしまったら、
同情を餌とする者に足首を掴まれ、
どこまでも果てなく引きずられていく。
終着駅は、共倒れだ。
なのに毒親は我が子の同情を喜ぶ。
破滅への道でしかないのに。
同情の正体は、
同情される者にとっては、
「不幸へ道連れする温床」であり、
同情する者にとっては、
「不幸行き列車への同乗」だ。
だから同情なんてものには、
救いは無いのだ、と分かった。
同情なんてクソくらえだ。
破壊こそ、救いだ。
生きる為に、甦る為に、
切り捨て、絶ち切るのだ。
私が血反吐を吐いて掴み取った、
私なりの生々しい真実だ。
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