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Photo bymoriniko

何故、同情が駄目なのか

    私はずっと、自分の人生を隠して生きてきた。心に固く鍵がかかっていたからだ。
    しかし冷静に見える外見の内側では、
    心の底から同情を欲していた。
    同情=理解、だと思っていた。

    しかし世間には、同情されたくない、
    という人が圧倒的に多い。
    私はずっと何故なのか分からなかった。
    「かわいそう」と言ってもらえれば、
    自分に優しく寄り添ってくれたように感じるはずなのに。

    誰かに分かってもらいたい。
    私一人では抱えきれないほどの辛苦。
    でも私の人生は、自分で話す事も恐ろしく、昔は夫にすら話せなかった。
    そんな私が今はnoteで自伝を綴っている。

    隠し続ける事には限界がある。
    必要な破壊の神は、
    精神疾患として我が身に到来した。
    治療は地獄の苦痛を伴う。
    心の鍵を破壊し、
    暴走する自律神経を薬でなだめ、
    封じ込めた体験と抑圧した感情を排出し、
    それを言語化できるほどに回復した。

    西洋医学と、
    支えてくれた人達に感謝している。

    では本題、何故、同情が駄目なのか。
    私はかわいそうな大人に囲まれて育った。
    私の両親と祖父母、
    誰一人として幸せな人はいない。
    だから私は幸せの見本を知らない。
    「かわいそう」と同情する心だけが、
    異様に発達した。

    「かわいそう」と思ってしまったら、
    寄り添ってしまう。
    寄り添ってしまったら、
    境界線の無い者は同化してしまう。
    同化してしまったら、
    同情を餌とする者に足首を掴まれ、
    どこまでも果てなく引きずられていく。
    終着駅は、共倒れだ。
    なのに毒親は我が子の同情を喜ぶ。
    破滅への道でしかないのに。

    同情の正体は、
    同情される者にとっては、
    「不幸へ道連れする温床」であり、
    同情する者にとっては、
    「不幸行き列車への同乗」だ。

    だから同情なんてものには、
    救いは無いのだ、と分かった。

    同情なんてクソくらえだ。
    破壊こそ、救いだ。
    生きる為に、甦る為に、
    切り捨て、絶ち切るのだ。

    私が血反吐を吐いて掴み取った、
    私なりの生々しい真実だ。



    #創作大賞2026
    #エッセイ部門












     
     
    毒水の中から法悦の花が開く。 虐待&いじめ&病気(てんかん・脳萎縮・脊柱側弯症・不安症・緑内障・リウマチ等)の実体験と考察、ありのままの感情を、我がインナーチャイルドの魂を供養する為に綴ります。 記事は3つのジャンル(自伝・音楽・哲学)で投稿し、マガジンにまとめています。

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