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姉さん、どうして珍宇は死んでいいと云ってくれない? 「小松川事件」死刑囚の反省のあり方

    李珍宇との出会い

    「小松川事件」は私が家庭裁判所調査官を志望する大きな動機となった事件です。大学時代、たまたま場末の映画館で、大島渚監督が実際の事件をもとに制作した『絞死刑』というという映画を見て大変感銘を受けました。(注)ただし、映画の中で主張される大島渚の国家論には違和感もありまし
      た。
     そして、映画の元になった李と朴寿南(パク・スナム)との書簡集『罪と死と愛と』を早速購入して読み、更に『罪と死と愛と』の15年後に出版された『李珍宇全書簡集』も購入するなど、今までずっと関心を持ち続けてきました。
     なお、朴は、当時、在日朝鮮人ジャーナリストで、控訴審後、面会に行ったことから李との文通が始まります。そして、朴の、家族のように思って欲しいという希望に応えて、李は朴のことを「姉さん」と呼ぶようになります。
     以下、事件の概要、李の反省のありかたについて紹介して行きたいと思います。

    事件の概要

    「小松川事件」は今から67年前の1958年(昭和33年)に起きた事件です。
     事件は行方不明の16歳の女子定時制高生が、都立小松川高校の屋上で死体で発見され明るみに出ました。そして、その後、犯人が新聞社や警察に「完全犯罪だから絶対に捕まらない」などと挑戦の電話をかけ、更に女子高生の櫛を遺族宅に送りつけたりしたことから、世間を騒がせます。結局、電話の逆探知から同じ定時制高校に通う18歳の工員である朝鮮国籍の李珍宇という少年が捕まります。そして、逮捕後の取り調べで、女子高生の前にも行きずりの23歳の女性をレイプして殺していたこと、更に李が高校で学級委員長を務めるなど成績が優秀だったことなどが判明し、一層世間の関心を引き立てることになりました。
     李は、逮捕後の取り調べや裁判においても、当初は姦淫の目的を否定し、動機を「わからない」、犯行を「夢の中でやったように思う」などと述べます。後に李は姉さんへの手紙の中で23歳の女性をレイプした事件について次のように述べています。

     私は想像の中で何回も犯行を遂行した。この道でこうすればたしかにうまくいくだろう。あるいはこういう時にこうすれば……。私が被害者を見た時,自転車に乗っていることは何ら邪魔ではなかった。私はうまくやり通すだろう。これに似た場面はすでに想像で行ったことではないか? ……そのためには彼女は右側を走ってくれなければいけない。その時彼女は左側を走っていたのだ。もし彼女が右側へ寄らなかったら私はあきらめよう。私は現実が想像とくいちがっている限り,犯行の自信がなかったのだ。私は彼女の姿には欲望を感じなかった。彼女は男みたいな格好をしていた。けれどもあの想像が私に欲望を感じさせた。

    (以下、引用はすべて『李珍宇全書簡集』による)

     最近,一見普通の少年がいきなり凶悪事件を起こすと報道されることが多く,その原因の一つとして,現代社会の情報化が行き過ぎ,実体験の不足とビデオやゲームの影響から現実と想像との区別がつかなくなっていることが指摘されたりします。しかし,今紹介した事件はビデオはもちろんテレビも普及していなかった頃の事件ですから,凶悪事件の原因を探る際にビデオやゲームの影響ということを重視することは一面的な理解にすぎないことがわかります。
     そして、李は、第一審判決において、「動機なき犯罪であるかの如く弁疏し全く改悛の情の認めるべきものがない」ということも理由になって、死刑判決を受けます。

    李の反省のあり方

     しかし、私は、書簡集を読んで、明らかに裁判官の心証を悪くしてしまうような主張を真っ正直に述べるということは、裁判官が言うように「反省していない」ことの現れではなく、逆に、真摯に反省しようとしていることの表れではないかと思いました。
     例えば、李は姉さんに出した手紙の中で反省に触れて次のように述べています。

    (李は、父の面会で、新聞に法廷でのお辞儀の仕方が悪いと書いてあったからもっとちゃんとするように言われたというエピソードに触れたあとで、次のように続けます。)
     なんとも云えなかった。私は演技しなければならないのか、と。(中略)一体後悔とはどういうこと? 涙を流して私が悪かったということじゃない! たしかにそれは誰にも出来ることだし、第一にそれはうわっぺらにすぎない。外の人はそれを望む。私達はそれによって自分というものを歪められてしまうのです。

    李の責任についての考え方

     一方、事件は、極貧の在日朝鮮人家庭の少年の犯行であったことから、貧困、民族差別の問題や未成年者に死刑判決を下すことの是非をめぐって社会的に論議を呼び、弁護団が結成され、控訴審判決後は、大岡昇平、木下順二、吉川英治ら著名人によって「李少年をたすける会」も結成されます。
     しかし、李は以下に引用するように、逮捕当初から、貧困や民族差別は責任を軽減しないと述べています。

     僕のうちが貧乏で、民族も違うので、そういう環境が、僕をこんな人間にしたのだと世間の人は考えているかもしれませんが、僕自身は、環境のせいだとは思いません。(逮捕21日後)

     そして、更に、李は、環境のせいではないということを自分に言い聞かせるように手紙に次のような譬え話を書いています。

     君は貧しいと云った。だが君は働くことが出来たのだ。しかし君は、人を殺して金を取る方法を選んだのだ。君にとって生命の価値というものは大したことではなかったのだ。そこで君に大金を与えたとしよう。それによって貧しさによる犯罪は起こらないとしよう。しかしそれによって、君が見る人間の価値というものは、決して高められたことにはならないのだ。外見上君は変わっても、君の精神は前と少しも変わりはしない。
                          (1961年3月23日)

    後悔は意志の持続である

    後悔は意志の持続なのです。(1961年9月8日)

     李が「後悔は意志の持続だ」と言っているのは分かりにくいかもしれません。ただし、李は、別の手紙で、死刑囚の仲間から「自分は死を覚悟しているが、反面、生を望む心理がある。自分は本当には後悔していないのだろうか」と尋ねられた際、「私達が死を覚悟するということは生を断念したということではない。ただ、罪の償いとして死を要請されているがためにそれを覚悟しなければならないということであって、生を望むというということは何ら恥ずべきことではない。私たちにふさわしい死は、死をおそれつつ死ぬということではないだろうか」と答えたと書いています。人を殺すことに何の感動も感じない自分に気づいた李は、感情よりも意志に賭けているということができます。

    姉さん、どうして珍宇は死んでいいと云ってくれない?

     李は第一審判決以降は、罪を償うために死刑判決は受け入れるしかないと考えており、自分では上告を望まず、代わりに父と弁護人が上告しますが、最高裁で死刑が確定します。
     死刑確定に対して支援者や姉さんらは罪は生きて償うべきだと恩赦出願を勧めます。
     次に引用するのは、姉さんの手紙の一節です。

     生きるということを考えてほしい。
     生きて償うことこそ、真の罪の償いにならぬだろうか?
     目には目をの刑罰は報復にすぎない。しかし、十八歳だった珍宇には,自分を改善することで,犯した罪をあがなうことが許されるはずだ。

    (注)朴は被害者らの両親にも会いに行っていますが、被害者らの両親はい
      ずれも生きて罪を償うことを望み、更に高校生の被害者の父は、減刑に
      なって釈放されたら自分の会社に引き取っても良いと述べたということ
      です。
     支援者の助言に対する李の返事は次の通りです。

     私の問題には二つの見方があり、一つは境遇はいかにして私に罪を犯させたか、ということであり、もう一つは、私は境遇においていかにつとめたか、ということです。この後者から責任の問題が出てくるわけです。
    (責任は)感傷的な考えによって判断されるべきものではないのです。そうでなかったら祖国のパルチザンの女性がどうして敵をほめることによって助かることよりも、むしろその反対に殺されることを選んだかは理解できなくなるでしょう。
     私が死に逃避したいから人々の善意を受け入れないというようなことは考えないでください。
     何故ならそれ以前の問題が問題となっているからなのです。恩赦の方法が私の責任において選ばれるという場合、私は生きたいか死にたいかとか、そういうことでそれをきめるべきではなく、私の責任によって判断すべきなのです。
     たとえばさっきのパルチザンの女性のことを考えてみれば私の云う意味がわかってくれるかも知れません。そして厳密に考えれば彼女は死を「選んだ」のではなく、すべきことをしたにすぎないのです。
     このように責任というものはあいまいなものであってはならないものです。

     そして、姉さんに対する李の返事は次の通りです。

     姉さん、自殺は逃避なんだ。生よりも死を選ぶことは逃避なんだ。しかし今の私の場合はちがう。それを私にあてはめることはまちがいだ。
     私は生きたいと思っている。私は二十一だ。とても張り切っている。どう生きるか、生きねばならなかったか、を自覚しはじめたばかりだ。
     ……しかし姉さん、私のこの意欲をそのままおし出すわけにはいかない。
     ……私は朝鮮人の、死刑囚なのだ。
     姉さん、どうして珍宇は死んでいいと云ってくれない?
     ……姉さんは生きる、それは判断を要しない。しかし私は判断しなければならない。それが与えられているから。
     ……つまり人間は生きなければならないという責任を負っている。けれども私にはその責任は失われて、それを失わせてしまった行為の責任が問われる。                    (1961年9月22日)

    李の悩み

     李の悩みは、死刑を宣告されたことではなく、頭では殺人は悪いことだと理解しているが、それに感情が伴ってこないということでした。

     私は二つの事件を起こしましたが、あのまま捕らわれなかったら、機会あるごとに更に人を殺したことはたしかです。私が捕らわれてから、何の後悔も見せず、むしろ快活にふるまったことは、少なくとも故意的ではなく、それは自然でした。私は人を殺すということについて、何の感動もないのです。
     私はよく小川でエビガニ釣りをしました。そのときの餌に、エビの尻尾をちぎって糸に付けると、エビガニはよく釣れるのですが、私はエビガニを殺すことに大きな嫌悪を感じました。そして今でも嫌悪を感じます。ところが人を殺すことについては、少しも嫌悪を感じない自分を知っています。
     私は父を愛し、母をも愛しました。親孝行と言われたこともあります。これも故意的ではなく、正に自然の自分でした。しかし、この親思いの私も、この本性には打ち勝てませんでした。私は被害者のこと、家の人たちのことを思って涙を流しました。しかし、それは、ただの涙で、私の本性は無関心です。                   (1961年5月14日)

     共感を、「情緒的共感」と「認知的共感」から成るものとすると、「認知的共感」はできても「情緒的共感」はできないということになります。そして、「情緒的共感」が被害者や被害者家族に及ばないことの原因には、共感の範囲が父母以外に広がっていなかったことが挙げられます。
     また、李は、成績が良かったことから高校卒業を控えて日立やセイコーなど有名企業への就職を狙いますが、受験自体が国籍を理由に断られます。「助ける会」が指摘するように、民族差別の問題が共感の範囲が父母以外に広がらなかった原因の一つであることは否定できないと思います。
     李は、罪を償うに際して理性と感情の乖離に苦しんでいるわけですが、その苦しみは李を自ら死刑を望む心境にまで追いやります。

     私は何にしても、無感動なこの本性に対してたまらない憎しみを感じています。ですから、私は従容として死に場所にのぞむ私を恐れます。私は恐怖を味わいたい! 私の非情な本性に恐怖を味あわせてやりたい!

    「感情の転換」の試み

     このような葛藤に対して、解決の糸口を与えてくれたのが、姉さんとの出会いでした。李は、判決確定後、自ら、当時死刑の執行場所であった仙台拘置所への押送を願い出、その直後の手紙で改めて、理性と感情の乖離の問題を取り上げます。

     私の頭にいつも残っていた問題は、体験が「夢」のように感じられることだった。若しも私達が何か或ることをして、それが過去になると同時に「夢のように」と感じるとしたら、それに対して何か現実的な感覚を持てと言われても困ってしまうにちがいない。
     私はあのような事件を起こしたにもかかわらず、それに対して身近なものとして感じられなかった。私は人を殺したということに別に嫌悪など感じないし、またその点から言えば、再びそのような場にあっても、人を殺すということについて、変わった感情も起こらないだろうと思われたのだった。
     そういう時に私は姉さんと会ったのだった。姉さんと会った日のことを私は一生忘れられないだろう。その時姉さんは長い髪を切った後だと言って笑っていた。何よりも私にとって嬉しかったことは、姉さんがこういうところにわざわざ面会に来てくれたことだったのだ。
     それ以後の私については姉さんがよくご存知だから(なんと私は姉さんに甘えたことか!)詳しくは書かない。
     いつしか私は姉さんがとても好きになってしまった。それである日ふと姉さんのことを思い出したとき、急に姉さんのことが心配になってしまった。たしかその前に、姉さんは足を怪我しているにもかかわらず、わざわざ家を訪ねてくれた。私は家の近くのことはよく知っているし、また自分のしたことがしたことなので、急に若しも姉さんに万一のことがあったらという心配で胸が一杯になってしまった。
     その時ふと被害者のことを思い出し、そのことが今までにないほど強く感じられた。私はこのことが深い意味を持っているように思われてならなかった。
     このことがあってから、私は果たして感情の転換が可能かどうか考えるようになった。
     誰かが死んだ、しかし私は彼を知らない。私の心とは無関係のように思える。
     愛している人が死んだ。いつ、どこで、どうして? 私は問いを無限に発するだろう。私の心は愛する人の死で気が転倒してしまっている!
     生命とは差別があるものだろうか。そうではない。それなのに、この二つの現象はどういうことなのだ?
     私は言いたいことがうまくまとめられないでいる。私が姉さんへの気持ちを強く感じた時、その感情を通して今まで遠くに感じられた被害者のことが、身近に感じられたのだ。私はこの感情をもっと豊かにさせることによって、この問題を心の内まで引き入れたいと考えた。私はそういう仕方で被害者の存在を私の心のうちに回復させようとしたのだ。

    李と姉さんの最後の面会

     李は、姉さんに対する気持を足がかりに被害者を心のうちに蘇らせようとします。ただし、残念に思うのは李と姉さんの最後となる面会です。
    「姉さん」から李への手紙にはその面会の様子が次のように記されています。

     面会で珍宇は、「姉さんは、いまここにいるぼくがぼくでなく、金であっても、ぼくに云うのと同じことばを云い、そして同じことをするだろうか?」という質問をした。
     なぜ、あえてこういう質問をするのか、はじめ面くらってしまったが、クリスチャンだという太田さんが、「ぼくはまさにきみだからこそ命を賭けてきみを愛しているのだ」といったことばをあなたがひきあいにだしてくれたので、その意味を知ることができたのだった。
     そう、わたしは珍宇に云ったと同じことばを、多くの危ない同胞たちにいままでにも語りかけ、そして小さな手をさしのべる、わたしたちは、きょうだいなのだ――と。
     事件をおこしたのが珍宇でなく、たとえば金という少年であっても、わたしは同じようなことを云い、そして、してきただろう。
     私の返事に、あなたは、さびしそうな顔をした。わたしはいま、その時のあなたの表情を思い浮かべながら、胸を痛めている。わたしは、うまく云えなかった。

     読者の皆さんは、李がなぜ「悲しそうな顔をした」か共感できるのではないかと思いますが、姉さんも気持の上では李の気持ちを受け止め胸を痛めているものの、その気持ちの理由を十分に誤りなく表現することはできなかったようです。姉さんの手紙の続きです。

     金という少年は、おそらく珍宇とはまた、異なったもの、資質を持っているかも知れない。その金少年とわたしとの間の友情というものは、珍宇とのそれとは、また違ったものになるだろう。あなたの持っている内容は珍宇自身の独自なものであり、金少年の持っているものはまた違うだろう。
     しかし、この二つの円の重なった部分は、金も珍宇も同じものだ。だからわたしは、金も朴も珍宇も、わたしたちのおとうとだという。
     わたしは珍宇が持っている内容、資質といったものを大切に思う。だからこそ、交差した円の部分の問題を照らし返して、ぜひ、よりよく生きる、という問題に真正面からぶつかってほしいのだ。それは、珍宇独自な内容をさらに豊かなものにみのらせるために、ああ、どれほど強く、珍宇に生きてほしいと願ってきたか! 

     姉さんは、李をひとりのかけがえのない人間として認めていなかったわけではない。むしろ、認めていたからこそ、死刑回避を最大の目的とし、上告をせず再審や恩赦の申し出もためらう李を、犯行の背景には民族差別があり、本当に反省するためには、生きて民族的アイデンティティを取り戻すことが必要だと説得し続けたのである。
     しかし、李には、姉さんのそのような説得は、代替がきかず一度しかない人生を、主義主張や図式に還元してしまうように映ったようである。李は、以前も手紙で次のような意見を述べ逆に姉さんの説得を試みていたからである。

     Aがいくら大きな必要性を帯びた状態でも、Bに何らかの意味があり、そして彼がまさにそのBのなかにあるとするならばその問題をAに還元して見つめることは出来ない。(中略)BがAにつながるのは、BがBとしてであって、BをAの中に溶解することではない。

     精神科医の岡田尊司によれば、かつて、イスラエルのキブツでは、一人の母親が一人の子どもの養育全部を見るのは効率が悪く、更に子どもの自立も遅らせるとして、子どもの養育プロセスを内容的・時間的に分割し、複数の親がそれぞれの部分にかかわるようにしたが、そうやって養育された子どもらは長じて対人関係に大きな問題を抱えることになったため、その実験的試みは失敗に終わったということである。
     岡田はその結果から、愛着(アタッチメント)形成には、子どもと「子どもにとっての特別な存在」との間で一貫した結びつきが必要なことが分かると述べ、それを「愛着の選択性」と呼んでいる。
     更に、このことは、頭が良いから、運動が上手だから、容姿端麗だからなどの条件づきの「愛情」をかけられていた者が、その条件を欠くとして見放されたとき、いかに人格が破綻しやすいかを考えれば、理解はむずかしくないと思われる。
     人間には、条件抜きでありのままの自分全部を愛してくれる特定の存在が必要不可欠で、その体験が困難にぶつかっても生き抜くことを可能にしてくれるのである。
     李は自分の胸の内に芽生えたお姉さんへの思いを育てて広げ被害者の存在を心のうちに甦りさせたいと願っていたわけで、最後になった面会で姉さんが、「あなたは取り返しのつかない事件を起してしまったけれど、私はあなたのすべてを愛さざるをえない」という趣旨のことを伝えることができたら、李の願いは更に実現に近づいたのではないかと悔やまれる。

     この面接の1ヶ月後に死刑が執行されます。
     執行の際の李の胸中は知るよしもありませんが、少なくとも、罪を償うに際して理性と感情の乖離に悩んだ李が、「姉さん」への思いを支えに懸命に「感情の転換」を試み、死刑に立ち向かって行った様子が、手紙から見て取れると思います。李の感情は父母にしか開かれていませんでしたが、「姉さん」との関係を通じて、被害者たちにも開かれ始めようとしていたといえます。

    (注)
     このエッセイは、応募のため、「人間を考えるための司法・犯罪心理学入門」という23回シリーズの第10回を再掲したものです。興味を持たれた方はシリーズの他の回(特に「第8回 道徳の成り立ち」「第9回 良心の発達と反省の条件」)もお読みいただけると参考になると思います。 


     
     

    tomozou

     
     
    元家庭裁判所調査官で公認心理師です。 哲学、精神病理学、心理学、文学の本をよく読みます。 そして目立たない「聖地巡礼」を計画するのが楽しみです。 今まで経験したり本を読んで考えたりしてきたことを、うまくまとめて発信できたらと思っています。

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