
ラムネとカニクリームコロッケ
姉夫妻と地獄の父の家へ向かった。
掃除、粗大ごみ搬出、車の引き渡し。
ひとつの大イベントが終わり、第1ステージクリアだ。
3人で入院中の父のもとへ向かう。
今日はどうか、
「ありがとう」だけを言いますように。
病室にはオムツ一丁の父がいた。
隠す素振りもなく、大股開きだ。
「おう」
私はカバンを漁り、スーパーを3件もはしごして手に入れた誇りを胸に頼まれていたふりかけを取り出す。のり弁慶、ぶし若丸、のりたま。
父は一瞥して言った。
「その箱に入れといて」
期待はしていなかったが、
心のなかで自分で自分に感謝の声をかける
姉が
「ごはん食べられるようになったんだね。
おかゆ?普通?」と聞いた。
父は「普通のご飯」
「海苔の佃煮、もうなくなった」
父は誇らしげに笑った。
私は一瞬だけ、手を止めた。
面会は30分。
「まあ、5月末で転院だな」
父はオムツを見せつけながら震える足を組み直す。
そういうことになっているらしい。
横で義兄が静かに頷いている。
父のタブレットから2本の線が伸びていた。
片方は耳に繋がっている。画面を見ると、YouTube。
流れていたのは――
『カニクリームコロッケの作り方』
揚げ油の音が、イヤホンの向こうで小さく弾けている。
父は机をまさぐり、ラムネを取り出した。
ジッパー式の袋に手を突っ込み、そのまま口へ運ぶ。歯の隙間で、白い粒が舌の上を転がっている。
「いる?」
私「ダイエットしてるから」
姉「いらない」
姉夫「大丈夫です」
私は動画を止め、イヤホンを抜いた。
油の音だけが、少し遅れて消えた。
「次は2週間後ね」
そう伝えると、父は笑った。
「またふりかけ頼もーっと☆」
頷きながら私の足は小刻みに震えていた。
病室を出て、外の空気に触れても、さっきの音がまだ耳に残っている。
あのコロッケは、最後まで揚がったのだろうか。
そのとき、ずっと黙っていた義兄が言った。
「この前より歯が無かった」
それが、彼の感想だった。