
掌に残る冷たさ
夜勤明けのLDRの廊下は、いつもよりうんと静かだった。普段は気にすることない、自分がキーボードを叩く音が鳴り響く。
胎盤の生臭さと産婦さんと私の汗が入り混じった臭い。
何回マスクを変えても、鼻の裏にこびりついている。
配膳車の音が聞こえ、朝が来たと知る。日勤さんが来る時間だと、力が抜ける。
三年前は、どんな音にも敏感に反応し、胸を大きくざわつかせていたのに、今は何にも感じない。
「お疲れさま。」と日勤で来た同期の奈々がすれ違いざまに声をかける。「ありがとう。」と伝えるが、顔の筋肉の全てが重力に負け、うまく笑顔を作れなかった。
夜勤の間に三件のお産。私の病院は、分娩係というものがあり、来たお産はすべてこの係が介助する。想像できるかと思うが、他にも受け持ちがおり、一人の産婦に対して丁寧にケアをしている時間は誰かを犠牲にしないと作れない状況である。お産自体は私のケアが無くても進んでいく。零れ落ちる赤子を落とさず、拾い上げて安堵するようなお産。そういったお産を経験するたびに、自分の中の何かが崩れていく気がした。入職当初に考えていた助産師像とは、なんだったのか思い出せないほどかけ離れている。
赤子の泣き声がLDR内に響くたびに、どこか遠くに意識が飛んでいき、夫婦の嬉し泣きに対しても、何も感じられず、胸のなかは空っぽだった。胎盤を出した後は、もう一人、進行中の経産婦が気になり、その場を後輩に任せて、次の部屋に走って向かった。
夜勤を終えて、更衣室に向かう途中。緊張がほどけたのか急に尿意を催し、トイレへと向かう。
トイレの前で立ち止まった。二件目のお産のことを急に思い出したのだ。
「もうここで産みたい。」
そう言った産婦の声が、まだ耳の奥に残っている。
受け持ちの妊産婦さんをやっとの思いで回り終えて、記録をしていた時だった。
LDRのトイレで緊急コールが鳴った。
三十分前に訪室していた時は、笑顔でご飯食べていたよな、と考えを巡らす。
「今すぐ行きます。」と口にしたが、心の中では焦りとため息が入り混じっていた。
扉を開けると、産婦がトイレの中でしゃがみこんでいた。顔は真っ赤で大粒の汗を流し呼吸は荒く、目に涙が浮かんでいる。「もう、出そう。」そう言って、私の手を掴んだ。
陣痛間隔は2分ごとに来ている様子で、分娩台は見えている距離だ。「頑張って少し歩きましょう。」と伝える。
「もう無理です。ここで産みたい。ここが良い。」と震えながら、床を指さした。
その言葉を聞いた瞬間、上司の声と自分自身の声が、頭の中で交互に響く。「安全第一であり、当院は分娩台でお産をする。」「フリースタイルでのお産は実習で見たことある程度でやったことないやん。」
産婦の震える声が反響し、羊水や血の生臭いにおいがLDRの中を充満している。
予想では、後数分で産まれるだろう。ただ、まだ努責感はかかっておらず、スタッフ三人で産婦をもち上げたら、分娩台に乗れないこともない。
でも、本人の希望は、床で産みたいことであった。
目の前の産婦の呼吸の速さが、私の判断を奪った。
今にも寝ころびそうであり、分娩台の上にあった上布団を咄嗟に床に敷いた。お産用のシートを床に広げた。タイルの冷たさが指先に伝わる。
パンツを下すと卵大くらい児頭が見えており、急いで滅菌手袋を装着し、一分もせずにお産となった。産声が上がった時、LDRの静けさが一瞬で温かい空気に包まれた。
母子ともに無事。そのことを確認して、ようやく全身の力が抜けた。
報告のあと、科長の第一声は「それはインシデントだよ。」だった。私をなんとか支えていた一本の糸がプツンと切れて闇のなかへ消えていった。科長の声は静かだった。怒っている訳ではなかったけれど、淡々とした口調がより胸に刺さった。
「母子ともに無事だったのは良かった。床でのお産は危険。経験もしたことがなく、準備をしていたわけでもない。なぜ分娩台まで誘導出来なかったのか、それまで未陣発だったとアセスメントしていたが、そこが正しかったのか、離れる場合になんて声掛けしていたの。振り返る必要がある。」頷くしか無かった。
頭では、安全のために言われている、科長の言っていることは間違っていないと分かっていた。それでも、私のこころの内壁がボロボロと崩れ闇に落ちた。その後、安全委員会に議題を掛けられ、報告書を一枚作製し、提出した。そのあと科長からは何も言われなかったものの、安全委員長が病棟に来て、一時間程度なんでこの様なことになったのか、科長と議論をしていた。
あの産婦の「ここで産みたい」という言葉を、私はきっと忘れない。たとえそれが、間違いだったとしても、あの瞬間彼女は真っすぐに「生まれる」ことと向き合っていたし、信じていた。ベテランの助産師では無いし、フリースタイル分娩もやったことないにしろ、本人の意思を尊重して「産む」を支えるのが助産師では無いか。自身のケアや観察がなかなか出来ず歯がゆい結果となった事実は考えたく無かった。ここで働き続けて何になるんだろうか、こんな環境だからこの様な結果を招いたのだと歯を食いしばりながら、力強くトイレットペーパーを引く。
帰りの電車の窓から見える風景は、いつもとなんにも変わらなかった。車内の揺れに身を任せながら、進む世界の中で、自分だけが取り残されているように思えた。
「人の誕生を支える仕事」そんな言葉が、遠くの海に投げ込まれてゆく。
私は、今、何のために働いているのだろう。
職場には、年に一度、一週間の休暇を取る制度がある。ちょうど二週間後、私はバリ行きの航空券を予約していた。マタニティヨガに元々興味があり、オンライン講座と三日間のバリ島リトリートで資格が取れるという。その予定を思い出したとき、「ちょうどよかった」と小さくつぶやいた。
上司たちがあの件について話している声が廊下から聞こえてくる。同期や後輩の、どこか湿った慰めの言葉もつらかった。その場から、逃げなければ、壊れてしまいそうだった。いや、心はすでに壊れていたかも知れない。
バリ島には、卒業旅行で一度だけ訪れたことがある。海風と、ゆるやかに流れる時間。あの場所なら、何かを見つけることができる。何かを、洗い流してもらえる気がした。
空港を出ると、湿った風が顔にまとわりついた。まだ、午前の光は柔らかく、コンクリートやタイルの匂いと混ざっていた。日本のざらざらした空気とは違う。機内が冷え込んでいたために着ていたカーディガンを脱いだ。「ただいま。」小さくつぶやく声で、自分の喉が全然起きていないことに気づく。
バリの空港名物のものすごい数のタクシードライバーと、ホテル名や名前を書いた紙がひしめき合い自分の名前がなかなか見つけられない。目を薄めてみていると、肩をとんとんとされた。「HARUKA?」頭と腰に茶色と黄色の南国柄の布を巻いた中年男性から声を掛けられた。「YES」と返事し、案内されたタクシーに乗り入れた。一人の日本人観光客なんて私以外周りにいなかったなと、声を掛けられた理由を考え納得した。
タクシーから見える景色は、緑が途切れることなく続いている。ヤシの木、華やかな花々、赤レンガ色の屋根の建物たち。目の奥の疲れが溶けていくのを感じた。同時に、職場は今どんな感じなのだろうか、誰にも思いを伝えることなく逃げるように来てしまったなとぼんやりと考えをめぐらす。
リトリート施設に着くと、笑顔のスタッフが迎えてくれた。「こんにちは。」その声に、つい笑みが返った。
部屋に荷物を置き、マットを広げる。明日からのリトリートが、もうそこまで来ているという高揚感と緊張感が混じり合い、喉が渇く。
初日のクラスは、ヨガの基礎。呼吸を意識し、身体を動かすたびに、身体の隅々まで酸素が流れていくのが分かる。でも、心はまだぼんやりと重たく、ポーズも重心を探すのに苦労し何とか形になっている。足先から指先まで、滴る汗が、冷たく硬いマットへ落ちる。
クラスが終了後、自室のベッドに寝転がり、窓の外を見る。ヤシの木やブーゲンビリアの花がゆっくりと踊る。
「私こんなに疲れていたんだ」小さく呟くと、涙が頬を伝った。実家暮らしの私にとって、本当の一人の空間は初めてだった。恥ずかしさなどなく、嗚咽するほど泣いた。
明日は応用編の講義が始まる。心身共にギリギリではあったが、なんとかついていけそうな気がした。ここなら、少しずつ自分を取り戻せるかもしれない。頬が緩んでいくのを感じた。
朝日が差し込むスタジオで、今日もマットを敷く。昨日、今までの人生で使ったことのない筋肉が呼び起されて悲鳴を上げている。身体が鉛の様に重い。
先生はにこやかに「呼吸と意識をひとつに」と声を掛ける。身体を動かすたびに、疲れがじわじわと広がる。足を上げるだけで痙攣しているような感覚だった。毎回鏡を見るたびに、自分の不器用さにため息が出る。
「大丈夫。ゆっくりで良いです。」受講生の声も、励ましなのか、雑音なのか分からなくなる。
休憩時間に水を飲むと、こぼれそうな涙が頬を伝う。
心も身体も、限界だ。
それでも試験の日はやってきた。決められた流れに沿って一時間レッスンをするというものだった。
頭が真っ白になり、手が震える。
他の受講生がスムーズに、話しているのをみて、汗に交じって涙も出ていた。でも、「ここで諦めたら何も変わらない。今できることをやろう」という小さな声が聞こえた。
最後のポーズを終え、深く息を吐いた。全身が崩れ落ちた。先生からのフィードバックを受けて、呼吸のアシストが間違っていたことや、もう少し自信をもって話すことなどを伝えられた。
正直、最中のことをなにも覚えていない。だが、結果的にギリギリながら合格した。どう考えても他の受講生に比べて、出来ていないことが多かったと思うが、1時間とりあえずレッスンをすることができた。
試験が終わった後、先生に呼ばれた。「この数日間辛かったでしょう。初めは顔がこわばっていた印象があったけど、少しずつ涙で浄化されたんじゃない?」と背中を撫でてくれた。
ヨガ哲学の教科書に書かれていた言葉が、ふと浮かんだ。
「涙は、心が開き始めたサイン。」
その文を思い出したとき、胸の奥がゆっくりと温まった。
リトリートを終えて、数日間滞在するウブドに向かってタクシーを呼んだ。ウブドへは二時間ほどかかる。道は一本しかないようで、通勤ラッシュと時間が被り、混んでいた。車内は、聞いたことが無い日本語の曲が流れていた。日本人の私に配慮してくれたのだろう。運転手は私と同い年位に見えた。妻と思われる人と携帯で楽しそうに話していた。女一人旅で、絶対にタブーだとは思うが、私はタクシー運転手を謎に信用しバックパックを胸に深い眠りについていた。
目を開けると、タクシーは森の中を進んでいた。ココナッツがいっぱい入った笊を頭にのせて歩いている女性が見えた。その先ではトラックの荷台にココナッツが沢山乗っており、5,6人の女性がコーヒー片手に笑いながらおしゃべりしていた。急に視界が広がり田園風景が広がり、これぞウブドと見惚れた。丁度、太陽の光に照らされて田園の水が反射し、綺麗だった。そう見惚れていると、鳥や猿の声がして、また狭い道に、草木をこすりながらタクシーは進んでいく。
宿の前までは道が細いためここまでしか行けないと伝えられタクシーを降りる。確かに道は細く、商店街の様になっており、バイクでも通るのが難しい道だった。バックパックにキャリーケースと大荷物の私には、細くガタガタした坂道を行くことは、厳しい選択だった。もう少し荷物を減らしておけば、と頭の中で荷詰め中の自分を殴る。
少しずつ休憩しながら、やっとホテルに到着した。受付は、外の教卓のようなところであった。ホテル自体は日本円で三千円程度の場所だったが、プールも二つついており値段の割には悪くないと感じた。ただ、エレベーターがなく、3階だったため流石にこの大荷物を持っていくことは不可能と考え、従業員のお兄さんに運んでほしいと頼んだら快く受けてくれた。
お部屋は最低限のものしかなかったが、逆に心地よかった。実家の自分の部屋はものが多く、よく自己啓発本などで部屋の乱れは心の乱れとかなんとか書いているが本当にそうなのかもしれないと妙に納得してしまった。庭もあり、日本では規格外の大きさとなるはっきりとしたオレンジのマリーゴールドがコップに飾っていた。夕焼けもオレンジ色に染まっており、大きく両手を広げ深呼吸をした。
ウブドの朝は、驚くほど静かだった。森の奥から鳥の声がして、霧に反射して群青色に染まる空がとても綺麗だった。リトリートを終えた私は、ヨガの修了書を、庭の木の机の上で見直した。紙一枚なのにずっしり重く感じた。自分が望んだ癒しの時間であったのに、胸の奥の空洞は、まだ埋まっていなかった。
「もう、十分癒されたはずなのに。」そう思いながらも、どこかでまだ夜勤の時に刺さったものがつっかえているのを感じた。
ヨガの先生からお勧めされたティルタ・エンプルの沐浴をふと思い出し、軽く朝食を済ませてタクシーを呼んだ。タクシーの運転手さんはやはり音楽をかけ、誰かと電話で喋っていた。昨日とは、光の当たり方が違い田園風景も緑が濃く映り、どこまで続くのだろうと40分ほど同じような風景を進んでいく。
観光客の姿も多く、沐浴とはどんなものか気になった。日本人観光客も数組おり、沐浴はせず写真を撮って、ガイドさんから説明を受けていた。地元の人は大きな瓶やペットボトルをもち、沐浴した後に、聖水を持ち帰っていた。太陽の光に照らされて、聖水は白くきらめいていた。ひとつひとつの聖水の出口に祈りを捧げ、首を垂れる人々。無宗教の私は、信仰というものに関して詳しくはないが、ここの水はその辺の川の水や水道水とは違うことは分かった。
ここまで来たからには、と考え、受付でお金を払い深緑の布を受け取る。水着を持ち合わせておらず、パンツ一枚に布でワンピースの様に巻くというスタイルをとることになった。抵抗感はあったものの、いざやってみると布に包まれている安心感がありそこまで羞恥心もなかった。ただ、帰りのパンツは無いため早く乾けば良いなと思う。
冷たい石畳の上で、多国籍な方々が並ぶ列に交じる。そこに日本人らしき人はいない。インド人なのかヒンドゥー教っぽい方が割合的に多く感じた。
順番が来た。水に手を差し入れると、驚くほど冷たい。階段を少しずつ降りてお臍のあたりまで浸かる。何かが足に触れた。大きな鯉であった。それをみて気を失いかけたが、水の冷たさが正気に戻す。沐浴の仕方をのぞき込んでみていると、前の陽気な白人男性がジェスチャーでやり方を教えてくれた。けれど、あまりよく分からなかった。彼も、ノリで行けるよ的なことを言っていた。
私の番が来た。息を吸い込み、そのまま頭から水を浴びた。見た目よりも水圧が強く、しっかり息をとめる。
青白いライト、汗を浮かべた母親の額。私の手を握る母親。「もう少しで、赤ちゃんに会えますよ。」そう声を掛けたとき、私は確かに母親と繋がっていた。なのに、私は、あの瞬間を恥じていたんだろう。
私は次の聖水の前にいた。流れ落ちる聖水に両手を差し入れ、冷たさに息をのむ。そのまま、頭を下げた。水が髪を伝い、肩を打つたびに、胸の奥に詰まっていた何かが、ゆっくりと剥がれ落ちてゆく。顔を上げると、光が澄んで見えた。涙なのか、聖水なのか分からなかった。
「母親の思いに寄り添うこと」に関しては間違っていなかった。たとえ誰に否定されても、あの母親と私の間にあった真実は、確かに存在した。
沐浴を終えた帰り道、ウブドの優しい風が私を包んだ。遠くで鐘の鳴る音が聞こえる。子どもたちが笑いながら走り回り、そのあとを犬が追いかける。
生きるということは、きっとこういう積み重ねである。完璧じゃなくていい。ただ、今を大切にすること。
深呼吸をして、空を見上げた。責めることも、許すこともなく、ただ私を包んでくれた。
日本に戻ってから、最初の朝は不思議なほど静かだった。窓の外には、曇り空。1週間しか休んでいないのに、制服に袖を通すとき、懐かしさと怖さを感じた。でも、不思議と足はスムーズに病棟に向かった。「お疲れ様。」と同期に声を掛ける。「ねえ、これ見て。」と病棟宛の手紙を差し出してくれた。
先日、こちらでお産をしました。助産師さんが忙しいなか丁寧に関わって下さり感謝しています。特にお産に関しては、トイレに行ったら急速に進んでパニックになりました。けれど、助産師さんが笑顔で落ち着いて対応してくれたことで母子ともに健康でお産を終えることが出来ました。次の出産がもしあれば、同じ助産師さんにお願いしたいです。
手紙を読んだ後、静かに息を吸った。手を洗うと、水の冷たさがまだ掌に残っている気がした。ただこころは少しばかり温まった。