
【掌編小説】ハート虫の中田くん
今年もハート虫の季節になった。
初夏の風が駆け抜けるころ、風呂場の壁にわらわらと現れる、五ミリほどのハートを逆さにしたような形の虫。ゴキブリ並みの繁殖力で風呂当番の私を苦しめる、名前にそぐわない忌々しいヤツだ。
その日、湯船に浸かると左側の壁にヤツがいた。殺り残したか。舌打ちして叩き潰そうと右手首を返したとたん、
「ばかっ、雪島、おれだよ、おれ!」とそのハート虫が口をきいた。
びっくりしてよく見ると、それは同じ三組の中田くんだった。
「ったく、好きな相手を潰す女子がどこにいるんだよ」
ひやひやしたぜ、と額(らしきところを)を拭いながら、ハート虫の中田くんは言った。
中田くんは、三十二人いるクラスの中で、七番目に成績がよくて九番目に背が高く十二番目くらいにかっこいい男の子だ。だれもマークしてないようだが、私は全男子生徒が校庭で組体操をしていても、彼がどこにいるか一瞬でわかる。
入学式の後、靴箱の前で友達とふざけていた中田くんに足を踏まれて、ごめんな、と謝られて以来、好きになった。
「とかいって、全然、話かけもしねーし」
ハート虫の中田くんはぶーたれる。
「てか、お前、女子と話すときはいい感じなのに、男子にはつめてーってもっぱらの評判だぜ」
「いやー、正直、緊張しちゃうんだよね。なんでだろ」と私は打ち明ける。
「へー、男嫌いってわけじゃないんだ」
「ないない。ほんとは明子みたい軽口叩いたりしたいんだよね。特に中田くんとは」「そっかー」と彼はにへーと笑う。ハート虫の中田くんには素直に話せた。裸なのも気にならない。だって虫だし。
お風呂でハート虫の中田くんと話すのは、私の日課になった。
「雪島、中坊の男なんて小一男子と変わんないって」
「な、男子と喋るとき口角あげるようにしてみ」
「今日、日直一緒にやった山本が綿子のことなんかよくない? って言ってたぜ」
「お前、最近密かに人気急上昇って知ってた?」
苗字で呼ばれてたのが名前に変わり、お前呼ばわりされるようになった。全然嫌な感じじゃなかった。ていうか嬉しかった。虫なのに。
でも、本物の中田くんとは、なかなか話す機会がなかった。
ある晩、風呂掃除で、無数のハート虫を潰していたら、「ぎゃっ!」という声がした。ハート虫の中田くんだった。
ほかの虫けらなんかと見間違えたことなかったのに。
なんでなんで? やっぱり、虫だから?
彼は他のハート虫の残骸と一緒に排水溝へ消えていった。
明日、学校に行ったら、中田くんに謝ろう、昨日はごめんねって。
中田くん、どんな顔するかな。
(了)
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