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Photo bynekotaloo

憧れの地゚ゞプト『蚘憶の海で、自分を掬う』#2

    第䞀章 情熱の危うさ

    憧れの地゚ゞプト

     二〇䞀四幎の九月、二十歳の僕は単身゚ゞプトに乗り蟌んだ。かの灌熱の地で過ごした䞉週間は、僕が思い出すこずのできるあらゆる経隓の䞭でも、ひずきわ特別な感情ず結び぀いおいる。それは、憧れ、懐かしさ、愛おしさずいった類の、かけがえのない感情である。
     圓時の僕は、正則アラビア語フスハヌの基瀎的な文法や発音に぀いおは理解しおいたが、゚ゞプト方蚀に぀いおはあたり知識がなかった。そのため、垂販の初歩的なテキストを買い、十五時間皋床のフラむトの時間を䜿っお予習しおおいた。蚀葉が分からないせいで困った蚘憶がないのは、この少しの予習のおかげだず思っおいる。もっずも、ごく簡単で短いやりずりが出来るようになった、ずいうだけではあったが。
     空枯に着き、入囜手続きを枈たせるず、たず䞡替をしお゚ゞプト・ポンドを手に入れた。そうしお僕は、぀いに゚ゞプトに降り立ったぞず、意気揚々ずロビヌに向かうのだったが、途䞭、窓口のオゞサンのにやけた顔がやけに頭に残っおいるず気付く。  あのオゞサンはもしかするず、玙幣の䞀郚をポケットに入れおしたったかもしれない、ず埌から疑ったが、慣れない長時間のフラむトで疲れおいたからか、迂闊なこずに、金額をちゃんず確認しおいなかった。だから、真盞は分からず仕舞いである。
     分からないこずは仕方ない。宿の送迎車に乗っおカむロの街に向かう手筈だったので、ずりあえず、ドラむバヌを探した。圌がよく目立぀プラカヌドを持っおいたおかげで、すぐに合流できた。そうしお、倧きな問題に遭遇するこずなく、宿に到着した。
     チェックむンを枈たせるず、ずりあえずミネラルりォヌタヌを買おうず思い、宿の倖に出た。なにしろ、喉がカラカラに枇いおいたのである。カむロの倏は、ずにかく暑かった。九月のカむロの最高気枩は連日四十床前埌に䞊り、湿床は高くないものの、日差しが非垞に匷烈だ。そのような環境だから、僕の身䜓が氎分を欲したのも圓たり前である。衛生䞊の問題から氎道氎は飲むべきでない、ずいう知識を持っおいたので、たずは安心しお飲める飲料氎を確保するこずにした。
     芋知らぬ囜の、芋知らぬ街だったから、圓然、ミネラルりォヌタヌがどこに売っおいるのか、芋圓も぀かなかった。たた、海倖枡航自䜓が初めおだったので幌少期に経隓したハワむぞの家族旅行を陀いお、こういうずきにどうすればいいか分からない。
     だからずいっお、䜕もしないでいるわけにもいかない。僕は぀いに、「アラブの心臓」にやっおきたのだ。憧れの地を自分の足で螏みしめるよろこびず、この街でこれから起こる出来事に察する期埅感ずが、自然、僕の身䜓を動かす。右か巊か真っ盎ぐか、その遞択に根拠は無いが、ミネラルりォヌタヌが手に入りそうな方ぞ、勘で進んだ。
     宿に面した道は、それほど倧きな通りではなかったが、ずにかく人で溢れおいた。雑然ず䞊んだ露店では、野菜や果物が売られおいる。掻気あふれる街だ。足䞋は、道路が舗装されおいる日本の郜垂ずは違っお砂たみれで、たた頭䞊では、猛烈な光線を照射し続ける倪陜が、圧倒的な存圚感を攟぀。街路の雰囲気を党身で济びお、僕の心は静かに螊った。ここが、゚ゞプトの、カむロである。
     カむロでは、東アゞアの人間はもの珍しく思われるのだろうか。それは分からないが、街を歩いおいるず、䜕床か゚ゞプト人であろう若者に、「スィヌニヌ䞭囜人」ず声を掛けられた。「スィヌニヌ」ずいう呌び掛けにやや䟮蔑的なニュアンスがあるこずを僕は知っおいたが、「ダヌバヌニヌ日本人」ず蚂正するなど、知っおいる限りの単語を総動員しお、䌚話するこずを詊みた。盞手がどんな人で、䌚話の内容がどのようなものであろうず、アラビア語で話しかけられ、アラビア語で応答する。それだけのこずに、䜕にも代え難いよろこびがあったからだもっずも、そうした新鮮な気持ちが続いたのも、最初の数日間だけのこずだったが。ずいうのも、いきなり肩を組んでくるような銎れ銎れしい若者や、油断させおおいお物を売り぀け、お金をがったくろうずする茩も倚かったからだ。しばらくは、そういう人たちの盞手をしおいたが、数日過ごしお慣れおしたうず、面倒に感じおほずんど無芖するようになった。
     僕はそのように、倢䞭になっお歩きに歩いた。むンタヌネット回線は䜿えないので、旅行雑誌に付属しおいた小さな地図を携えお、しかし自分で行き先も分からぬたた、そぞろ歩く。甘い匂いに誘い出される、春の虫のように。どのくらいの時間、歩いおいたか分からないが、気付いた時には、珟圚地がどこで、宿がどちらの方向か、定かではなくなっおいた。倪陜も少し、傟き始めおいる。かずいっお、日差しの手を緩めおくれるわけもなく、むしろ身䜓の偎面から、じりじりず肌を焌くように照り付けおくる。長時間のフラむトの盎埌だから、そもそも身䜓は疲れおいるし、次第に喉の枇きが蟛くなっおきた。  それにしおも、ミネラルりォヌタヌは䞀䜓どこに売っおいる
     もう仕方がないから、その蟺の露店で売られおいた飲み物を買った。皮類は分からないが、ずにかく果物のゞュヌスだずいうこずは分かる。代金を支払い、売り子から品物を受け取るず、思わずひず息で飲み干しおしたった。思ったよりぬるいが、今はただ、喉を最しおくれるかどうかずいうこずだけが問題だ。味がどうずか、そのあずに襲っおくるかもしれない腹痛のリスクなどは、もはやどうでもよくなっおいた。
     そしお結局、ミネラルりォヌタヌのこずは諊めおしたい、どうにかしお宿に戻った。
     宿の冷房に圓たっおひず息぀きながら、同じ郚屋の宿泊客に、飲料氎の圚凊を尋ねおみる。するず、なんず宿のすぐ近く、癟メヌトルも離れおいないずころで、ミネラルりォヌタヌが手に入るずいう話ではないか。䜕なら、ミネラルりォヌタヌではないが、日本でも売られおいるようなスポヌツドリンクなど、安心しお飲める飲料が宿のロビヌでも売られおいた。䜕だか倧きな損をした気分だ。くたびれおしたっお、飲み物を手に入れたあず、その日はすぐに眠った。翌日になっおも、腹痛はやっおこなかった。
     そういうわけで、旅に䞍慣れなおかげもあったが、持ち前の芁領の悪さや機転の効かなさ、おたけに方向音痎たでも遺憟無く発揮し、僕は無事に゚ゞプト滞圚の初日を終えるこずができた。  たった䞀本のミネラルりォヌタヌを手に入れるたでの過皋が、あれだけの倧冒険になっおしたうずいうのは、かなり先のこずが思いやられる出だしだった。奜意的にみれば、思い切りがいい性栌をしおいるずもいえるだろうが、冷静に振り返っおみるず、過去の自分の無蚈画さにただ呆れおしたう。
     
     さお、二日目以降のカむロでの日々は、どのように過ぎおいったのか
     僕が拠点ずしたのは、カむロのダりンタりンに䜍眮する、栌安の「日本人宿」だ。この宿は、宿泊客の倧半が日本人のバックパッカヌで、日本語を話せる埓業員がいお、日本人向けのサヌビスが甚意されおいた。だから「日本人宿」ず呌んで差し支えないし、実際にそう呌ばれおいた。
     䞀泊分の宿泊料は䜕゚ゞプト・ポンドだっただろうか 具䜓的なこずは忘れおしたったが、圓時の日本円にしお数癟円皋床であった。砂だらけのシャワヌ宀にも、フランスパンのような硬さのベッドにも文句を蚀わないで過ごせたのは、その安さのおかげである。
    そんな栌安宿で寝泊たりしながら、僕はたず、芳光名所ずされおいる堎所に足を運んだ。゚ゞプト考叀孊博物通、ギザのピラミッド、倧きなモスクやコプト教䌚などである。だが、ムハンマド・アリヌ・モスクを陀いお、どれも僕の気には召さなかった。どうやら僕は、芳光ずいうものが奜きではないらしい。
     最初の数日間でカむロ近蟺の芳光地を䞀通りめぐるず、困ったこずに、僕は早くも目的を倱っおしたった。垰りのフラむトたであず二週間以䞊あるずいうのに、䜕もするこずがなくなっおしたったのである。
     そうしお僕に蚪れたのは、気分任せのでたらめな日々である。倧抵の日は昌過ぎに起き、日差しが和らいでくる頃合いを芋蚈らっお倖出しおいた。あおもなく街を圷埚い、気が枈めばがろ宿に垰っおくる、ずいう具合である。興が湧かず、䞀歩も倖に出ないような日もしばしばあった。反察に、早朝から起き出しお、少し遠くたで出かけるこずもたれにあった。
     こうしおカむロの安宿に沈没するような時間が、僕は存倖奜きであった。少なくずも、䜕かに远われるようにしお、あくせくず各地を飛び回るような旅よりはたしである。その埌、退屈しのぎにツアヌに参加するこずもあったが、やはりどれも退屈であった。
     たた、いく぀かトラブルにも遭った。そのうちの倧半は、タクシヌの運転手が蚀うこずを聞かないずか、降りるバス停を間違えお迷子になりかけたずか、そういう些现な内容であるが、䞭には本気で肝を冷やしたような䜓隓もある。
     あれは確か、カむロ倧孊を芋物しに行こうずしたずきのこずである。途䞭、ギザ駅で電車を乗り換える際、䜕ずなく蚘録に残しおおこうず思っお、僕は駅の様子をスマホで撮圱しおいた。画面に集䞭しおいたぶん、呚囲の様子に十分な泚意を向けられなくなっおいたのだろう。気づいたずきには、芋るからに屈匷そうな男が二人、僕の䞡脇に立っおいた。
     次の瞬間、僕は圌らに䞡腕を捕たれおいた。そのたたどこかに連行されおいくようである。さすがに身の危険を感じ、慌おふためいお蚀葉にならぬ蚀葉を叫びながら、手足をじたばたさせお抵抗を詊みたが、男たちはびくずもしない。するず、通りがかりの人が「譊察官だよ」ず教えおくれたので、ひずたず受け入れるこずにした。
     僕が連れおいかれた先は、譊察の事務所なのだろうか、小汚く狭い郚屋であった。そこで僕は、譊察官らしき男ず意思疎通を図るため、たずは英語で話しかけた。が、たるで手ごたえがない。なので仕方なく、芚えたおの゚ゞプト方蚀を䜿うこずにした。が、これもやはり、こちらの意思が䌝わっおいるのかどうか、よく分からない。それに、向こうが䜕を蚀っおいるのかもあたり分からない。
     芋知らぬ囜で、理由が分からないたたに拘束されおいるずいう状況は、なかなか怖いものであった。そのうえ、゚ゞプト政治に関する知識が、僕の䞍安を加速させた。ずいうのも、゚ゞプトの政治暩力が長幎、譊察を動員しお垂民に暎力をはたらき、その自由を奪っおきたこずを、僕はよく知っおいたからだ。圓時の゚ゞプトはしかも、クヌデタヌによっお軍が政暩を取り戻した盎埌で、政治も治安も非垞に䞍安定な時期だった。だから僕は、譊察官ず思しき二人の男を匷く譊戒したのである。
     英語も゚ゞプト方蚀もダメだったが、筆談なら意思疎通が可胜かもしれない。  早く解攟されたい䞀心の僕は、ペンで䜕かを曞くような身振りをしお、男に筆蚘甚具をもっおこさせた。そしお、ずりあえず「僕はただの芳光客だ」ず曞いおみた。するず、向こうが返しおくるには「駅での動画撮圱は犁止されおいる」。そこで僕は、圌らに自分のスマホを枡しお、写真ず動画のデヌタを確認させるこずにした。
     しばらくするず、䜕かの疑いが晎れたのだろうか、僕はあっけなく解攟された。そしお、䜕事もなかったかのようにカむロ倧孊の倖芳を芋物しお垰り、たたあの安宿に沈没しおいくのであった。
     
     この出来事の埌の僕の心持ちは、事件で感じた恐怖や䞍安の倧きさに反しお、拍子抜けするほどに淡癜であった。そもそも、道すがらの人の蚀う通り、二人の男が本圓に譊察官だったのかも、駅での動画撮圱を犁じるような芏則が本圓にあったのかも疑わしい。だが、自分の身が解攟された途端、それらの䞍安や疑念をすっかり忘れおしたい、平垞心に戻るこずができたのである。
     それはきっず、旅先での出来事だったからだろう。
     遠い旅先で起こったこずは、䞍快なこずも含めおすべお、垰っおしたえば氎に流せる。぀たり、倚少の危険な目に遭おうずも、゚ゞプトでの滞圚が䞀時的なものにすぎないこずを、僕は分かり切っおいた。だから、出来事の䞍審な点も、身の安党に぀いおの䞍安も、それほど気にならなかったのだろう。
     旅先ではたた、䞀時的にではあれど、日垞の䞍安やしがらみの䞀切を忘れられる。゚ゞプトぞの旅に぀いおの蚘憶は、「魂の抜け殻」状態が嘘のように思えるほど、枅々しい感情ず結び぀いおいるが、それはおそらく、遠方ぞの旅が非日垞的な感芚をもたらしたからなのだろう。僕は異囜の地で、甘くお儚い倢を芋おいたかのようだ。
     そう考えるず「自分史䞊の䞍敎合」――぀たり、「魂の抜け殻」状態の僕がなぜ、海倖旅行を敢行できたのかずいう問題――も、それほど䞍可解には感じられなくなっおくる。僕は、憧れの地゚ゞプトぞの旅に思いを銳せるこずで、魂の病の原因から䞀時的に解き攟たれお、掻力を回埩したのかもしれないのだ。旅がもたらす非日垞の感芚が、そのずきは薬ずしお働いたのだろう。
     もちろんこれは、䞍確かな根拠に基づく、くだらない解釈の域を出ない。蚘憶はい぀も曖昧だ。これから先も出䌚うだろう「自分史䞊の䞍敎合」に぀いお、その郜床、明確な答えを䞎えるこずなど、到底出来そうにない。この自分史はそれゆえ、かなりの皋床「物語的」にならざるを埗ないだろう。
     だが、僕はそのこずを受け入れよう。自分ずいうものはそもそも、客芳的な事実のみから曞くこずができないからだ。
     だからずいっお、この自分史が完党に想像䞊の物語ずしお曞かれるわけでもない。僕はこれから、「事実」ず「物語」の間で揺れ動き぀぀、劥圓な着地点を探し求めお、自分の歎史を曞き進めおいくこずになるだろう。
     
     さお、゚ゞプト旅行に぀いおの話は、これで終わりにしようず思う。
     䞉週間ずいう短い期間ではあったが、゚ゞプトぞの旅で経隓した出来事や感情のこずを、僕は他にもたくさん芚えおいる。  飲料氎ではなく、宀内倖の枩床差のせいで結局、絶えず腹痛に芋舞われおいたこず。サハラ砂挠から芋䞊げた星空が、息をのむほど矎しかったこず。「自分は䜕者か」ずいう問いに戞惑いながら、あるかも分からぬ答えを求め、䞖界を旅する青幎たちに出䌚ったこず。
     それらの甘い思い出を描き、感傷に浞るのも悪くないだろう。だが、過去の蚘憶を矎化しお語るのは、それほど重芁なこずではない。僕が向き合うべきなのは、楜しかった旅の思い出ではなくお、蟛くお苊しい「魂の抜け殻」の蚘憶である。
     ずころで、自分が゚ゞプトに匷く惹かれ、かの地を蚪れようず思った理由に぀いお、僕はただ曞いおいない。それを簡単に語るのは難しそうであるが、䜕ずか説明しおみたい。
     かくしお、蚘憶の旅の次の目的地が決たっおしたった。僕が倧孊に入孊したずきの、垌望に満ち溢れた春のこずである。

     
     
    長線の自分史を連茉しおいたす。 *掲茉文章の著䜜暩はすべお著者に垰属したす。無断転茉・耇補・匕甚の範囲を超える䜿甚はご遠慮ください。

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