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『美山考』第9章〔宮島B〕宮脇・板橋・原【260401】

    haruonopapa

    南丹市美山町の地域史についての考察
    改訂履歴

    エリア地図09〔宮島B〕宮脇・板橋・原

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    エリア地図09〔宮島B〕宮脇・板橋・原

    3070S1 道相神社

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    3070S1 道相神社(2024.10.06)

    所在地:宮脇
    創建:未詳
    祭神:神武天皇、五瀬命、木梨軽皇子
    氏子:原・板橋・宮脇・下吉田・島・長谷・和泉・上司・萱野・平屋
    例祭:10月9日 ※「第10章 行事と食文化 - 表10-2 行事の記録 - 2025年10月11日 道相神社 秋の例祭 」参照
    由緒等:
    ・応永15<1408>火災により社殿社宝焼失
    ・応永22<1415>再建
    ・寛永10<1633>玉泉寺が別当寺(神宮寺)となる
    ・文政5<1822>:改築(現在の社殿)
    ・明治35<1902>:神門改築
    允恭天皇の皇子、木梨軽皇子が河内谷に潜居後、軽野(内久保大内)から板橋に移り永住、軽野神社を創建し神武天皇、五瀬命を祀った(武烈2)、後に旧野々村郷の産土神として開拓者(木梨軽皇子)を合祀し道相神社と改称した。(同郷の鎮守として道祖神(塞神)信仰し名付けたか)
    ※2025年10月11日秋例祭を訪問した際、数日前の強風で鳥居が台座部分から折れ倒壊、無くなっていた。


    3070S1-1 三好神社

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    3070S1-1 三好神社(2025.10.23)

    所在地:(道相神社境内)
    創建:未詳
    祭神:天村雲命、五十猛命、熊野高倉事、須佐之男命
    例祭:2025年10月11日道相神社秋例祭時に参列者一同が参拝されていた。
    由緒等:
    ・明治29<1896>改築


    3070S1-2 若宮神社

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    3070S1-2 若宮神社(2025.10.23)

    所在地:(道相神社境内)
    創建:未詳
    祭神:天屋津姫命(大屋津姫命か)、抓津姫命
    例祭:2025年10月11日道相神社秋例祭時に参列者一同が参拝されていた。
    由緒等:
    ・昭和37<1962>改築


    3070S1-3 榧森社

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    3070S1-3 榧森社(2025.10.23)

    所在地:(道相神社境内)
    創建:未詳
    祭神:未詳
    例祭:2025年10月11日道相神社秋例祭時にお供えがされていた。(例祭の世話役は「奥宮(奥の宮)」と呼んでいた。)
    由緒等:背後にあるカヤの木が南丹市指定文化財になっている。


    3070T1 玉泉寺

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    3070T1 玉泉寺(2025.10.23)

    所在地:宮脇
    山号:和光山
    宗派:浄土宗
    本尊:阿弥陀如来
    創建:寛永10<1633>
    開基:全我、林道が開山
    由緒等:
    ・明治35<1902>焼失
    ・明治40<1907>戒誉が住職となり浄土宗多聞庵と称す
    ・昭和15<1940>多聞庵を玉泉寺に改称


    3080T1 遍照寺

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    3080T1 遍照寺(2025.10.23)

    所在地:板橋
    山号:松林山(北桑田三十三所霊場第十二番)
    宗派:真言宗
    本尊:聖観世音菩薩
    創建:天治3<1128>
    開基:智月が開創
    由緒等:
    ・天明3<1783>失火により焼失
    ・天明5<1785>良演、裏山から当地に移し再建
    ・寛政元<1789>脇仏として弘法大師像安置


    3090S1(鳥居)

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    3090S1(鳥居)(2025.03.31)

    所在地:原
    祭神:未詳
    創建:未詳
    氏子:未詳
    例祭:未詳
    由緒等:2025年3月31日に現地を訪問、地形図に鳥居記号が記載されている所には木の鳥居があり、その先は山の上に向かって急な坂道が続いていた。(社殿は確認できていない)


    3090T1 放光寺

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    3090T1 放光寺(2025.03.31)

    所在地:原
    山号:能枚山
    宗派:曹洞宗
    本尊:地蔵菩薩
    創建:天文17<1548>
    開基:麘竜(天正7<1579>寂)
    由緒等:火災により委細不明
    明治10<1877>まで平僧地だったが、村上悟道和尚のとき徳雲三十一世大洞和尚を伝法初祖とし法地となった。
    「大正郡誌」は、放光寺に関連する習俗として「経の塔」を紹介する。

    大字原に「経の塔」と名づくる祈禱講あり。文政十<1827>年丁亥正月十七日、放光寺の住職黄梅和尚の村内安全五穀成就悪疫退散を祈禱せるに創まりしものにして、今は毎年二月十七日より三日間、原の男子は礼服を着用して菩提寺に参拝し、十六善神をまつり、大般若理趣品三昧の祈禱會を修行する例なり。現に神楽坂の麓に理趣分経一部の一石一字塔ありてこの事を記念せり。

    【大正郡誌】

    3090X1 小堂

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    3090X1 小堂(2025.03.31)

    所在地:原
    本尊:地蔵菩薩半跏像輪光背蓮華座
    創建:天正3<1575>以前か
    祭礼:8月23日、24日
    由緒等:現地に次の由緒書きがある。(一部省略)

    菩薩の名称 地蔵菩薩半跏像輪光背蓮華座(じぞうぼさつはんかぞうりんこうはいれんげざ)
    菩薩の大きさ 全高 1.19m 横幅0.66m
    菩薩の建立年号 鎌倉後期時代(推定)
    玉眼入の仏像は鎌倉時代以降に制作されたとされ、本仏像の傍に聖観音菩薩(縦6.5cm×横2.5cm)の土像がある。
    これに天正三年<1575>と記されており歴史的出来事は織田信長が近江八幡に安土城を築城の頃である。従ってこれ以前に建立したものではないかと思われる。伝承では若狭から都に運ばれる予定で鯖街道であった神楽坂峠を越えるべき処、何かのはずみで御縁となり、原村に安置され現在に至っているのではないか。
    修復の経過
    第一回目は当時、どこをどのように修復したかは不明だが木札によると文化二年<1805>巳丑日、仏師は遠敷郡高濱大西町 赤尾忠次、世話人利右エ門と記されている。
    現在の仏像は顔、体躯等とも色彩はなく、腕、足、台座とも腐食し、全体的に虫害による穴空き状態でおり移すにも壊れる心配すら起こる状態であった。こうしたことから第二回目の修復は林保氏の御理解と多額の御寄附により美山町小渕在住仏師齊藤澄觀氏に依頼、卓越した技術と誠意ある対応で立派に修復され、平成二十五年<2013>五月二十六日に本堂に於いて全区民の参集にて開眼供養法要を挙行し祝った。
    祭祀
    新生児誕生後お宮詣りと合わせてお参りすると共に毎年、うら盆にあたる八月二十三日、二十四日に子供会と老人会、戸主達に別れて両日祭事を行っていた。子供会と老人会はお菓子と飲み物を囲み、健康で健やかに成長するように皆で祈願し、戸主達は区内の安全祈願、家門繁栄、災障消除を祈願し、夕方から集い、放光寺牧野住職の経に合わせ御念仏を唱えた後、酒肴で祭祀する。古くは本堂で踊りと酒で夜を徹した時期もあったが、時代の変化に伴い今日ではうら盆に近い休日を利用し一日で午後から子供会と老人会、夕方には戸主達で祭祀することとなった。(以下省略)

    【地蔵菩薩由来】

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