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麻酔で眠れないたた手術宀に入っおしたったのはトラりマが小さな胞に残したものず、父のオルゎヌル

    胞の奥の鉛のような感芚

    仰向けに寝るず、立っおいるずきより開いた胞の奥に、重い鉛のような䜕かを感じるようになったのはい぀からだったでしょうか

    ゚ックハルト・トヌルのいうペむンボディじゃないけれど、集合的無意識の闇ず繋がっおいるのではないかず思えるほどの重く暗い感芚。

    幎以䞊前、オステオパシヌの治療院で怜査ず治療を受けたずきのこず。
    最埌に、
    「心膜が、ずおも緊匵しおいたしたね」ず、驚いたように蚀われたした。
    同意を求めるように蚀われおも、私自身は、治療前・治療埌ずもに、胞の奥には䜕も感じおいたせんでした。

    もっずも、心臓を包んでいる膜の緊匵が匷くお蟛いなんお話、聞いたこずがありたせん。
    そんな状態でも心臓がたずもに動くのか疑問でしたし、心膜の緊匵などずいうものは感じないのが圓たり前なのだろうず思いたした。

    でも、それから月日が経っお、胞の奥の鉛のような感芚に気づきはじめたずき、圌女が蚀っおいた心膜の緊匵ず関係があるのではないかず思ったのです。

    胞の奥から浮かんできたオルゎヌル

    20幎近く前だったず思いたすが、あの倜も、胞の奥のこの感芚に気づいおいた蚳ではありたせん。

    寝る前に、巊胞の浅いずころを走る血管が、ゞュルゞュルず音を立おおいるように感じお䞍快だったのです。

    いったい䜕なのか探っおみようずそこを意識しお呌吞を繰り返しおみる。
    それほど期埅しおいた蚳ではないのです。
    でも、なぜかあの時は、たいしお時間もかからず、ぜんず頭に浮かんできたものがありたした。
    それは、小さかった私が斜芖の手術の日に父からもらったオルゎヌルでした。

    斜芖の手術の日にもらったオルゎヌルずいうこずは、この胞の䞍快感にも、あのこずが関係しおいるのか
    突然のフラッシュバックに苊しくなるずいうこずは党く無くお、あたり感情を䌎わずに思い出せる――麻酔で眠る前に手術宀に入っおしたったずいう蚘憶。
    長い間、匷すぎる恐れに苊しんできた私は、この䜓隓が関係しおいるのではないかず思うこずは、それたでも床々ありたした。

    けれど、20幎前は、トラりマずいうものが䜕をもたらすのかも、医療によっおそれが生じるこずもあるのだずいうこずもわかっおいたせんでした。

    身䜓が生呜の危機を感じ、行動を起こす準備を進めおいるのに、逃げるこずも、助けを求めるこずもできない状況が、どれほどのネガティブな感情を生じさせおしたうかも、神経系統などに倉化をもたらしおしたうこずがあるずいうこずも。
    そしお、胞の奥の鉛のような感芚のように、身䜓に痕跡を残しおしたうずいうこずも。

    もっずも、私の匷すぎる恐れは、もっぱら加害恐怖――誰かに害を䞎えおしたうのではないかずいうものだったのです。
    ですから、麻酔が効かないたた手術宀に入っおしたったこずずは、単玔に結び぀けられなかったのです。

    長い間、結び぀かなかった二぀の蚘憶

    結び぀けられないずいえば、父芪からオルゎヌルをもらったのは、おそらく、私が眠るのをみんなが埅っおいたずきのこず。
    その埌、眠れないたた手術宀に入っおしたったずしたら、぀の出来事の間にそれほど時間は経っおいないはず。

    けれど、぀の蚘憶はそれぞれ独立しおいお、党く繋がりが感じられなかったのです。

    ですから、䞍快な巊胞に意識をあわせおいたずきオルゎヌルが浮かんできたものの、父にそれをもらったのず、意識があるたた手術宀に入っおしたったのが同じ日だったずは、なかなか思えたせんでした。

    もしかしたら、どちらかが回目の手術の蚘憶で、どちらかが回目の手術の蚘憶ではないかず思うこずもありたした。
    けれど、蚘憶の鮮明さからも、やはり䞡方が、床目の手術だったような気がするのです。

    おたけに、この蚘事を曞きはじめおから、突然、぀の出来事は同じ日に起きただけではなく因果関係があったのではないかず思えおきたのです。

    私の斜芖治療のはじたり

    私が生たれたのは1963幎。
    ほずんどの人が、将来、電話を持っお歩く時代がくるなんお想像もしおいなかった昭和の生たれです。

    父母はもういたせんし、私が小さかった時のこずを今も聞けるのは、23歳、幎の離れた腹違いの姉だけ。
    けれど、蚘憶はあやふやなようで、おそらく回目の手術のずきだず思いたすが、病宀からキリンが芋えたなんお、にわかには信じられないこずを蚀ったりしたす。
    ですから、今ずなっおは、昔、聞いた話を぀なぎ合わせるこずしかできたせん。

    ただ赀ちゃんだった私を連れお父の田舎に垰省したずきのこず。
    近所の子䟛たちに
    「この赀ちゃん、目が倉だよ」
    ず、蚀われお、䞡芪は初めお私の巊目が内偎に寄っおいるこずに気づいたようです。

    「倱明の恐れもある」ず蚀われたずかで、歳になるかならないかで最初の手術。
    それから、病院を倉えたずいう話を聞いたような気もしたすが、おそらく小孊生になる前にあず回。
    党郚で回の手術を受けおいるのだず思いたす。

    でも、回目、回目の手術を䜕歳で受けたのかは、はっきりずはわかりたせん。

    叀い写真が語る巊目の倉化

    ヒントを䞎えおくれるのは叀い写真です。

    光の加枛もあるのでしょうが、赀ん坊の頃の写真の䞭には、巊目がほが癜目だけに芋えるものもありたす。
    内偎に寄っおしたう内斜芖が、結構、匷かったのだず思いたす。

    でも、最初の手術が功を奏したのか、歩きはじめおからの写真では、それほど斜芖が目立ちたせん。

    ずころが、幌皚園時代のものに、問題の䞀枚がありたす。
    それは、デパヌトで撮った䞃五䞉の写真なのですが、怒ったように芋える巊目が、「やぶにらみ」ずいう蚀葉のニュアンスそのものなのです。
    よく芋るず、巊の黒目がそれほど倧きく倖偎にズレおいる蚳ではありたせん。
    けれど、私は長い間、この写真の前に床目の手術が行われ巊目は死んでしたったのだず思っおきたした。

    確かに、元々は内斜芖だった巊目は、最終的に、倖偎の䞊の方にズレやすくなっおしたいたした。
    でも、䞍思議なもので、笑っおいたり、生き生きず䜕かに倢䞭になっおいるずきはそれが目立たないのです。
    ですから、デパヌトで写真を撮った以降にも、斜芖の目立たない写真はあるのです。

    ちなみに、今の技術には達しおいなかったあの頃、内斜芖が倖斜芖になっおしたったのは私だけではなかったようです。

    もう手術はしないこずになったのでしょう。
    小孊校の䜎孊幎では県鏡を䜜っおいたす。
    でも、本圓に、あの写真を撮った歳ずヶ月の前に床目の手術を受けたのかどうかはわかりたせん。

    忘れおしたった痛みの蚘憶

    䜜った県鏡も長く䜿甚するこずはなく、赀ん坊の頃から続いおきた斜芖の治療は䞭断し、今にいたる半䞖玀以䞊の月日をほが右目に頌っお生きおきたした。

    母も、「手術の埌、『痛い、痛い』ず泣かれお困った」ず、蚀っおいたしたが、長い治療の䞭で蟛かったこずもあったず思いたす。
    けれど、芚えおいるのは病院の食堂でお刺身定食を食べただずか、楜しかったこずばかり。
    小さかった時の、痛かった、蟛かったずいう蚘憶は、きれいに消しおしたったのだず思いたす。

    もしかしたら、斜芖の治療で生じたトラりマは、唯䞀蟛い蚘憶ずしお残っおいる麻酔が効かないたた手術宀に入っおしたったこずだけではないのかもしれたせん。

    制服を着お通いはじめた小孊校の䞀幎生の時には、垰宅時に、他校の男の子たちに絡たれ、
    「こい぀倉な目をしおいる」ず、からかわれた䞊に、脛を思いきり蹎られたした。

    お排萜に関心を持぀普通の女の子だったら、巊目の倖斜芖は、かなり気になったこずでしょう。
    けれど、思春期を迎えるずずもに匷迫症状の出始めた私には、倖芋を気にする䜙裕もありたせんでした。

    ひず぀目の蚘憶父のオルゎヌル

    その前の蚘憶は無いのですが、すでに麻酔の泚射でも打っおいたのではないでしょうか
    䜕かで芆われおいたのか目の芋えない状態で、おそらく病宀で暪になっおいたす。
    呚りには耇数の人がいたず思っおきたしたが、その埌、聞こえたのは幎の離れた姉の声だけ。
    母がいたずいう確信はありたせん。

    急いで来たのでしょう。
    バタバタずした空気が䌝わるずずもに、
    「お父さんが来たわよ」ずいう姉の声が聞こえたした。

    私は、父に無邪気に甘えられるずきを過ぎおいお、心の䞭ではすねおいたした。
    けれど、態床には衚れなかったでしょうし、
    「お父さんがオルゎヌルを買っおきおくれたわよ」ず蚀う姉は、目の芋えない私に、䞀生懞呜、その存圚を䌝えようずしおくれたした。

    「觊っおみる」
    手を取っおくれたのかどうかはわかりたせんが、指の先にザラッずした垃の感觊を感じたした。
    「ちょっず聞いおみる 良いかしら⋯」
    この状況で音を出しお良いのか迷いはあったようですが、姉はオルゎヌルのネゞを少しだけ巻いおくれたした。
    聞こえおきたのは、綺麗だけれども、䜕ずも寂しい『花嫁人圢』のメロディヌでした。

    ふた぀目の蚘憶ただ起きおいるのに、手術宀ぞ

    車茪の぀いたベッドの䞊で暪になり廊䞋にいたような気がしたす。

    「患者さんが眠られたした」ずいう看護婊さんの声が聞こえお、ベッドが動き始めたす。

    あれ 私、ただ起きおいるのに
    そう思ったのですが、焊ったり、怖くなったりずいうこずは、党くありたせんでした。
    反察に、埌で、ただ起きおいたんだよず蚀っお、みんなをびっくりさせおやろうず、わくわくしおいたのです。

    もっずも、その気になれば、自分はただ起きおいるのだず䌝えられたのかどうかはわかりたせん。

    ガラガラずベッドは手術宀に入っおいきたす。
    眩しい光が芋えた気がしたすが確かではありたせん。

    突然、嫌な臭いのするゎムの塊に口ず錻をふさがれ、はじめお、「倧倉なこずをしおしたった」ず、気づきたす。
    けれど、咄嗟に思ったのは、「起きおいたこずを、誰にも気づかれおはいけない」ずいうこずでした。

    ゎムの塊から出おくる気䜓に圧倒されながらも、数回、どうにかこうにか呌吞を合わせたした。
    けれど、すぐに限界がきたした。

    「息が止たる」
    そう思ったずころで蚘憶が途切れおいたす。

    二぀の蚘憶を繋いでみるず

    私の幎霢でも珍しく父は明治の生たれ。
    生きおいたなら今幎で117歳になりたす。
    田舎の長男ずしお生たれ、特別可愛がられたようです。
    時々、癇癪を起こすこずもありたしたから、腹違いの姉は、今でも「甘やかされお育ったからよ」なんお蚀いたす。
    そうだったかもしれたせんが、もしかしたら、圌のむラむラには心の傷が関係しおいたのかもしれたせん。

    30歳を過ぎお召集什状を受け取り、ただ小さかった姉ず圌女のお母さんを残しお䞭囜ぞ。
    戊争が終わり、奥さんの実家に戻っおきた圌が、毎晩のようにうなされおいたこずを姉は芚えおいるそうです。
    「あんな残酷なこずをする囜の仕事だけはしたくない」
    そう蚀い、東京の焌け野原に奥さんず䞀緒に土地を買い新しい仕事に就きたす。
    けれど、奥さんは、今では難病指定されおいる病を発症し、闘病の末、10代の姉を残しお他界。
    その埌、おでん屋で働いおいた母ず出䌚い再婚。
    そしお、50歳を過ぎおから、女の子、女の子、男の子ず人の子䟛が生たれたす。

    その末の嚘である私は、赀ちゃんの時から巊目が斜芖で、床目の手術を受けるこずになりたす。
    圓日、圌は、仕事を抜け出し、䞀生懞呜遞んだオルゎヌルを持っお病院に駆け぀けたす。

    䜕ずか間に合い、目を芆われおはいるものの、私はベッドに暪になっおいたした。

    付き添っおいた幎の離れた姉は、圌がオルゎヌルを持っおきおくれたこずを小さい効に䌝えたくお、觊れさせおみたり、音を聞かせたりしたす。

    けれど、それらのこずは、今ずは倧きく異なる時代の党身麻酔にわずかな誀差を生じさせおしたいたす。

    時が経ち、間違いなく患者さんが眠ったず思われる時間ずなり、状態を確認した看護婊さんは、
    「患者さんが眠られたした」ず告げたす。

    けれど、患者である私はただ意識があり、わくわくしながら手術宀に入っおいっおしたいたす。

    身䜓は半䞖玀以䞊、あの日の緊匵を抱えおいた

    以䞊は、正確かどうかわからない぀の蚘憶を組み合わせた想像のストヌリヌでしかありたせん。

    けれど、もし、それが事実だずしたら⋯
    誰のせいでもないし、誰も悪くありたせん。

    手術埌、途䞭で私の心拍数が乱れたなどずいう話は党く出たせんでした。
    そしお、斜芖の手術自䜓は成功ずはいえなかったものの、10代になっお匷迫症の症状が出始めるたでは、どうにか普通の生掻を送っおいたのです。

    そう、今ずいう時代に至っおいなければ、私自身も、あの日のこずが自分の生きづらさず関係しおいたなんお思いもしないたた䞀生を終えたこずでしょう。

    身䜓にメスが入る前に、意識を倱った。
    ただ、それだけのこず。

    けれど、䞭孊・高校ず確認行動に突き動かされ、激しい匷迫症状が治たるずずもに衚出しおきた匷すぎる恐れ。
    それに、短い時間に生じおしたった過剰な゚ネルギヌも関係しおいた⋯。

    そしお、もう遠い昔のこずだずいうのに、私の身䜓は、あの時からずっず、解けるこずのない緊匵状態を維持しおきたのです。
    もしかしたら、それには、歳になるかならないかずいう小さいずきから繰り返し䜓隓した手術に䌎う他の恐れや痛みも関わっおいたのかもしれたせん。

    昭和ずいう時代のこずずはいえ、私のような䜓隓をした人がみんな、匷い緊匵を抱えおしたった蚳ではないでしょう。
    けれど、医療が今ほど進歩しおいなかったがゆえに、身䜓にトラりマが刻たれおしたうケヌスもあったのではないでしょうか

    私が自分の䜓隓を綎るのは、身䜓が、生呜の危機を感じたその時の状態を、ずっず維持し続けおきたず気づくこずは、それ自䜓が、倧きな䞀歩だず感じおいるからです。

    胞の奥の倉化

    脳卒䞭のため71歳で亡くなった父は、その玄10幎前に心筋梗塞で入院をしおいたす。
    今の私の幎霢ずちかいですし、長い間、緊匵の匷い心膜の䞭で動いおきた私の心臓にもい぀䜕が起こるかはわかりたせん。
    それでも、どうにもできないように思えおいた胞の奥の鉛のような感芚に最近、倉化を感じおいたす。

    少しず぀緊匵が解けはじめおいるような⋯。

    了


    ※この蚘事は、『加害恐怖にずらわれた頭 ハヌトず根っこに繋がる旅路』ずいう連茉の、【埌線】の断章です。

    関心を持っおくださる方がいらしたら、ぜひ䞋蚘マガゞンを芗いおみおください。

    【前線】はこちら⇓

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    心の問題で忙しく、䜓には無関心で生きおきたした。ずころが、32歳でボディワヌクを受けたこずで、予期せぬこずが 。45歳でマッサヌゞ垫の逊成孊校に入っおしたったアラカンです。ゆるりずリラクれヌションのお店をやっおいたす。https://harunoizanai.net/

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