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私が旅する理由。|ヒッチハイクで東北を一周した3日間の記録

    私は念願のヒッチハイクをすることにした。
    2023年5月。世間ではGW時期に私はひとり旅へと出た。リュックに必要最低限の着替えとフィルムカメラ、大きな黒いマッキーペンと本を1冊、財布には3000円、手にはA3の大きなスケッチブックを持ち。自分を探す旅とはよく聞くフレーズだけれど、旅とは本当にそうである。それを実体験ありきで、ここにどうしても書き残しておきたい。もしも旅を生きがいとしている今の私が、いつか旅を忘れてしまったときのために。それが何かの縁で私を見つけ旅を忘れてしまった誰かにも届けば、こんなに嬉しいことはない。
    私は見ず知らずの人の車を20台も乗り継ぎながら30人以上の人と出会い、東北を一周した濃い3日間を生涯忘れはしない。

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    東京に来て5年の私は何処へ向かいたいのだろうか、このままで良いのだろうかと思っていた。ちっぽけになりたかった。20歳で上京をしブラック企業で馬車馬のように1年働き、身も心もボロボロになっていった。ようやく退職をし解放された21歳の春、コロナは東京を襲い瞬く間に日本と世界を覆った。退職をし外にようやく気持ちが向き始め、身体も動かせる!と思えた時期に、外に出られなくなった悔しさを今も覚えている。その後、大手通信会社へと転職をし毎日PCと向き合っていた。外出は最低限で必ずマスクを着用し、9割方リモートで仕事をしていた生活にも慣れてしまった。マスクをしていなくても他者からの目線が痛くなくなったのは、私が23歳の頃だった。家族が住む地元に帰れるようになったのは、それから更に1年以上もの時間がかかった。両親とは3年、妹とは5年会えていなかった。忘れてしまったような、でも確かにある自分の本質や大事にしたい事の何か、いつもそのよくわからない穴のような“何か”を、コロナが明けて探していたと思う。

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    慣れ親しんでしまった街、人、環境の全てから時々、猛烈に離れたくなる衝動に襲われる。当たり前の顔をしてくれている日常に、心の奥底から感謝できずに飽きている自分がいると気付いてしまったとき、私はひとり海に行くか旅に出る。ちっぽけになるためだ。地球を感じられると自分という存在が小さく思えて、自分が抱えていることも何だか小さく思えてきて前や上を向けたりする。自然を前に謙虚になれる。上京をして見渡す限り煌びやかで、実際にキラキラしていて眩しくて、そのどの色も鮮やかで華やかでいて、胸が反り返ってしまうほどの高揚感やワクワクを失っていると気付いたとき。街中で何かのロケ撮影をしていて、誰がいるのだろうと自分も野次馬の輪の一部だったとき、すれ違う人にTVで見かけた事のある人がいたとき、見たこともない最新のものといち早く出会えるスピード感、情報や物質が瞬きをするよりも早く届く新鮮さや優越感、出会ったことのないタイプの人との浴びるような出会い、何もかもが刺激的だったそういうものたちに心が動かなくなってしまったのは、慣れてしまったのはいつからだっただろう。あの頃ディズニーランドに行かなくとも田舎者の私には、東京という街そのものが非日常空間のようであったと今は思う。都市をあげた特大リアル体験遊園地、東京。

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    そんな私も東京にいたからこその出会いを沢山してきた。私を構成する色んなものが、出会いで出来ていると言っていいほどにエピソードがある。その沢山あるエピソードの中の3つが、私をヒッチハイクへと導いた。上京をして数え切れないほどの大人に出会った自負がある。私が求めていた、かっこいい大人が東京にはたくさんいた。

    1人は、俳優と映画製作のための活動をしている人だ。大学生で就活中に見た映画に人生を変えてもらい、福岡から上京している。出会ったきっかけは共通の友人を通して、その方がフィルムカメラで写真を撮っていたことで出会えた。ヒッチハイクをした事のある大人と初めて会った瞬間だった。TVやYouTubeの画面の向こうの遠い星の人がやるような事をやってのけた人との出会いだった。東京って面白い。とにかく、どんな本やアニメにも勝り、ドキュメンタリー番組や映画とも張り合うくらいに、その人のヒッチハイクでのエピソードは私の心を動かし目を潤ませた。話を聴いた瞬間に私もやると速攻で決めていた。

    2人目は共通のコミュニティを通じて出会った方で、インスタは繋がっていたものの当時コミュニケーションは取っていなかった。そんなある日、SUPER BEAVERが好きという共通点により仲が深まった。アートや表現に触れ、言葉を丁寧に扱う人だった。本を読む人の言葉選びだとすぐにわかった。オススメの本を聞いた時に、勧められた本がある。喜多川 泰さんの "「また、必ず会おう」と誰もが言った。" だった。主人公の熊本の高校生がついた小さな嘘により、ひとりディズニーランドへと行くことになる。不運が重なり帰りの飛行機に乗り遅れてしまう。飛行機を取り直せるほどの所持金はなく、空港で途方に暮れていたところ、それを見かけた大人に助けてもらう。そうしてバトンのように色んな大人に助けてもらいながら、主人公が熊本まで帰る物語で、超簡単なあらすじだ。高校生の彼は熊本に帰るまでに沢山の経験をし学びを得て成長をしていくし、主人公に出会い助けた大人も彼から刺激をもらって人生のコマを進めたりしていく。要素的にヒッチハイクに似た話で、この本を読んで来年行くと当時決めたような感じだった。

    元々、こんなに日本のあちこちに足を運ぶ予定ではなかった。北海道の田舎から札幌に2年住み、上京をした私は海外へと目を向け始めていた。理由は、知らない土地の景色や場所、そこで生活をしている人と文化に触れる事が好きだから。あとは自然と手や足が止まる写真は海外のフォトグラファーの作品が多かったり、興味を持つ人が海外と関わりがあったり、海外を拠点に活動している方に辿り着くこと、知らない世界を自分の目で見ること、心が動く刺激を求めていたこと等々。21歳前後のときに「夢は?」と聞かれれば、『海外に行くことです』と言い続けていた。それもあり大人から、「日本は何処か旅行で行ったり?」―『いいえ。』「日本人が海外に行くとね、日本が好きな海外の方から貴方の国は本当に素晴らしいと言われる。海外の方から日本の文化や歴史的なものについて語られたり、[日本のあそこへは行った?]と聞かれる。だけれど日本をよく知らなかったので、[わからない、知らない]と答えていた。自国に愛を持ち誇っている海外の方々が、如何に自分の国が素晴らしいかを語る姿を見て、自分が恥ずかしくなった。」という話を聞き、海外に行く前に自分の国の事をよく知る必要があると、その方は帰国後に日本中をまわったそうだった。その話を聞いていたこと、運が良くも悪くもコロナで海外に行くことが難しい状況だったので、日本をまず知ってから海外に行けるチャンスだと思ったのもあり、国内のヒッチハイクを後押しされた。バックパッカーを海外でやりたいと考えていたので、日本でのヒッチハイクは良い経験になると思っていた。

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    そんな私のヒッチハイクの目的は観光になるはずもなく、検索すれば出てきそうな観光地は旅行でいけば良かった。私は旅がしたかった。知らぬ土地で一人、右も左もわからず、頼れる人もいない状況下で、私はどれくらい生きていけるのか試したかった。上京してきた時のように。1回目のヒッチハイクは東北を反時計回りに1周するとだけ決めて出発した。私にヒッチハイクをするきっかけをくれた方に「何処からスタートしましたか?」と聞き、調布のインター前だと教えてもらった。同じ場所をスタート地点にし、あとは何も調べずリュックを背負い向かった。

    ヒッチハイク中の自分に、5つのルールを設けた。
    ①iPhoneを持っては行くが、SNS及び連絡手段は全て通知を切り、家を出てから東京に戻るまでは開かないこと
    ②充電を消耗するので、毎日聴いていた音楽も聴かないこと
    ③地図を見るためにGoogleマップ、乗せてくれた人との会話で必要になればGoogle検索のみ使用可
    ④乗せてくれると言われたら方角が逆の場合(戻ってしまう場合)を除き、ご厚意に甘え乗せてもらう(厚意を断らない)こと
    ⑤乗せてくれた人とのエピソードを、その日のうちにノートへ書くこと
    何もわからないなりに楽しむため、何処で寝るかも宿も決めず出発をし、このルールがあればヒッチハイクをする意味が成せると思って設けた。

    ワクワクとドキドキ、少しの不安で前日はあまり眠れなかった。ふと少し怖いと感じている自分がいることに気づいた。ただその怖さは体験した事のある、久しぶりの感覚だった。あぁ上京するときと同じ感覚だと気付き、それに気づけたことで大丈夫だと思えた。何故なら上京する事も9割方反対され、押し切って出てきたからだった。この怖いは、この先に何があるかわからない/知らないことからくる緊張感のような怖さだった。決して起きてもいない事への不安や心配からくる恐怖ではなかった。だけれど私も馬鹿ではないので100%何もないとは言い切れないため、もしもの事を考えて周りに伝えておくためにも、職場にヒッチハイクをすることを伝え休暇を取り、会った友人にも伝え、一番反対されるであろう母には前日の深夜遅くに通知オフでLINEにメッセージを入れておいた。朝起きて反対の連絡が来たとしても、私は全ての通知を切り出発しているという図だ。何年経っても変わらないな自分…と思ったし、親も仲が深い友人も私が決めた事は何を言っても曲がらない事を知っていた。

    ここまでヒッチハイクをした経緯と出発までの事を書いたけれど、行くまでの方が正直壮絶だった。何故なら20代前半の女が一人でヒッチハイクをするということに、9割方の人が反対したからだ。もちろん心配だからという事は大前提にわかった上で、悪口ではないが色んな事を言われた。「もし山に連れていかれたらどうするの?」とか、「昔ヒッチハイクで危ない事件があった」とか、「後ろに乗せられたらチャイルドロックでドアを開かなくされる」だとか、「誘拐される」とかとか。。もう浴びるほどのまだ起きてもいない未来への不安について皆語るので、嫌になってしまい途中から人に言うことをやめた。私は旅や旅行と近い感覚だったので、何の気もなしに伝えたことで想像より反応がこういう形になってしまったと思う。私自身は悪いイメージを持っておらず、何故か帰ってこれるイメージしかなかったので、周りの声に溺れては良くない現実を引き寄せると思っていた。怖い怖いと思う者には、怖いことが起こると私は思っていたからだ。ちなみに一番最悪なパターンを考えよう、「仮に」と考えるようにはいつもしている。例えば仮にヒッチハイクをして死んだとする。周りは悲しむかもしれないけれど、やりたい事をやって死ねたなら、私は後悔しないと思えていた。私の一番の最悪は周りの意見にのまれ、自分という人間の意志が消え、ヒッチハイクをする事をやめて死ぬことだった。死に際、「あぁヒッチハイクしておけばよかった」と思う自信があった。人間いつ死ぬかわからない。ヒッチハイクをしたってしなくたって、人間は平等に死ぬ日が来ると自覚している。ここまでの意志を持った私は、反対されようとも説得されようとも、誰にも止められなかったと思う。

    それでもある意味、これは私のやり方で「ヒッチハイクをします!」と宣言をして後戻りできない状況を作っていた。私は自分をよく知っていたから、いつも、いつかやりたいなではなく、いつに〇〇をする!やる!という宣言をし、色んな事を実現してきた。そういう意味では環境は自分で作っていく事も出来ると思う。プロローグが長くなってしまった…
    では出発しよう、20台の車を乗り継ぎながら30人以上の人と出会う、東北一周の旅へ。

    ヒッチハイク1日目  東京→岩手県の出会い

    軽自動車が止まるも、元ヤ〇ザ??!!!のおじちゃん

    1台目:調布インター前
    調布のインター前から出発したと先人に言われ、じゃあ私も~くらいにスタート地点を決めて12:00に家を出て向かった。何もかもが初めてだったので、東北に向かうにはどこに立っていたら良いんだ?この交通量の多い道路でつかまるんか?どこに立っていたら止まりやすいんだ?と、現地で模索しながらのスタートだった。かれこれ立つ場所を変えてみたりして1時間ほどは経っていた。初ヒッチハイクで 1台目に乗れるまで1時間以上経ち、普通めげそうなところ。だって帰ったっていい、誰も何も困らない、ただ目標が達成されなかっただけ。でもそれが嫌だった私は笑顔でスケッチブックをあげ続けた。行き先は埼玉とかって書いてた気がする(笑)乗せてもらった人にも突っ込まれた、「埼玉のどこやねん」と何でも始めてからの学びが多いのが人生だなと。北海道田舎生まれ育ち、東京に来て3年うち2年はコロナ期間、埼玉の土地勘もなければ東京もままならないです、すみません!という感じだ。信号待ちで止まってくれた車から窓を開け声を掛けてくれたカップルやご夫婦、車中から引越センターのトラックに乗ってる3人組のお兄さん、ファミリーカーから家族のみなさん、バイクや自転車で通る方から手を振っていただけたり、頑張れと叫んでくれた人もいた。目頭が熱くなってきて泣きそうになった。諦めちゃあいかん!と強く思ったのを覚えている。書きながらもあの頃の事を思い出し、込み上げてくるものがある。自分がやりたいと思い始めた事で、どれだけ今いる環境で反対や批判をされたとしても、例えそれが家族や恋人、友達だったとしても、一歩でも外に出る事が出来たのなら、必ずその勇気や想いに対して応援してくれる人が外にも現れるということ。そういう国です。そういう国で生かされていると、序盤から感じた、というより思い出した。そのエールのお陰できっとへこたれなかった。そうか挑戦することははじめ孤独であるが、その姿勢に人は集まったり手を貸してくれる人が現れる。いつから無いものばかりを見て批判するようになったのだろう、今あるものにどれくらい感謝出来ているだろうと思った。

    ちなみに見出し負けしそうだけど、私の日記には昔ワルだった優しいおじいさんって書いてます。昔やんちゃしてたと言われ、軽自動車に乗ったはずがすごい大きな車に乗った?と言わんばかりの空気感がある人だった。入れ墨が腕にびっしりと入っていて、片足を椅子にあげあぐらを崩したような座り方で運転していた。煙草も吸うしもちろん片手運転。旅行が好きなようで、旅行は家族と一緒に行くと話していた。35歳と32歳の息子がいて、とにかく孫が可愛いそうだ。これから孫に会いに行き家族で旅行へ向かう予定で、その道中で私を見つけてくれた。第一声は「何してんの?」。怖そうなおじさんだろうと1時間待った先でようやく止まってもらえた車なので、必死に応えた。『ヒッチハイクをしていて…』「どこに行きたいの?」『埼玉の方まで行けたら良いんですけど…』「埼玉のどこに行きたいの?」『埼玉ならどこでも!!』「乗りな」という流れだった。

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    おじちゃんが久喜と書いていたら、北上できると教えてくれた。

    スポーツカー?が止まると、まさかの年下の方で…

    2台目:戸田
    すごく細い道に下ろしてもらったので、少し歩いて大きめの道路に立っていた。それにしても交通量が多いけれど、果たして止まってくれるだろうかと思いながらも、既にここまで運んでくれた方が一人でも現れてくれたのなら引き返すわけにはいかない。
    T字路を曲がったあたりの場所に立っていた。信号待ちの人から見えるからだ。信号が青になったと同時に車高が低く小さめのスポーツカー?アメ車?でもハンドルは右だった…車に詳しくないのだけど、普段あまり見ない車が止まった。私のために止まったのか、路駐のために止まったのかわからず、車高が低いのでどんな人が乗っているのかも見えなかった。恐る恐る姿勢を運転席が見える位置までおとし少し覗くと、若い男の人と目が合った。「下道で宇都宮まで行くんですけど乗りますか?」と言われた。なんと宇都宮まで行けるのか!!と、乗せてもらった。車中で自己紹介が始まる、19歳で車の整備など車関係の専門学生だった。この若さでこの車⁈など、つっこみどころ沢山だったので全部突っ込んで聞いた。年下の方に助けてもらう、乗せてもらうイメージがなかったからだ。やってみると本当に面白い、旅と同じで想定外のことが起こる。地元が宇都宮で、八王子の学校に通っているそうだ。GWの帰省のタイミングで乗せてもらえたという出会いだった。夢は何かと問うと、ホワイトの86に乗ることだと言っていた。調べないと車は何もわからないけど、わかる人にはわかるんだろうか。地元に友達も多く地元が好きで頻繁に帰っていて、普段はTikTokを見ていることが多いそうだ。当時の私もまぁまぁ若いけど、TikTokは苦手でほぼ使用していないので、いまどきーー!って思ったし言った気がする。何故、乗せようと思ったか聞いた。若さゆえに知らない人を乗せるのは怖くなかったのかと聞いてみた。すると彼の人間性を作り出している要素に、周りの友人が影響しているらしく、とても優しく仲間思いで男前の人ばかりだそうだ。初対面なのもあってか彼自身は口数が多そうでもなければ、漢を思わせるような雰囲気ではなかったが、周りの環境により彼自身の考え方もできているわけで、困っている人を助けるという選択になったそうだ。あとは彼がタイミングよく地元に帰省する道に私がいた。本当にそれだけだった、それだけなのだが数分でもズレていたら出会えていないのだから。彼にとってもヒッチハイカーを乗せたという10代の良き経験か、話のネタにでもなってくれてたらいいなと思っている。

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    初の宇都宮だった。

    家族と音楽、仕事を抱えたパパさん。夢を語り合いラーメン。奇跡起こる!

    3台目:宇都宮
    宇都宮駅におろしてもらった。既に日は傾き夕方を迎えようとしていた。駅周りに沢山の餃子屋さんがあり、どこも列をなしていた。折角来たのだからと食べたい気持ちをおさえた。何故なら私が一番懸念していたのは夜が来ることだったからだ。ヒッチハイクをしていて一番不利な状況に夜はなりやすい。近くのインターを探し、インター前のコンビニまで歩き次の車を待つ。

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    1日目の夕焼け。

    日が落ちてしまい夕焼けは綺麗だったが、それとは裏腹に少し焦燥感に襲われ始めていた。それでもここまでのドラマが私の背中を沢山押してくれた。沢山の方に頑張ってと何度言われたのだろう。
    めげずに立ち続け止まってくれた車は、2人のお子さんがいるパパさんで車にチャイルドシートが乗っていた(当時28歳のTさん)。仕事をしながらジャズの演奏で音楽活動もしているそうで、その練習帰りだった。夢は海外で演奏することで、私も海外行きたいんです!と車内が盛り上がったのを覚えている。当時カメラを仕事にするか迷っていた時期だったので、音楽は仕事にしないのか聞いたりした。仕事にするのはやめたと話を聞いたが、今もこうして音楽を続けていて充実しているようだった。1つの在り方を見せてもらえた。実はヒッチハイカーを乗せるのは2回目で、以前は海外の人を乗せたそうだった。「ご飯は食べた?」と聞かれ、『まだです』と答えると道中のラーメン屋に行こうと向かう先で、なんと目の前の車のナンバーが、八戸(青森)!!!となり、また車内は大盛り上がり。とりあえずどこかで止まらないかと、行く道をたどりドキドキしていたら、なんとラーメン屋に止まるではないか!!!というミラクルを連発させた。もうあれは同じ冒険をしていた仲間かのような歓喜だった。道中、「でもファミリーカーだからどうだろう、、」「でも誰も乗ってなさそうだけど、、」などと話していた。今も思い出して笑ってしまう。ラーメン屋に着くと、車内からおじさんだけが出てきた。なんと一人ではないか!と、着くと早々に「声かけておいで」と後押しをしてもらい、猛ダッシュで声をかけに行った。

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    『いきなりすみません!今ヒッチハイクをしていて、東北一周しているんですけど..』と声を掛けると、「元々、青森に住んでいたけど今は住んでいない」とのことだった。だけど「福島までは行くから、そこまでなら」と乗せてもらえることになった。という事をTさんに報告し、各々ラーメンを食べて合流をする事になった。Tさんに感謝を伝えてインスタを教えた。無事に着いたら、いつでもいいから連絡が欲しいとのことだった。『必ず無事に帰って連絡します』とお礼を伝え別れた。

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    ラーメンの写真がない。

    寡黙さと優しさは別物だと教わった。日本酒好きのおじさん。

    4台目:那須
    宇都宮から乗せてもらった車の、前を走っていた八戸ナンバーの車に無事乗せてもらえた。ラーメンを食べて合流をし乗せてもらった。普段なら乗せないという感じだった。福島から山形まで向う予定だそうで、福島まで乗せてもらった。どこに下ろせばいいかと聞かれ、サービスエリアかパーキングエリアだと助かりますと、どの車にもそう伝えていた。1つ目のサービスエリアで次の車が決まるまで待っていてくれていた。決めた時間まで捕まらなかったら、もう1つ先のサービスエリアまでは乗せていくと言ってくれた。なんとしてでも捕まえなければと思い、自分から声をかけに行くことも試みた。駐車場には沢山のトラックが止まっており、運転手が休息をとっていた。大体がカーテンをしている中、出発しそうなトラック2台に声をかけに行ったが、どちらも今はどの会社もトラックに内カメが付いており、第三者を乗せることが禁止されている。乗せたいけど会社のルール的にNGということで断られた。時間は23時近くになってしまい、乗用車はほぼ止まらなかった。トボトボと車に戻り、ダメそうです…と伝えると、次のサービスエリアまで連れて行ってくれた。深夜の方が高速代が安いからと、0時までは待っているよとここでも次の乗車まで見守ってくれていた。一見とても寡黙な雰囲気だったが、話すに連れて奥さんと子どもがいること、日本酒が好きな事を教えてくれた。後半ではオススメの日本酒と、各地のオススメのご飯も教えてくれ盛り上がった。パッと見で人を判断してしまうことが、どれほど色んなチャンスを逃している事か身をもって知れた。夜の怖さはこの方がいてくれて乗り越えることができ、お陰で次の乗車へと繋がった。そして0時近くなってきたところで、お手洗い帰りのおっちゃんに「何してんの?」と声をかけられた。「どこまで行きたいの?」と言われて、『青森の方面であれば、どこまででも!』と伝えると、乗せてもらえることになった。ここまで見守ってくれたおじさんに、お礼を伝えて別れた。

    トラック初乗車!まさかの運転手さんと同郷で大盛り上がり、岩手県まで。

    5台目:福島
    おっちゃんが乗っていく?と向かった先にはトラックがあった。断られたトラックにまさか乗れる日が来るとは!父が建築の仕事をしているため、大きめの車には過去乗ってきたつもりだったけれど、あの..これ..どうやって登るんですか…技必要ですよね?という高さだった。やっとのことでよじ登った。内カメあるから端に座ってと言われ、ダメな上で乗せてくれたのだと察した。このおっちゃん絶対面白い人だと思ったら、ヒッチハイカーを乗せるのは私で3人目だった。しかもまさかの同郷で、深夜のトラックで話し込んだ。これが本物のエモさだと思った。そしてトラックから見た開放的で疾走感ある景色を忘れられないと思う。

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    トラックの助手席からの景色。

    北海道の苫小牧は、フェリーがとまる港がある地域だ。どうやらおっちゃんは、その苫小牧から荷物を積んだトラックと八戸までフェリーで移動をし、八戸から関西の方までトラックで荷物を運んだ帰りだった。こうして全国に各地のものが運ばれているのかと思うと頭が上がらなかった。そして関西から八戸まで移動していた途中の福島で出会えたのは、もう奇跡しか起こらないんか、ヒッチハイクは…と思った。このおっちゃん面白そうな人という直感は、同郷が同じでは留まらなかった。
    先に書くのを忘れたが、私が追加で欠かさずやっていたことが2つある。1つ目は夢を聞くこと。2つ目は自分が撮った写真を印刷したポストカードを渡すこと。裏面にインスタのQRも刷っておいたので、追加したいと思ってくれた人が追加できるような形にした。
    そんなおっちゃんの夢は車で日本一周すること。実は..と話し始めるおっちゃんの話に私がどれほど心動かされたか、今の私の国内旅行や旅の後押しをしてくれた大人のひとりになる。おっちゃんは元々、北海道内の観光バスの運転手だった。観光客を乗せて様々な観光地へ行き、沢山の景色を見てきたと話してくれた。私が知らない美しい北海道の場所や景色、全国の美味しい食べ物やお店を沢山教えてもらった。そして如何に自分の育った北海道のことを知らないのかを思い知らされた。そんな私の夢の1つに北海道一周が加わった瞬間だった。ただコロナが世界を襲ったことで観光業界も危うくなってしまい、泣く泣くバスの運転手から現在のトラックの運転手へと転職をし全国を回っているそうだ。「つまらないやつだったら途中でおろそうかと思ったけど、八戸(青森)まで乗っていくか?」と言ってくれた。でも深夜に高速をとばして福島→宮城→岩手→青森まで行くのは気が引けたので、おっちゃんが寄ると行った岩手県の岩手山サービスエリアで降りることにした。山というだけあって、昼間は28度あったのが嘘のように深夜は8度しかなかった。到着時刻は深夜3時で、薄く空が明るくなりはじめそうだった。力尽きた私はこうしてヒッチハイクの1日目を岩手県で終えて、この記録と日記を書いた後にサービスエリアで3時間弱仮眠を取った。今日は5台の方に乗せていただいた。ヒッチハイク1日目を終えた私の日記をそのままここに残しておく。

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    ヒッチハイク2日目  岩手県→山形県の出会い

    ミラクルを起こす旦那さんに、ポケモンがいる!と言われ拾われる。

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    2日目の朝焼け。
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    2日目スタート

    1台目:岩手
    仮眠をとって早朝から動こうとしていた。朝5時はまだ日が上がっておらず、山に囲われていたためか気温も一桁で寒すぎたので、日が出るのをじっと待っていた。太陽が現れた朝7時前後から気持ちを入れ替え、サービスエリアの出口付近に立っていた。少しずつ車の出入りが増えてきたところ、1台の車が早い段階で止まってくれた。控えめで可愛らしい奥さんが運転されているご夫婦の車に乗せてもらえることになった。何やら奥さんは少しの呆れと面白さを含めた笑みを浮かべ車を走らせ、助手席の旦那さんが横目に色々話しかけてくださり質問攻めだった。何やら面白いおもちゃを見つけた少年かのようにワクワクしており、奥さんが隣からニコニコしながら「この人、行く先々で何か引き起こすんですよ〜、前も車をぶつけられてドラレコが面白くて〜」と過去の色んなハプニングやミラクル話を聞かせてもらった。行く先で引き寄せを起こしまくる旦那さん、一緒にいたら楽しいだろうなと思いながら2人の掛け合いを後部座席から見ていた。朝から大変面白かったし、とても晴れた気持ちで2日目をスタートできた。これも毎回聞いていた質問で、”どうして乗せようと思いましたか?”という内容。旦那さんが「レアポケモン見つけたーー!」と言って喜び拾ってくれたという話だった。私は見事にGETしてもらったのだった。そして奥さんが寝坊をして予定よりも出発が遅くなったという話をしていて、ふいに涙腺がまた緩んだ。そうか奥さんが寝坊しなかったら、この時間じゃなければ出会えなかった。会うべき人にです会うんだなと思った。そして青森まで乗せてもらい、このヒッチハイクで初めて、「一緒に写真を撮って欲しい」と言われて撮った人でもあった。そしてッチハイクで青森まで来れた感動で胸がいっぱいになった。

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    ありがとうございました!

    釣り仲間の皆さんに声をかけられ、ヒッチハイク最速乗車?!

    2台目:青森
    先ほどのご夫婦に青森のパーキングエリアで下ろしてもらった。車から降りて写真を撮ったりしていたら、その様子を見ていたハイエース3台の10人グループの方々にそのまま乗り継がせてもらった。少し遠くから女性に「こっち!こっちおいで!」と言われ駆け寄ると沢山の大人がいて、どうやら宮城から釣り仲間と青森へと釣りと観光に行く道中だった。色んなお話をしながら「一緒に観光地のここへ行こう!」と誘ってくれたり、車の中で駄菓子やお菓子を手にいっぱい持たせてもらった。

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    あれ以来出会えない、さくさくパンダのダージリン味

    今回は期間を決めて何とか東北を一周してヒッチハイクで帰ってきたかったので、青森の最北端の海まで行き観光することは、悩みに悩んで断ってしまった。今思えばついて行ってもよかったなと思った。車中でみんなで写真を撮ったけど、データはもらっていない。むつ市?まで行くそうで、弘前の近くのセブンで下ろしてもらった。皆さんとても愉快で活気があって、よく喋る方々だった。歓迎ムードで迎えてくれて、フランクな空気が楽しかった。好きなことをやっている大人のキラキラさは、何処へ行っても見れるものだと思い、東京だけではないことを見せてもらった。
    人生初の青森は道の端々に林檎の木が並んでいて、当時は林檎の実に袋をしていた。初めて林檎の木を見た私はテンションが上がり、「どうぶつの森の木みたい!!」と言って喜んだ。乗せてくれた方にも、「おしいね〜あと少しなんだけどね〜」と言われ、林檎の時期が少しずれてしまったので食べられなかった。セブンでおろしてもらい、お礼を伝え皆さんに手を振り見送ったことを今も覚えている。

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    国道の美しさを教えてくれて、一緒に秋田の山を越えてくれたお兄さん。

    3台目:弘前
    高速に乗る車と、国道を走る車がどちらも通る大きめの道路沿いのセブンだった。通る車の数は多かったものの、なかなか次の車は捕まらなかった。この日の昼間は気温があがり水分補給をしながら立ち続けた。するとコンビニから30代くらいのお兄さんが歩いてきてくれて、声をかけてもらった。坊主スタイルで静かで落ち着いている人だった。一見するとヒッチハイカーを乗せるような雰囲気ではなかったし、実際に終始言葉数も少なく、会話を必死に繋ごうとした私にとっては少し長旅だった。けれどお兄さんも結構な距離を運んでくれた。いつも連休に国道でドライブの旅をしているそうだ。前回は国道4号線をドライブしたので、今回は国道7号線に挑戦してる途中で見つけてもらった。「国道で走るけどいい?」と聞かれた。高速だと確かに早くは進むけど、土地の景色を楽しめないので、むしろ有り難かった。途中の山中で渋滞を経験しつつ、秋田の山を越えてくれた。私が車の中でフィルムを使い、目の前に現れた山を撮ろうとしていたところ、途中の道で車を止めてくれて一度降りて立派な山を見て写真を撮らせてくれたりもした。これは国道だからこそできたことだった。

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    なんて言う山だったんだろう..

    秋田市内まで辿り着き、一緒にご飯を食べようと誘ってもらい秋田の海鮮を食べさせてもらった。魚が美味しかった。そのあとインターに続く道のファミマに下ろしてもらった。

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    ヒッチハイクというより、送り繋いでくれた秋田県民のみなさんへ。

    4台目:秋田のファミマ
    ファミマで下ろしてもらった私を見つけて、インター前まで乗せてくれた親子さん。ヒッチハイクというよりお見送り、送ってくれたが合っていると思う。そして結論から書いてしまうけれど、ここから3台を乗り継ぎ秋田から山形に辿り着くまでは、秋田県の皆さんが行く方向でもないのに私を途中まで送り繋いでくれたエピソードになる。この経験は過去ヒッチハイクをやった中で秋田県だけだった。届いていますかー!!!秋田県の皆さん!なんてあたたかいのだろうと思い胸が熱くなり、何度も涙を堪え、何としてでもヒッチハイクで東京に帰らねばと強く思った。色んな各地の方の応援により秋田までこれたことを噛み締めた2日目だった。東京に帰ったあと、秋田出身で仲の良い友だち2人に秋田県民がどれほど素敵で素晴らしかったか語らせてもらった。

    話は戻り、声を掛けてもらい「短いんだけど...」と言われ車に乗り、ファミマからもう1つインター前のローソンまで乗せてくれた。運転上手なパパさんが、広島から本州と四国を含めた日本一周を電車でしたことがある方だった。短い時間だったけど、全国に仲間がいると背中を押してもらった瞬間だった。素敵なパパさんだった。

    フォトグラファーとの出会い!後日東京で会おう!

    5台目:秋田のローソン
    高速に乗るインター前のローソンの道路の反対側に立っていた。するとローソンからお兄さんが大きい声で、「何してるんですか〜〜?」と叫んでくれた。大きい道路を挟んでの会話には限界があったので、道路を渡った。かくかくしかじか、これまでの説明をすると途中まで乗せてくれた。まさかの23歳のフォトグラファーで、話が盛り上がった。仲の良い友人も秋田出身のフォトグラファーだったからだ。写真の話でこんなに盛り上がると思っていなかったので嬉しかった。とても気を遣っていただいて、海沿いを走ってくれたり、ナマハゲ?の大きな銅像?の横を通ってくれたり、菜の花祭りをしていると連れて行ってくれた。折角なので、フォトグラファーの彼に撮ってもらった写真をサムネ画像に使わせていただいた。

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    撮ってもらった、当時の私

    数日後に写真の仕事で東京に来ることになっていて、マブも誘いヒッチハイク後に東京で飲んだ。こうしてヒッチハイクにより繋がれた縁もある。お互いの活動をSNSを通して見れるので、あれ以降たくさんの活動で歩みを進めていて嬉しい。また会えますように。

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    東京で再会。秋田出身の写真家マブと3人で。
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    「ヒッチハイクしてる子を拾ったんですけど、ちょっとドライブ行きません?」

    6台目:秋田のファミマ2軒目
    秋田のフォトグラファーさんにファミマまで乗せてもらったところで、日が落ちてきた。前の日がスイスイ進んだことが奇跡的で、秋田県の広さに圧倒されていた。秋田県を出られていないまま夜を迎えそうだった。コンビニで一休みしてまだ夕焼けが綺麗なうちにと、少し使用感が出てきたスケッチブックをあげていると…早々に1台止まってくれた。

    軽自動車が止まり助手席の窓が開く、一番胸が高鳴りワクワクする瞬間だ。若いお姉さんと後ろにおばあちゃんが乗っていた。確か埼玉方面へ向かうと言われ戻ってしまうため、はじめてお断りしてしまった。でも本当に嬉しかったので書かせていただきます。こうして誰かのあたたかい気持ちに触れて何度も心を救われ、その度に前に進む力を受け取った。

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    背後から「お姉さん!何してるの?」と、お姉さんに声を掛けられた。ヒッチハイクをしていて山形の方面に向かえたらと思っています。と答えている最中に、目の前で知らぬ人へLINE電話をかけていた。音声をスピーカーにして電話に出た人は男性ぽく、「ヒッチハイクしてる子を拾ったんですけど、ちょっとドライブ行きません?」というお姉さんの提案にあっさりとOKをして、「ちょっと待っててね」と言われた。10分ちょっとくらいで、電話先の男性が大きめの車で登場した。終始、展開が早く新しいパターンだった。そして結果、秋田の方に山形まで連れて行ってもらうことになった。ヒッチハイクというより途中まで送ってもらうことが、秋田県内ではこれが3回目だった。秋田の最後は山形までドライブへ連れて行ってくれた車だった。友だちと夜にドライブをしているような雰囲気で、恋愛の話とか色んな話をして盛り上がった。20代のうちにしておいた方が良いことはありますか?という私の質問に、ふたりは"ない"と答えた事が残り続けている。一緒にご飯を食べたいと言ってくれたけど、近くにお店がなくコンビニで3人分のご飯を買い、おろしてもらった道の駅で一緒に食べた。どんな高級料理よりも、心があたたかくなった食事だった。あと数時間で日付が変わりそうな時間で、ほぼその日の夜は山形のローカル道の駅で寝て過ごす事が決まってしまっていた。とはいえ、お姉さんお兄さんの知識のお陰で、綺麗な道の駅で過ごしやすかった。キャンピングカーが沢山とまっていて、お手洗いも綺麗で道の駅内もエアコンがあり夜は冷えたので助かった。長ソファーが3個ほどあって、ヒッチハイク2日目にしてやや睡眠不足の私は、今日が草っ原でも何処でも寝られると思った。お姉さんとお兄さんとも連絡先を交換して、なんと車に積んでいた毛布をおろしてくれた。「もう古くて捨てようと思っていたから、良かったら使って」と、「道の駅に捨てて行っていい」と言ってくれた。涙が出そうになった。本当に有り難うございますと何度も伝えて別れた。

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    寝た椅子と、もらった毛布

    その後も日付が変わるまでは粘った。でも街灯も少なく周りも原っぱしかない道の駅では、時間が遅くなるに連れて車の数は減っていき、大型トラックが数十分に数台通るだけだった。暗闇は深くなりあたりは静かで少し怖がりが出始め、今日はもうダメかなと思ったとき、目の前を通りかけた運転荒めの軽トラックが目の前でとまった。「こんな遅くになにしてる?」と助手席の窓からおじさんに方言混じりで言われた。お互い様だろうと思いながらも、その話し方できっと近くで住んでいる人なのだろうと思った。ヒッチハイクをしていると答えると、「冷えるからもうやめときな」と言われた。「ありがとうございます、あと少しだけ粘ってダメそうだったら諦めます。」と伝えると、ハンドルを片手できり車をすごい勢いでバックさせた。道の駅前の自販機でHOTドリンクを買ってくれて、「無理すんなよがんばれ」と渡された。明らかに地元の人の運転の仕方だなぁと、自分の地元を思い浮かべた。父も同じように、土地や運転に慣れている運転の仕方をするからだ。買ってもらったHOTドリンクを飲みながら、あたたかいものは心に火を灯してくれるなと気を取り直し立ち続けた。

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    その時もらった。あったか〜いドリンク。

    日付が変わり0:30頃、今日は諦めて休息にあてようと記録を書き留め毛布にくるまり寝た。暖かかった。速攻で寝てしまった。家でなくとも、ベッドでなくとも、枕がなくとも、暖かさはある。

    ヒッチハイク3日目  山形県→東京の出会い

    大手企業からトラックの運ちゃんへ。朝の霧が幻想的だった。

    朝4時には起きて着替え歯を磨き、太陽が顔を出しそうなタイミングで毛布を道の駅に残し外に出た。昨晩の先が見えない黒い暗闇は消え、目の前にはただ綺麗なグラデーションの朝空と緑の大地が広がり空気がとても澄んでいた。睡眠もしっかりと取れて体力も回復をし、5時前には道の駅前の道路脇に立っていた。
    ここから私は何と1日で山形県から東京まで戻るのだが、結構なボリュームを一気に駆け抜けるけど準備よいですか?

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    1台目:庄内(山形)
    5時ごろ中型くらいのトラックがとまった。ここでまさかの2台目のトラックだった。まさに人生そのもののような旅だった。あの時、1日目のサービスエリアで確かに私はトラックの運転手さんに断られた。それは運送会社の規定であり、運転手さん達は定められたルールを全うしていた。だけれど、それが全てではないこと。勇気を振り絞り何かを挑戦した時、それによる結果や周りの反応が全てではないこと。出会うべき人には、年齢や性別、経験や出身地、職業も関係なく出会うものなのだと。あっさりそう覆してもらった旅でもあった。断られたことが嘘だったのではと、少し笑ってしまった。そういとも簡単に、自分が作り上げた固定観念や既成概念をぶっ壊されてしまうのも旅の醍醐味である。

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    こんな短期間でトラックに2回も乗せてもらえるなんてこと人生であるのだろうか。しかも1回目は深夜の高速で、2回目は早朝の森林の中で。山形の早朝は、というより地形の特徴だったので朝だけじゃないのかもしれないが霧がかかっていた。それがまた神秘的でトラックの窓から見て絶景だった。酒田から山形市内までスーパーの荷物を運んでいるというトラックの運転手のおじさん。なんと元々はNECで働いており、研修で東京に来ていたことを話してくれた。山形の好きなところを聞くと、「ゆったりとしているところ」と話してくれた。私もそれは肌で感じていた。何というか少し独特で、自然が多い北海道ともまた違う空気感だった。ここだけ時間の流れがゆっくりというより、ゆったりしているがしっくりくる。自分のスピード感が、焦燥感が浮き彫りになるような気分だった。その雰囲気に馴染むように、おじさんは穏やかでゆったりと話す方だった。山形市内に入りセブンでおろしてもらった。

    ママさんから受け取った千円と想い。

    2台目:山形市
    セブンイレブンの駐車場前で立っていると、お子さんの送迎帰りのママさんに声をかけてもらい乗せてもらった。昔、東京にいた話を聞かせてくれた。今日は東京と縁があった方に会うなと思っていた。娘さんが陸上のインターハイで頑張っていて、息子さんはGW中は部活があり送迎をしているそうだ。何だか話を聞くと一見大変そうだが、疲れている様子というよりは、ママさんも活き活きとしている印象だった。何よりママさんが元気でパワーをもらえた。インター前のローソンでおろしてくれると言って到着すると、「朝ごはん食べた?」と聞かれてすっかりご飯のことを忘れていたことに気づいた。さすが二児の母という感じだが、それも束の間、財布から1000円札を取り出し手に握らせて「これ朝ごはんに」と渡してくれた。おいおいおい、3000円を持ってきて1000円も使っていないのに、というか朝ごはんに1000円は多すぎます、儲けちゃってますみたいな忙しない心とは裏腹に、それは母という立場のママさんの想いだと感じて受け取った。お子さんに会えたなら伝えたい、君たちのお母さんはとってもかっこいい人だよって。ママさんの車を降りて別れ、車が見えなくなるまで見送った。

    そしてその後すぐにローソンに立っていたお母さんに声をかけられた。娘さんの迎えを待っていて、何かしてあげたいけれど…という気持ちだけでも嬉しいのに、手持ちだったおにぎりを渡してくれた。「朝に残ったご飯を握っただけで申し訳ないんだけど」と言われ、いただいたおにぎりが本当に、本当に美味しかった。ヨガの先生をされている方で、現在もインスタグラムで繋がっている。あの時のおにぎり、忘れません。

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    「乗ってくれてありがとう」 と言われるんだ、ヒッチハイク。

    3台目:山形市
    程なくして、私と同じくらいの娘さんがいるお母さんに声をかけられ乗せていただいた。ずっとヒッチハイカーを乗せたい(何かしたい)と思っていたと乗った瞬間に言われ、とても優しい方で私を乗せられて、この瞬間を待ち望んでいたかのように喜んでくれた。「今日1日、感謝できそう。」と言葉をかけてくれて、私のセリフなのに乗って感謝をされた。あたたかかった。下道から高速のパーキングエリアまで連れて行ってくれた。これもまた送り届けてもらった。実はこれにもストーリーがあって、前にヒッチハイクの人を見つけたのだけれど、反対車線だったので乗せたかったけど乗せられなかった経験をして、ずっと悔やんでいたと話してくれた。一人ひとりに人生があり、経験があり、それが交わるとき人は出会うんだと思い感動した。乗せてくれてありがとうなのに、乗ってくれてありがとうと言われる。自分のために始めたヒッチハイクで、ありがとうと言われた。やってよかったと思えた瞬間だった。私のヒッチハイクは、結果的に誰かのためにもなったんだと思わせてもらった。

    お腹が痛くなって釣りに行けなくなったおじいちゃん。

    4台目:宮城パーキング
    その日も気温は上がり夏が近いと思わせる日だった。パーキングはのどかで犬が芝生を元気に走っていた。近くで腰に手を当て遠くを見ているおじいちゃん。何となく目が合い話した。久々のお休みで朝ごはんも作って釣りに来たけど、お腹が痛くなってパーキングに寄り休んでいたそうだ。帰ろうか悩んでいたところで私を見つけ乗せてもらった。そこのパーキングは少し不思議で、高速のパーキングから、下道に階段を降りると出られる形になっていた。おじいちゃんは下道の駐車場に車をとめて、階段を登り高速のパーキングで休んでいたので、下道に戻り乗せてもらった。そしてこのおじいちゃん、宮城の一番北でお店を50年やっていると言う。ほとんど休みなく働いていたそうだった。今日出会えたのも面白いなと、出会いで人の行く先はいくらでも変わってしまうのだなと思った。そして宮城のインター前のヤマザキまで乗せてもらった。

    千葉ナンバーの車がとまる?!!も、ぶっきらぼうなおじちゃん。

    5台目:宮城インター前
    乗せてもらうための導線も考えられるようになり、ヤマザキよりも近くのセブンの方がいいと思い歩いて移動をしていた時だった。千葉ナンバーの車がとまった。淡い期待をしてしまいそうになっていると、車からおじちゃんが降りてきて声をかけてくれた。東京から来て帰ると話していたら道で話すのも…となり、歩いていこうとしていたセブンまで300mくらい乗せてくれた。そのまま駐車場で色んな会話を繰り広げ、どうやらおじちゃんは元々東京にいた事があったそうで、東京の思い出話をたくさんしてくれた。ぶっきらぼうな人でポストカードも遠慮を突き通され受け取ってもらえなかったが優しい人だった。東京が好きだったんだなと思った。何となく今日、東京へ帰りたいなと思い始めていた。

    軽トラに乗車!ヒッチハイカーを乗せるの2回目のお兄さん。

    6台目:宮城インター前のセブン①
    インター前に立っていると、地元の軽トラのお兄さんに反対車線から声をかけられた。信号を待ち渡り駆け寄った。「そこからだと福島方面は捕まらないよ」と教えてくれて、大きめのインター前のセブンまで乗せてくれた。実は前にもヒッチハイクをしている女の人を同じ場所で見かけ、同じ事をしていて、同じように声を掛け、同じ場所まで乗せたそうだった。行きでお母さんを乗せて同じ道を通り、軽トラは2人しか乗れないため帰りも私が立っていたら声をかけるとお母さんと話していたそうだ。地元の方のこうした優しさに救われて、私はヒッチハイクを折り返している事を実感した。

    私が見えなくなるまで、小さな手を振ってくれたこと忘れないよ。

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    7台目:宮城インター前のセブン②
    小さめの車が止まった。かなり大きな道路だったので交通量は多かったけれど、なかなか止まらなかった矢先だった。いつものように駆け寄り中腰で挨拶をすると、運転席に笑顔が素敵なお母さんと、助手席に息子さん、後部座席に娘さんがいた。乗っても良いのだろうかと思いつつ、後部座席に乗せてもらった。会津のおじいちゃんに会いに行くところだと話してくれた。当時、息子さんは20歳前後で京都で自衛隊をしていて、毎週金曜はカレーが出てくるそうだ。電車が好きで写真を撮っていると話してくれた。隣に座っていた娘さんが、兎に角たくさんお話してくれた。はじめは人見知りされていたので、少し簡単な質問から会話が広がっていき、元保育士で良かったと思う瞬間だった。パッと見た感じだと小学生?いや中学生かな?と思い、年齢を尋ねると何歳だと思うか聞かれた。この年齢の子たちは、なんと答えるのが正解で嬉しいのだろうかと頭をグルグルさせた。確か2回くらい外して小6だと教えてくれた。お兄ちゃんと7個離れているんだと話してくれた。授業は体育、家庭科、道徳が好きだそうで、まんま小学生の頃の私と一緒だった。野球をやっていてチームには女の子ひとりだということ、好きな人はサッカーをしているということ、1日前まで風邪を引いていたこと、ナゾナゾが好きで車の中で盛り上がったこと、ストーンのブレスレットは作ったこと、期間限定より数量限定がアツいこと、暗記が得意で円周率を10桁まで覚えていること(披露してくれたけど、正解が私には分からない)、そんなこんなであっという間に福島で1番大きなサービスエリアに着いた。お昼を一緒に食べようと提案してくれて、ご一緒させてもらった。娘さんがとんかつを1切れ分けてくれた。

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    ひと切れ、嬉しかった。

    サービスエリア前で写真を撮り、バイバイをして別れたのだけれど、何度も何度も振り返り手を振り、寂しそうな表情で姿が見えなくなるまで手を振り続ける姿に涙が出そうになった。あっという間だったね、楽しかったね、忘れないよ、ありがとうね。今もお母さんとインスタが繋がっていて、たまに連絡をいただけたり、息子さんと娘さんの成長をストーリーで見て微笑ましくなっている。

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    炎天下の宇都宮で、デカサングラスのギャルママに拾ってもらう。

    8台目:福島サービスエリア
    ヒッチハイク中で1番大きかったであろうサービスエリア。ここならきっと次の車も捕まると下ろしてもらったのに、炎天下で1時間弱、次の車と出会えなかった。暑さに負けず立ち続けていると、宇都宮の実家へ向かうファミリーに乗せてもらった。運転席から顔を出したのは大きいサングラスを付けたギャル(?)ママだった。後部座席には旦那さんと3歳になる男の子が乗っていた。当時は恋愛を拗らせていた私は、どうやって出会ったのか結婚まで行き着いたのかなど聞いてみたりした。今となっては当たり前のようになってきたが、ふたりはマッチングアプリで出会い結婚したそうだ。当時、旦那さんが年下だと思わなかったなど、色んなエピソードを話してくれて面白かった。ママさんと話してる時も息子さんがずっとお話していて可愛かった。言葉数が増えてお話することが楽しい時期だよねと微笑ましくなった。途中で渋滞もあり結構な時間を車内で過ごし、スマホを充電させてもらえたりもして頭が上がらなかった。途中で運転が旦那さんに変わり、会話の内容が旦那さんに移った。旦那さんが双子だということ、実家に帰省すると旦那さんのお母さんが幼少期の頃、双子を連れて行ったディズニーが大変だった話を何回も聞くそうで、きっと今日もだよねと話していた。渋滞を抜け宇都宮の手前で高速を降りるため、手前のサービスエリアでおろしてくれた。息子さんはすっかり眠りについていた。深く頭を下げ見送った。

    帰ってきてから気づいたのだけれど、当時必死すぎて疲労もあったのか宇都宮が書けていなかった。というより東京に帰ってから、友人にスケッチブックを見せて指摘され気付いた。大ウケしてたので良かったし、これも思い出だ。

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    色々足りない、宇都宮

    ひこうき雲が東京へ連れて行ってくれた。

    9台目:栃木サービスエリア
    またしても大きなサービスエリアでおろしてもらった。体力的にも限界だったし、割と東京も遠くないと思えたので、どうにか今日東京に戻ると意気込んでいた。ただ日が落ちていき、まだ青空が残る中、夕方を迎えようとしていた。あと少しというところで車が捕まらず、どうしようかとしゃがみ込み空を見上げると、大きく真っ直ぐな飛行機雲が目の前から反対の空まで伸びていて、そのあまりの迫力に見惚れていた時だった。千葉のディズニーへ向かう福島から来ていたファミリーのパパさんが声をかけてくれた。乗せてくれた理由の一つは、5歳の娘さんが飛行機雲だと空を指さした先に私がいたからだった。閉園までには間に合いそうにないから、今日はディズニーのホテルに泊まる予定だと、ディズニーに行く途中の東京まで乗せてくれた最後の車だった。

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    パパさんが運転をし東京へと向かう道のりで数えきれないほどの質問をされた。というのも何事へも全力で熱量をかけて生きている方で、今の20代へ伝えたいことや聞きたいことが沢山あると言われ会話が始まったからだった。少子化が進み福島の若者人口が減っていること、それは福島に留まらず日本全体の話であることから、(少し話は割愛してしまうが)結婚はした方がいいという話や実際の質問内容は、格安スマホを使っているか?投資や株などのサイド収入を作っているか?SNSは何を使っているか?など色んな角度の質問をされた。国も地球も良くしたいと、周りにも働きかけている様子が伝わり素敵な方だった。その根元には、パパさん自身が東日本大震災で被災し何もかもを失ってしまった方だった。そして奥さんもまた同じ状況下で出会い、お互いに守り守られ支え合ってきた中で1つのゴールとして結婚したという一連の話が物語っていた。奥さんとの関係性も依存せず尊敬し合っていて、お互いを信頼していて素敵だった。現在はECアパレルの自社製造を仕事としていて、自宅とオフィスが一緒であることから、結婚してもやりたいことが実現できていると話していた。子育てにもこだわっていて、大人の都合ではなく子どもファーストである事を大事にしているそうで、ひとつ元保育士としても興味深かった話がある。危険な物以外、子どもが欲しいと言った物、主におもちゃなどを制限なく全て与えていたそうだ。その結果、4歳になる頃にはおもちゃを欲しいと駄々をこねたり全くしなくなったという。欲しいのはおもちゃ自体ではなく、おもちゃを通した親からの絶対的な愛情であり、それが満たされたのだと私は思った。その子育ての方針には子どもの自己肯定感を守りたい、出来るだけの経験を与えたいというパパさんの想いがあった。私を乗せたもう1つの理由でもあり、私を乗せたこと(パパさんは人を助けると言う事とも表現していた)が、子どもにとっても私を載せた事が微かでも記憶に残ると思ってだった。大切にしていることを聞くと、ご縁を大事にすること、常に逆の考え方も考えておくこと、”10秒遅かったらってこともあるから”と言葉をもらった。生き方、考え方どれをとってもかっこよく、奥さんへの感謝の気持ちやパパさんの人柄も会話の中で伝わり、理想の夫婦像であり、家族であり、ライフスタイルを見せてもらった。人としての在り方も沢山学んだ。実際に被災された方と密にコミュニケーションをとれた機会は、後にも先にもこれきりだった。震災の経験を持ったパパさんにしか語れないことがあり、言葉や行動への想いの量に圧倒されてしまった。地に足をつけ、前を見て生きろと背中を押された気がした。

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    私は5歳の娘さんと、真っ直ぐ伸びた飛行機雲によって東京まで運んでもらった。図らずしてヒッチハイク中は晴れ続きで毎日、天気にも恵まれ朝焼けと夕焼けが綺麗だった。東京に到着をして車を降りた北千住の駅前で、待っていたかのように小雨が降ってきた。深く感謝を伝え、涙を流しながら千代田線に乗り家へ帰った。

    当たり前のように自分の家があり、部屋があり、寝床があり、その全てに喜べた。東京に戻るまでと決めて通知を切っていたSNSの通知をONにすると、通知が100件を超えていた。当たり前のように会いたい人に会える事、会話ができること、連絡が取れること、何もかもに感謝が止まらなかった。間違いなく私は幸せの中でずっと生きていたことを認識できた。当たり前の中に溺れてしまっていたことに気付き、幸せを噛み締め眠りについた。

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    1冊だけ持っていった本

    優しい人たちに何度も出会った3日間。人生はタイミングなんてよく言うけれど、これこそ全てがタイミングで出会うべくして出会っていたとしか説明しようがない。書いた通り嘘偽りなく、20台の車に乗車させてもらった。その日に初めましてをして、そして別れた。乗せてくださった人も、今日このタイミングだったから出会えたんだと思うエピソードが沢山あった。もし5分、10分でも時間がズレていたなら、きっと会えていなかった30人以上の人との出会いだった。そう思うと感謝してもしきれない。あのとき出会った人たちのことを、きっとこれからも忘れないと思う。

    何をするにも失敗は付き物で、何をするにも恐怖感はあって、挑戦というのは孤独であって、だけど私は自分を信じ続けていたいと思えた旅だった。恐怖を超えた先にあるものは、どんな絶景よりも美しい体験であり、出会いとは自分を知る旅だった。私が探していたものは、幸せであり、帰る場所であり、全方向に真っ直ぐと心が動いていた頃の私だったのかもしれない。
    あの3日間のことを、今でも時々思い出す。

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    実際に記録していたノート。


    この旅、まだ続きがある。
    私はもう一度ヒッチハイクをすることになる。次は、西日本を横断したときの記録を書こうと思う。お互い旅の続きで、また会いましょう。

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    あとがき

    東北一周のヒッチハイクの経験と記録していたエピソード、撮った写真を使って何か形にしたいと思い続け、私がこのエピソードを書き上げるまでに2年弱かかってしまいました。それなのにエピソードを書きながら、つい最近のことかのように今も鮮明に当時のことを思い出せました。乗せてくださった方の顔も全員思い出せます。あの時の空の色や空気も。不思議ですよね、1週間前の今日なにを食べたかも覚えていないのに。何も悲しいことは書いていないのに、執筆しながら自然と目頭が熱くなってきてしまい、何度も涙を堪えながら書きました。あぁそうかと、あの頃の事を身体が忘れていないんだと思いました。それでもかなり追い込んで今回書くことを決めたのは、きっとそろそろ残さなければ、手放さなければいけないと感じたからだと思いました。何となくヒッチハイクの経験にしがみついている私がいたり、記憶が薄れていく感覚もあったり、改めてあの頃をしっかりと思い出すと湧き出す感情も、1年、2年と時が過ぎると、少し遠い場所に感情があるのを感じ始めていました。3日目のエピソードに入った途端に、"書き終えてしまったら、終わってしまう"という感覚に襲われ泣き出しそうになりました。いつまでも、いつまでも大切にしたい大事な経験が詰まっていて、思い出にするには2年もの時間が必要だったのだと気付きました。それでも書き上げたことで、あの3日間という尊く美しい時間は、私の中で生き続け血となり肉となり、今の私を創ってくれていると強く思えました。それはヒッチハイクを終えても、数年経っても変わらず心の盾となり糧になってくれるはずです。生涯で忘れることのない経験をくださった東北のみなさん、応援をし帰ってくる場所を作り待ってくれていた周りの大事な人たち、本当にありがとうございました。どうかこの感謝が巡り届きますように。

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    そして変わらず、私は旅を続けている。

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    最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。
    元々、有料noteとして公開をして夢の1つである書籍化を目指す形で書き進めていた記事でした。書き終えるタイミングで創作大賞(2026)が始まり、ご縁だと思い応募させていただいております。もし良ければシェアやスキ、コメントなどいただけると励みになります。
    応援よろしくお願いします。

     
     

    haruna

     
     
    JP🇯🇵|旅好き写真家 声にならなかった言葉や写真と、旅や日々のことをᝰ✍🏻 見つけてくれてありがとうございます☆彡

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