芋出し画像

あの日の八神倪䞀のゎヌグルは、こんな子どもを芋お生たれたのかもしれない

最近、3歳の嚘はプヌルが倧奜きだ。

プヌルに行く日だけではない。

「今日はプヌルじゃないよ」ず䌝えおいる朝でも、気づけばゎヌグルを぀けおいる。

家の䞭には、もちろん氎なんおない。

泳ぐ予定もない。

それでも嚘は、ピンク色のゎヌグルを぀けたたた、楜しそうに歩き回っおいる。

本人の䞭では、ゎヌグルを぀けた瞬間から、もうプヌルが始たっおいるのかもしれない。

その姿を芋お、ふず思い出した。

『デゞモンアドベンチャヌ』の䞻人公、八神倪䞀だった。



八神倪䞀は、どうしおゎヌグルを぀けおいたんだろう


子どもの頃は、䜕も疑問に思わなかった。

八神倪䞀は、ゎヌグルを぀けおいる䞻人公。

ただ、それだけだった。

䞻人公らしくお栌奜いい。

仲間の先頭に立ち、デゞモンず䞀緒に冒険する。

僕にずっお、あのゎヌグルは八神倪䞀を衚す蚘号のようなものだった。

でも、芪になった今、家の䞭でゎヌグルを぀けおはしゃぐ嚘を芋おいるず、少し違う想像をしおしたう。

もしかするず、八神倪䞀のゎヌグルも、こんな子どもを芋たずころから生たれたんじゃないだろうか。

自分の子どもだったのかもしれない。

どこかで芋かけた、知らない子どもだったのかもしれない。

倏になるず毎日のようにプヌルぞ行きたがっお、プヌルのない日にも朝からゎヌグルを぀けおいる子。

そんな姿を芋お、

「倏の冒険ぞ向かう䞻人公なら、ゎヌグルを぀けおいおもおかしくない」

ず思った倧人がいたのかもしれない。

もちろん、本圓の制䜜経緯は分からない。

みんながみんな、家の䞭でゎヌグルを぀けお歩くわけでもない。

ただ、目の前の嚘を芋おいるず、八神倪䞀のゎヌグルが、蚭定ずしお考えられたものではなく、どこかに本圓にいた子どもの姿から生たれたように芋えおくる。


デゞモンの始たりも、倏だった


『デゞモンアドベンチャヌ』の物語は、サマヌキャンプから始たる。

倏䌑みにキャンプぞ来おいた小孊生たちが、䞍思議な機械を手にし、デゞタルワヌルドぞ迷い蟌んでいく。

今の蚀葉で考えれば、異䞖界ものの原点かもしれない。

でも、子どもの頃の僕は、そんな分類を考えたこずもなかった。

知らない䞖界ぞ行く。

デゞモンず出䌚う。

仲間ず冒険する。

進化しお、戊う。

ただ、それが楜しかった。

そこにどんな時代背景があったのか。

これから蚪れるデゞタル瀟䌚ぞの期埅や䞍安が、どれだけ蟌められおいたのか。

そんなこずは䜕も考えおいなかった。

子どもの僕にずっお、アニメやゲヌムは、たず楜しいものだった。

それで十分だったのだず思う。


倧人になるず、䜜品の向こう偎たで想像する


同じ䜜品なのに、倧人になっおから芋るず、芋えるものが倉わる。

子どもの頃は、登堎人物の気持ちだけを远いかけおいた。

今は、そのキャラクタヌを考えた人のこずたで想像する。

なぜ、この服だったんだろう。

なぜ、倏から物語が始たったんだろう。

なぜ、子どもたちが䞻人公だったんだろう。

そしお、自分の子どもを芋ながら、䜜品の䞭の子どもず重ねるようになった。

僕が成長したから芋えるようになったものもある。

芪になったから、初めお芋えるようになったものもある。

八神倪䞀のゎヌグルを芋おいた
子どもの頃の僕、

ゎヌグルを぀けた嚘を芋おいる
今の僕。


同じゎヌグルなのに、その意味はずいぶん倉わった。


今床は、自分が子どもを連れおいく偎になった


今、僕は自分の子どもを、いろいろな堎所ぞ連れお行く。

お祭り。

プヌル。

アニメやキャラクタヌのむベント。

テヌマパヌク。

自分が子どもの頃に楜しかった堎所や、今の子どもが喜びそうな堎所を探しお、家族で出かける。

子どもが楜しそうにしおいるず、連れおきおよかったず思う。

写真を撮りながら、あずで芚えおいおくれるだろうか、ず考えるこずもある。

でも、自分の子どもの頃を思い返しおみるず、䞍思議なこずに気づく。

もちろん、テヌマパヌクも楜しかった。

特別な堎所ぞ出かけた蚘憶も残っおいる。

それでも、倧人になった今、匷く思い出すのは、意倖ず䜕もない堎所だったりする。

近所の小さなプヌル。

地域のお祭り。

祖父母ず歩いた道。

兄匟ずふざけた時間。

屋台の明かり。

倏の倕方の空気。

そこで、芪や祖父母や兄匟が笑っおいたこず。

どんな乗り物に乗ったかより、誰ず䞀緒に笑っおいたかの方が残っおいる。

䜕を買っおもらったかより、家族みんなが楜しそうだった景色の方を芚えおいる。


思い出に残るのは、特別な堎所だけではない


芪になるず、぀い「䜕か特別な経隓をさせたい」ず思う。

せっかくの䌑みだから、どこかぞ連れお行きたい。

せっかくなら、子どもが喜ぶ有名な堎所ぞ行きたい。

それも、きっず倧切な思い出になる。

でも、子どもの頃の自分が教えおくれる。

必ずしも、遠くぞ行く必芁はなかった。

立掟な蚈画が必芁だったわけでもない。

近所のプヌルで遊んだこず。

小さなお祭りで家族ず歩いたこず。

家の䞭でゎヌグルを぀けお、プヌルぞ行く気分になっおいたこず。

そういう、圓時は䜕でもなかった䞀日が、倧人になっおから倧切な蚘憶に倉わっおいる。

もしかするず、今の嚘にずっおもそうなのかもしれない。


テヌマパヌクぞ行った日のこずず同じくらい、
プヌルではないのにゎヌグルを぀けおいた朝や、
それを芋おパパが笑っおいたこずが、


どこかに残るのかもしれない。


子どもの成長を芋ながら、自分の蚘憶も倉わっおいく


子どもの成長は、目に芋える。

昚日たでできなかったこずが、できるようになる。

奜きなものが増える。

話せる蚀葉が増える。

自分で遞び、自分で遊び方を考えるようになる。

でも、子どもを芋おいるず、倉わっおいるのは子どもだけではないず感じる。

自分の䞭にあった昔の蚘憶も、少しず぀意味を倉えおいく。

ただ楜しかったデゞモンが、芪になった今は、子どもの姿を芋぀めおいた倧人の想像力たで感じる䜜品になった。

ただ遊んでいたプヌルが、家族みんなが笑っおいた倏の蚘憶になった。

ただ連れお行っおもらっおいたお祭りが、芪や祖父母が時間を䜜っおくれおいた堎所だったず分かるようになった。

子どもの頃には芋えなかったものを、今の嚘が芋せおくれおいる。


この子が、い぀か飛べるように


子どもの頃の僕は、デゞモンを芋ながら、無限倧の倢を信じおいた。

知らない䞖界ぞ行き、仲間ず出䌚い、䜕床でも立ち䞊がる。

そこに珟実の重さなんおなかった。

ただ、ワクワクしおいた。

でも、倧人になった今は知っおいる。

子どもたちはこれから、無限倧の倢だけでは進めない日にも出䌚う。

思い通りにならないこず。

努力しおも届かないこず。

誰かの気持ちが分からないこず。

自分のこずさえ分からなくなるこず。

そんな、やるせない珟実の䞭を生きおいく。

そのずき、この子の胞に、䜕か愛しいず思えるものが残っおいおほしい。

家族でもいい。

友達でもいい。

アニメでも、ゲヌムでも、キャラクタヌでもいい。

近所のプヌルや、小さなお祭りで笑った蚘憶でもいい。

自分の翌が頌りないず感じる日にも、それを胞に抱えお、もう䞀床飛んでみようず思えるようなもの。

そのために、芪ずしお䜕ができるだろう。

特別な堎所ぞ連れお行くこずかもしれない。

䜕でもない日に䞀緒に笑うこずかもしれない。

子どもが倢䞭になっおいるものを、銬鹿にせずに芋守るこずかもしれない。

ただ答えは分からない。

ただ、家の䞭でゎヌグルを぀けお歩く3歳の嚘を芋ながら思う。

今、この子が無邪気に楜しんでいる時間も、い぀か頌りない翌で飛ぶための、小さな力になるのかもしれない。

物語の始たりは、必ずしも壮倧な出来事じゃなかった。

家の䞭でゎヌグルを぀けお歩く3歳の嚘。

たったそれだけの光景から、25幎以䞊前に芋たデゞモンを思い出し、自分が子どもだった頃の倏たで぀ながった。

芪になるず、子どもの成長を芋守るだけじゃない。

子どもを通しお、自分が子どもだった頃の蚘憶たで育ち盎しおいく。

だから今日は、ゎヌグルを぀けお笑う嚘を芋ながら、少しだけ八神倪䞀の気持ちを想像しおしたった。

そしお、この子がい぀か、やるせない珟実の䞭でも、愛しい思いを胞に、頌りない翌で飛べるように。

そのために自分は䜕ができるだろうず、少しだけ考えた。

その答えを探すこずは、たぶん、芪になった僕の新しい冒険のはじたりなのだず思う。

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