
好きな人に合わせすぎてしまう人へ|好かれるために、自分を削っていない?
好きな人ができると、少しくらい相手に合わせたくなることがあります。
相手が好きだと言っていた服を選んでみる。
行きたいと言っていたお店に付き合う。
興味のなかった映画も、一緒なら観てみたいと思う。
相手が疲れていそうなら、
「今日は自分の話は控えておこう」
と思うこともあるでしょう。
好きだから、相手が喜ぶことをしたい。
その気持ちまで否定する必要はないと思います。
むしろ、恋愛にはそういう楽しさもあります。
今まで知らなかったものに触れたり。
少しだけ背伸びしてみたり。
相手が喜んでくれたことが、自分まで嬉しかったり。
ただ、
合わせることが増えていくうちに、
「私はどうしたい?」
よりも、
「どうしたら、この人に好かれる?」
を先に考えるようになることがあります。
そして気づけば、
相手に近づいていたつもりが、
少しずつ自分から遠ざかっていた。
今回は、そんな恋愛について考えてみたいと思います。
「合わせる」が、「自分を削る」に変わるとき
たとえば、
「今日は相手の行きたい店に行く」
という行動があったとします。
自分は特に希望がない。
相手が行きたいなら、そこにしよう。
そう思って選ぶこともあります。
一方で、
本当は別の店に行きたい。
でも、
「反対したら面倒だと思われるかもしれない」
「わがままだと思われたくない」
「嫌われたらどうしよう」
と思って、何も言わずに合わせることもあります。
外から見れば、
どちらも
「相手の行きたい店に行った」
です。
でも、自分の中では少し違います。
前者には、
今回は相手を優先しよう。
という選択があります。
後者には、
合わせない自分では、好かれないかもしれない。
という怖さがあります。
だから私は、
相手に合わせたかどうかより、自分にも選ぶ余地が残っていたか
を見ることが大切だと思っています。
相手に合わせること自体が悪いわけではありません。
恋愛では譲ることもある。
相手の事情を優先する日もある。
少しくらい我慢することもあります。
だから、相手に合わせたことだけを見て、「自分を失っている」と決める必要はないと思います。
でも、
嫌だと言えない。
希望を出せない。
断るという選択肢が、最初からない。
そうなってくると、
「合わせる」は少しずつ、
自分を削ること
に近づいていきます。

それでも、本人には「恋をしている」ように見える
難しいのは、
そこまで頑張っていても、
本人にはそれが不自然に見えないことです。
むしろ、
こんなに頑張れるくらい、この人のことが好きなんだ。
と思うことがあります。
少しくらい無理をしてもいい。
好きだから我慢できる。
相手の理想に近づきたいと思うのも、
それだけ本気だから。
私にも、そういうところがありました。
だからこそ、
一度だけ少し違う角度から見てみたいと思います。
その頑張り、本当に「恋」だけですか?

もちろん、
頑張っているなら恋ではない、
と言いたいわけではありません。
好きだから頑張ることもあります。
喜んでもらいたい。
もっと仲良くなりたい。
少しでも魅力的に見られたい。
そう思うこと自体は、何もおかしくありません。
ただ、
「なんだか無理している」
「これは私には合っていない気がする」
「ずっと続けるのは苦しい」
そんな感覚があるのに、
そこだけ見ないようにしているなら。
その頑張りの中には、
恋とは別のものも少し重なっているのかもしれません。
前回の記事で書いた「選ばれたい」が、ここにも重なることがある
前回の記事では、
好きな人のことばかり考えてしまうとき、
その奥に、
「この人に選ばれたら、自分には価値があると思えそう」
という気持ちが重なっていることがある、
という話を書きました。
今回の
「相手に合わせすぎる」
という行動にも、
同じ気持ちが入り込むことがあります。
相手そのものが好き。
喜んでもらいたい。
それも本当。
でも同時に、
「この人に選ばれる自分になりたい」
「この人に好かれれば、少し自信を持てそう」
というものまで重なると、
合わせることをやめにくくなります。
ここについては前回の記事で詳しく考えたので、
今回はその先、
その気持ちが実際の行動に入り込むと、何が起きるのか
を見てみます。
「好かれるための自分」で付き合えたあとも、終わらない
相手の好みに合わせて服を変えた。
嫌われないように、言いたいことを飲み込んだ。
相手が望みそうな自分を考えて、
少しずつ近づいていった。
そして、
付き合えた。
これで安心できる。
……と思うかもしれません。
でも、
そこで終わらないことがあります。
今度は、
この自分を維持しなければ。
と思うようになる。
これをやめたら嫌われるかもしれない。
本当の自分を出したら、がっかりされるかもしれない。
もっと魅力的でいなければ。
この人に釣り合う自分でいなければ。
付き合う前は、
「選んでもらうため」に頑張っていた。
付き合ったあとは、
「選ばれ続けるため」に頑張る。
すると、
恋愛が叶ったのに、
「好かれる自分」を維持する仕事
が始まります。
反対に、
うまくいかなかったときには、
「もっと頑張ればよかった」
「もっと相手の好みに近づけたんじゃないか」
「もっと魅力的だったら違ったのかな」
と、自分を責めやすくなります。
実れば、
作った自分を維持しなければならない気がする。
実らなければ、
作りきれなかった自分を責める。
どちらに転んでも、
最後に裁かれるのは自分です。

恋愛は、「相手の理想になる試験」ではない
もちろん、
相手には好みがあります。
相手が何を好きなのか知ることもあるでしょう。
自分を磨くこともある。
相手に歩み寄ることもある。
それ自体を否定する必要はありません。
相手の好みに近づくこと自体が悪いわけではありません。
好きな人に似合うと思ってもらいたくて服を選ぶこともある。
相手の好きなものを知ろうとすることもある。
問題は、それが「できたら嬉しい」から「できなければ好かれない」に変わったときです。
でも、
恋愛を
「どれだけ相手の理想に近づけるかを競う試験」
のようにしてしまうと、
終わりがなくなります。
理想に近づけば近づくほど、
次は、
「これを失わないようにしなければ」
となるからです。
服装。
話し方。
性格。
趣味。
連絡の頻度。
感情の出し方。
自分の一部を見せるたびに、
「これは相手に嫌われないだろうか」
と採点する。
好きな人と一緒にいるのに、
ずっと自分を監視することになります。
それでは、
近くにいるのに、
なかなか気を抜けません。
「変わること」と、「自分を作り替えること」は違う
ただ、
ここで少し難しいのは、
恋愛をすると本当に人は変わることがある、
ということです。
今まで興味のなかった音楽を好きになる。
行ったことのない場所へ行く。
服装が変わる。
考え方が広がる。
生活の仕方が変わる。
これは、
必ずしも
「自分を失った」
ということではありません。
私は、
相手に好かれるために自分を作り替えること
と、
一緒にいる中で自然に影響を受けて変わっていくこと
は少し違うと思っています。
自分を変えること自体が悪いわけではありません。
問題なのは、
「今の自分では好かれない」
という怖さだけで変わり続けることです
前者には、
「今の自分では足りない。このままでは好かれない」
という怖さが強くあります。
後者には、
「この人といると、こんな自分も出てくるんだ」
という広がりがあります。
どちらも外から見れば、
「恋人ができて変わった」
に見えるかもしれません。
でも、
変わったあとに、
前より自分を嫌いになっているのか。
それとも、
知らなかった自分が増えているのか。
そこには、大きな違いがあると思います。
「私は本当はどうしたい?」が分からなくてもいい
ここまで読むと、
「じゃあ、自分の本当の気持ちを大切にすればいいのかな」
と思うかもしれません。
でも、
これも意外と難しいです。
「私は本当はどうしたい?」
と聞いても、
答えが出ないことがあります。
好きな人に好かれるなら、
なんだっていい。
そのくらい夢中になっていると、
自分に問いかけても、
好かれたい。
しか返ってこない。
そんなこともあります。
だから、
「もっと自分らしく」
「自分の本当の気持ちを大切に」
と言われても、
困ってしまう。
私は、
無理に「本当の自分」を探さなくてもいいと思っています。
代わりに、
もっと小さいものを見ます。
「何がしたい?」より、「何がしんどい?」
やりたいことは分からなくても、
違和感なら分かることがあります。
「これは私には合っていない」
「なんだか苦しい」
「本当はちょっと嫌だ」
「これをずっと続けるのはしんどい」
そういう感覚です。
だから、
「私は何がしたい?」
で答えが出ないなら、
こう考えてみます。
これを続けたら、何を失いそうだろう。
付き合えたあとも、この頑張りを続けたいだろうか。
好かれる代わりに、私は何を差し出そうとしているんだろう。
自分の希望がまだ見えなくても、
失いたくないもの
なら見つかることがあります。
自分の時間。
友達との関係。
仕事。
趣味。
着たい服。
言いたいこと。
ひとりで過ごす時間。
自分なりの考え方。
あるいは、
ただ
「これはしんどい」
という感覚。
それまで全部、
「恋なんだから仕方ない」
の一言で押し流さなくていい。
それだけでも、
少しずつ選び方は変わっていくと思います。
頑張っていた自分まで、否定しなくていい
ここまで考えると、
「あの頃の私は、ずっと間違った恋愛をしていたんだ」
と思いたくなるかもしれません。
でも、
私はそこまで否定したくありません。
あの頃は、
振り向いてほしかった。
嫌われたくなかった。
少しでも相手の理想に近づきたかった。
そのために、一生懸命だった。
無理している感覚が、
まったくなかったわけではない。
どこかでは、
「これは私には合っていないな」
「ちょっと苦しいな」
と思っていた。
それでも、
それくらい頑張れることが、
恋なんだと思っていた。
だから、
もし当時の自分に何か言うなら、
「どうしてそんなことしたの?」
より、
よく頑張ったね。
と、一度言ってあげたいと思います。
正しかったからではありません。
そのまま頑張り続ければよかったからでもない。
ただ、
それくらい誰かを好きになって、
それくらい好かれたくて、
そのときの自分なりに必死だった。
そのことまで、
あとから否定する必要はないと思うからです。
頑張っていた自分を認めることと、同じ頑張り方を続けることは別です。
あの頃には、
あのやり方しか分からなかった。
でも今は、
別のやり方を選んでもいい。
好きな人に近づいてもいい。でも、自分から遠ざからなくていい
好きな人に合わせてもいい。
相手の好きなものを知ってもいい。
少しくらい背伸びしてもいい。
喜んでもらいたくて、
頑張る日があってもいい。
恋愛には、
そういう楽しさもあると思います。
でも、
相手に近づくほど、
自分の希望が見えなくなっていく。
無理している感覚を無視する。
嫌われないために、
何でも受け入れる。
それを、
「好きだから」
だけで続けなくてもいい。
相手に合わせるか、
合わせないか。
そこだけで決めなくていいんです。
一度だけ、
私は今も、選べているだろうか。
と見てみる。
今日は相手を優先する。
それも選択。
今日は自分の希望を言う。
それも選択。
少し背伸びしてみる。
それも選択。
これは嫌だから断る。
それも選択。
好きな人に近づくことと、
自分をなくすことは、
同じではありません。
もし、
「その頑張り、本当に恋だけですか?」
と問いかけて、
「恋だけじゃなかったかもしれない」
と思ったとしても、
それまでの自分を責めなくていい。
好きだった。
好かれたかった。
だから頑張った。
その気持ちは、
そのままでいいと思います。
そのうえで、
これからは少しだけ、
自分にも選ぶ余地のある恋
をしてもいい。
好かれるために、
自分を削り続けなくていい。
好きな人に近づいてもいい。
そのために、自分から遠ざからなくていい。
